カテゴリー別アーカイブ: 国際

6月17日(日)朝10時六本木ロアビル前に中国人女性客引き

6月17日(日)朝10時頃出勤。六本木の交差点から東京タワー方向に向かい歩きました。オールナイトで飲んでいた人たちがぶらぶら歩き、歩道は賑わっていました。外苑東通りを東京タワーに向かい右側(西側)の歩道を歩きました。六本木の有名なロアビルに差し掛かりました。ロアビルの端にある花壇に3人の中国人女性客引きが座って獲物を狙うがごとく眼付けしていました。数年来いつも見ている様子なので女性たちの顔を覚えてしまいましたが。

こうした状態こそ、武井区長や麻布警察署長が対応しなければいけません。放置状態が続いています。「壊れ窓理論」(アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが提唱しました。)がありますが、武井区長も麻布警察署長もご存じないのでしょうか?あるいは知っていても無視しているのでしょうか?

壊れ窓理論は犯罪が激化した1970年代から90年代までのニューヨーク市にうまく当てはまります。治安が悪化する経過は、①建物の窓が壊れ、放置すると、犯罪者はここは誰も注意を払わない地域だ、だから犯罪をしても大丈夫だ、と認識します。②また、ごみのポイ捨てが始まります。(六本木はまさにこの状態です)、③来街者もそうした意識になります。④次第に凶悪事件が増加します。ということです。治安を回復させるには、①軽微な犯罪でも取りしまる。②パトロールを強化する、という内容です。ニューヨーク市では実際、地下鉄の無賃乗車で逮捕、信号無視の歩行者を逮捕、など軽微な行為でも見逃さないぞと強硬手段を取り、治安を回復させました。

治安は悪化してから回復させるのは大変です。ニューヨーク市はじめ世界の大都市が経験済みです。区役所、麻布警察署は対策を進めてください。

フルブライト奨学生の壮行会、49名日本人奨学生

6月15日(金)フルブライト交換留学奨学金を得てこの秋アメリカに留学する奨学生の壮行会が六本木の国際文化会館で開催されました。後輩への激励、交流のため出席しました。アメリカ側から国務省の担当局長の教育文化局担当次官補マリー・ロイス女史がワシントンから来日、ご挨拶されました。日本の文部科学省から国際統括官(フルブライト委員会委員長:日米教育委員会)川端和明氏がご挨拶しました。面白いユーモアに富んだご挨拶でした。さらに、日本人留学生を代表し女子学生が上手に英語で感謝のスピーチをしました。彼女はフルブライトの面接試験の時の体験に加え、さらに度胸を積んだことと思います。

49名の日本人留学生は、留学を直前に控え高揚感と緊張でいっぱいのことと思います。留学生は文字通りの学生に加え現職の大学教授、高校英語教員、新聞記者、弁護士(アメリカでも弁護士資格を取りたい、また、3歳の子供連れで留学する女性弁護士もいます)など社会の第一線で働く方も多くいます。

さらに嬉しかったのは、私の母校ライス大学大学院に留学する学生がいたことです。政治学専攻です。ライス大学は学生数4000人程度の小規模大学ですが、総合大学で音楽部、政治学部もあります。建築学部(日本と異なり実際は専門職大学院です)の学生数は75名程度、教授は15名です。教授一人当たり学生5人で、この比率はおそらく全米でトップと思います。また、立地するテキサス州ヒューストン市は、多くの日本人のイメージとして「砂漠のど真ん中」と抱いているようですが、人口200万人、全米第4位の大都市です。間もなくシカゴを抜き第3位になると予想されています。私は1974年にライス大学に留学しましたが当時は人口100万人、全米第6位の規模でした。アメリカの友人たちからヒューストンはさらに大都市に発展するだろうとの予想で、建築と都市を研究するのに適切な都市と見做し、ヒューストンのライス大学を選びました。ヒューストンのイメージが正確に日本に伝わっていないのはマスコミのステレオタイプの報道(ワシントン、ニューヨーク発が中心)が原因と思います。

レセプションのホストとして元国連の事務次長をお勤めになった、フルブライト留学生の先輩の明石さんも参加され、記念写真に納まっていました。今回の会場となった国際文化会館の理事長です。明石さんは「港区の国際化の対応の消極姿勢、港区幹部の国際化に向けての意識の低さを心配している」と私にささやいております。

私はフルブライト同窓会前会長です。こうしたレセプションを利用し、新規留学生に「帰国後は是非同窓会に入会し、活動に参加し、同窓会を支えてください。」と個別にお願いしております。「はい、わかりました。」とご返事をいただきます。しかし、帰国後、若い方はほとんど同窓会活動に参加してくれません。

もう一つ、不満のつぶやきです。私の学生時代の夢は「フルブライト奨学金をいただきアメリカ留学し、最高の先生の下で建築を勉強すること」でした。指導教官のおかげで実現しました。ところが港区長時代、元区長S氏から留学の経験を話すなと言われました。私は「建築事務所の所長だった人間が区長をやって大丈夫か?と不安に思う職員や区民がいるだろうから、挑戦心に富んだ人間です。安心してください。」というメッセージを込め、時折、留学体験を話しました。また、区長を補佐すべき政策経営部長N氏は「フルブライト留学なんて語るな」と言われました。学生時代の人生のかけての挑戦に対しイチャモンをつけるのですから。驚きました。嫉妬、ヤッカミの類でしょう。現在、この程度の意識の人物が港区の文化、交流部門の財団の理事長を務めているのですから驚きです。港区は異文化理解と区長などが唱えていますが、内容、実行の伴わない空念仏です。残念です。

海外留学大幅増へ、閣議決定、嬉しいが意識の低い公務員も

6月15日閣議で海外留学する高校、大学生の大幅増など「第3期教育振興基本計画」が決定されたとの報道で、留学経験者として嬉しく思いました。海外留学を日本人高校生を現在の3万6千人から5万5千人に増やし、海外大学への留学生を5万5千人から12万人へ5年間で倍増させるという内容です。

自らの体験から、「異文化に触れ」、「高度な専門の勉強の機会に触れること」はすばらしいことです。その後の人生観、交友関係に大きな影響を与えると思います。

この十年、アメリカで日本の留学生数が大幅に減少しました。ピーク時10万人ほどいたのが現在は1万から2万人程度でしょうか。更なる貿易、外交、平和、観光などの観点から大いに海外に目を向けるべきです。

一方、私の港区長時代、元区長のS氏や元政策経営部長(現在ふれあい文化財団理事長)だった人物から、私の留学経験を否定する発言がありました。海外で学ぼうという意欲や海外で学んだ人の人生観を批判する人物が行政のトップにいたことは驚きでした。港区役所では幹部が、建前上「異文化理解」と言っていますが、トップの発言は空虚です。海外で学ぶという意識もなく、意欲も知識もありません。港区の中学、高校からは留学生が生まれにくいでしょう。国際都市と称される港区役所の実態です。

港区のエレベーター事故の反省から安全の日。安かろう悪かろう契約も続いています。

2006年6月3日港区の区立住宅でエレベーター事故で何ら落ち度のない住民の高校生が亡くなりました。なぜか和解に時間を要し(本来港区は直ちにご遺族に謝罪をし、補償をすべきでした)昨年11月和解成立しました。和解に伴い6月3日を安全の日と定め施設の安全に気を配ることは結構なことです。こうした事故が起きないようしっかりと区長以下職員は緊張感を持って対応していただきたいと思います。

エレベーター事故のそもそもの原因はメンテナンス業務の手抜きでした。予定価格400万円のメンテナンス費に対し、入札で当該のエレベーターメンテ会社が1/4の価格の100万円で落札し、手抜き作業をしました。本来、発注者はそのような額でまともな仕事ができないでしょうと疑問をぶつけ、場合により、再入札するとか、メンテ作業中の監督を厳しくするなどすべきでした。発注者、その部門の部長、副区長、区長達はこうした分野の全くの素人。その後、プロポーザルで(私が区長時代採用した契約方法ですが)特定のメーカーのエレベターを採用しました。最初からそうすればよかったのにということです。

契約システムの不備は現在もあります。英語の翻訳業務です。「安かろう悪かろう契約」です。納品成果を判断できる担当者、幹部がいません。これも重大問題です。私の妻は元通訳、翻訳者。今でも通訳、翻訳会社に登録し、時間がある時は翻訳のアルバイトをしています。ある時斡旋会社から連絡があり「港区からの仕事ですが日本語から英語への翻訳をしてほしい。」と依頼がありました。翻訳の報酬は1文字何円と経験年数などで相場が決まっております。斡旋業者から提示された報酬は妻が通常いただく1/4でした。これでは無理と断ったそうです。上記のエレベーター事故の時の契約と全く同じパターンです。その後安くてもやりますという経験が十分でない方が仕事をしと思います。その結果の英文の出来上がり状態、私は確認していませんが、おそらく不備だらけだった恐れがあります。(知人のアメリカ人、留学経験者の日本人から港区の英語はおかしいと聞くことがあります)その額ではまともなレベルの翻訳者は作業できません。担当者も幹部も副区長も区長も英語を理解しませんから、「変な英語」が港区の公文書としてまかり通ったと思います。

訪日外国人の増加、行政の観光政策は後手後手

東京都へ来訪した外国人観光客は2017年1377万人。率直なところ、東京都の観光政策が有効に働いたというより、国のビザ緩和策が最も大きな要因です。中国人、ロシア人などに対するビザの緩和が大きいです。また、途上国に対する緩和も訪日観光客増加に大きく寄与しています。観光客が増えるのはうれしいですが、観光政策は後手後手です。観光バスの駐車場は不足、ホテルは不足、案内板は不足、両替所も不足、ボランティアンの観光案内人も不足(私は諸外国を訪問した際の状況と比較してです)。急いで対応しなければいけませんが、東京都観光部職員というより東京都の職員は、海外旅行の経験、観光旅行の経験は限られているでしょうから、自ら何をしてよいのか意識の面で欠けているのではと思います。頑張ってください。必要であれば、私の体験談を無料でお伝えします。

南カリフォルニア大学学生用医療センター、婦人科医のセクハラ報道

ニューヨークタイムズ5月21日、「5人の南カリフォルニア大学女子学生がキャンパス・ドクターのセクハラ行為に対し大学を訴えた」と記事。南カリフォルニア大学はカリフォルニア州内で名門大学の一つ。学生の健康のため大学の医療センターがありますが、婦人科医師ティンドールが女子学生に対し長年セクハラ行為があり、放置、問題を隠ぺいした大学の責任を問う訴訟です。記事の表現はリアル、率直です。アメリカ式?、日本の新聞でこのような表現は無理でしょう。

一例です。18歳の女子学生曰く「腕全体を膣内に入れて行くぞ」と言って診察した。別の女子学生曰く「胸をまさぐりながら性的な質問をした。」別の女子学生曰く「裸の体をまさぐりながらアナルセックス、オラルセックスを求められた」などなどです。とんでもない医者、それをチェックできな大学当局。婦人科医ティンドールに対しロス市警が刑事事件として動き出したとのことです。

過日、アメリカの女子体操チームのドクターがセクハラ行為で懲役100年以上(10年でありません)、罰金500億円でした。懲役刑の期間の考え方、罰金の考え方が日米で全く発想が異なります。

ニューヨーク市の犯罪減少、一方、ロンドン市は急増

2018年6月1日ニューヨークタイムズに、ロンドン市の殺人件数が急増しているとあります。前年比44%の増加です。30年前1988年ロンドンを訪問し、友人のO氏(当時イギリスの軍事大学に研修留学中)に案内いただいた際、ロンドンにはアメリカと異なりスラムのような地区はなく、安全な都市であると説明を聞きました。ニューヨーク市は1990年の2245人をピークに最近は殺人事件がない日もあります。「激減」しました。一方ロンドンでは急増。

治安問題の安定化は時間を要します。私が仕事する港区の六本木地区も犯罪が増加しています。犯罪を起こさない環境整備が必要です。行政や警察の真摯な取り組みが必要です。

柴田徳衛先生の訃報、ご指導いただき大変お世話になりました。

先日新聞の訃報欄に柴田徳衛先生の訃報記事がありました。94歳、ご長寿の方でした。31歳の時の小論のご指導から始まり港区長時代まで様々ご指導、お心遣いをいただいた方です。感謝でいっぱいです。柴田先生は元都立大学敬勢学部教授、都市問題の大家です。その後美濃部都政の時、都庁の企画調整局長に就任、その後、東京経済大学教授として都市経済を長年担当された斯界の大家です。

1980年アメリカのコミュニティカレッジについて小論をどこかの専門誌に寄稿したいと思っていたら都庁の課長だった柴田先生の教え子の一ノ倉さんから「柴田先生をご紹介してあげる」とのことで、ご紹介をいただき、小論についてコメントいただき、ぎょうせい(出版)の「地方自治」に掲載することになりました。気さくな明るい方でした。

その後、毎月1回(定例で第3木曜日の夜)杉並の自宅で勉強会を開催しているのでよろしかったらご参加くださいとお誘いをいただきました。毎回話題を提供する方のお話が興味深く、都合が付くときは参加させていただきました。また、自らも話題提供することがありました。

アメリカから著名な研究者が東京研究で来日し、柴田先生がホストでお世話する際に私にもお誘いの連絡があり、ご紹介をいただきました。1988年には「世界都市東京」(発注は日本政府のシンクタンクの総合研究開発機構)をまとめたニューヨーク行政研究所(その後ニューヨーク大学教授)デイヴィッド・マメン氏を紹介いただきました。1988年私はニューヨークを訪問、マメン氏にお世話になりました。94年ニューヨークを訪問、柴田先生とニューヨークで合流、ご一緒させていただき、有名なスラムのサウスブロンクスなど視察しました。

柴田先生の教え子には都庁や市役所などの公務員になった方が多く、柴田ゼミで多くの公務員と出会いました。その後、港区長に就任した際、大変助けていただきました。

港区長に就任した際、港区内のローカルな中華屋さんで数人の教え子と一緒にお祝いの席を用意いただきました。また、退任後、ご苦労さん会もご用意いただきました。経済学と建築ということで分野は全く異なりますが、私が博士号を取得した際にも柴田先生がお祝いの席を設けてくださいました。心遣いをたくさんいただきました。それぞれ唯一の会でした。

地方政治、ニューヨークの大都市問題など柴田先生から多くを学ばせていただきました。ニューヨークの話は柴田先生の受け売りです。柴田先生はいつもニコニコ、心が和む先生でした。ありがとうとうございました。合掌

 

 

アメリカで初めて言えたジョーク

1969年早稲田大学の交換留学生としてオハイオ州のThe College of Wooster(人口2万人の市、クリーブランドから南へ100キロ)で学びました。英語での授業、英語での会話に大変苦労したこと今でも覚えています。キャンパスから町の中心まで徒歩15分。友人から教えてもらったコップに直接入れお湯を沸かす小型電気ヒーターを買いたい思い、商店街をぶらぶら歩きしました。ある店に立ち寄り、店番をしていた中年の女性に「コップに入れお湯を沸かす小型の電気ヒーターがないか」と尋ねたところ「ない、ウェアハウス(倉庫状の日用雑貨店)ならあるのでは」との説明。私は思わず「ウェア?(どこにその店がありますか)」と聞き返しました。そしたらその女性が大笑い。「ウェア」に「ウェア」を掛けました。意図的ではなく偶然発した言葉です。アメリカではじめて使ったジョークでした。なぜか、このジョークは今でも思い出します。

1971年、フィンランド、ユヴァスキュラ警察署見学、留置場まで見学

1971年7月スウェーデンに留学した際、夏季休暇を利用し隣国のフィンランドに渡り大好きなアルヴァー・アアルトの建築を見て歩きました。ユヴァスキュラ市に到着、アアルトがデザインしたユヴァスキュラ大学のデザイン、キャンパスプランニングを見学しました。タイルの使い方、天井のデザイン、屋根を支える木造のトラス工法、照明デザイン、クール・温かいインテリアの色使いなど感激しました。さらにアアルトがデザインしたユヴァスキュラ警察署を訪問しました。デザインはユヴァスキュラ大学含めたアアルトのデザインそのもの。入り口に入り、受付で「日本から来た建築の学生ですが見学させていただきたい」と英語で挨拶。たまたま夜勤明けの警察官が「どうぞ」と快く即OK。(上司に了解得なくてよいのかなと不安に思いましたが)かつ、その警察官が中を案内してくれることになりました。地下室にある留置場も案内してくれました。アアルトの得意な白のインテリアでした。酔っ払いが1人留置場の床で寝ていました。後の留置室は空っぽ。その程度の安全なフィンランドの町と思いました。このような素敵なインテリアなら私も一泊ぐらいさせていただいてもよいかと思いました。今日のようなテロの不安な時代は見学は難しいと思います。しかし、フィンランド警察官の弾力的な判断、親切に感謝です。