カテゴリー別アーカイブ: 建築設計

ハンガリー、ブダペスト市で都市開発、経済開発の国際会議

2018年10月16日(火)、17日(水)、ハンガリーの首都ブダペストで経済開発、都市開発、ビジネスモデルに関する国際会議が開催されました。主催はアメリカ、ニュージャージ州のジャージー市のニュージャージー市立大学とハンガリーの関係団体です。私は先月、ジャージー市を訪問した際、実行委員長である教授と学長(女性、ヘンダーソン女史)からブダペストの国際会議に招聘されました。立ち位置が、日本人、前港区長、建築・都市設計の専門家ということでユニークだという理由です。

順に報告をメモします。まず全体像です。ハンガリーは人口1000万人。ブダペスト市は人口200万人。EUの中で順調な経済発展をし、ブダペスト市はEUの中で重要な位置づけの大都市です。

大学、民間企業、政界、専門家(弁護士、エンジニア)から50人程度のパネリストの参加がありました。私の参加は急だったので、最後のコメンテーターを依頼されました。①大学関係者からの報告は、理論、②民間企業の方からは、実践事例、③政界の方からは、政策、規則作りは政治の役割、④専門家の方からは事業を進める際に専門家の助言が必要、と言った発表がありました。その他、ハンガリー政府の司法省の幹部が発表し、ハンガリーでの事業する際の法律の仕組み、また、ハンガリー中央銀行の理事が発表、ハンガリーの経済情勢について説明がありました。こうした会議に政府高官の出席は日本ではあまり聞きません。

ブダペストの建築、都市は、ハンガリー帝国の時の遺産で、壮大、美しい建築と街並みです。インフラ整備、維持管理が適切にされ、歩いた限りではゴミが散らかっていません。ホームレスもほとんど目立ちません。安全な街という印象です。火曜日の夜、参加者全員がダニューブ川のクルーズで食事をしましたが、両岸の建築はライトアップされ、大変美しい景観でした。

様々な分野、立場の方が参加しましたが、会議ではフラットな関係で率直な意見交換をしていました。会議ではこれが大切なことです。

会議場は1日目は、法律大学院の講堂。19世紀の美し建築です。石造り、大理石の仕上げのインテリア、2層の高い天井に圧倒されます。法律大学院がスポンサーの一人です。2日目の会場はIBMブダペスト支店の講堂。古い建物をリフォームしたオフィスです。IBMも会議のスポンサーの一人です。

会議の前日の月曜日は名刺交換のレセプションで、スポンサーの一人の大手法律事務所の受付ホールで開催。挨拶に立った代表弁護士は女性、多くのスタッフの弁護士は女性で、ホステス役を務めました。その後場所をハンガリー料理にレストランに移動し、夕食会。6人掛けのテーブルが7つ。指定席で、私の席は、ニュージャージー大学の女性学長とブダペストの法律大学院の教授(女性)、駐ハンガリー、アメリカ大使館の通商担当書記官(女性)、ハンガリーのIBM幹部などでした。法律大学院の女性教授の話では、女子学生が半数以上在籍し、女子学生は優秀で、弁護士試験にも女性が多く合格しているそうです。女子学生を差別したどこぞの医科大学のアホバカ理事長や学長(普段は俺は医者だ、理事長だと威張っていたのでしょう、要は、肩書で人を見てはいけないという実例です)に聞かせたい事実です。

女性の社会進出という点で気づいたこと。入国すると、入国審査を受けます。4つのブースが稼働中で4人の審査官が担当していましたが、すべて女性でした。右側に拳銃、左側に警棒を持ち、制服、制帽姿はなにか日本のコスプレを見ているような雰囲気でした。

ニュージャージ州の元副知事(女性、弁護士)、ニュージャージー州の上院議員(若く、ハーヴァードで2つの学位、タフツ大学のフレッチャースクール(外交防衛の専門大学院で、日本から毎年外務省、防衛省の若手官僚が留学しています)卒の立派な経歴、噂で、次の州知事選挙に出馬するそうです)、州議会の下院議長(女性)など政界からも参加し、立派なプレゼンをしました。

日本での会議に参考になります。後日、続きの報告をします。

 

 

 

ニューヨーク出張で多くの女性に面会、女性がどこにもいる社会

9月1日から9月7日までニューヨークを訪問、多くの方と面会しました。その多くが女性でした。女性がどこでにでも社会参画しています。

9月3日夕方、WXYという設計事務所を訪問。レイバーデイという祭日ですが仕事中。3人のパートナーの頭文字が事務所名です。ニューヨーク市内を中心に公共空間のデザインや建築のデザインをしている事務所です。デザイナーが多いSOHOに事務所があります。フルブライト奨学金で留学中の後輩の紹介。所長に面会。クレア女史。イェール大学大学院卒。30人くらいの設計事務所。彼女のデザインについてプレゼンをいただき、デザイン論、ニューヨーク市の開発状況についてレクをいただき、意見交換しました。

その前に13時にニューヨークで不動産業をしている日本人女性に面会、最近のニューヨークの不動産状況についてレクをいただきました。ニューヨーク大学大学院で不動産学を勉強された方です。

4日(火)、元ニューヨーク・ニュージャージー港湾庁開発本部長氏に、マンハッタンの西側ハドソン川を挟んだニュージャージー州のジャージー市役所に案内されました。住宅開発・経済開発部の幹部等数人と面会、意見交換。その中に女性市議会議員がいました。また、その会議室を使い電話でジャージー市立大学学長と電話で意見交換。学長は女性です。

5日(水)ニューヨークフィルの女性楽団員に面会。ニューヨークにある世界的音楽大学のジュリアード音楽院卒。彼女の主催で夕食に招待されました。そこにニューヨークフィルの管理部門幹部が出席。女性でした。

多くの方と面会し、最近のニューヨーク事情について教えていただき、意見交換をしましたが、その多くが女性。つまり、社会に女性が多く、普通に仕事をしているということです。東京では女性が責任者として多く働くという状況でありません。

この数年、イスラム国家であるトルコの大学(国立)に招聘いただきました。学長は女性、建築学部長は女性、法学部長は女性、海洋学部長は女性。建築学部の教授陣に多くの女性。学生の半数は女性。全学で5万人の学生、内、半数が女子学生。

去る5月、客員教授を務めるブルガリアの国際建築アカデミーの大会に参加。事務局長は博士号を持つ女性建築家。講演者の半数は女性建築家。

女性の働き方を見ると、東京(日本)にいると見たままですが、外国からみると、女性が少ない東京の社会が異常です。その異常を異常と気遣いないことが異常です。

ニューヨーク市視察、世界ナンバーワンの都市

9月1日(土)朝羽田を出発、ニューヨークを訪問しました。単身、取材です。正味5日の滞在。多くの方に面会しました。1990年殺人事件の犠牲者が2245人。その後、治安対策、観光政策、都市開発、文化芸術政策などでニューヨークは間違いなく世界ナンバーワンの都市になったと言えます。東京都も国もニューヨーク市の都市政策を学び、実行すべきです。

世界中から多くの観光客が集まり、にぎわっています。多くの美術館、劇場などに観光客が訪問しています。市税収入は莫大です。

元、ニューヨーク・ニュージャージー港湾庁の開発本部長に面会、ニューヨーク市内で素敵な公共空間のデザインをしている設計事務所の所長に面会、不動産業者に面会、ニューヨークフィルの幹部(運営部門の幹部とフルート奏者の2人)に面会。マンハッタンの西側にハドソン川が流れていますが、対岸はニュージャージー州。その代表的都市で、マンハッタンへの住宅都市でもあるジャージー市役所を訪問、住宅開発、経済開発の幹部と市議会議員に面会。ジャージー市は以前は工業都市、衰退しましたが、教育、文化、芸術、住宅都市として復興しています。ジャージー市立大学学長(女性)と電話会談しました。多くの美術館や劇場など訪問しました。

暑い5日間ですが、歩き回り、帰国後体重を測定したら4キロ減っていました。毎日2万5千歩歩きました。都議や国会議員の視察も、体重を減らすくらいの行動を期待します。おいしいもの食べ、のんびり過ごし、体重が増えるような視察はノーです。

後日、個別の見どころ、課題について書き留めます。乞うご期待。

1971年、フィンランド、ユヴァスキュラ警察署見学、留置場まで見学

1971年7月スウェーデンに留学した際、夏季休暇を利用し隣国のフィンランドに渡り大好きなアルヴァー・アアルトの建築を見て歩きました。ユヴァスキュラ市に到着、アアルトがデザインしたユヴァスキュラ大学のデザイン、キャンパスプランニングを見学しました。タイルの使い方、天井のデザイン、屋根を支える木造のトラス工法、照明デザイン、クール・温かいインテリアの色使いなど感激しました。さらにアアルトがデザインしたユヴァスキュラ警察署を訪問しました。デザインはユヴァスキュラ大学含めたアアルトのデザインそのもの。入り口に入り、受付で「日本から来た建築の学生ですが見学させていただきたい」と英語で挨拶。たまたま夜勤明けの警察官が「どうぞ」と快く即OK。(上司に了解得なくてよいのかなと不安に思いましたが)かつ、その警察官が中を案内してくれることになりました。地下室にある留置場も案内してくれました。アアルトの得意な白のインテリアでした。酔っ払いが1人留置場の床で寝ていました。後の留置室は空っぽ。その程度の安全なフィンランドの町と思いました。このような素敵なインテリアなら私も一泊ぐらいさせていただいてもよいかと思いました。今日のようなテロの不安な時代は見学は難しいと思います。しかし、フィンランド警察官の弾力的な判断、親切に感謝です。

 

長野冬季オリンピックの聖火台(菊竹清文氏デザイン)、IOCミュージアムに永久設置

先日、環境・情報彫刻家菊竹清文氏と会い、お話を伺いました。1998年氏がデザインした長野オリンピックの聖火台がスイスのローザンヌのIOC(国際オリンピック委員会)の博物館に永久保存されることになったそうです。素晴しいお話です。本来、長野かあるいは東京オリンピック大会を前に東京に永久保存してくれるとよかったのではと感じました。

さすが、IOCの決定、IOC博物館の考え方、遺産の保全方法が日本人の発想と異なる、あるいは、芸術文化遺産に対する考え方が異なると思いました。

ローザンヌを訪問する機会がありましたら、是非、IOCオリンピックミュージアムにお立ち寄りください。

 

トイレ、各国の違い、ブルガリアとイタリア

5月中旬、トルコのイスタンブール経由(空港はハブ空港で24時間営業、ターミナル内は大型ショッピングセンター)でブルガリアのソフィア、イタリアのローマを訪問しました。ブルガリアは1994年来訪問。メインの会場はソフィア工科大学です。トイレ(男性しかわかりませんが)は日本の旧来型和式の便器。しゃがんでするタイプです。大学で、予算もないのでしょう。改善もなく、ずーっと同じトイレです。和式トイレと異なり、反対向きにしゃがむようです。他人の用足し中を見たことがありませんので正確には分りません。ソフィアであてがわれたホテルは4つ星、COOPという名前のホテルです。以前は労働者の集会所か何かだったと思いますが、コンバージョンし、会議場を持つホテルとなったようです。部屋に入り、用足しをしようとバスルームに入り、便器を見ました。陶器製の便器の縁部分の奥に、直径10mm位の金属がついており、それこそ、隠しカメラのレンズの様。10㎝位離れたところの壁に10㎝位の棒がついています。最初は何か分りませんでしたが、棒をひっぱたらその金属の穴から清浄用の水が勢いよく吹き出しました。一部体に当たり、濡れてしまいました。ノズルが自動的に出てくる日本のシャワートイレとは異なる形式のシャワートイレであると悟りました。メーカー名を調べ忘れました。

イタリアは他のヨーロッパの国と同じでしょう。用便器の隣に、ビデが設置され、女性が必要に応じて利用するのでしょう。

イスタンブール、ソフィア、ローマの空港内のトイレは位置と数が十分に設置されていると思いました。特にローマ空港内のトイレは、木の仕上げとインテリア緑化をし清潔感あふれ木の香りがする良いデザインでした。

日本のシャワートイレが世界で技術的に最も進んでいると思います。

ソフィアの環境政策

10年ほど前ブルガリアはEUに加盟しました。EUから様々政策の指導、助言を受けます。街中にきれいなゴミ箱(漫画のキャラクターが描かれています)が分別で3台異なるデザインで並んで設置されています。友人の説明です。「EUからの指令で分別収集をしろとのことで3台設置しているが、ほとんど実行されていない。面白いのは、資源ゴミなどはジプシーがゴミ箱をあさり、使える物は皆持って行ってくれるので特殊なリサイクル方法が政策でなく生活の必要性から、され、それなりに機能しています」とのことです。(ジプシーという言葉は、日本では差別用語とみなされている場合がありますが、ハンガリーにジプシー楽団という音楽グループがあり、東京のハンガリー大使館が主催でジプシー音楽の紹介、宣伝をしています)港区(他の区も同じでしょうが)の清掃収集はうまく機能していると思います。

また、建築の断熱もEUの指導で実施されているとのことですが、制度がうまく機能せず、断熱保全工事が適切に進んでいないとのことです。たまたま通りがかった建物で断熱工事をしている現場がありました。数秒ですが見ました。友人の説明ではEUの基準通りにされていない恐れがあるとのことです。

 

ブルガリアの観光、訪問時の視点、「歴史」

ブルガリア、ソフィアを訪問した際、友人から聞いた話です。ブルガリアというと5月は特にバラ祭りが地方都市で開催され、観光的ににぎわいます。また、ブルガリアというとヨーグルトが有名です。氏の説明によると、「確かに一部であるがブルガリアの本質でなく、ブルガリアを理解するためには「歴史」(ローマ時代から現在まで)を理解することが大切で、観光的にも「歴史」を売りにしたらよいのではないか」とのこと。確かにソフィアの街中に2000年前近くの遺跡が多く存在しています。時代を反映した宗教建築が多く存在しています。一部にイタリア人建築家の支援で地下遺跡を保全し、入り口をガラスでデザインされた歴史博物館(小規模ですが)必見です。そのデザインは国際建築アカデミーの新たな会長に就任したアメデオ・スキアッテレーラ氏の助言、デザインです。その前に市役所があります。中心市街地の地下鉄セルディカ駅に隣接し遺跡の発掘が行われ、一部展示がされています。

ブルガリア国際建築アカデミー参加者の国籍、個人レベルでは皆お友達

ブルガリア国際建築アカデミーに1994年以来参加し、参加者の国籍は様々です。場所柄ヨーロッパ勢が多いですが、アジア、南米、オーストラリアなどからの参加者がいます。1990年代内戦のあった旧ユーゴスラビア、現在はセルビア、モンテネグロ、スロベニア、マケドニア、コソボ、クロアチアなどに分離していますが、それぞれの国の参加者はそうした国家レベルの争いを棚に上げ、仲良く建築デザインの交流をします。今回もセルビアから2人の参加者がいます。一人の方はセルビア国内では少数派に属し、生活に一定の苦労があるようですが、議論に熱心に参加しています。トルコとギリシャもキプロス問題で政府間はいがみ合っていますが、建築家同士は仲良しです。文化、芸術、学術、スポーツなど通した草の根の交流が必要です。

私は内戦終結後の1997年、セルビアのベルグラードの建築家の大会に招かれ、パネル展示をし、建築家協会長のご案内で、若い建築家と意見交換しました。建築はいわゆる平和の時代に建造されますから、建築家は平和主義です。セルビアの建築家も内戦を大変悔やんでおりました。

ブルガリアの国際建築アカデミー、海外での建築家の仕事獲得方法、コンペが主流

ブルガリア、ソフィアで国際建築アカデミーの大会で各国の建築家の報告(デザイン論)を講演で聴いています。その内容が最も知りたい、学びたい内容ですが、もう一つ重要なことは建築家がどのように仕事を取ったかです。講演内容、資料によると、ほとんどがコンペです。コンペが当然という考えです。

日本では、ほとんど入札。入札書を届け、一斉開封で最も安い入札額を提示した設計事務所、コンサルタント事務所が仕事を得ます。手続きが簡単だからという理由です。仕事の質、担当者の質、経歴、人柄などは全く審査の対象外。本来はそれが最も重要なことです。しかも、

「原田敬美のブログ」でも書きましたが、大手設計事務所だから任せて安心ではありません。問題となった豊洲市場は大手の設計事務所が担当、しかし、まともな議事録が作成されていなかったことが明らかになりました。

港区では予定価格の1/4で落札したエレベーターメンテナンス会社(私の事務所と同じSECという会社だから癪に障りますが)が不適切なメンテナンスをし、住民が亡くなる事故がありました。港区はエレベーター新規採用とメンテナンスで入札を止めました。(契約手続きや技術力の判断力を分らない幹部の責任です)

コンペは発注条件を作成し、審査員を選び(日本では数少ないコンペで、著名な教授とか権威に頼る傾向があります。その他の審査でも)、審査をし、発表するという手順に時間がかかります。しかし、良い質の作品、成果が生まれます。特に国際コンペとなると英文の資料を作成したりなど面倒くさいとしてほとんど国際コンペもしません。自治体の営繕部門、契約部門から相談があればいつでも助言申し上げます。

社会的話題となった新国立競技場のコンペも上記のような失敗がありました。欧米はコンペは比較的オープンで誰でも参加できる傾向にあります。私もいくつか参加したことがあります。

中国人建築家(周氏)は北京の人民日報本社の設計者。コンペで入賞し、デザインをし、損の経験を講演しました。例えて言うと、朝日新聞、読売新聞、日経新聞など建築家選定で公開コンペをしませんでした。これまでのお付き合いのあったいわば系列の建設会社に発注しました。建築家が主導するという欧米の当たり前のデザイン行為が日本でされていないのは残念です。欧米、中国と比べ、日本の建築家の政治力のなさ、意識のなさ、組織力のなさが原因です。

「原田敬美のブログ」で友人の病院の工事で追加請求書が出され、1億円の追加が、私がチェックし、1850万円!!!に減額したことを紹介しました。マンションの大規模修繕でも同様のことがありました。

港区長時代も施工会社がつるんでいると思われる公共工事で1割も高い積算書が出され、区長である私が自らチェックし1割減額させた事例があります。真面目な建築家が厳しく積算書を作成、チェックする必要があります。設計施工は発注者にとり楽な方法かもしれませんが、施工内容、積算内容をチェックする体制を作らないととんでもない買い物になります。

世界の著名建築でコンペの事例を改めてご紹介します。