日別アーカイブ: 2013年9月11日

海外体験の衝撃-その3

その3は衝撃を受けた社会の仕組みの違いです。
1969年アメリカに留学した頃、日本では大学紛争、特に東大の入試中止がありました。ベトナム戦争が激化していました。アメリカの大学や社会で、議論する際の基本ルールを体験しました。お互いが相手に敬意を表し、互いの意見を聞きあう、議論を深めるということです。
言論の自由です。判断する国民の熟度が高いと思いました。タイム、ニューズウィーク等の一般週刊誌ですら、戦争の残虐な写真やオールヌードの写真が掲載されます。日本なら税関で黒塗りです。おそらく現在も。国家権力は国民におせっかい。国民は異物に感情的な反応。西欧的な成熟社会にはもう少し時間がかかります。
アメリカの地方自治を体験しました。異なる市を訪問すると、警察官の制服やパトカーのデザインが異なります。また、消費税率も異なります。次第に分かったことは、市役所ごとに警察部があり、自治体警察であること、つまり、自分の地域は自分で守るという考え方です。消費税率はある市は8%、隣の市は10%と異なり、市のサービス水準と歳入のバランスをとるため税率を頻繁に変更していることがわかりました。
人口30万人くらいの都市になると、「市営」国際空港があります。地元の経済活性化のため、自ら、空港や港湾を整備します。空港に着くと市長の笑顔で「歓迎」という大きなポスターが掲示されています。
留学中、日本についてのニュースは、全学連が暴れまくっている報道くらい。後は大阪万博の開園式のニュース。日本についてアメリカの報道機関は関心がないと認識。今もです。PR下手の日本側の責任もあると思います。

1971年スウェーデンでの衝撃です。
8月15日、いわゆるニクソンショックを体験しました。銀行の外為は全部閉鎖。ドルの交換ができませんでした。当時、日本の外為だけが営業を続け、世界中のドルが日本に集まりました。当時の大蔵省は(エリート役人の集団ですが)なすすべもなく、世界中の圧力で円高にシフト。教訓、日本も為替市場を閉鎖すべきでした。日本のエリートは定常的な問題処理は得意ですが、突然の難題には解決能力に問題あり、昔も今もと思いました。
ストックホルムの地下鉄は24時間運行。地下鉄やバスの運転手の半数は女性。女性の社会進出には驚きました。
消費税は10%、今は25%。所得税、社会保険は45%。今は70%。
医療費、福祉、教育は無料。人権社会。言論の自由。
中立国ですが、人口800万人で、軍人は60万人。国防費予算の15%(福祉費も15%)
日本からの報道。9月17日の新聞で成田闘争で警察官が3人殺される、また、公明党の竹入委員長刺される等、結構多くの日本初のニュースがありました。驚きの連続でした。

1974年から76年、ライス大学建築大学院の留学時代。
1975年ニューヨーク市の財政破たんの報道。バラマキと都市政策の不適応が原因。
市役所職員の親切、市議会の議論の方法が役に立ちました。日本は未成熟。
サンベルト、スノウベルトの時代を感じました。今はスノウベルトでなく、ラストベルト(錆)と称されています。
サンベルトの中核都市のヒューストンは、人口規模で、クリーブランド、デトロイトを抜き全米4位に。
将来が楽しみと感じました。最近デトロイトも財政破綻しました。
中国の鄧小平はヒューストンを訪問しました。先見の明があります。日本の総理でヒューストンを訪問した方はいません。(1990年のヒューストンサミットに出席した海部首相は別ですが)前例踏襲主義と思います。

若い時の衝撃の体験談です。驚きの連続でした。違いがあることを認識しました。海外礼賛ではありません。
お互いに違いを理解してこそ、国際理解ができます。