カテゴリー別アーカイブ: 教育

フルブライト奨学生の壮行会、49名日本人奨学生

6月15日(金)フルブライト交換留学奨学金を得てこの秋アメリカに留学する奨学生の壮行会が六本木の国際文化会館で開催されました。後輩への激励、交流のため出席しました。アメリカ側から国務省の担当局長の教育文化局担当次官補マリー・ロイス女史がワシントンから来日、ご挨拶されました。日本の文部科学省から国際統括官(フルブライト委員会委員長:日米教育委員会)川端和明氏がご挨拶しました。面白いユーモアに富んだご挨拶でした。さらに、日本人留学生を代表し女子学生が上手に英語で感謝のスピーチをしました。彼女はフルブライトの面接試験の時の体験に加え、さらに度胸を積んだことと思います。

49名の日本人留学生は、留学を直前に控え高揚感と緊張でいっぱいのことと思います。留学生は文字通りの学生に加え現職の大学教授、高校英語教員、新聞記者、弁護士(アメリカでも弁護士資格を取りたい、また、3歳の子供連れで留学する女性弁護士もいます)など社会の第一線で働く方も多くいます。

さらに嬉しかったのは、私の母校ライス大学大学院に留学する学生がいたことです。政治学専攻です。ライス大学は学生数4000人程度の小規模大学ですが、総合大学で音楽部、政治学部もあります。建築学部(日本と異なり実際は専門職大学院です)の学生数は75名程度、教授は15名です。教授一人当たり学生5人で、この比率はおそらく全米でトップと思います。また、立地するテキサス州ヒューストン市は、多くの日本人のイメージとして「砂漠のど真ん中」と抱いているようですが、人口200万人、全米第4位の大都市です。間もなくシカゴを抜き第3位になると予想されています。私は1974年にライス大学に留学しましたが当時は人口100万人、全米第6位の規模でした。アメリカの友人たちからヒューストンはさらに大都市に発展するだろうとの予想で、建築と都市を研究するのに適切な都市と見做し、ヒューストンのライス大学を選びました。ヒューストンのイメージが正確に日本に伝わっていないのはマスコミのステレオタイプの報道(ワシントン、ニューヨーク発が中心)が原因と思います。

レセプションのホストとして元国連の事務次長をお勤めになった、フルブライト留学生の先輩の明石さんも参加され、記念写真に納まっていました。今回の会場となった国際文化会館の理事長です。明石さんは「港区の国際化の対応の消極姿勢、港区幹部の国際化に向けての意識の低さを心配している」と私にささやいております。

私はフルブライト同窓会前会長です。こうしたレセプションを利用し、新規留学生に「帰国後は是非同窓会に入会し、活動に参加し、同窓会を支えてください。」と個別にお願いしております。「はい、わかりました。」とご返事をいただきます。しかし、帰国後、若い方はほとんど同窓会活動に参加してくれません。

もう一つ、不満のつぶやきです。私の学生時代の夢は「フルブライト奨学金をいただきアメリカ留学し、最高の先生の下で建築を勉強すること」でした。指導教官のおかげで実現しました。ところが港区長時代、元区長S氏から留学の経験を話すなと言われました。私は「建築事務所の所長だった人間が区長をやって大丈夫か?と不安に思う職員や区民がいるだろうから、挑戦心に富んだ人間です。安心してください。」というメッセージを込め、時折、留学体験を話しました。また、区長を補佐すべき政策経営部長N氏は「フルブライト留学なんて語るな」と言われました。学生時代の人生のかけての挑戦に対しイチャモンをつけるのですから。驚きました。嫉妬、ヤッカミの類でしょう。現在、この程度の意識の人物が港区の文化、交流部門の財団の理事長を務めているのですから驚きです。港区は異文化理解と区長などが唱えていますが、内容、実行の伴わない空念仏です。残念です。

南カリフォルニア大学学生用医療センター、婦人科医のセクハラ報道

ニューヨークタイムズ5月21日、「5人の南カリフォルニア大学女子学生がキャンパス・ドクターのセクハラ行為に対し大学を訴えた」と記事。南カリフォルニア大学はカリフォルニア州内で名門大学の一つ。学生の健康のため大学の医療センターがありますが、婦人科医師ティンドールが女子学生に対し長年セクハラ行為があり、放置、問題を隠ぺいした大学の責任を問う訴訟です。記事の表現はリアル、率直です。アメリカ式?、日本の新聞でこのような表現は無理でしょう。

一例です。18歳の女子学生曰く「腕全体を膣内に入れて行くぞ」と言って診察した。別の女子学生曰く「胸をまさぐりながら性的な質問をした。」別の女子学生曰く「裸の体をまさぐりながらアナルセックス、オラルセックスを求められた」などなどです。とんでもない医者、それをチェックできな大学当局。婦人科医ティンドールに対しロス市警が刑事事件として動き出したとのことです。

過日、アメリカの女子体操チームのドクターがセクハラ行為で懲役100年以上(10年でありません)、罰金500億円でした。懲役刑の期間の考え方、罰金の考え方が日米で全く発想が異なります。

アメリカで初めて言えたジョーク

1969年早稲田大学の交換留学生としてオハイオ州のThe College of Wooster(人口2万人の市、クリーブランドから南へ100キロ)で学びました。英語での授業、英語での会話に大変苦労したこと今でも覚えています。キャンパスから町の中心まで徒歩15分。友人から教えてもらったコップに直接入れお湯を沸かす小型電気ヒーターを買いたい思い、商店街をぶらぶら歩きしました。ある店に立ち寄り、店番をしていた中年の女性に「コップに入れお湯を沸かす小型の電気ヒーターがないか」と尋ねたところ「ない、ウェアハウス(倉庫状の日用雑貨店)ならあるのでは」との説明。私は思わず「ウェア?(どこにその店がありますか)」と聞き返しました。そしたらその女性が大笑い。「ウェア」に「ウェア」を掛けました。意図的ではなく偶然発した言葉です。アメリカではじめて使ったジョークでした。なぜか、このジョークは今でも思い出します。

レスリング協会報告、栄本部長が伊調選手にパワハラ認定。私の体験

4月7日の報道でレスリング協会は栄本部長が伊調選手に対するパワハラ行為があったと認めました。私は、日本的(先輩後輩の関係、師匠と弟子の関係、閉鎖的な組織)組織の欠点が現れた事件と思いました。

欧米では、高等教育では大学学部はA大学、修士課程はB大学、博士課程はC大学、研究活動はD大学あるいはE研究所といった具合に、別の所で学ぶことをよしとします。また、仕事も5年、10年単位で転職し、キャリアアップしてゆきます。

日本では、学部も修士も博士課程もすべて同じ大学で同じ師匠の下で学び、研究活動することが当然視されています。仕事も定年まで同じ組織で務めるのが当然視されています。

異なる環境で、異なる指導者の下で学ぶことも大切です。日本の制度、文化も良い点は多くありますが。しかし、視野が狭く、井の中の蛙、専門「バカ」に陥る恐れがあります。異なることも精力的に吸収すべきです。それが多くの場合、適切です。1960年代日本のプロレスで有名になったデストロイヤー氏。氏は来日すると滞在先が港区であったことから区長時代、個人的に交流させていただきました。私がオハイオ州のウースター大学に留学したこと、ヒューストンのライス大学に留学したことから、氏はある種の敬意を私に持って下さったようです。氏はニューヨーク州のシラキューズ大学の大学院でスポーツ科学を勉強しました。氏はもともと大学のフットボールの選手でした。監督からタックルをもっと勉強せよと言われ、そのためレスリングを勉強しろと指示があり、レスリングも勉強しました。たまたま日本の興行主からアルバイトで力道山の敵役の仕事を紹介され、有名人になり、フットボール選手からプロレスの世界に転職しました。そうした勉強方法や職業の選択が欧米では当たり前です。

あるステージになったら別の指導者の指導を受けるということは欧米では当たり前です。自分の弟子が自分から離れたからと、嫌がらせをするのはいかがかと思います。

さて、私もこれまでパワハラを受けました。相手は大学教授や公務員です。さわりを書きます。大学教授は早稲田の建築学科の教授、すでに退職していますがT氏と現職のN氏です。T氏が会長を務める専門家組織で会員による私の妻と他の女性に対する体を障るなどセクハラ行為がありました。私はT氏に抗議をしました。すると「君は港区長になったから僕に偉そうな口をきくんだ。出て行け」でした。つまり、民間の零細の設計事務所の社長ならその程度のことで黙っていろ、という人権侵害のパワハラです。

もう一つは、1995年頃の建築学科教授N氏の発言です。私の実務上の恩師、菊竹清訓先生が民間企業から寄付を集め、早稲田大学理工総研に寄付講座を設立、私と私の先輩のH氏の2人を客員研究員に任命、共同研究をするとなり、早稲田側の研究管理者がN教授でした。ある時N教授は「3人の前で、あなた方の研究は卒論レベルだ。研究から手を引け」と侮辱的な発言。N氏は研究管理者として無能でした。また、建築学会の専門論文誌にN氏の論文は2000年から10年間全く投稿はなし。大学教授の立場は、学生から授業をを受け取り、指導し、研究論文を書くべき立場の人物が適切な活動をしていません。

上記のお二人の事例のような、そうしたレベルの人物が早稲田の建築学科の教授にいることは残念です。自分は大学教授で偉い、そちらは民間人で大したレベルではないと見下した態度、教授のマナー教育ができない早稲田大学としてのガバナンスにも問題があります。産学共同という言葉がありますが、欧米では民間と大学の連携、官と民の連携が盛んですた、私の体験で、日本では困難でしょう。

官のパワハラの体験については後日。

 

東大建築学科、建築歴史教授、藤井恵介先生の退官記念最終講義

2月23日、東大の建築歴史の教授、藤井恵介先生の最終講義に参加しました。私は日本建築研究会で35年伝統建築の勉強を続けております。藤井先生は日本建築研究会の顧問をお願いしております。日本建築研究会の初代顧問稲垣先生の弟子にあたります。

藤井先生は仏教建築史を中心に研究をしてこられました。博士論文は平安時代密教建築史の研究です。さらに、保存・調査分野で多くの寺社、地域の調査をしました。港区内でもいくつかの調査をしていただきました。

藤井先生に日本建築研究会で何度も講義していただきました中でユニークな学説は、中世のお堂が夢見(人生の方針決定の助言をいただく)の場であったという内容です。更級日記や当時の絵巻物から、特に女性達はお堂に泊まり込み、仏像の前で眠り、そこで見る夢を人生の選択肢の判断根拠にしたようです。

藤井先生に感謝、ますます研究活動のご発展をお祈り申し上げます。

 

都市政策の大家、明治大学公共政策大学院学科長、市川宏雄氏の最終講義

学年末は定年退官する教授の最終講義の季節です。2月24日土曜日、明治大学公共政策大学院の学科長、市川宏雄氏の最終講義を聴講しました。私の港区長時代、港区の基本構想審議会会長を務めていただきました。市川さんは日本の都市政策の大家です。

早稲田大学の建築学科を卒業、その後、カナダ政府の奨学金でカナダのウォータールー大学で博士号取得。カナダ、つまりアングロサクソンの社会を体験しました。帰国後、イラクのバクダッドの都市計画に参加、アラブ世界を体験しました。その後、ブラジルの都市計画に参加、ラテン社会を体験しました。その後、中国の海南島の開発を担当しました。東南アジアの社会を体験しました。ということでいくつかの異なる文化圏を体験するという貴重な経験をお持ちです。

そうした多様な文化を基礎とし東京問題を中心に研究を継続、世界の大都市比較研究を中心に都市政策の研究をしてきました。最近では大都市の評価システムを構築、東京が世界の大都市の中で何位かという研究に成果をだしました。

公共政策について、欧米の大学では以前からありましたが、日本で初めて明治大学に公共政策大学院を開設しました。大田区長の松原さん、文京区長の成沢さんなど数人の首長が卒業しています。多くの議員や公務員が学んでいます。そうした仕組みを市川さんが創りました。私自身もこの間兼任講師としてお世話になっております。

市川さんは世界を視野に都市研究の成果を重ね、また、公共政策という新たな研究領域を創設しました。高く評価される業績です。益々研究に磨きをかけていただき、東京を、日本を引っ張て頂きたいと期待しております。

東京都内で大学新設を認めない、愚策です。1980年代の失敗政策を再び?

東京に若者が集中するからと都内に大学の新設を認めない法律が可決されそうです。与党の政策には共感できるものが相当数ありますが、この法律だけは納得できません。1980年代、23区から大学立地を制限した政策がありましたが、失敗に終わりました。失敗政策とまた復活させるのは愚かなことです。東京の大学立地を制限しても若者の気持ちを変えることはできません。地方が魅力ある大学立地、企業立地など大胆な政策を創り、実効すべきです。私が1969年早稲田の交換留学で勉強した大学はオハイオ州の人口2万人のウースター大学でした。私含め世界中から留学生がいました。また、全米から学生が集まっていました。名門大学の一つコーネル大学はニューヨーク州の人口3万人のイサカ市に立地しています。小さな自治体でも世界から留学生を集めるだけの魅力ある大学が多く立地しています。日本の地方都市は、創意工夫が足りず、ただ東京を批判しているだけでしょう。スポーツの世界で早く走るスリートに対し、「他の選手がいい迷惑だから、もっと遅く走ってくれ」とは言いません。東京都に人が集まるから怪しからんと様々精神に対する制約をするのはかつての共産主義国家と同じです。地方が独自にしっかり頑張り、正々堂々都市間競争をすべきです。できないなら、アイデア、知恵が出ないなら、市長、県知事、大学理事長は辞表を出すべきです。

六本木商店街フラッグデザインコンテスト、多様な提案、多様な入賞者

六本木商店街では地域の活性化のため多くの事業をしていますが、商店街の照明灯に飾るフラッグのデザインコンペを毎年実施しています。今年の入賞者の授賞式は新年会の席で実施されました。今年のテーマは「よそおい」。審査員は六本木にご縁のある日本の代表的デザイナーの3人。葛西さん、廣村さん、柴田さん。入賞者の多様性に驚きでした。高校生からプロまで、また、台湾、タイの外国勢も。地方都市では四国から、北海道など遠方からの参加に敬意です。若い方にとり多いな自信となり、また、大いなる実績となると思います。参加者の益々のご活躍をお祈りします。入選作は近々、実際にフラグとして制作し、照明灯に吊り下げられます。六本木を歩く際、ぜひ、お楽しみください。

私事ですが、23歳と24歳と修士課程の学生時代、2年連続で、日本建築学会の設計競技に入賞しました。その時の入賞メダルは現在も弊事務所においてあります。大変な自信となりました。励みとなりました。履歴書に公式に記載できる経歴となりました。また、こうした実績を積み重ねることは大切です。

中学校入試試験問題、解けない???

地下鉄で中学受験予備校Nの広告が目に入りました。2017年桐朋中学校の数学の問題の一部が紹介されていました。説いてみようと問題を読み始めました。途中で諦めました。解決の道筋、方法論が浮かんできません。凄い高度な(と私は思いますが)数学の試験問題を正解し、合格する生徒は天才と思いました。いまどきの小学生(中学受験生)は凄い問題を解く訓練を学んでいると感心させられました。自慢話になりますが、高校時代、数学の順位は一桁。ある程度数学は自信がありましたが。お手上げです。

港区長秘話92、小学校廃校問題その4、教育長から明確な謝罪なし、

平成15年12月議会で与党の議員(一部議員は離脱)の賛成が得られず、賛否同数となりました。S議長が賛成を表明し、結果、廃校条例案は可決されました。その後の庁議(区役所の中で最高の幹部会議、部長級以上は全員出席)で私はI 教育長に、今回の混乱を作ったのはI 教育長の責任だから、「この場で他の幹部にご迷惑をおかけした」と謝罪をするよう促しました。正確な記憶はありませんが、その場で、I 教育長から助役、収入役、部長達に明確な謝罪の言葉はなかったと思います。もちろん区長である私にも謝罪の言葉はありませんでした。恐らく本人からすれば謀がうまくいったということと思います。また、事務担当のU助役も調整に全く動く気配がありませんでした。私は、会派の責任者に個別に説明を続けました。議場での投票で、議案が万が一否決されたら、私は議会解散に打って出ようと腹の中で考えました。