カテゴリー別アーカイブ: 建築設計

美術展に参加、平泉会(へいせん)、六本木、新国立美術館で

去る1月24日から2月5日まで開催されたた平泉会の展覧会に建築スケッチ2点、小住宅のコンセプト模型3点を展示しました。平泉会は画家の保坂先生が主宰する会です。今年で30回です。会の方針は誰でも参加、水平組織です。私も3回目の参加です。間もなく69歳ですが、なぜか「新人賞」をいただきました。プロもアマも、4歳から94歳までの方が出展しました。4月に後半には上野の東京都美術館で開催されます。私も建築スケッチを出展すべくこれから作業開始です。保坂先生始め会員の皆様お世話になりました。スケッチと模型創作の良いインセンティブになります。

政策論文、たくさん執筆しました。これからも構想中です。

若い時から政策提案論文を書いてきました。相当数になります。今年の春は「アメリカの環境政策の経緯」について発刊予定です。昨年は「東京都とニューヨーク市の監査報告書の比較分析」、一昨年は「ニューヨーク市の観光政策と都市開発政策」について書きました。現在は来年に向けて「ニューヨーク市の治安政策」について構想中です。ニューヨークタイムズの記事を30年分分析しています。

「港区の環境アセス制度」、「港区の附置住宅制度」、「品川駅と田町駅の東西自由通路の整備方式」、「北区の景観アドバイザー制度」、「密集地区の居住環境の快適性指標」(これを博士論文にしました)、「23区のバランスシート分析とその活用方策」、をこの20年間に書きました。

さらに、「地域福祉制度」、「コミュニテイカレッジの提案」など30年、40年近く前に書きました。それぞれ1万字から6万字の量です。上記の分野に関心を持つ方が参考にしてくだされば幸いです。

論文執筆は全て、研究費はゼロです。この点、大学の研究者は参考としていただくとよいと思います。また、政治にかかわる方も参考にしていただけると幸いです。区長時代、論文執筆に2,3の区議からイチャモンがありました。港区議会の保守系野党のK氏、文書能力はありません、しかし、私の論文執筆活動にイチャモンを付けてきました。文書を書けないことから私へのあてつけ、嫌がらせだったと思います。また、自民党のK氏、区長になりたかったが、引きずり降ろされ私が突然区長に就任した恨みをずーと抱き続け、私の論文執筆にいつもイチャモンをつけました。本来、行政の幹部も議員も政策論文を書くべきです。

これからもいくつか気になるテーマで小論を書き続けるつもりです。ニューヨーク市の政策、ヒューストン市の政策(都市の発展の理由、1970年全米6位から現在4位、間もなく3位に発展)、若い時見た著名建築の設計理論など。特に海外については私の得意とするところですので、可能な限り書いて残したいと思います。今となっていは論文執筆はボケ防止が大いな意味を持つようになりました。

 

 

六本木商店街フラッグデザインコンテスト、多様な提案、多様な入賞者

六本木商店街では地域の活性化のため多くの事業をしていますが、商店街の照明灯に飾るフラッグのデザインコンペを毎年実施しています。今年の入賞者の授賞式は新年会の席で実施されました。今年のテーマは「よそおい」。審査員は六本木にご縁のある日本の代表的デザイナーの3人。葛西さん、廣村さん、柴田さん。入賞者の多様性に驚きでした。高校生からプロまで、また、台湾、タイの外国勢も。地方都市では四国から、北海道など遠方からの参加に敬意です。若い方にとり多いな自信となり、また、大いなる実績となると思います。参加者の益々のご活躍をお祈りします。入選作は近々、実際にフラグとして制作し、照明灯に吊り下げられます。六本木を歩く際、ぜひ、お楽しみください。

私事ですが、23歳と24歳と修士課程の学生時代、2年連続で、日本建築学会の設計競技に入賞しました。その時の入賞メダルは現在も弊事務所においてあります。大変な自信となりました。励みとなりました。履歴書に公式に記載できる経歴となりました。また、こうした実績を積み重ねることは大切です。

地下鉄門前仲町駅トイレ、都営地下鉄の勝ち

地下鉄門前仲町駅を時々利用します。親類が住んでおります。東京メトロの門前仲町駅と都営大江戸線門前仲町駅と2つあります。両方の線を使います。トイレの質の違いが判りました。門前仲町駅は都営地下鉄の勝ちです。都営大江戸線駅構内のトイレはウォッシュレットトイレです。東京メトロのトイレは従来型のトイレです。都営地下鉄門前仲町でウォッシュトイレを導入した理由、経緯は不明です。導入が大いに拡大するとよいと思います。時間とマンパワーがあれば全駅のトイレの状況を調べてみたいと思います。すでにどなたか調査されたかもしれません。数年前、某自治体の公衆トイレのデザインをしました。これからトイレの快適化、ユニバーサル化は大きな課題です。

今ウォッシュレットトイレは相当普及してきました。ウォッシュレットトイレについて私が最初に聞いたのが1973年早稲田の大学院で学んでいた時でした。同級生のYさんが「父親が商社勤務で、海外で用便の後シャワーで肛門周りをきれいに清潔にしてくれ、さらに温風で乾燥させてくれる道具が開発されつつある。」と私に語りました。私は「本当?」と半信半疑でした。今や日本がウォッシュレットトイレ大国となりました。

様々な都市・建築の視察。

学生時代から区長就任前まで多くの自治体を訪問、所謂行政視察、建築視察をしてきました。恐らくその件数は、東京都庁や区役所の職員の視察件数を圧倒する数と思います。思い出しながら書きます。県庁訪問では、北海道庁、秋田県庁、埼玉県庁、群馬県庁、栃木県庁、茨城県庁、福岡県庁、大分県庁、沖縄県庁など。

政令指定都市では、札幌市、仙台市、千葉市、横浜市(国際会議を開催しました)、川崎市、大阪市、神戸市(国際会議を開催しました)、福岡市、北九州市(審議会委員を務めました)。

そのほかの自治体では、東京都内では目黒区、大田区、品川区、板橋区、墨田区、世田谷区、新宿区、江東区、足立区、北区、山形県酒田市、山形市、沼津市、岩手県北上市、長野市、飯田市、埼玉県浦和市、川口市、川越市、入間市、上福岡市、越谷市、蕨市(審議会委員を務めました)、高崎市、福島県三春町(町長が知人でした)、船橋市(基本構想策定に参加しました)、浦安市、静岡県掛川市(審議会委員を務めました)、奈良市、大津市、金沢市、小松市、長崎市、福岡県椎田町、宮崎市、都城市、熊本県水俣市(視察を朝日新聞のコラムに寄稿しました)、新潟県中里村(浅草の神輿を運びイベントを開催しました)。

海外では、ニューヨーク市(朝日新聞に論説記事を寄稿し、また、専門誌に寄稿しました)、ロサンジェルス市(視察に市警がヘリコプターを出してくれました)、ヒューストン市、ボストン市、ニューオルリンズ市、ブエノスアイレス市(国際会議の際市長宅も訪問しました)、ベルリン市(都市計画局長に案内をいただきました)、ヘルシンキ市(都市計画局長に案内いただきました。また、氏は1998年港区を訪問、私が案内しました)、パリ市(元建設大臣に案内していただきました)、ロンドン市、アムステルダム市、ロッテルダム市、などまだまだありますが。

単に、建築などの視察を含めるともっとはるかに多くなります。

以上のように、港区長就任前、多くの県庁、市役所、海外の市役所を訪問、視察、資料提供を受け、勉強しました。今でも膨大な資料をファイルしてあります。これらの体験は港区長就任後大変役に立ちました。

起業、設計事務所開設。31歳で。約40年の事務所経営。

1980年4月31歳で起業しました。特に仕事の当てがあったわけでもなく、また、経営戦略があったわけでもありません。ただ、自分の意志で仕事をしたいと思いました。早稲田大学時代の指導教授穂積信夫氏と実務の恩師の菊竹清訓氏の教えで、何でも書き残せ、言い続けろ、書き続けろを実践してきました。(港区では一部の区議からなぜ原田は原稿を書くのかと私にとり意味不明な質問、批判がありました。ヤッカミ嫉妬の議員と物を書く能力に欠けた議員からの発言でした。)菊竹先生のご紹介で1980年日経サイエンスに「アメリカのリバーフロント開発」(テキサス州サンアントニオ市の事例)について寄稿しました。また、アメリカの都市開発やコミュニティ論について専門書や新聞の論説に寄稿しました。すると、東京都建設局から職員研修講師の依頼がありました。最初の仕事です。翌年は東京都の職員研修所で「アメリカのコミュニティカレッジ」について半年間の長期研修講師を依頼されました。

「専門書に寄稿すること」は大切です。影響力があります。自らの考えや知見を整理、公表することは大切です。

翌年、友人から某区にある都営団地の建て替え計画について周辺のまちづくりの観点から検討してほしいと依頼がありました。数年後、実施設計の仕事につながりました。

1985年頃東京都庁の職員で私の小論をたまたま読んでくれた方から電話がありました。原田さんに仕事のことで相談に乗ってほしいとのことでした。また、同じ頃、茨城県知事からお声がかかり、知事の前である政策についてご進講させていただく機会がありました。私の原稿を読んでくれた茨城県職員の紹介でした。

原稿をどのように発表するかですが、建築学会なら「梗概論文」は学会員なら誰でも寄稿できます。大いに活用したらよいと思います。5年くらい書き続ければ結構な成果となります。外部に堂々とアッピールできます。依頼があれば何でも積極的に書いたらよいと思います。

創作活動するなら、大手の組織にブル下がるのではなく、自ら起業し、自らの発想で仕事をしたらよいと思います。振り返ると事務所設立し、事務所を運営し約40年経過しました。仕事を出してくださった発注者の皆様、仕事を直接させてくれた仲間に感謝の気持ちでいっぱいです。

300年住宅、埼玉県深谷市で見学

29年11月友人のS工務店が設計、施工している木造住宅の見学しました。現場は埼玉県深谷市です。建築面積は30坪。デザインは和風、光と風が住宅内を駆け抜けるよう配慮された設計です。驚きは柱の太さが18㎝、21㎝です。お寺や神社で使う太い木材です。柱と梁などの主要構造材は300年は持ちます。また、壁も厚く断熱性に優れています。設備機器などは機械としての耐用年数がありますが。工事費は一般的な住宅より高くなります。木材の量だけで2倍以上です。大工手間も倍以上です。しかし、環境に優しい建築の事例です。一般的に木造住宅は耐用年数が30年程度です。300年住宅が増えれば、CO2の発生量も減り、また、木自体がCO2を閉じ込めてくれます。国も自治体も環境に優しい住宅に多くの補助金を出し、支援すべきです。

 

東京都の国際金融都市構想の課題

29年12月報道で東京都は国際金融都市の実現に向け英国の金融街「シティー」と協力関係を結ぶ合意書を交わしたとありました。石原知事時代からの政策提言です。特に金融センターの候補地として私の事務所がある六本木が挙げられています。(私の事務所の向い側です)都市活性化の戦略として考えられるひとつの手段と思います。一方で多くの課題があると思います。東京都や関係組織の方々がそうした点を理解しているのか心配です。

私は金融の専門家でありませんが、世界の金融は歴史的にユダヤ人勢力が多いです。金融のハウツーを数百年積み重ねて来ています。日本人はコツコツ物を作るのが得意です。そうした民族性から日本で、東京で国際金融ビジネスがうまく展開できるか不安です。

次に、ニューヨーク市の金融から観光都市への大転換の動きです。昨年4月明治大学公共政策大学院の紀要論文に書きました。ニューヨーク市は株価の乱高下で税収や景気が左右される金融機能でなく、平和産業で雇用のすそ野が広い観光都市にシフトしました。大雑把にニューヨーク市の税収が5兆円として2012年の観光分野の税収は3300億円でした。約7%です。東京都もニューヨーク市の観光政策をモデルにすべきです。

次に、日本の厳格な規制制度です。欧米は自己責任でどうぞお好きにというスタンです。日本は金融庁、財務省、総務省、日銀などがんじがらめに規制があり、金融サービスと言っても勝手にできない仕組みです。自由に金融商品のメニューを用意することが困難です。金融業界の幹部は金融庁、財務省、日銀などにペコペコ頭を下げに日参するのが仕事です。大様と奴隷の関係と言ってよいでしょう。日本で自由な創作的な金融サービスは生まれません。北朝鮮が経済特区を開設と1週間前に新聞報道がありました。しかし、理解不能な、かつ、朝令暮改の北朝鮮で、日本の企業で工場や事務所を構えようとする会社はないです。それと同じです。

次に、東京都庁という行政の体質です。批判ということでなく役所は法律に基づき規制、誘導するのがそもそもの仕事です。いわゆるサービス業でありません。おもてなしという言葉が流行しましたが、基本的に都庁の役人におもてなし精神を期待するのは無理です。シティーの市長とスタッフは世界中の機関投資家などに営業活動をしなければいけません。現実にそうした活動は都庁の幹部には無理です。そういた経験もありませんし、体質的にも異なります。恐らくできるとすれば神戸市の役人くらいでしょう。1991年の思い出話です。私の建築家の恩師菊竹清訓先生が世界中から若手建築家を集め世界の建築指導者の下でワークショップを神戸市か東京都で開催しようと企画し私が事務局長として準備作業しました。東京都とは結局コンタクトできませんでした。神戸市のコンヴェンション担当部長は当時の通産省に国際会議の情報をもらうため上京する度に月一回弊事務所に立ち寄り「ぜひ神戸で国際会議を開催してください」と私に営業活動1年以上継続しました。結果神戸市で開催することにしました。そうした営業活動は東京都の役人には無理です。

最後に都市環境の物理的と意識の差です。欧米での生活体験からすると、住環境や都市環境、労働環境が全く異なります。世界の先端レベルの都市環境にしないと金融の専門家やその家族は東京に来たい、住みたいと思う方はほとんどいません。緑あふれる、アートあふれるオフィスインテリア、ホームパーティができる住宅などです。また、子供たちが学ぶ国際学校の設置も重要課題です。そうしたノウハウは都庁や23区では、体験した職員もいませんし、経験がないですから、無理でしょう。

以上のような課題にどのように取り組むかが全く不明です。

ノーベル文学賞、カズオ・イシグロの授賞式ニュースを見て気づき。市庁舎デザインと女性の参加

日本にゆかりがある英国人カズオ・イシグロ氏がノーベル賞受賞とのニュースで多くの日本人がうれしく感じたと思います。私にとり文学は全くの門外漢です。別の視点からのコメントです。

市庁舎のデザイン哲学についてです。1971年スウェーデンに留学し、受賞記念の宴会が開催される場所はストックホルム市役所です。1910年代、スウェーデンの代表的な建築家エストべりがデザインした市庁舎ということで、留学中、見学に何度も足を運びました。ノーベル賞の受賞記念ディナーが市役所のホールで開催されることはすばらしいです。日本の市庁舎ではそのようなイベントはありませんし、またそのようなデザインになっていません。「市庁舎」の役割がなんなのか、ということを日本の多くの市長や市議会議員などが考えるヒントになると思います。私の知りうる限り日本でそうした発想で市庁舎のデザインをしたところはありません。

次に、パーティでの女性の参加です。参加者の基本単位は男女のカップルです。また、エスコート役の役人も、デザインされた制服を身に着けた女性が半数いることに気づきます。日本のパーティにはないやり方です。ノーベル賞の嬉しい報道に加え、こうした宴会の方法についても気が付くべきです。

授賞式の会場のインテリアデザインも素敵です。緑、花、大道具としての彫刻のようなオブジェなどが配置されています。日本の公式の式典にはない方法です。日本の授賞式ももう少しデザイン性も配慮してはいかがかと思います。

ノーベル賞のニュースもこのような視点で見るとまた楽しいです。

 

六本木新国立美術館で安藤忠雄展、テーマはEndeavor(挑戦)、私の事務所のキーワード!

先日、六本木の新国立美術館で開催されています建築家、安藤忠雄展に行きました。大勢の訪問者で賑わっていました。安藤さんの創作活動の総決算の展覧会と思います。その中で気になったタイトルがありました。”Endeavor”(挑戦)です。エンデヴァーというキーワードを見て、我が意を得たりと思いました。私は1980年事務所を設立した際Space Endeavor(空間への挑戦)と名付けました。今でこそ、スペースシャトル、エンデヴァー号が打ち上げられましたとNHKニュースなどで報道されますが、当時はエンデヴァーと言っても英語を理解する方はほとんどいませんでした。そこでSpace EndeavorにCollaborates(仲間たち)をつけ、先頭の文字を並べSEC計画事務所としました。1980年私が無い知恵絞り私の活動、「挑戦」をカギとなる言葉としました。安藤さんも同じことを考えていたのはうれしい限りです。まだ挑戦し続けます。