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6月20日土曜日朝の六本木風景、マスク無しの若者集団

6月20日土曜日8時半頃、六本木、外苑東通り(六本木交差点から東京タワー方向の道路)、六本木5丁目交差点あたりの風景です。オールナイトで遊んでいたと思われる若者集団(男女混合)、6人グループ、4人グループなどが六本木交差点方向(地下鉄の駅があります)に向かって、一見ほろ酔いの雰囲気で歩いていました。その半数はマスク無しで大声で語り合っていました。酒は夜は提供されないはずですが。

COVID19対策を慎重にしている飲食店が多くあります。こうした良心的な店は通常通りの営業をしても問題ないと思います。どの店か知りませんが、若者が集まる店を営業し、大声で騒ぐ店こそ取締りの対象とすべきです。汚い言葉ですが「味噌も糞も一緒にする」政府、東京都の対策に苛立ちを感じます。おそらくこうした店、集団からCOVID19が拡大するのでしょう。行政が蔓延防止対策と称し、良心的な営業をしている店も、そうでない店も一緒に扱う方針は再検討すべきです。

田崎悦子ピアノリサイタル

6月6日バッハの命を感じるリサイタルが東京文化会館小ホールで開催され、聴きに行きました。田崎さんはフルブライト留学の先輩です。演目はバッハの円熟期の作品、パルティータ第1番変ロ長調、第6番ホ短調、第4番ニ長調です。バロック時代の音楽の基本に則った内容です。COVID19の中ですが、小ホール定員約650席ですが、ほぼ満席に近い聴衆でした。田崎さんの長年のファンが大勢いるのでしょう。素晴らしい演奏会でした。80歳ですが、長い時間鍵盤に向かい、テンポの速い曲を弾き続けるエネルギーに関心させられました。自分が80歳になった時、果たしてこれだけのエネルギーを維持できているのか?そういう観点からも刺激をいただきました。

田崎さんは桐朋高校卒で、フルブライト奨学金をいただきニューヨークに行き、ジュリアード音楽院でピアノを学びました。当時のニューヨークは音楽含めあらゆる分野で世界の頂点でした。ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、バーンシュタインなど著名な音楽家が演奏をしていました。その中で、著名な指揮者にショルティに認められシカゴでデヴュー。

日本が貧しい中、フルブライト奨学金でニューヨークに単身行き、精力的にピアノ演奏学を学びました。経済的にも大変な環境でニューヨークで勉強、努力をされたと思います。大した度胸、挑戦心、貪欲な吸収意欲です。

単身でアメリカに渡り、世界の指導者の下で、貧しい中頑張った、という点では私も共通の体験を持っていますので、田崎さんの人生を理解できます。また、尊敬します。元港区長S氏、元副区長N氏等は、港区のことしか眼中にないようで、海外のことを理解しようとする意識はなし。逆に、フルブライト留学の経歴を語るなとお説教するのですから、残念でした。世界の学問の頂点のアメリカで、世界のトップの建築家、指導者に学ぶことができたのは、私の誇りです。そうした人生を理解しない、出来ない最高幹部がいたことは、国際都市と称される港区役所の現実の一部です。

アメリカの女性社会参画報道3題

直近のアメリカの女性社会参画に関する報道3題の紹介です。

一つ目、ニューヨークタイムズ紙4月6日、アメリカの大手航空会社、ユナイティド・エアは2030年までに5000人のパイロットを養成するが、その半数を女性、有色人種にするとのことです。現在アメリカの航空会社のパイロットの94%は白人男性です。ユナイティド・エアで女性パイロットは7%です。会社として大英断です。日本の企業、大学などでもトップが大英断すべきです。

二つ目、同じくニューヨークタイムズ紙4月7日、アメリカ、ミズーリ―州セントルイス市で黒人女性市長ティショウラ・ジョンズ女史が誕生しました。COVID19に加え、多い殺人事件、市の刑務所での暴動、貧困問題など抱え、新市長は積極果敢に取組むと表明。市の会計管理者からの転身です。彼女はハンプトン大学卒、セントルイス大学公共衛生大学院修了、ハーヴァード大学公共政策大学院修了(ケネディスクール)、地元で委員活動を経て、ミズーリ―州下院議員、その後市の会計管理者に就任。

三つ目、アメリカ建築家協会(AIA)誌4月5日号で、AIAは建築界の多様性、とりわけ女性建築家が指導的立場で活躍するプログラムを提言しました。日本の建築学会や建築士会などの積極果敢な改革を期待します。

ニューヨーク州のワクチン接種、スピード感に欠ける日本

2021年4月4日のニューヨークタイムズによると、ニューヨーク州(人口約2000万人)では既に1/3が一度はワクチン接種が終わり今週末(10日)までには州民16歳以上全てに接種が終了するとのことです。また、バイデン大統領は4月19日までに16歳以上の国民にワクチン接種を終えると演説しました。日本、東京、私の住む港区では、まだ具体的な予定も不明です。欧米の国と比べてワクチン接種が遅れている原因をしっかり検証する必要があります。今後の危機管理の対応のためにも。日本に優秀な製薬会社が多くあり、優秀な薬学研究者が多くいるのに、なぜ日本独自でワクチンが作れないのかも検証し、危機に備えての対策を検討する必要があります。

モグリ・エレベーター業者

高齢の知人から自宅で1階と2階の上下移動を楽にするためホームエレベーターを設置したいので相談に乗ってほしいと言われました。その方の友人宅では、1、2階をつなぐホームエレベーターを設置し、費用は200万円だったと言われました。安すぎるのではとおかしいと思いましたが、とりあえず話を受け入れました。

建築家として、ホームエレベーターのカタログで価格を調べるとホームエレベーター本体価格は最低でも300万円します。それに、エレベーターを支える周辺の建築工事が必要です。外部にとりつける場合も考えられます。また、住宅内部で、床に穴をあけて取り付ける場合も考えられます。住宅の平面の状況、構造の状況、敷地の状況により、工事費が大幅に変化します。また、エレベーター設置は、行政の確認審査の手続きが必要です。図面も多く作成しなければなりません。2階建てで、鉄骨で柱と梁を組み立て、屋根、外壁を仕上げるとなると、単純に1階、1坪として2階建てで200万円は最低かかります。しかも小規模な工事ですから割増しとなります。さらに、狭い敷地ですと、重機が使えないので人力で工事をするとなると、さらに人工代が必要となります。模型を作り、簡単な図面を作成し、概算見積を作成し、説明をしたところ、その方は、知人宅の200万円の先入観があったので、驚かれました。エレベーター会社は建築確認申請がなければ工事をしません。

その私の知人は、その友人の紹介で、友人宅のホームエレベーター工事をした会社を紹介してもらい直接電話をしました。埼玉県にある会社だそうです。電話で一級建築士で前港区長の建築家に相談しているが、工事をお願いできるかと聞いたところ、「できません」と言われ、すぐ電話を切られたそうです。私はうっかりその会社の名前を聞きそびれました。エレベーターは安全にかかわる設備ですから手続きが厳格に規定されています。モグリで、手続きなしで、お手製のエレベーターを手軽に設置する会社があるのかと驚いた次第です。

フルブライト留学合格大作戦

1967年早稲田大学建築学科に入学し、将来アメリカに留学しようと目標を立てました。しかし、経済的に不可能であり、奨学金を得るしかない、最も有力な奨学金はアメリカ政府が運営するフルブライト奨学金であることを知り、「フルブライト留学」を目標としました。

事前準備というわけで、1969年、早稲田大学の交換留学生としてアメリカ、オハイオ州にあるThe College of Woosterに留学しました。さらに、1971年、IAESTE(国際技術研修協会)の留学生としてスウェーデン、ストックホルムのカール・クリスティアン建築設計事務所に技術研修留学しました。また、客観的な実績を残せと指導教官穂積先生から助言をいただき、修士課程の2年間に、建築学会の設計競技に挑戦、建築学会の論文集や専門誌に寄稿しました。建築学会設計競技入選2回、建築学会論文投稿5本、専門誌への寄稿9本です。以下その実績です。

早稲田大学大学院修士課程の1972年から74年の間の実績リストです。1972年建築学会設計競技(農村集落計画)で入選、1973年建築学会設計競技(コミュニティホスピタル)入選。2回建築学会からデザイン賞をいただきました。

論文は、(1) オフィスランドスケープ研究、その1 実例を通してオフィスランドスケープの接点を探りその特質を考察する、日本建築学会大会学術講演梗概集(九州)、昭和47年10月、(2)Field Research in Office Building for Environmental Design no.1 事務所建築における環境デザイン研究のためのフィールドリサーチ・その1 日本建築学会関東支部、第43回(47年度)学術研究発表会、(3)事務所建築における環境デザイン研究のためのフィールドリサーチ・その2、日本建築学会関東支部(47年)学術研究発表会、(4)事務所建築における環境デザインのためのフィールドリサーチ・その3、日本建築学会関東支部(47年)学術研究発表会、(5)オフィスランドスケープ研究ーその2、事務所建築における環境デザイン研究のためのフィールドリサーチ、日本建築学会大会学術講演梗概集(東北)、昭和48年10月。2年間で建築学会に5本論文を投稿しました。

さらに専門雑誌にも寄稿しました。早稲田建築1972年、Vol.2、No.4,「フィンランドの建築家レイマ・ピエティレ」、A+U(Architecture and Urbanism)1972年5月から10月まで海外情報、ジャパン・インテリア・デザイン1974年4月号「オフィスランドスケープを考える」です。こうした実績をアッピールしながらフルブライト留学の試験に挑戦しました。推薦状は、指導教官の穂積教授、ウースター大学の指導教官Arnold Lewis教授、スウェーデンの先生カール・クリスティアンソン氏(スウェーデン、インテリアデザイン学会会長)に書いていただき豪華な顔ぶれ。後で耳にしたこと、審査員5人が全員一致で原田を推薦して下さり、首席で合格したとのことでした。(principal candidateとして合格したと通知をいただきました)指導教官の穂積先生はじめ多くのご指導をいただいた方に感謝です。

一方、こうした学生時代の活動に理解をいただけず、私を後継の区長に引っ張り出した元区長S氏は留学の話をするなと区長就任後お説教(院政は敷きませんという約束でしたが)(以前、建築事務所の社長をしていましたでは区民への説得力がなく3度留学した挑戦心ある人物です、安心くださいとアッピールする意図でしたが)また、筆頭部長のN氏も原田の区長退任表明直後の2004年の春ごろ「フルブライト留学の話はしないでください」とお説教?私の人生観、前向きな活動実績に対し理解いただけず、残念でした。また、多くのフルブライト同窓生に対する侮辱でもあります。

職業の多様性。ニューヨークヤンキース大打者が心臓外科医に。

ニューヨークタイムズ2021年3月25日の記事によると、元ヤンキースの大打者バビー・ブラウンが亡くなりました。戦後、ヤンキースの大打者として4回ワールドシリーズに出場しました。打者として脂が乗りきっている29歳の時、野球選手を辞め、心臓外科医になりました。日本のスポーツ界ではありえない職業選択です。アメリカ的な多様な職業選択です。

日本では、学校を卒業後、就職し、同じ職場で定年まで勤めるのが一般的です。一方、欧米では、転職が当たり前です。大学教授も5年から10年位で他大学や民間企業、あるいは政界に転職します。しかし、ブラウンの場合、大リーグの打者として立派な成績を残し、さらに医学の勉強をし、医者になったのですから大変な努力家だったのでしょう。シーズンが終了後から翌年のシーズンが始まるまで医学の勉強をしたようです。

[原田のコメント]日本のスポーツ選手は、退職後、一般的に評論家、タレント、水商売と限られた分野に就職する方が多いと聞きます。アメリカでは、新たに勉強しなおし、新たな分野の仕事に就く方が多いと聞きます。多様性と叫ばれていますが、欧米と比較し、日本はまだまだ金太郎飴の社会です。

中国深圳市、音楽大学の国際コンペ。スペイン人建築家Miralles Tagliabueが入選。

中国深圳市が音楽大学の国際コンペを実施し、スペイン人建築家Miralles Tagliabueが入選しました。音楽とアートが融合した有機的なフォルムとサステイナブル建築の提案です。教室に加え、700席の劇場、500席のコンサートホール、200席のリハーサル室です。

[原田のコメント]深圳市のオペラハウスの国際コンペと同様、音楽大学の設計者選定で国際コンペを実施し、プロジェクトに相応しい建築案を選択したことに敬意を表します。深圳市役所の「より良い文化芸術空間を創り出そう」とする姿勢に敬意を表します。日本政府、日本の自治体は深圳市を大いに学ぶべきです。国会議員、都議会議員は海外視察の機会が恵まれていると思いますが、「国際コンペ」「プロポーザル方式」など十分を割いてそのプロジェクトに相応しい建築家選定をしたら、

チェコ、プレロヴ市庁舎コンペ、オランダ人建築家が入選

建築専門誌Architecture Daily 21年3月号によると、チェコのプレロヴ市庁舎、国際設計コンペで、オランダ人建築事務所Anagram建築都市設計事務所が入選した。規模は6階建て、5,000㎡。設計のテーマは市民と開かれた市庁舎との対話です。具体的には、羊羹状の市庁舎に、広場に面した側に1階から6階まで直通階段を配置し、階段から各階の入口にアクセスできるようになっています。最上階はテラス、カフェを配置し、最上階からはカフェ、テラスからプレロヴ広場を眺望できるようになっています。

[原田のコメント]本案は、市庁舎デザインのプロトタイプの一つである。チェコの一自治体が国際コンペを実施し、外国人であるオランダ人建築家の案が採用されたことは、開かれた公共事業の発注方式である。国際コンペは日本の政府機関、自治体も見習うべきである。

建築界のノーベル賞プリツカー賞、今年はフランス人カップルに。

ニューヨークタイムズ21年3月16日によると、今年のプリツカー賞(建築界のノーベル賞と言われる)受賞者はフランス人カップルの建築家アン・ラカトン、ジャン・フィリップ・ヴァサールに決まりました。

デザイン活動の特徴は、新しい建築を創るために従前の建築を破壊しないことです。つまり、長年使われた既存の建築の再活用をデザインすることです。

代表作の一つ、2012年、パリ市内のパレ東京の拡張事業です。1937年世界博の残置物をデザインし、ヨーロッパ最大の非収蔵型美術館に作り変えました。また、1960年代、ボルドー市で建設された共産主義様式全盛時代の公共住宅(外壁面が多く小さな窓の様式)に、外壁を取り払って新たにバルコニーを設置し、各部屋に太陽と空気を取り入れ、再生し、530戸の新たな公共住宅をデザインしました。さらに、1969年建設されたパリ市郊外のトゥール・ボア・ル・プレトゥルは、同様、バルコニーを拡張し、面積を広げ、修復しました。2人によると、技術、規制などは後回しとして、単に、公共住宅に空気と太陽を取り入れただけだそうです。

2010年、「小規模な大変革」というテーマでニューヨークの近代美術館で展示され、デジーンというイギリスの建築雑誌により優れた建築として表彰されました。また、ニューヨークタイムズの建築評論家は、彼らのデザインを建築の創意工夫と建築の若返りと称賛しました。

こうした活動の積み重ねで、今回のプリツカー賞に至りました。優れたデザイン活動、社会活動です。

ニューヨークタイムズが3月16日にプリツカー賞受賞者の報道、Architecture Daily も続けて報道、18日ブルムバーグニュースが報道しました。日本の主要メディアではプリツカー賞受賞の報道はお目にかかれません。(私が目を通している範囲ですが)残念です。欧米のメディアに比較し、日本のメディアは建築文化にあまり関心がないように思います。もう一点、日本では、建築のニュースが取り上げられるのは、大規模な建築や華々しいデザインの建築が多いですが、公共住宅、修復建築といった地味な建築に、建築界のノーベル賞が与えられたことは嬉しいことです。