カテゴリー別アーカイブ: 教育

50年前留学先の教授の親切な指導

50年前1969年早稲田大学の交換留学生としてオハイオ州のThe College of Woosterで1年間学びました。建築デザイン理論の授業を取りました。教授Arnold Lewis氏は授業の一環として、学生10人ほどを自らのマイクロバスに乗せ高速道路ひた走り、ペンシルベニア州フィラデルフィアに連れて行ってくれました。教授の弟がフィラデルフィアで建築事務所に勤務しているとのことで、弟の住宅に雑魚寝です                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       が宿泊させていただき(無料)、弟が勤務する設計事務所を案内いただき、その他、フィラデルフィアの著名建築を案内していただきました。オハイオ州のウースターからフィラデルフィアまで500キロ以上。教授の運転する車(無料)、弟の自宅に泊めさせていただき(無料)、フィラデルフィア美術館(ちょうど、ブランクーシ展を開催中:ルーマニア生まれ、抽象彫刻の指導者、イサム野口の師匠)を見学し、ペンシルバニア大学を見学、世界の指導的建築のイーロ・サーリネン設計の学生寮、ルイス・カーンの設計したリチャーズ・メディカル・センター、当時有名になりつつあった当時若手建築家ベンチューリーのデザインした住宅など見学できました。教授の配慮で無料ですばらしい建築視察旅行を楽しみました。ルイス教授の自己犠牲、奉仕の精神ですばらしい授業を体験できました。

早稲田大学1972年卒同期会

11月8日(金)夕方、早稲田大学キャンパス内で1972年卒業同期会が開催され、出席しました。私は入学が1967年で本来の卒業年は1971年。在学中、留学したので1年卒業が延びました。71年と72年の同期会に登録されています。さらに、大学院修士課程修了が74年ですので、74年の同期会にも登録されています。1972年の卒業生数7400人、同期会に登録されている数は500人、同期会に出席した者40名、卒業生数の0.5%でした。遠くは神戸市、平泉市から参加しました。幹事の皆様に感謝です。1人、高校の同期もいましたので、双方で驚きました。小中の同期も1人いました。

幹事の一人が当時流行した歌の歌詞を配布、ギターで出席者で合唱。当時を振り返り、懐かしい思いを共有しました。いくつかの歌の中で一つ気になった歌。「心の旅」1971年、財津和夫作詞・作曲、チューリップの唄です。その一節に「・・・もしも許されるなら、眠りについた君をポケットにつめこんで、そのまま連れ去りたい、あーだから今夜だけは・・・」があります。恋愛中の思いでしょう。ある参加者は早稲田同士で結婚したとのこと、ほとんど、学生結婚に近い様子、冗談でしょうが、「今や、双方が失敗した、早まったとぼやいている」と語っていました。上の詩を引用すると「君をポケットに詰め込んで、ゴミ箱見つけ、そこに捨て去りたい」という思いでしょうか?冗談です。     

私は、上記のように、早稲田で1971年、1972年、1974年の同期会に登録されています。さらに、早稲田大学国際部の交換留学生でしたので、国際部同窓会の会員でもあります。国際部同窓会はかつて会長も務めさせていただきました。それに、本職の建築学科の同窓会会員です。したがって早稲田大学で5つの同窓会に登録されています。複数のネットワークがあることは仲間が多いということで、ありがたいことです。

話変わり、区長時代、港区議で昭和初期生まれの議員が、氏に対して、私はかなりほらふきのような人物と印象を抱きましたが、氏は早稲田の政治経済学部を卒業したと豪語していました。(さらに千葉大工芸学部を卒業したとも言っていました)氏から早稲田時代の思い出の話は一切りませんでした。どのような授業を習ったか、どのような指導教授に習ったか、どのような学生生活だったか一切話がありませんでした。

50年ほど前の同期会で、昔の思い出話で盛り上がり、楽しいひと時でした。幹事さんに感謝。

神戸市東須磨小教師間のいじめ問題、見て見ぬふりの管理者、同僚、

神戸市東須磨小学校で教師が教師をいじめる、それも刑事事件になる可能性が十分あるというレベルの事件です。マスコミが例によって匿名報道している中、週刊新潮が実名報道しました。主犯格の教師は蔀俊、リーダー格の女性教諭は長谷川雅代。柴田祐介教諭も一緒になりいじめをした。佐志田英和教授も同様、いじめに参加。管理者である校長、副校長、同僚の教諭たちもいじめの実態を知り、あるいはうすうす知っていたのでしょう。教育委員会事務局、あるいは教育長、市長に直訴することをしなかった、被害者の教諭を救えなかったことはイジメ加害者と同罪です。私は神戸市と多少お付き合いがありました。1981年コミュニテイィ教育について神戸市が発刊する「都市政策」という研究誌に政策論文寄稿を依頼され、また、1993年建築家の国際会議を神戸市の全面的支援で神戸市で開催し、おせわになり市役所職員の手際よさにすばらしいと敬意を表し、神戸市の積極的な都市経営、まちづくり方法教科書として見ていただけに残念です。

神戸市東須磨小学校で教師が教師をいじめる、それも刑事事件になる可能性が十分あるというレベルの事件です。マスコミが例によって匿名報道している中、週刊新潮が実名報道しました。主犯格の教師は蔀俊、リーダー格の女性教諭は長谷川雅代。柴田祐介教諭も一緒になりいじめをした。佐志田英和教授も同様、いじめに参加。管理者である校長、副校長、同僚の教諭たちもいじめの実態を知り、あるいはうすうす知っていたのでしょう。教育委員会事務局、あるいは教育長、市長に直訴することをしなかった、被害者の教諭を救えなかったことはイジメ加害者と同罪です。

私は神戸市と多少お付き合いがありました。1981年コミュニテイィ教育について神戸市が発刊する「都市政策」という研究誌に政策論文寄稿を依頼され、また、1993年建築家の国際会議を神戸市の全面的支援で神戸市で開催し、おせわになり市役所職員の手際よさにすばらしいと敬意を表し、神戸市の積極的な都市経営、まちづくり方法を教科書として見ていただけに残念です。

港区でもおかしなふるまいをする議員がいました。高級外車に乗る共産党議員、官製談合を仕切る議員、など私は積極的におかしい、と発言しました。区議会議員、区役所の幹部で問題指摘する方はいませんでした。

逆に、問題指摘する私に様々な嫌がらせがありました。イジメと言ってよいでしょう。また、私の経歴(海外留学の、所謂帰国子女)故、元区長や国際理解をできない議員などから嫌がらせを受けました。そういう程度の人物は公務員や議員にいるということです。

スウェーデン研究所で学生の研究発表

10月31日(木)スウェーデン大使館でスウェーデン含めた北欧4か国に訪問、2週間程度でフィールド調査した内容を明治大学の学生、東洋大学の学生、アイセックという学生の交換留学を展開する世界的な公的組織のアイセックの学生がこの夏に体験した活動報告をしました。指導教官の指導よろしく学生たちは立派な調査をし、立派にプレゼンをしました。私が同年齢の学生の立場なら、こうした素晴しい調査結果を出せたかどうか。私は1971年スウェーデンに留学しましたので、そうした観点から学生のプレゼンを拝聴しつつ学びました。

調査に参加した学生は順番に報告しました。働き方、都市環境、職場環境、小学校見学、・・・すばらしい経験です。彼ら彼女らが将来社会の指導者レベルに到達したら大いに日本を変えてくださいと応援のメッセージを伝えました。

1971年、ストックホルムで私が体験したこと。ストックホルム工科大学で6割が女子学生。地下鉄、バスの運転手の半数が女性。残業なし。午前、午後30分休憩時間。小学校教育では「個」重視、グループ学習。日本の社会と全く異なりました。現在もです。

私はコメントで、今後、①職業別での女性の比率、(特に建築やエンジニアリングの世界で)、②労働対価としての給料、③議会での議論の進め方、女性政治家の活躍ぶり、④都市構造、東京圏では1時間半程度の通勤は当たり前、だから子育てがしにくい状況、職住近接が必要です、⑤防衛分野での女性の社会進出、などの分野で研究を発展させてはいかがか、と発言しました。学生の皆様、頑張ってください。

海外で学べ、父親の教育哲学

時々勉強のため港区倫理法人会の朝食勉強会に出席します。毎回すばらしい講師のお話を聴きます。「経営に倫理を」という哲学ですが、「政治に倫理を」と政治家も学び、かつ、実践してほしい内容です。先日の講和です。講師が子供の頃父親から受けた影響のお話をしました。父親の愛情です。私自身も父親の教えを思い出しながら投影しつつ、講師のお話を聴きました。普通のサラリーマンでしたが、また、太平洋戦争中は水兵としてアメリカ軍と戦い、足に被弾、銃創があり、父親は戦争の話は一切しませんでした。不快な、思い出したくない出来事だったのでしょう。可能な限り見聞を広げ、海外でも学び、知識を得て、仕事をしろ(学問、知恵で戦え)、というのが暗黙の教えでした。学んだものは奪われません。現金を持っていると盗まれます。(もっとも盗まれるような現金はありませんが)

大学3年生の時(1969年、昭和44年)、たまたまアメリカへの交換留学のお声がかかりました。授業料相当額の奨学金(当時2000ドル、1ドル360円で72万円:当時の大卒の初任給は2万円台、早稲田の年間授業料は15万円くらい)が支給されるとはいえ生活費、渡航費などの負担は大きな額でした。しかも24年前までは戦争で戦った相手国です。父親におそるおそる話すと、即「アメリカに行け」でした。旧敵国で、かつ、世界の指導者であるアメリカに行き大いに学べ、という方針でした。両親は、多くの親もそうだと思いますが、自らの生活を切り詰め、私の勉学の費用を工面してくれたことと思います。1年間の留学を終え帰国、その翌年1971年、次にスウェーデンでインテリア、1974年念願のフルブライト奨学金を得て再度アメリカ、テキサス州ヒューストンにあるライス大学(1970年オハイオ州の友人や教授たちがこれからは南部の時代だと助言がありました。当時の人口100万全米6位、現在200万人全米4位)に留学しました。

3度の留学で学んだ内容はそれこそ世界最先端の学問、知識で、また、多くの友人を得ました。実務に就いてから留学経験を評価いただき、留学で学んだ内容を武器に仕事をしました。スウェーデンで学んだオフィスランドスケープは20年くらい日本で理解されませんでした。そのくらいオフィス環境の快適化は日本で遅れていました。ライス大学で学んだ設計方法論(物事の進め方、クラスター分析)も10年くらい日本で理解されませんでした。ヒューストン市の都市計画(ノンゾーニング)の方法も未だに日本で理解されていません。1975年のニューヨーク市の財政破綻も日本の自治体財政の教訓として生かされていません。ニューヨーク市財政破綻をご存知の方は自治体関係者や政治家でもほとんどいないようです。

2000年頼まれ港区長に就任しました。元区長からの要請でした。3度の留学で学んだことを活かし、港区政を展開しよう、3度の留学で学んだことを武器に頑張ろうと決意しました。ところが、就任後2か月くらいして、私を後継者に引っ張り出した元区長氏から留学の話はするなと言われました。元区長氏は40年以上に亘り港区役所に勤務したことが仕事の武器です。私は行政経験、政治経験はありません。私の仕事の武器は留学で体験した異文化に溶け込む順応性と留学で体験、学んだ内容です。大使館が80もあり大使や外国人と英語を話し彼らと直接コミュニケーションを取れることは大いに役立ちました。私自身大使らに港区を大いにPRし、日本に進出する企業があるなら是非港区に立地してくださいと直接誘致活動をしました。「国際都市港区」、また、港区役所は「異文化理解」を標榜しています。実態は、英語を話す幹部はゼロ、異文化理解は以上のような事情で幹部の口先だけでした。しかも、区長職後半には区長を支えるべき政策経営部長N氏から留学の体験を話するなと言われたのは驚きでした。嫉妬、ヤッカミの世界でしょう。私の人生そのもの、私の父親の教育方針を侮辱することです。

静岡市立美術館視察、オバリン大学エインズワースコレクション(浮世絵)展

7月下旬静岡市立美術館を視察しました。駅前の約10階建てのビルの3階に立地しています。駅前で夜の7時まで開館。便利です。ホールの天井高さ6mあります。サインデザインもすばらしいです。展示は、アメリカ、オハイオ州オバリン大学美術館のエインズワース・コレクション(浮世絵)の展示です。オバリン大学を卒業したエインズワース女史は日露戦争後の時期に来日、浮世絵を収集、持ち帰りました。当時、女性一人で(実際に一人かはわかりませんが)来日した勇気に敬意を払いたいです。(内向きと言われる日本人はエインズワース女史の行動力を学ぶべきです)母校のオバリン大学に寄贈、オバリン大学の美術館に収蔵・展示されています。オバリン大学はアメリカのプレスビテリアン(長老派教会)系の大学です。早稲田大学の姉妹校で、私が早稲田の交換留学で学んだウースター市と30キロ程度の距離です。(アメリカでは隣町と言えます)人口約1万人、学生数2000人です。有名人ではライシャワー(元駐日アメリカ大使)が卒業生です。

話は飛びますが、日本で地方都市から若者、特に女性が東京に移住し、自治体も、地方の大学も困ったと騒ぎ、東京を非難し、挙句の果てに地方救済と称し、政府は東京での大学立地を10年間禁止しました。ばかげた施策です。人の意志を無視した共産主義的政策です。アメリカではオバリン市は人口1万人の農村部にある自治体です。オバリン大学はアメリカ中から、また、世界から留学生が学んでいます。そして世界的レベルといってよい浮世絵コレクションを持っています。地方都市の首長さん、地方の大学の学長さん、アメリカやヨーロッパの地方の小都市の自治体やこうした小都市に立地している大学の経営方法を学ぶべきです。

アメリカの大学入学制度

1969年アメリカ、オハイオ州The College of Woosterに早稲田大学交換留学生として留学しました。大学の推薦ですから先方の入学試験なしで入学しました。アメリカの入試は日本のように決められた日時に一斉の入学試験が実施するという方式でありません。共通一次のような「英語」「数学」の基礎学力を測定する試験と高校の推薦状、自己申告書で評価されます。もっとも最近の事情は知りませんが。2度目の留学は1974年フルブライト奨学金(アメリカ政府の奨学金制度)を頂きテキサス州ヒューストン市にあるライス大学の建築大学院に留学しました。日本の大学院入学と全く異なります。19年6月24日読売新聞の大隅良典氏のインタビュー記事によると「ニューヨーク市のロックフェラー大学に紹介状書いてもらい留学したいと手紙を書いたらすぐ来てよいと教授から返事が来た」と記載されています。私もほぼ同じ体験をしました。ライス大学建築大学院に、自己紹介の手紙を郵送しましたら直ちに建築学科主任教授から「あなたを大学院に受け入れます」という返事が来ました。驚きました。まず即回答が来たこと。次に、合格の手続きがいたってシンプルであること。日本の大学院でこのような手続きをしているところはないでしょう。こうした弾力的な制度も大切と思います。

スポーツ選手とアメリカの大学の指導内容

ゴルフの倉本昌弘氏が週刊新潮で「アメリカの選手はなぜ大学で伸びるのか」(2018年6月28日号)、「ダメだと言わないアメリカ式指導法」(2018年7月5日号)、「大学でゴルフの専門家になれるアメリカ」(2018年7月12日号)と連続でスポーツ教育とアメリカの大学での指導方法の素晴らしさについて語っています。

そのポイント。倉本氏は大卒後すくテネシーに留学した。その理由は「アメリカのゴルファーが大学生になった頃から急速に成長する。その秘密を知りたいと思った。」「アメリカのスポーツ教育の特色は、野球、水泳、テニス、ゴルフ、フットボール、陸上、サッカー、バスケット、レスリングなどいくつものスポーツを経験することができること。」、と書いてあります。同感です。日本は一つの分野にこだわり、横のつながりがありません。

タレントとしても有名だったプロレスラーのデストロイヤー氏に直接聞いた話です。氏はアメリカの名門大学の一つシラキューズ大学、大学院卒。「学生時代フットボールの選手だったが、監督から、タックルの勉強のためレスリング部に入りタックルの方法を学べ、と言われレスリング部でも稽古した。」「たまたま日本でプロレスの興行に参加してはと誘われアルバイトでプロレスに出場、プロレスで有名になったのでそのまま続けた。」とのこと。氏はレスリングの他、野球、水泳の指導員の資格を持ち、地元で子供たちにそれぞれの分野で指導しているそうです。現在年齢的には90代ですから、その年齢で名門大学卒、しかも、スポーツの修士号を持っていることは、日本のスポーツ家と比べ、教養、能力の幅の広さに驚かされます。アメリカではそれが普通です。

アメリカのスポーツ教育の特徴の2。コーチの言葉づかい。教える姿勢。倉本氏は「日本の指導者の大半は欠点を見つけそこを直せと指導する。アメリカのコーチは選手と議論し「何をやりたいか」聞き、コーチは選手をサポートする役割である。命令する立場でない。選手の意志が常に主体である。」と書いています。

「アメリカの大学でのゴルフ教育の特徴。アメリカでは大卒でゴルフ協会の資格が取れる。ゴルフの経営学やゴルフの指導方法を学べる。日本ではそうした教育課程はない。」と書いています。

私の専門の建築教育でも同感。だから私はアメリカに留学しました。港区長時代、元区長S氏(私を後継者に引っ張り出した方)、私の区長時代の政策経営部長だったN氏(その後副区長、現在は港区の文化スポーツ財団理事長)から留学の話をするなとお説教。N氏は、上記の倉本のようなスポーツ教育理論はゼロ。単なる天下り人間。スポーツも文化を理解しない人物が港区の文化スポーツ行政のトップでいます。不適切な人事と言えるでしょう。

数年前柔道連盟で不祥事がありました。その時、女子チームの監督が「ブス、デブ」と言った言葉で女子選手を指導(?)。その監督は退任しましたが(させられましたが)、欧米なら女子選手から人権侵害で監督の柔道連盟も訴えられ高額の慰謝料を払うことになるでしょう。指導者の指導方法を教える教育プログラムがありません。大学などで指導者の指導方法を正課として教えるべきでしょう。この点も日本のスポーツ界は遅れています。

日大のアメフト問題と日大理事長の経歴

2018年5月の日本大学と関西学院大学とのアメフト定期戦で日大選手が悪質なタックルを行い、それが日大内田監督、コーチの指示だったと露見しました。そうしたトラブルの中で日大田中理事長の経歴を知り率直な気持ち総長としての資格に違和感を感じました。

私の手元に1967年早稲田大学一年生の時の英語教材があります。グレイソン・カーク(Grayson Kirk)コロンビア大学学長が創立200年の記念式典でこれからの高等教育機関の果たすべき役割について演説原稿です。18歳で大学の事情も分からないながら、教材(演説原稿)を呼んで偉く感激した思い出があります。総長の役割はそうした将来の大学のヴィジョンを示し、教授や学生を引っ張るのが使命です。また、高等教育機関のトップとして「博士号」を所持してなければなりません。私はアメリカの2度留学しました。現在も双方の大学から、学長挨拶が届けられます。大学の将来像を示し、そのための具体策、さらには同窓生に理解を求め、支援を求めるという内容です。

田中理事長は相撲部出身、学生時代、また、その後相撲の世界で大きな実績を残した方と拝察します。しかし、相撲の実績と大学経営は別物です。プロ野球ですばらしい成績を残したからと言って球団社長には就任しません。NHKで人気のアナウンサーだからと言ってNHK会長に就任しません。高等教育機関としての経営力、高等教育の高邁なヴィジョンを持ち、それを自分の言葉で語り、職員や学生をリードする能力が求められます。ある私学関係者に質問しました。日大の優秀な博士号を持つ教授たちがなぜ大学改革に意見を出さないのか、出せないのか?すると、日大の待遇が良いので教授たちは現状に満足しているのでは、と説明がありました。また、理事長の体と声の大きさに恐れているのか。大学経営者は「博士号」を所持し、高邁な高等教育のあるべき論の持論を持ち、立派な研究実績を生み出せる、経営力に優れた方が適任と思います。

早稲田大学新総長田中愛冶氏に期待

早稲田大学の新総長に政治経済学部の田中愛冶氏が2018年11月就任しました。就任挨拶の会に出席し、新総長の抱負を聴きました。「世界で輝くWASEDA」をいかに実現するか。研究大学として早稲田大学が目指すべき方向として具体策を拝聴しました。

田中氏は3点で新しいタイプの総長であると自己紹介しました。①早稲田生え抜きでない初の総長、②体育学部出身(空手部)の初の総長、③主要国際学会会長を務めた初の総長です。従来、早稲田の総長は、大学で優秀な成績を収め、大学院から即、助手になり、研究を重ね、ある年になり教授に昇格、そうした中から総長に就任するという道筋でした。①について、田中氏は早稲田大学卒業後、すぐアメリカ、オハイオ州立大学に留学、10年ほどオハイオ州で過ごしました。(私も1969年から70年オハイオ州のウースター大学に早稲田の交換留学生としてオハイオ州で過ごしたので親近感を抱きます)また、これまでの総長は早稲田だけで生活したので早稲田しか知らないある意味でタコツボ型、井の中の蛙型でした。②について、田中氏は体育会の空手部出身です。文武両道型です。空手部の稽古に参加していたのですから、想像ですが、これまでの総長のように「全優の成績かほぼ全優に近い成績)」は不可能だったと思います。③について、世界に多くのネットワークを持っている、世界の大学の事情を知っているという素晴らしい知識を持っています。これから大いに早稲田を改革してほしいと願っています。

鎌田前総長は法学部教授、会社法の権威と聞いております。私が不満と感じたことがあります。スタップ細胞で早稲田出身の若い研究者が大きな社会問題を起こしました。彼女は早稲田大学の博士論文に疑義があると早稲田大学の博士号を取り消されました。そもそも早稲田の博士号審査は後で取り消されるようないい加減な審査だったのか、そうした経緯について一切の説明がありませんでした。鎌田さんはガバナンスの権威者と思っていましたが、説明責任を果たしませんでした。

また、2年前、文部科学省の天下り問題が大きな事件となりました。文科省の大学局長だった人物を早稲田大学教授として迎え入れました。天下り問題が生じ元文部科学省局長出身の教授は即、退職しました。この件についても一切説明がありませんでした。文科省の局長ですから優秀で経験豊富な人物と思いますが教育、研究となると別問題です。その人物自身が学会論文を書いた経験があるのか、また、博士号を持っているのか、単に文科省の大学局長だからということで教授選考がデタラメだったのではと感じました。

大学教授固有の特質と言ったらよいのか、社会事件が発生すると大学教授はテレビなどマスコミで偉そうに解説、お説教しますが、自らのことになるとダンマリ、説明責任を果たしません。鎌田さんはガバナンスの専門家のようですが、ガバナンスを果たしておりません。田中新総長に大いに期待します。早稲田のみならず日本の大学改革をしてほしいです。