ヨーローッパ地域の建築学会がトリノ工科大学で開催

2026年9月7日~11日までイタリアのトリノ工科大学で第6回ヨーロッパ地域の建築学会が開催されました。私は論文2本発表しました。1つは日本の木造伝統建築(社寺)保存のためDX技術を活用し測量し、図面やパースを作成する最新技術についてです。もう一つは、鎌倉時代のお堂建築を見本に現代のお堂を建築するその背景とプロセスについてです。

トリノ市はアルプスの麓の美しい都市です。20年前冬季オリンピックが開催され荒川静香が金メダルと取ったことで記憶があり、フィアット工場があることで知られた都市です。トリノ工科大学は、世界の大学ランキングで上位に位置付けられています。

実行委員長はトリノ工科大学の女性教授ヴァレンティナ・ヴィッラ女史。100本の論文が発表されました。発表者の半数は女性です。社会不安があるレバノンから2人の女性教授が発表しました。夫が付いてきました。(日本と逆です)マレーシアから若い女性研究者が二人参加しました。トルコから女性教授(第1回の実行委員長で私の友人)、中国から女性研究者、台湾から女性研究者が参加しました。女性の参画、多様性を感じる国際会議です。

論文発表後はポー川に面した有名なレストラン(エスペリア・トリノ)で懇親パーティがありました。私が座ったテーブルには、レバノンの女性教授とその夫、マレーシアの若手女性教授2人、トルコの女性教授(第1回の実行委員長)、とアメリカの教授が座り、楽しく懇談をしました。

9つの丸テーブルがありましたが、日本と様子が違うのは、正面のテーブルは、最も汗を流したポストドクの学生(男女半々)が着席しました。私は彼ら彼女ら一人一人にお礼を述べ握手をし、日本の情報を知りたければご連絡下さい、と伝えました。1年前から準備を重ね、その労力たるや大変だっと思います。

翌日、南西に100キロ離れた大聖堂(Vico Forte)を視察しました。トリノ工科大学教授とポストドクの研究者が保全のため136箇所にセンサーを設置し、大聖堂のズレを測定しています。平面が楕円形で特殊な大聖堂です。30メートルの吹き抜けの所にキャットウォークがあり、教授の案内でキャットウォークまで上がり、一周しました。足がすくむ高さです。さらに50メートルの位置にキューポラがあり、そこまで登れますとのお誘いでキューポラまで登りました。街を望む景色と同時に当時よく石をここまで運んで建設したものだと感激しました。

翌日はトリノの王様の居城であった宮殿を訪問しました。女王がフランスのルイ王朝から嫁いだとのことで、ベルサイユを参考にした庭園があります。大理石でできた美しい建物です。トリノ駅から鉄道で20分程度の距離です。駅から宮殿までの街並みは、ヨーロッパの都市、村は皆同様ですが、高さがそろい、電柱はなく、美しい景観を生み出しています。

トリノをまた訪れたい気持ちです。

慈恵会医科大学でJohnLamb氏の講演会、100年以上前来迎豪した日本人医師、慈恵会医科大学との関係

2026年9月1日(火)東京慈恵会医科大学でオーストラリア人建築家、ジョン・ラム氏の講演会がありました。演題は「100年以上前来豪した日本人医師と慈恵会医科大学との関係」についてです。これは、氏の博士論文の内容です。ラム氏から案内を頂き出席しました。ラム氏は1974年文部省の留学生として早稲田大学大学院建築科に来日しました。私が属していた穂積信夫研究室で建築家菊竹清訓の設計方法論について修士論文を書きました。その後、私が弟子入りする菊竹先生を紹介しただきました。

ラム氏は帰国後オーストラリア建設省で公共施設の設計の仕事をしました。動機は分かりませんが70歳になりこのタイトルにある研究を始め、2024年チャールズ・ダーウィン大学で博士号を取得しました。75歳での業績です。

明治時代オーストラリアに渡った日本人医師についての調査で、オーストラリアの公文書、当時の新聞記事、さらに、日本でも国会図書館、慈恵会医科大学などで文献を調べ、オリジナル資料を発掘したその努力は賞賛に値します。調査対象となった医師の一人の高木兼寛氏は慈恵医科大学の創設者です。高木先生は当時多かった脚気について研究し、その原因を解明しました。患者は中国人、日本人などアジア系が多く、白人には患者がおらず、オーストラリアの医師は何かの感染を疑っていました。高木氏は長期の航海で多くの船員が脚気になることに気が付き、これは食習慣によるビタミン不足が原因であると解明し、食生活を改善することで患者を治療し、患者数を大きく減らすことができました。高木氏は日本に帰国後、慈恵会医科大学の創設に尽力し、現在に繋がっています。ラム氏はこうした分野で詳細な資料を発掘し論文にまとめました。ラム氏は「ふしぎ発見」と発言しましたが、昔の文献を様々な場所で調べることで面白い、貴重な資料が見つかったと語っていました。高齢者になり、元気で資料探しをし、博士論文にまとめる努力に天晴れです。

映画 新凱旋門物語

映画を久しぶりに見ました。パリの「新凱旋門物語」です。建築が作られてゆくプロセスの実話です。私自身の建築が作られるプロセスを含め多くの建築家の設計、建設プロセスを体験している立場から楽しく映画を観賞しました。

1980年代、ミッテラン大統領はフランスの復興を目的にグランプロジェ(大規模公共事業)を仕掛けました。それらが今や世界的観光名所になっています。映画の主題の新凱旋門、新オペラ座、ルーブル美術館のガラスのピラミッドの入口などです。パリに建築の名所を多く作り、世界中から観光客を呼び込もうとする大プロジェクトです。こうした発想は日本でも必要です。

パリのグランプロジェの建築家選定は、日本の公共事業と異なり「オープンな国際コンペ」で建築家を選定します。また、公共事業を仕切る役割は、日本では総括責任者はいませんが、フランス含め欧米では「チーフアーキテクト」という責任者がいます。フランスでは建設大臣と言ってもよいです。政治家でなく行政職です。当時はベルモン氏(私の恩師の菊竹清訓氏の友人で、氏は若い時東京港区のフランス大使館の設計を担当しました)です。

映画を①建築設計の観点、②映像の観点、③パリの建築や景観の観点からの感想です。

まず、建築設計の観点です。国際コンペでデンマーク人スプレッケルソンの案が選ばれました。そのプロセスは建築家を公平性、透明性、アイデアの革新性等の観点から理想的です。日本の公共事業でも建築家の選定に設計コンペかプロポーザル制度を採用すべきです。入札だと価格だけで決定しますから、その公共性に適当でない建築家(建築事務所)が選定される恐れがあります。また、談合の恐れもあります。欧米やトルコなどではコンペが主流です。海外では、その国以外の建築家が設計を担当する事例が多くあります。オランダのハーグ市庁舎はアメリカ人、ヘルシンキの現代美術館はアメリカ人、カナダのトロント市庁舎はフィンランド人、ロサンジェルス美術館は日本の磯崎などの事例があります。

スプレッケルソンのアイデアはキューブで、中空に雲が浮かんでいるというイメージです。自分のアイデアを追求する姿、そのアイデアはミッテラン大統領も支持します。設計協力者としてポール・アンドリュー(ドゴール空港などの設計者)は予算と工期の観点から設計の修正を主張します。また、事業担当の官僚も自分の立場から、予算、竣工式などの政府の行事の工程を考えながら意見を主張します。3人三様の考えの衝突はよくあることです。事業性を考えれば、中空の空間をオフィスで埋めれば、採算性が良くなります。

ミッテラン大統領は、スプレッケルソンのデザインを気に入り、自ら「パリの景観を保護し、創造するのは私の使命」との発言は日本の首相や都知事に聴かせたいセリフです。一建築家と頻繁に面会する様子は、こうした公共事業への力の入れ方を示す良い例です。特に外壁にイタリア産の大理石(夕暮れに淡いピンクになる)を使いたいと考え、ミッテラン大統領と意気投合し、スプレッケルソンはイタリアの石切り場まで調査に行きます。しかし、予算が許しませんでした。

2番目に映像の観点です。まず、配役、ミッテラン大統領役の俳優、ルーブル美術館のピラミッドの入口を設計した中国系アメリカ人建築家のペイ役の俳優は、雰囲気が似ていました。1980年代のパリを想像させる車、新凱旋門が立地する新都心のデファンスの工事現場の映像、ルーブル博物館のガラスのエントランスの工事現場の映像など、当時の映像を借用したのか、または、コンピューターグラフィックなのか分かりませんが、見事な映像です。

3番目にパリの建築や景観の観点です。ミッテラン大統領は「パリの景観を守るのは私の責任」というセリフは日本の首相や東京都知事に聴かせたい言葉です。映像でパリの景観は美しいの一言です。道路沿道には電柱がなく、高さがそろい、緑あふれる都市空間です。映像に出て来る建築のインテリアの装飾、天井高さ等について、部屋のインテリアの装飾は素晴らしいです。天井高さは4メートル以上あります。

スプレッケルソンは、3者三様のトラブルで途中で辞任し、また、病に倒れ、完成を待たずに亡くなります。気の毒な結末でした。

能登半島視察、復興祈願

7月25日と26日友人10数名と能登半島の視察をしました。金沢駅からバスで「のと里山海道」を北上しました。千里浜なぎさドライブウェイは砂浜をバスで通過。バスの重さに耐えるだけの砂浜に驚きました。福浦港で遊覧船に乗り巌門を見学。水面から半島の地質を見上げ、その造形美に感激。その後、宿泊地の和倉温泉に移動。海岸沿いに大型、高層のホテルが立ち並び、その背後に広幅員の幹線道路が配置され、電柱は地中化されています。途中に野球場程度の広さの公園があります。広幅員の道路の先端には飲食街が高い密度で立地しています。その一角に復興住宅が立地しています。暑い中ですが街中を散策。「のとミルク」というアイスクリームショップに立寄りました。長蛇の列でした。都市計画として見ると、上手に計画されています。

地元の方に聴いた話です。「電柱が地中化されていることで被災後も電気があり助かった。」「一方、水道が止まり、しばらく水で苦労した。」「自宅は半壊し、隣の家は無事、地震動は不思議。」「新たな自宅が明日竣功引渡し。うれしい。一方で、ご近所からヤッカミの目で見られないかが心配。」「自宅を建てたいが、年齢からすると借金を抱えることが心配」

翌日日曜日は能登島へドライブ。2本の立派な橋が架かっています。ある方の話「地元森首相の力で。しかし、人口2000人の島でこのような橋が二本も必要なのかしら。」とのこと。
輪島市を通り千枚田を見学。傾斜地に広がる田んぼの様子は、少しでも資源を有効活用するのだとの地元歴代農家の知恵の豊かさを感じました。輪島市では焼失した家屋跡がいまだ空地であり、近くに復興住宅が建っています。復興の難しさと被災者のご苦労がしのばれました。

金沢駅は観光客で賑わっていました。多くの観光客を金沢駅周辺だけでなく、能登半島、隣の福井県などにどのようにして誘導するかが大きなカギです。

防災面の感想です。各県(各自治体も)は防災計画書を作成しています。石川県の防災計画書を見ていませんが、2024年の地震被害を考えると、防災計画書がより現実的な、より具体的な内容で作成されるべきと感じました。

早い復興を祈りつつ金沢を後にしました。

福岡県議会の闇、政治、ポスト、金。港区では

福岡県議会元議長が、実力者に議長ポスト就任にあたり関係者の支援を得るための活動資金として大金を要求され渡したと公表しました。渡されたと言われる相手(議会の実力者)はその発言を否定しました。7月8日の新聞報道で、元議長吉松氏は、議長就任に際し自民党幹部に2000万円渡したとのことです。また、7月11日の新聞報道で、元副議長江藤氏は副議長就任前に自民党幹部に800万円渡したとのことです。7月12日の新聞報道で、議長選出に際し長年「多額の金」が必要という慣習があったとのことです。渡した相手は蔵内氏で福岡県議会の親分と言われている人物だそうです。ポストを金で買うという情けない福岡県議会の実態で情けないことです。福岡県議会のレベルはこの程度か、ということで情けないことです。大阪府知事、市長を勤めた弁護士、評論家橋下氏も選挙の前に2000万円を要求され、値切って1000万円を実力者に渡したと発言がありました。

自らの体験です。運命のいたずらで2000年から1期2004年まで港区長を勤めました。新聞報道などで選挙に金がかかるという知識を持っていました。一例ですが、1993年のゼネコン汚職で逮捕された茨木県知事は議会の実力者に8000万円渡す必要があったとのことです。私は、2000年6月の区長選を前に当時の菅谷区長から「後継者として出馬して欲しい」「今出馬しようとしている区議が区長になると区長室が談合部屋になる、助けて」と哀願されました。

私は「小規模設計事務所の社長で金はありません」とたかられないよう(実際そんな金はありませんが)釘を刺しました。当選後、菅谷氏から聞いた話「最初に出馬する際、地元の有力代議士大塚氏(元建設大臣)に4000万円選挙の取りまとめしてもらうため渡した」とのことです。法定選挙費用は800万円です。次の区長選挙で私が自分の意思で出馬する際には、4000万円を選挙に仕切りやさんに渡さなければならなと認識しました。学歴も知識も実績もない人物が金でポストを得て、威張り散らし、利権荒らしをすることは想像できます。私は3度の留学で世界最高の指導者から世界最先端の知識を授けられました。最初の留学は1969年アメリカ、オハイオ州のThe College of Wooste、年間授業料は現在6万1千ドル(1ドル150円として915万円)早稲田大学の奨学金をいただきました、2度目は1974年ライス大学建築大学院にアメリカ政府の全額支給の奨学金で留学しました。年間授業料は現在5万7千ドル(855万円)です。1971年スウェーデンの留学では設計事務所でインターンをし給与をいただきました。ライス大学の指導教官ピーター・ロウ氏その後ハーヴァード大学大学院長に就任、修士号審査教授はアデール・サントス女史(その後MIT大学院長に就任)、スウェーデンではスウェーデン・インテリア建築家協会長を務めたカール・クリスティアンソン氏が指導者です。自ら金額にして相当な投資をしました。博士論文の審査教授は都市計画の日本のリーダー横浜国立大学小林重敬教授。世界中にネットワークを持っています。今さら金を誰かに渡してポストを得ようなど考えません。出版は20冊(共著、翻訳含め)、小論400本(うち学会の審査付き論文は国内7本海外9本)の実績があります。福祉、医療、教育分野など様々な分野で論文を書いています。

港区長時代、噂で聞いた話(港区政の事情通の方から)です。「以前、議長になりたい方が有力者に金を渡した」と耳にしました。また、「2000年、港区長選挙に出馬しようとした区議は某開発業者から3000万円調達してもらったそうです。」一方、「当時の港区議会の親分は5000万円で区長選挙を仕切る腹積もり」だったそうです。恐ろしい話です。私の場合、①突然だったこと、②哀願され出馬するという立場、③金を持っていないと釘を刺したこと、④私自ら公正に選挙をして下さい、会計は明朗にと注文を出したこと、で好ましい選挙戦だったと思います。選挙を仕切って下さった自民党の幹事長曰く、「区長選で会計帳簿を付けたのは初めて」だったとのことです。一期で退任しました。大金を調達し選挙に出ることは私の価値観に反するとの判断が理由の一つでした。出馬しない理由を多くの方から尋ねられましたが、なかなか本当のことを言えません。他にも理由はありましたが。

港区政の怪、区長が区長でない。意思決定のプロセスがブラックボックス。

四半世紀前の話です。2000年4月。当時の港区長菅谷氏から6月の区長選挙に後継者として出馬して欲しいと哀願されました。私は、翌年大学教授に内定していること、政治家になることに関心がないこと、朝日新聞社長、元最高裁判事、警察官僚などに友人がおり、そうした人間関係から政治家として向かないと説明しお断りしました。しかし、菅谷氏「出馬しようとしている区議が区長になると区長室が談合部屋になるので阻止しなければならない」「困っているので助けて」と哀願され、引き受けることとしました。

菅谷氏は「原田さんのお好きなように、私は院政を敷きません」と語りました。就任後、すべて嘘であることが分かりました。様々な場面で干渉してきました。

区長就任前、菅谷区長から「何かの時は助けてもらえ」と麻布十番にいるK氏を紹介されました。区長就任後、情報交換のためK氏を訪問しました。しばらくしてK氏が「部長人事はこの案でどうか」とメモを見せられました。内心「人事は原田区長の専権事項」、なぜ、民間人のK氏が港区の幹部人事に口を出すのか分かりませんでした。???

大型公共工事について「この案件はX建設で決まり」と語りました。内心「発注者は原田区長」、なぜ、一民間人が公共事業の建設業者選定に口を出すのか分かりませんでした???

ある時K氏は「奥さんに毎年1000万円さしあげます」と言われ、即お断りしました。

次の区長選を控えた2003年12月、妻がK氏に呼び出され「来年6月の区長選挙に対抗馬が出ます。原田さん選挙で負けて経済的に困るでしょう。子供もまだ小さく教育費にお金もかかるでしょう」と脅し文句を言われました。

その他、某区議から聞いた話「区議選に出馬する際、K氏から事務所に来るように言われ行くとお金を渡されそうになり、即、お断わりした」、また、別の区議から聞いた話「区議選に出馬する際、K氏からある町会の組織票をあるので買いませんかと言われ、即、お断りした」と私に語りました。

2000年、現区長清家さんが区長選に出馬しようとした際、清家さんはK氏に呼び出され、「今コロナ加禍で大変だから今回は出馬をあきらめたほうが良い」と説得されたとある区議から聞きました。

港区政で、意思決定プロセスがブラックボックスでした。ばかばかしい限りでした。最近の事情は知りません。

海外留学に関し賢者の反応、愚者の反応

学生時代の3度の海外留学についてです。受験のため膨大な応募書類を作成します。TOEFLEなどの英語の検定試験を受験します。大学院入学申請の場合はGREと称する英語(語学)と数学の一般的な能力を確認するための試験も受験しなければなりません。留学試験の当日、小論文や英語によるインタビュー試験を受けます。相当なストレスがかかります。心臓がドキドキします。

無事留学試験の合格し、留学先に行きます。日本人一人です。その環境に慣れなければなりません。教授や友達と親しい関係を作らなければなりません。勉強は日本の大学に比ではありません。多くの宿題をこなし、レポートを作成しなければなりません。

留学により、世界最先端の勉強ができます。また、現地の学生や多くの国からの留学生と友達になります。大きな財産です。

東京都や港区は留学生の支援を政策に取り入れました。良いことです。井の中の蛙になってはいけません。

賢者は、そうしたことを理解し、留学体験に対し敬意を表してくれます。一方、愚者はそうした状況を理解せず、「自慢話をしている」で終わります。残念です。

JAL乗務員、乗機前飲酒で処分

2026年6月13日の新聞報道で、JALの客室乗務員が乗機前の検査でアルコールが検出された問題で国土交通省が厳重注意をしたとのことです。日本航空は数年前実質倒産し(ストの連発など放漫経営が原因)、国を代表する会社ということで国の力(つまり国民の税金)で再建しました。多くの社員は再建時の覚悟と自覚を持っていると思いますが、一部に規律を守らないパイロットや乗務員がいることは残念です。社長以下経営幹部の職員教育が徹底していないのでしょう。不遜な人物がそこそこいるということです。

数年前パイロットが乗機前の飲酒でロンドンで逮捕されたり(その時は仲間のパイロットや乗務員は気が付いていたのでしょうが、仲間をかばう気持ちか放置、ロンロン空港の職員に逮捕されました)。

90年代日本航空は、パイロットもCAの高給取りであるにもかかわらずストを連発し、お客様を困らせました。機内に客様を迎えるときはCAは笑顔ですが、本当は銭ゲバのCAなのでしょう。当時日本航空には組合が7つあり、組織上混乱の極みでした。90年頃、高卒のCAの年収は1000万円。それでもストをする気持ちが分かりません。パイロットは国際線では週一勤務で年収2000万円から3000万円、しかもストの連発。海外のパイロットは週3日勤務し、年収は1000万円と聞きました。またアメリカのCAの時給は1000円台(求人広告を持っています)、経営の素人である私でも、いずれJALは倒産すると思っていました。

JALに乗る際「酔っぱらっていませんか?」と聴くのが良いかもしれません。

アメリカ情報局女性局長辞任

ニューヨークタイムズ5月22日の記事で、アメリカの国家情報局長(Director of National Intelligence)局長が辞任とありました。女性でタルシ・ギャバード女史(Tulsi Gabbard)です。彼女の画像とトランプ大統領宛ての辞任届も記載されています。最後にWith love and alohaと書かれていますので、ハワイの出身の方なのでしょう。辞任理由は夫が重度の癌で世話をしたいとのことです。

驚きは、まず、女性が情報(諜報)活動の最高責任者を勤めていることです。日本では情報機関というと警察庁の警備局、公安調査庁、内閣調査室、防衛省の調査部門等ですが、おそらく女性幹部はいないと思います。次はトランプ大統領宛ての辞任届が全文公開されていることです。英文で上司宛の辞表を書く際の参考書となります。

ライス大学副学長来日、日本人高校生のリクルート

5月18日(月)ライス大学副学長イヴォンヌ・ロメロ女史が来日し、東京在住のライス大学同窓生の若干名が副学長と懇親しました。限られた時間で、ゆっくり懇談する時間がないとの理由で少人数での懇親となりました。

副学長の来日の目的は日本人高校生のリクルートです。某高校2校を訪問しライス大学の魅力について説明し、数人の生徒からぜひライス大学に入学したいと反応があったとのことです。副学長の日程は、強行日程で、土曜日に来日し、月曜日に2校訪問し、火曜日にヒューストンに戻る日程です。彼女の精力的な活動に対し敬意を表し、また、限られた時間の中で動き回る姿に尊敬の念を抱きます。(私も区長時代、フランス大使館建替えの建築家選定の審査員をフランス外務省から仰せつかり、パリ滞在2日間の強行日程をこなし、2018年アメリカ、ニュージャージー州公立大学主催のシンポジウムがハンガリーのブダペストで開催された際もブダペスト滞在2日間の強行日程をこなしました)

一方日本の大学で、学長が、副学長が、学部長等の最高幹部が世界中周って日本の〇〇大学に来ませんかと大学をPRし、高校生をリクルートしているか、というとおそらくほとんどいないと思います。例えば東大なら、おそらく「東大に来たいなら来いよ。」という高慢な意識と想像に難くありません。大学は今や世界で優秀な生徒や教員候補を奪い合う時代に入っています。大学は最先端の学問、研究をしているはずですし、また、大学教授はマスコミで「偉そうにお説教がましい」コメントを述べていますが、自らの大学自体が、世界の潮流から乗り遅れています。最近の日大の理事長逮捕騒動などはその典型例です。研究活動の実態も、女性教員の数でも、女子学生の数でも。大学は大きく変わらなければなりません。

いppp