大学の同期会に参加

10月15日(日)昭和42年(1967年)入学の同期会が開催され、参加しました。幹事さんにはご苦労様という気持ちです。8000人の入学者で同期会に参加したのは40名。遠くは広島、大阪、福井などから参加しました。今は新幹線で3,4時間で東京に来れますが、当時は、夜行列車に乗り東京に来たことでしょう。参加者と様々な会話をしました。入学後50年、半世紀が過ぎました。それぞれの方が、それぞれの人生を歩んできました。18歳の時、50年後の姿を想像できた方はいないと思います。

私自身、英語が嫌い(高校時代赤点を取りました)、国語が嫌い(高校時代赤点を取りました)、数学大好き、絵を描いたり模型作りが好きという理由で建築学科を選びました。ところが英語嫌いが3度海外留学、国語嫌いが39歳の時朝日新聞経済部長(後年社長)からコラム執筆を依頼され2年間担当しました。また、人に頭を下げたり、人の前で挨拶するのはマッピラと思って人生を送ってきたら突然区長選出馬を要請され、選挙で人に頭を下げ、区長に就任したら毎日あちらこちらで挨拶をすることになりました。人生、予想外のことが時々あります。

こうした会合に出るたびに、母校に感謝、友人に感謝です。母校のおかげ、友人のおかげで今日があります。一人一人の人生の軌跡が顔に表れています。現役の応援団の学生が同期会に花を添えてくれました。鎌田総長も会場に立ち寄りご挨拶をいただきました。

港区長秘話82、秘書の資質

平成12年6月区長に就任してから、一番身近な職員は秘書S氏。分らないことだらけですから秘書が細かく教えてくれました。秘書のおかげで区長の仕事がスムースに運んだんだと思います。平成13年4月は異動です。U助役にS氏の処遇について十分考えるように指示しました。秘書室の皆さんに感謝です。

同時に新しい秘書の候補には「将来部長級になる力のある職員で、勉強を兼ね、区長秘書を勤める意欲がある人物を選ぶように」とU助役に指示しました。これは友人の東京都の部長W氏の助言がありました。氏は、「係長に承認した際、東京都から某区の区長秘書係長に異動し、良い勉強になった」と言っていたことを思い出しました。

平成13年4月に異動できた秘書Y氏は実直そうなイメージの人物。ところが、毎週1回ミスをしました。私の出した秘書の条件をU助役、W政策経営部長、武井人事課長(現区長)は結果として無視しました。「もし人事課長が自分の指示と異なることをしたら武井さんはどう思うか」、意見を聞きたい気持ちです。人事課長を叱正するでしょう。

秘書Y氏は時々おかしな発言もしました。ある年の年始、区役所に届いた年賀状を見ていたら隣接の千代田区長と中央区長からの年賀状がありました。儀礼的とはいえ、お隣の区長から年賀状が来ましたので返信をしなければなりません。Y氏に事情を説明し、年賀はがきを2枚買ってきてほしいと伝えたら「区長の予算に通信代はありません」と発言。私費で買い自宅から郵送しました。私は区長予算の詳細は承知しませんから、U助役に伝えたら、「はがき代くらいあります」と発言。Y氏は間違ったことを私に伝えました。

ある時、私が会合に出かける際Y秘書が私に書類を渡し忘れました。すると、会合の場所で待機していた運転手に連絡し、運転手に区役所まで戻ってもらい、渡し忘れた書類を渡し、再度、運転手は私が会合に出ている会場に戻りました。本来ならY秘書は書類を渡し忘れたので、自分の責任で、ポケットマネーでタクシーで私がいるところまで届けに来るのが筋です。公用車の不正利用です。後で知ったことですが。自ら公金の不適切支出をし、「はがき代100円は予算にありません」と私に伝えたのは一体なんだったのでしょう。

Y秘書は退任の時、大変なミス、侮辱的なことをしでかしてくれました。それはいずれ。

 

大学同期生の友人を悼む。若い時からの離別を体験。

30年ぶりに大学同期のS氏から電話がありました。「同期のH君が癌で突然亡くなった。葬式は・・・」という連絡でした。いわゆる沈黙の癌で、発見された時は末期状態とのことでした。学生時代、よく議論したなーという思い出、H氏の奥さんともども自宅に遊びに来てもらったなー、結婚式に来てもらったなー・・・など30年前以上の出来事を思い出しました。この30年、年賀状のやり取りだけで直接会う機会はありませんでした。優秀で真面目な人柄だから、大手ゼネコンの計画分門で良い仕事をしているだろうななど想像していました。

通夜に出席、式場に若い頃から最近までの記念写真が飾られていました。じっと見入りました。我に振り返り、建築や都市についてH氏と意見交換をしたかったなーという思いが湧き出てきました。H氏の死を悼むとともに、私自身が現在健康で仕事をしていることに感謝しなければと我を振り返り、H氏の分まで頑張るぞという気持ちで式場を退出しました。

私は20歳でアメリカ留学、22歳でスウェーデン留学、25歳で再度アメリカ留学しました。留学が終わると、お世話になった先生方、友人と悲しい別れがあります。当時の電話事情(3分1000円)、交通事情(東京、ロス間で往復25万円、初任給3万円程度の時代)では電話で会話もできず、航空料金がとてつもなく高額ですから2度と訪問できないと思いました。ですから彼らとは永遠の別れでした。こうした悲しい体験を何人と、また、何度も体験しました。私の精神力を高めてくれました。港区長時代、こうしたことを理解をできない方、デリカシーを持たない方がいたのは残念でした。

公益通報ないがしろの台東区幹部

2013年2月週刊新潮に「二期会会長、芸大名誉教授H氏、パワハラ、セクハラで退任、弟子を愛人に」と報道がありました。私は音楽家に友人が多くいます。(ブログにも時々書いております)。ある方曰く「愛人はもっといる」、「国立大学である東京芸大の教授であるにもかかわらず自宅で個人レッスンをし高額のレッスン料を取っている」、(芸大学長や文部省はH氏を指導すべきでした)、「台東区が主催する奏楽堂コンクールの審査で不適切な審査をしている。自分の弟子を優先的、意図的に入選させている」など耳にしました。忌々しきことと思い、奏楽堂コンクールを主催する台東区役所の担当幹部にH氏を審査員から外すべきとメッセージを送りました。台東区の幹部氏は「自分もH氏の審査時の発言を不自然に思っていた」と連絡がありました。

ところが、後日H芸大名誉教授から配達証明で「原田さんを訴える」と手紙が来ました。「台東区の幹部氏が「原田さんから投書があった。ついては審査員を辞めて欲しい」とH名誉教授に伝えたとのことでした。驚きました。まずは、東京芸大名誉教授の社会常識の欠如にです。自らの不祥事を第3者に責任転嫁するという発想に驚き。次に、台東区の幹部氏の当該教授に伝える際の方法です。たとえば、警察は犯人逮捕の際「〇〇さんから投書があったのであなたを逮捕します」とは間違っても言いません。情報源は絶対明らかにしません。公益通報の意味を理解しない台東区の幹部の対応に、さらに、驚きました。台東区に対し、公益通報する際どうしたらよいのでしょうか?台東区長のお考えを知りたいです。私は一時、身の危険にさらされました。しかし、芸大教授にその程度の社会常識の人物がいるということを芸大学長や文部科学省が知らない、あるいは、指導できないことにも驚きです。

建設会社のデータ改竄事件に思う

建築工事では安全性確認のため、杭の長さの確認、コンクリート強度の確認、鉄筋の配筋状態、溶接の強度試験等の検査を厳格にします。また、積算書で記載した量の材料が搬入され使用されたかも確認します。しかし、・・・

平成29年9月29日の新聞報道で「青木あすなろ建設」が廃材6万トン不法投棄で役員や関連会社の5人が神奈川県警に逮捕」と記事がありました。他の事件で、2016年住友不動産が発売、熊谷組が施工したマンションで建物が傾いた、2014年三井不動産が販売したマンションで傾いた、その原因は杭長不足と報道がありました。意図的な施工データ改竄でした。

30年以上前のトラブルです。妻の同級生が「東京医科歯科大学の合格証」を示しました。(公文書偽造)また、研究活動を信じ込ませるため他人の医学論文に自分の名前を貼り直したコピー(私文書偽造)を示しました。奨学金を削減されたので少し金を貸してほしいという詐欺事件でした。その人物は東京医科歯科大学学生というのは嘘、高卒。事件が発覚し逃亡。警察は頼りになりません。だまされたあなたが悪いというスタンスでした。自ら逃亡先を見つけ、追いかけ、強硬にだまし取った金を返させました。驚きました。青木建設系列の下請けの建設会社の幹部でした。公文書偽造、私文書偽造するような輩であれば、建設現場のデータを自分の都合の良いように偽造する可能性、十分ありです。

私の設計には絶対関わらせたくありません。青木建設の社長はこうしたことご存じでしょうか。今回の不法投棄事件、どこまでご存じだったか?

アメリカのアジア系議員(州議会)と交流

アメリカ大使館首席公使が主催する夕食会に招かれました。趣旨はアメリカのアジア系州議会議員の訪日視察の歓迎、交流です。 6人の州議会議員が出席しました。1人はカリフォルニア州議会議員Rob Bonta氏です。フィリッピン系です。アメリカの州議会で初のフィリッピン系議員です。クリーニング店で働きながらお金を稼ぎ、イェール大学で法学博士号を取得、イギリスのオックスフォードでも学びました。その後サンフランシスコ市法務副部長、アラメダ市市議会議員を務めた後、カリフォルニア州議会議員に当選。社会経済、人種間の平等をテーマに政治活動を行っています。2人目はAaron Johansonハワイ州議会議員です。日系です。イェール大学で勉強。高校時代は交換留学生として広島、函館の高校で勉強しました。議員になる前はホワイトハウス、連邦財務省などに勤務。3人目はClarence Lam氏、日系です。メリーランド州議会議員。オハイオ州ケースウェスタン大学の後メリーランド大学医学大学院で学び医者になりました。予防医学に関心を持っているそうです。日本は国民皆保険で、港区含め各自治体が住民のため定期健康診断を無料で受けられる制度になっています。アメリカはすべて自己責任。病気になって病院に行く、保険は自己責任で民間の保険会社に加入。低所得者は医療保険に加入できません。4人目はRady Mom氏、マサチューセッツ州議会議員。カンボジア系です。12歳の時アメリカに難民として移住。全く英語が話せない中、工業高校、コミュニティカレッジ(専門課程の短大)を卒業、アメリカで初のカンボジア系州議会議員。教育の重要性を政策としています。5人目はBrian Shinozawa氏、ユタ州議会議員。ワシントン大学医学大学院を修了後、緊急医療チームに所属。議会では医療政策、産業振興、環境政策、芸術分野で50以上の議案を提出しました。6人目はMonica Jurado Stonier女史、ワシントン州議会議員。日系、メキシコ系です。政策は医療、教育、政府の公正性です。叔父さんは大戦中442部隊(日系人部隊)としてヨーロッパ戦線に従軍したそうです。

私は前港区長、フルブライト同窓会前会長の立場で出席しました。各州議会議員のお話を聞くと任期は各州ごとでことなり、2年、3年、4年です。4年が一番多いようです。選挙の1年前はキャンペーンで忙しく、毎日有権者宅を訪問、チラシを配るそうです。選挙資金は寄付を募りまかなうそうです。寄付文化の国です。議員報酬も州で異なり、議員を本業として勤められる程度の報酬額からボランティア的な報酬額まであるようです。スーパーマーケットで何を買ったまで有権者に見られプライバシーはないとのこと。

日米の文化の違いも多いなる意見交換のテーマでした。記念写真、免許証、ポスター写真で、日本人は真剣なまなざし、笑顔は少ないです。アメリカでは(私も40年前以上経験しましたが)免許証も学生証も皆笑顔で撮影でした。道路沿いに時々見かける選挙ポスターも笑顔の写真でした。

ハワイ州議会議員はハワイは観光客は増加しているが、落とすお金が減少していることと民泊が増えホテル税の徴収が難しくなっていること、中国人観光客が増加しあまりお金を落としてくれないなど政策課題を語っていました。

日本視察、交流の目的はアジア系の州議会議員に日本に対する理解を深めていただくことです。大切なことです。アジア系の政治家が多くのハンディを背負って頑張っていることはすばらしいです。彼らの今後の活躍に期待したいと思います。一方で、日本の地方議会議員も世界の各国に出かけ、教養を広げ、また、異文化と交流することで政策立案に幅が広がることを期待します。

サントリーホールで中国十大テノールによるリサイタル

10月1日港区内のアークヒルズ内にあるサントリーホールで崔宗宝氏によるプロデュースで中国十大テノール歌手によるリサタイルがありました。崔さんとは、港区三田にある曹洞宗玉鳳寺の住職村山氏主催の本堂でのリサイタルで崔さんが招かれ、何回か氏の歌を聞き、ご挨拶させていただきました。中国の若手、中堅の歌手によるオペラの歌やイタリアのカンツォーネメドレーでした。素晴しい内容でした。日中国交正常化45周年記念と銘打ち最近やや冷え切った、かつ、緊張感を感じる日中友好の一助となればという目的も崔さんにはあるようでした。楽しむことができました。

ピアニスト田崎悦子さんの演奏とお話し

9月15日、港区南麻布にある個人の小ホール(5~60人程度)で田崎悦子さんの演奏会が開催されました。私の住まいのすぐそばです。こうしたホールがあることを知りませんでした。田崎悦子さんは、フルブライト交換留学同窓会の先輩であり、桐朋高校の先輩です。(私は男子部普通科卒)同窓会の先輩としてご指導いただいております。小さなホールでの演奏会ということで細かい表情、動きを見ることができました。また、通常の演奏会ではありえない語りを聞くことががらできました。

田崎さんは60年代初頭、桐朋高校音楽科を卒業しフルブライト奨学金をいただきニューヨークのジュリアード音楽院に留学しました。挑戦心豊かな前向きな方です。(こうした挑戦者がいることをフルブライト留学を毛嫌いした港区の元区長S氏や元部長N氏に知ってもらいたい)田崎さんの体験談。ジュリアードで楽譜に正確に演奏することを教わったそうです。また、夏休み地方の街で世界的巨匠と若手が合宿し、水平組織で自由に議論し合い、演奏の勉強ができたことが良かったと語っていました。こうした教育方法は日本の学術界では一般的にありません。

建築界では私の恩師、菊竹清訓氏が主要メンバーだった国際建築アカデミー(本部ブルガリア)が支援し「次世代建築家国際フォーラム」がほぼ毎年世界のどこかの都市で開催され、40歳以下の若手建築家が世界の巨匠建築家の下で合宿しながら自由討議し与えられた建築課題に挑戦するというプログラムがあります。私はその事務局長を務めました。)

面白いエピソードを聞きました。当時は東西冷戦時代。リストにあこがれ共産党政権下のハンガリーを訪問、リストの足跡を調べました。ハンガリーの秘密警察からアメリカから来た怪しげな日本人ということで監視され、一方、ハンガリーのアメリカ大使館員からもアメリカから来た怪しげな日本人女性(東側の諜報員とコンタクトするのでは)と疑われ監視されたそうです。また、ハンガリーの音楽家などと会話する際、当局から盗聴される恐れや家族、友人からの密告を恐れ「小声」で話したそうです。好き勝手に会話する私なら一発で拘留されそうです。そういう監視社会はご免こうむります。

田崎さんはリストを2曲演奏しました。一つは「ペトラルカのソネットNo123」男女の愛の曲。もう一つは「ハンガリア狂詩曲第8番」もの悲しいジプシーの歌と独特なハンガリー民族のリズムの曲です。

田崎さんのピアノ演奏と語りを楽しみました。

場所は南麻布セントレ・ホールです。時々、昼あるいは夜の演奏会を開催しているようです。1階はワインレストランです。

23区私大定員増認めず、文科省告示、閣議決定の愚策

8月12日文科省は都内23区にある私大の定員抑制を2018年から実施する方針を決めました。内閣官房まち・ひと・しごと創生本部有識者会議が5月国に抜本策を求めたことによります。課題を列記します。

1 1980年初頭、旧国土庁が工場等立地制限法で23区内の大学立地を認めないことになり、一方、都心にあった大学が郊外に転出、その結果、学生から不評を買い、また、大学経営にマイナスの影響と与え、結果的に都心から大学の追い出しは失敗しました。

2 個人の意思や志向を法律で制限するのは、民主国家ではありません。旧共産国家は首都や大都市での人口流入を抑制するため、同じ国内でもヴィザを発給し、ヴィザを持たない国民が首都や大都市で生活することを厳しく制限し、不評でした。その結果共産国は崩壊しました。一部また残っていますが。

3 欧米の大学は、大学経営者の創意工夫で、学部学科の創設は大学の意志で決定、国(文科省に類する機関はありません)が箸の上げ下ろしまですることはありません。特にアメリカの大学、名門大学は国家の認可でなく、いわば私塾です。魅力ある教育、研究を実施することで世界中から優秀な学生が集まります。各大学で創意工夫し、学生が集まる努力をすればよいことです。私は欧米の大学で勉強しましたが、日本の大学は丁稚奉公、師匠と弟子のような関係の教育では、また、閉鎖的な学校運営です。世界から評価されません。それが分っていない日本の大学幹部、教員に問題があります。

4 私が20歳の時、交換留学で学んだ大学は中西部オハイオ州(大統領選挙で最初の選挙人の選挙が実施されることでスーパーチュウズデイのオハイオ州で有名)のウースターという人口2万人の市にあるThe College of Woosterです。全寮制、学生数は1500人。設立母体はアメリカの主流派の教会、長老派(Presbyterian)です。オハイオ州や周辺の州、あるいは、大都市から学生が集まります。4年間すばらしい自然環境、全寮制の環境で、一般教養を徹底し学ぶということで学生が集まります。4年間一般教養を学んだ後、就職、あるいは別の大学院に進学し、専門分野を学ぶ制度です。そうした地方の小都市に立地する大学が多くあります。日本の地方の大学がそれぞれ魅力ある授業、研究をし、地元のみならず大都市から学生を集める努力をすべきです。秋田の国際大学、新潟の国際大学などは英語中心の授業を実施しています。新潟県立大学もユニークな教育をしているようです。

5 アメリカの大学やヨーロッパの大学を見ると、大都市に多くの大学が立地していますが、一方で著名な大学が小さな地方都市に立地しています。世界から留学生も集まります。それこそ、世界から学生が集まるような教育、研究をすればよいことです。学長の大学運営能力、教授陣の教育力、研究力の魅力が低いということです。同時に、地方の大学が立地する自治体の若者を引き付ける能力に課題があるということです。

6 アメリカにはコミュニティカレッジという短大レベルの公立(市立)の大学が各自治体に立地し、地域の人材供給に貢献しています。全米で約1000校あります。コミュニテイカレッジについては毎日新聞の論説記事(1978年と1980年、神戸市が発行する「都市政策」、旧自治省が発行する「地方自治」に1981年寄稿しましたのでご覧ください。

そうした状況を大都市東京が若者を奪っているというのは言いがかりです。地方の大学が立地する市長、県知事、学長がもっと知恵を出し、汗をかくべきです。結果的には首長や学長はノーアイデアということで、本来は辞表を出すべきです。

最近、現金をもらい職員採用に不正をした市役所、市長、数年前大分県でも教育長が教員採用試験で不正をし逮捕されましたが、そのレベルの市長、県知事、幹部職員がいるような地域は、自己保身のみの指導者では地域の活性化政策を検討することを望めません。数年前、福島県、和歌山県、宮崎県も知事が自己利益のため不正をし、逮捕されました。東京で大学立地制限をしても、そのような地域に意欲ある学生が学びに行きません。就職しようとも思いません。

安倍首相に期待しておりますが、この点については愚かな政策を閣議決定したと反対の気持ちです。人の気持ち(特に若者の気持ち)を法律で強制するのは、19世紀以前に逆戻りです。

 

 

福島県南会津町で開催の伝統療法カンファレンスに参加、

福島県、南会津町で開催された「伝統療法カンファレンス」に参加しました。外国人記者クラブが招待され、私は外国人記者クラブの顧問建築家を務めている関係で同行しました。伝統療法に携わる組織の指導者、腱引き療法の小口昭宣氏、操体の三浦寛氏、元総合格闘技の平直行氏等による施術のデモンストレーション、アドヴェンチャー・レーサーの田中陽希氏の講演、整形外科医の藤田徳人氏の講演、アルペンスキーの岡部哲也氏の講演など盛りだくさんのイベントです。主催の実行委員長は、会津高原ホテル社長星和明氏、南会津町役場が後援、町長大宅宗吉氏が開会の挨拶をしました。その他、東武鉄道、福島民友新聞、福島民報が後援者です。

2日間にわたるイベントに近隣、近県から多くの方が参加しました。私自身、マッサージ、整体治療を受けた経験がありますが、伝統療法という分野を学び、体験することができました「腱引き療法」は400年前頃生まれたそうです。戦に参加した武士がけがを負った際、至急の治療が必要で、筋肉の筋を一つ一つもみほぐすという治療法が開発され、秘伝、口伝として現在に至り、それを体系化、文書化した内容です。整形外科医(藤田先生)とのコラボ治療をしているそうです。

南会津町は風光明媚で「星に最も近い町」を標榜し町のPRを進めています。トマト、そば、酒など名産品があります。ソバ畑を見学しましたが、ちょうど花が咲き、美しい風景です。温泉も堪能しました。ホテルはスイスの山小屋風、ペンションも多く建っております。スキー場と一体で、雪質はパウダー状の上質な雪だそうです。浅草から東武線の特急リバティで約3時間。新幹線の旅に慣れている立場から、のんびり山の景色を見ながら鉄道の旅もすばらしいです。命の洗濯をさせていただきました。

1980年代に開発されたリゾート地です。今後は、海外への積極的なPR、老朽化した施設の改善、外国人観光客のため、到着便に合わせた空港とのシャトルバスの運行などが考えられます。一方で、歴史文化を保存し、海外の方に全く異なる環境を体験していただくのも重要です。

福島原発事故による風評被害で観光客が減少し、まちの活性化も重要な目的の一つです。町役場、実行委員、伝統療法の方々のご尽力に敬意を表します。また、参加したいと思います。

会津地域と言えば、集落保存で有名は大内村、サザエ堂(二重らせん階段)など訪れたい場所がたくさんあります。1990年代の初め、西会津町役場から依頼があり講演しました。