2018年11月末、日本技術士会、男女共同参画委員会の勉強会で講師を務めました。1969年アメリカ留学、1971年スウェーデン留学、1974年再度アメリカ留学で見た女性の社会参画。その後国際会議で見た女性の活躍ぶりなど紹介し、また、港区長時代、区長会を代表し東京都男女共同参画審議会委員を務めた体験などを基に日本での課題を語りました。
底流にある思想的背景について、①アメリカで女性の社会参加が1980年代以降と思いますが、1960年代の公民権運動、差別禁止の政治、社会運動が背景にあります。性差別、人種差別、年齢差別などしてはならないと法律で決まりました。アメリカも特に戦前は、一例ですが、結婚したら学校教師を辞めなければなりませんでした(アメリカの友人祖母から聞いた実話)。②日本では、現在の社長や官庁のトップたちの多くは地方の出身者。子供の頃、葬式などで男性陣は床の間のある主室でお浄めと称し酒盛り。女性群は土間の台所でせっせと料理づくり。そういう姿を見て育った現代のトップは、女性は男性に奉仕する人、農作業や家事の労働力と自ずとみなしたでしょう。
事例(順不同)。①私の学生時代、早稲田の建築学科180名定員で女子学生は2人。同時期スットクホルム工科大学の女子学生の比率は60%。②1990年代、アメリカの大学、ハーヴァード、MIT、コロンビア、ライス大学などの教授募集の求人広告が建築専門誌に掲載されていました。強調されたのは「女性」の積極的な応募を期待しますと特記されていることです。ハーヴァード大学大学院の建築科主任教授は建築事務所出身の女性です。MITの大学院長はライス大学で私の修士号審査教授だったアデール・サントス女史。日本の主要大学で公募はありません。日本では東大も早稲田も、男性教授が後継者を指名します。密室の談合人事です。したがって男性が後継者として教授に就任する仕組みです。明治時代の仕組みが大学では今なお生きています。それが正しいことと信じ、実行している日本の教授たちに人権、女性の社会参画を語る資格はありません。ハーヴァードの建築大学院は600人定員。女子学生は半数。
その他の事例。①トルコの大学(ほとんどは国立大学)、学会で見たもの。数年前トルコのコジャエリ大学から国際会議に招聘されました。学長は女性、建築学部長も女性(ちなみに法学部長も女性でした)、学生の半数は女性。別の大学で開催された国際会議で事務局長は女性教授でした。学会の発表者の半数は女性。日本の学会と風景が異なります。
②2018年10月ハンガリー、ブダペストで国際会議に招聘されました。主催者のアメリカ、ニュージャージー公立大学学長は女性。参加したニュージャージー州副知事は女性。アメリカ側、ハンガリー側とも出席者の半数は女性でした。名刺交換のレセプションで全員と名刺交換しました。男女の距離が近いです。指定席の夕食会で私の隣は主催者のニュージャージー公立大学学長(女性)、向いの席はブダぺストの法科大学院の女性教授。はす向かいは駐ハンガリー、アメリカ大使館の通商担当官、女性でした。女性の法科大学院教授曰く、司法試験で女性の方が合格者が多いとのこと。
一つ一つの事象で日本は女性の社会参加の分野では途上国です。私の提言。①社交の方法を変える。夜の密談、懇親の宴会は無しとする。ビジネスランチの社交にすると女性が参加できます。特に2人だけで料亭で密談を、となったら女性は参加できません。②子育てができるよう都市構造を変え、都心居住を進めるべきです。③残業なしにする。1971年スウェーデンの設計事務所で働きましたが、夕方5時で全員帰宅しました。1975年夏休みライス大学研究所でインターンをしましたが、5時で全員帰宅。日本の働き方が異常です。
政府は女性の幹部の占める割合の目標を示しています。ばかげた数値です。供給源である大学、高校で女性人材を育てることをしなければなりません。ハーヴァード大学の建築大学院で半数は女性学生。だから社会で半数が女性が占めるようになります。公務員供給源の東大法学部で女性が半数を占めるようにならなければ、官庁や企業幹部で女性が半数を占めることはあり得ません。
禁止事項について。3,4年前、週刊新潮で芸大名誉教授H氏がパワハラ、セクハラで二期会(声楽家の団体)会長を辞任、弟子を愛人にし、妻にバレ裁判中と記事がありました。芸大教授が弟子を愛人にする、コンサート出演を優遇する、コンクール審査で優遇するといったデタラメをやっています。こういうデタラメ教授を排除する社会システムを構築しなければなりません。これが芸大の一部の現実です。学長、文部科学省、文科大臣は指導すべきです。
様々改革しなければ女性の社会参画は進みません。女性の社会参画の観点から、最悪の場合、東大教授や芸大教授などの大学教授全員を交代させなければならないかもしれません。