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平泉展(へいせんてん)開催中、六本木新国立美術館にて

画家保坂先生が主宰する平泉展が1月23日から2月3日まで六本木の新国立美術館で開催中です。私は建築のスケッチと建築のコンセプト模型を出展しました。建築スケッチは公園内の小建築というテーマで、1つはニューヨーク市の中心街のブライアントパーク内にある公衆トイレです。もう一つは上野公園内の京成線の駅舎です。(現在は使用されていません)

ニューヨークのブライアントパークは1980年代から90年代にかけ、麻薬売人、ホームレスのたまり場でした。一般の市民が気楽に立ち寄ることができない危険な公園でした。今や公衆トイレは五つ星ホテルのような優雅な雰囲気を醸し出しています。正面入ると大きな花が飾ってあります。右に折れ男性トイレ。また、小ぶりですが花が飾って理ます。今や観光客が気楽に使っております。無料です。安全確保のため管理人が一人外でサービスと安全のため、立っております。東京にも観光客や歩行者のため、こうしたトイレがあるとよいと思いました。

上野公園の動物園駅舎は京成線開通に合わせて竣工した駅舎です。90年代まで使われていましたが、車両編成が長くなり、ホームの長さが機能しなくなりました。現在は保存活動が続いております。私の友人が頑張っています。駅舎の屋根はピラミッド型造形です。国会議事堂が駅舎のだいぶあとですから、もしかして動物園駅を参考にしたかもわかりません。事実を知りませんが。

伝統工法による300年木造住宅

埼玉県でこだわりの仕事をするS大工さんが伝統工法による300年住宅を造り、ご招待をいただき見学会に参加しました。柱の太さは6寸、梁、桁材はヒノキ、カラマツ、壁は左官仕上げです。フォルムは方形(正方形の平面で屋根はピラミッド状)です。床材はクリ、建具は杉で赤味と白味をツートンで使用した材料。既製品の建材を可能な限り使用せず、本物の木材で造り上げるという思想で、こだわりで建てた住宅です。材料は秩父産、一般の木材市場には少し問題があるという程度の良質な木材を材木問屋から比較的廉価で入手し、製材屋に製材を依頼し、その後は自ら加工した住宅です。総費用については不明ですが、相当な額のはずです。しかし、30年程度で解体してしまう住宅が多いことを考えると、仮に初期費用が2倍としても、300年使い続けることができる住宅なら十分ペイできます。こういう大工さんと一度一緒に仕事をしたい気持ちです。

平成天皇陛下の思い出、温かいお気持ちとお心遣い。

平成天皇陛下のお誕生日の平成30年12月23日、お言葉に感激しました。陛下ご自身、感極まったご様子を感じました。多くの国民がお祝いに皇居に行きました。また、平成31年1月2日一般参賀では15万人の国民が訪れました。当初の陛下のお出ましは5回だったそうですが、陛下のご意志で2回も追加され7回のお出ましがあったと報道がありました。記者会見の内容、一般参賀へのお出ましでも陛下の温かいお気持ちとお心遣いが強く感じられます。

私事ですが、陛下についての思い出です。アメリカ政府が実施するフルブライト留学制度発足60周年を記念する式典、レセプションがありました。たまたま、めぐりあわせでその時は私が同窓会長でした。陛下をお迎えしレセプションを開催することになりました。ご多忙なご公務の中で、時間を割いていただき、レセプションに両陛下のご臨席を賜りました。その時期は心臓手術後、まだ、それほど時間が経過していないこと、海外へのご訪問後ということで、陛下のご臨席は難しいのではと思っておりましたが、陛下の温かいお気持ちでレセプションにご臨席を賜りました。同窓生等とお話をいただき、楽しいひと時を賜りました。翌日の新聞記事を見ますと、レセプションの後、皇居にお戻りになり、シンガポールの元首相と夕食会があったと知り、一層、恐縮しました。参加者の中には、ノーベル賞受賞者の根岸先生、元駐米大使の大河原さん、東日本震災の被害者もおり、両陛下は同窓生の語る留学時代の思い出話の内容に熱心に耳を傾けていただきました。両陛下の温かいお気持ちお心遣いを感じました。

その10年前、フルブライト留学制度50周年のレセプションの時のことです。両陛下のご臨席を賜りました。私は一同窓会員として遠くから様子を見るつもりでいましたら、同窓会事務局から「原田さん、アメリカからの留学生や研究者は天皇皇后両陛下のお立場を十分理解せず、万が一、陛下の前にアメリカ人留学生が押し寄せ、不躾な質問があったら、原田さんは陛下の隣に立ち、そうした質問を適当にさばいてほしい。」と指示を受けました。突然の指示で驚きましたが、指示通りにしました。確かに不躾と思われる質問もありましたが、私が冷や冷やしながらコミュニケーションの交通整理をしようとしていると陛下が上手に相手の質問に対応されました。事務局はじめ周囲の心配は全くありませんでした。

偶然、二度陛下のおそばに立つ機会がありましたが、温かいお気持ちとお心遣いを強く感じました。貴重な時間を賜りました。感謝です。今後はお元気でお過ごしいただきたいとお祈り申し上げる次第です。

日本航空の乗務員の非常識、破たん後も続く。自覚の欠如。

2018年11月、日本航空の副操縦士がロンドンで乗務前の飲酒で逮捕されました。内部検査ですり抜けたようです。身内意識で同僚のパイロットや客室乗務員がかばい沈黙したのでしょう。乗務員を輸送するバスの運転手の通報で警察が逮捕しました。バスの運転手の機転と正義感です。バスの運転手が酒臭いにおいを感じたのですから、一緒にバスに乗車していた同僚たちも気が付いていたのでしょう。そういう点では同罪です。

2010年日本航空は東京地裁に会社更生法の適用を申請、事実上の破たんです。2兆3000億円の負債です。公費で再建しました。そういう自覚が酔っ払い乗務員や社員に自覚がないことが残念です。

破綻前に聞いた話。日本航空のパイロットは週一勤務、ハイヤー通勤、年収は3000万円。キャビンアテンダントも高卒40歳で年収1000万円。90年代アメリカのユナイティド航空のキャビンアテンダントの時給は1400円。それが世界の相場です。海外のパイロットは週3回勤務で年収1000万。それが世界の相場です。経営学の専門家ならずともいずれ日本航空は破たんすると思っていました。ガバナンスの欠如、乗務員の横暴、横柄、親方日の丸感覚、経営者が労働組合と喧嘩したくないので甘い態度で労働条件を認めた、双方とも会社を食い物にした、国民を食い物にしたということでしょう。今問題になっている日産のゴーン氏、会社を食い物にしたと非難されていますが、法的にも、日本航空の社員も同様です。

公的資金(税金)で立ち直ったのに、その自覚がなく、酔っ払い操縦をしたのは言語道断です。日本航空に乗る時(最近はほとんど使っていませんが)、機長やキャビンアテンダントに酔っぱらっていないか確認の声掛けをする必要があります。

不祥事続き大阪府警、存在感が欠けるトップ

2018年8月12日富田林警察署留置場から拘留中の人物が逃走しました。大失態です。その後、大阪府警本部長の広田耕一氏が20日記者会見をしました。トップの役割は何か考えさせられました。私自身3000人組織のトップを頼まれ勤めました。何かあれば真っ先にトップが説明責任を果たさなければなりません。

ニューヨーク市警の例です。私は20年以上インターネットでニューヨークタイムズを購読しています。事件が発生したら市長、警察委員長(東京都の公安委員長とほぼイコール)、警察本部長(ニューヨーク市では警察局長)がいの一番に資料を示し、説明をします。12月25日のニューヨークタイムズ紙によりますと、逃亡した容疑者に私服刑事が27発撃ったと報道があり、また、同時にテランス・モナハン本部長が資料を使い自ら事件の詳細な説明をしました。私は1969年アメリカの留学した際毎夕テレビニュースで事件報道を見ました。現場の警察官がマイクに向かい事件の説明をし、また、警察本部長も公安委員長も同席し記者会見で事件の詳細を発表します。

そうした警察の報道姿勢が見本、教科書とすれば大阪府警本部長は全く職責を果たしていないと言えます。そういう意識がないのか、緊急対応の広報戦術について学習していないのか。ニューヨーク市警はじめ欧米の警察発表の方法を学んでほしいと思いました。

幹部に昇進、就任する方は、緊急時、広報対応方法を学ばなければなりません。

シンゴジラをテレビで娘と見て。

先日、たまたま自宅で映画シンゴジラを見ました。娘は一度映画館で見たことがあるそうで、いろいろ解説をしてくれました。自衛隊の組織、装備、内閣の指令本部など本物そっくりだそうです。首相を囲んで大臣たちが進言している場面がありました。若い女性が首相に対し助言をしていました。私はすかさず娘に、首相に発言できるのは大臣クラスだからこのような若い女性が(少なくも映画では若手女優でした)首相に意見を言うのはおかしいと噛みついたら、娘曰く「防衛大臣だから」との解説。「あーそーか、稲田防衛大臣と思えばいいのかなー」など会話。しばし、映画を観ながら娘と会話をつづけました。映画のおかげで娘と会話が成立しました。父と子供の会話が成立しないという話も聞きますが、映画のおかげでたっぷり娘と会話ができました。映画、シンゴジラに感謝。

マンション大規模修繕の問題、NHK,読売新聞で報道、解決策?

10月19日(木)NHKクローズアップ現代の番組でマンション大規模修繕の建築コンサルタントや建設会社の不適切業務について報道がありました。また、2,3週間前、読売新聞でもマンションの大規模修繕の問題、建築コンサルタントや建設会社の不適切業務についての記事です。同じ分野に勤める者として恥ずかしい限りです。

マンション大規模修繕問題について原田敬美のブログでも半年前、自分のマンションの大規模修繕の際のトラブルを書きました。また、某マンションの大規模修繕のコンサルタントを依頼された際のトラブルも書きました。マスコミの報道を見ると、類似のトラブルが相当数あるのでしょう。

自分自身が建築家、コンサルタントという仕事をしていますが、大規模修繕の際の建築家、コンサルタントの選定方法についてです。複数(3人から5人程度)の建築家、コンサルタントに声をかけ、面談し、経歴(学歴のことでありません)、業務経験、仕事に対する取り組み姿勢、仕事の方法論、費用(安ければよいというものでありません。専門家に対する報酬を支払う必要があります)の考えを聴取し、それから、相性が合うかどうか、を含め管理組合の理事が総合的に判断することにつきます。管理会社は管理会社ですから、彼らはあくまでも事務局です。管理会社に大規模修繕をやらせるべきでありません。それこそ、管理会社が担当すれば、仕事の内容、費用のことなどチェックのしようがありません。

 

港区長秘話88、「俺とやり方が違う」元区長のコメント

区長選を引き受けるにあたり私を後継者に引っ張り出した元区長「私は院政を敷きません。原田さんのお好きなように」と言われました。区政の根本方針は同じですが、具体的な方法は異なります。経歴、専門性、交友関係、人生観など異なりますから区長の仕事のやり方が異なるのは当然です。区長就任後しばらくし「原田さんのやり方は俺と違う」という元区長S氏の声が時々聞こえてきました。氏は豪快な付き合いをし「まー一杯飲めよ、〇〇君」と言ったスタイルでした。言葉づかいも異なりました。S氏は「俺」、私は「私」。私の言葉づかいは例えて言うとジェントルマン、研究者風。元区長氏のコメントはある種の私に対する牽制と感じました。

大きな方針は同じでも具体的方法は異なります。得意技は各人で異なります。野球の事例、イチロー、王などバッティングスタイルは独特です。昭和30年代中ごろ、今はない大洋ホエールズに近藤和彦と近藤アキヒトという選手がいました。素晴しいバッターです。近藤和彦は左打者、バッターを寝かし、かつ、ボールを待つ間バットを振らしタイミングを取り、ヒットを打つという変則型。近藤アキヒトは右打ち、小柄、バットをコツンと振り、ヒットやバンドを打つ名打者でした。両者とも個性あるバッティングですが、良い成績を残しました。おそらく、監督、コーチは俺と違うとは言わず、個性を活かす指導をしたのでしょう。

他のスポーツ選手でも、100m短距離の陸上選手と柔道の100キロ級の選手では体型、発達した筋肉など異なります。100mの短距離選手に「あなた運動神経いいから柔道の試合に出てくれ」とは言われません。柔道の100キロキロ級選手に「あなた運動神経いいから100メートルの短距離競走に出てくれ」とは言われません。

得意技はそれぞれ異なります。バッティングフォームが違う、得意技が違うと言われても困ります。要は結果が出ればよいわけです。

兵庫県太子町で「港区の経営」の講演。隣のたつの市も含め素晴しい町。

8月上旬、兵庫県の知人の紹介で兵庫県太子町の経者を中心とする150名程度の方々に「港区の経営」について講演しました。財政再建、行革、新規施策など積極果敢に取り組んだ体験談、経営の参考となる話題を提供しました。多くの出席者と交流しました。太子町は姫路市の西隣。工場が立地し、財政的に自立している自治体と聞きました。斑鳩寺という古刹があります。1400年前聖徳太子が創建されたそうです。ユニークな建築があります。聖徳殿という六角形の3重の塔です。何度か再建され、最近では大正三年、棟梁伊藤平左衛門です。伊藤事務所の現社長は私の勉強仲間。ここにも伊藤平左衛門先生の作品があった、しかも不思議なフォルムの。先先代?の伊藤平左衛門先生の秀作に脱帽。山陽本線網干駅から車で5分。歴史とユニークな建築に、お参りと見学をお勧めします。後日スケッチを描くつもりです。町役場が最近完成、すばらしい建築です。空間構成、ディテール、材料の使い方など、勉強になります。もっとも、お会いした某町議会議員曰く、「40億円の工事費でこれから何十年も借金を返さないといけないから大変だ」と辛口コメント。

太子町の西隣はたつの市です。宿泊したのは梅玉旅館。(天然記念物かたしぼ竹で有名です)元家老屋敷だった敷地で、庭園が立派です。「寅さん」のロケに使われた旅館です。城跡を訪ねました。城主は脇坂家。どこかで聞いた名前と思ったら、忠臣蔵事件で浅野家(赤穂はさらに西隣)赤穂城の受け渡しを担当した大名です。引き渡しを反対する藩士が攻撃する恐れもあったでしょうから大変な任務だったと思います。城跡の御殿(私の知人はここで結婚式をしたそうです)、城主の庭園跡である聚遠亭、城下町を歩き、その佇まいを楽しみました。主要産業は薄口醤油、素麺、皮革の生産です。市内を流れる揖保川の水質故、独特の薄口醤油の生産にふさわしい立地です。当時の醤油工場が歴史記念建築として維持されています。また、地元の若手が空き店舗の活性化、有効活用などの活動をしています。面白い店舗がありました。相当年季は経っていますが、吹き抜け回廊付き、天井にトップライト。斬新なデザインに感銘。姫路駅からJRで22分。街歩きお勧めです。姫路城もよいですが。

姫路城はその美しさと規模に感銘。敷地規模は江戸城(皇居)とほぼ同じと思います。中国人観光客、白人の観光客を多く見ました。運命(不運)を感じました。持参したカメラのバッテリーが故障しました。せっかくの姫路城を前にし自分のカメラで撮影できませんでした。安藤忠雄さん設計の文学館を姫路城の前に見学しました。これもすばらしい空間構成です。子供たちや大人も図書を楽しんでいました。一つ都市計画上の問題点を見つけました。文学館周辺は2階建ての住宅地。住居系の指定と想像します。文学館の道路挟んで反対側に雰囲気の異なるホテルが立地。都市計画上許されないはずですが。いずれ姫路市の都市計画図を調べてみたいと思います。暑い日で下が素晴らしい町を見学しました。

妻へのメッセージ

私は20歳の時1年間アメリカの大学へ留学、22歳でスウェーデンの設計事務所へ技術研修留学、25歳で再度アメリカの大学院へ2年間留学しました。(何度も書きますが)。早稲田の理工学部建築学科は一学年180人中女子学生は2人、と異なり、学生の半数は女子学生。美しい才媛の女性に囲まれ過ごしました。授業に追い付くのがやっとで、また、宿題で追われまくり、女子学生を意識する間もなかったというのが実態でした。振り返れば、もう少し余裕があってもよかったと反省。そうした多くの美しい女性を見てきた経験の下、あなたを選んだのだからと妻に褒め言葉。他人の評価は別です。