月別アーカイブ: 2015年2月

アメリカの建築家フィリップ・ジョンソン建築のテーマパーク

アメリカを代表する世界的建築家フィリップ・ジョンソンが2005年98歳で亡くなりました。ニューヨーク市郊外に20ヘクタール以上の土地を持ち、近代建築の代表作品ガラスハウスやポストモダンスタイルの画廊、図書室、農家の移築など豊かな自然の広大な敷地にいくつかの建物があります。ジョンソンの死後、建築のテーマパークとして公開されたと先日のニューヨークタイムズに記事がありました。ニューヨークを訪問する楽しみが一つ増えました。

私はライス大学建築大学院留学時代、ジョンソン氏にインタビューをすることができました。氏のデザインでヒューストンにペンゾイルビルというオフィスが竣工し、そのデザインの哲学について聞いてみたいと思い、学生の分際でしたが突撃取材をしました。ニューヨークタイムズの建築担当編集委員のハクスタブル女史によると、当時世界で最も美しいオフィスビルでした。25歳の学生がフィリップ・ジョンソン氏に会い、直接話を聞けたのは大感激でした。

氏はハーヴァード大学で美学を学び、しばらく、美術館の学芸員をし、主に建築分野の評論活動をしていました。実務で設計したいと決断、30代後半でハーヴァード大学建築大学院(アメリカでは建築は大学院で教育します)に再入学しました。修士設計で学生は図面や模型を作製し提出しますが、フィリップ・ジョンソン氏はお金持ちでしたので、実際位の建物を作りました。実務では、多くの話題作を設計、高級スーツをいつも着ておりました。冗談の得意な方でした。所員は全員背広着用でした。クライアントが一流企業で、急な打ち合わせの際、スーツで会議に参加する必要がありました。改めて氏のデザインを勉強したいと思います。

氏は生涯独身でした。実際は男性のパートナーがおり、後年カミングアウトしました。

港区長秘話18、初の施政方針演説の予習、20回

平成12年6月28日区長に就任し、最初の大仕事は議会で施政方針演説をすることです。議場で演説することは初めてです。かつて国際会議などで500人くらいの聴衆の前で英語で講演したり、専門家の会合では何度も講演の経験はありますが、議場での演説は初めてです。約1時間の演説です。失敗は許されません。予習で、声を出し、20回以上朗読しました。そのおかげで、何とか演説を終えることができました。

港区長秘話17、俺を理事長と呼べ

港区長就任後、時々、挨拶を兼ね、元区長を訪問しました。突然でしたが、私を後継者に指名した方ですから敬意を払わねばなりません。親しみを込め「菅谷さん」とおよびしたら、「俺を理事長と呼べ」と命令調。「肩書きが必要な方、肩書にこだわる方」と察しました。(氏は港区のふれあい文化財団の理事長でした。現職の区長の仕事として、元区長の仕事の斡旋で、私が理事長に任命しました)欧米で3度の留学生活をし、そこでは、どんなえらい先生もファーストネームで呼ぶ習慣でしたから、私自身は肩書きを使うことはあまり好きでありません。

港区長秘話その16、ベテラン区議のコメント、辞めたくなったのでは?

平成12年6月28日区長に就任し、しばらくし、10月でしたか薬剤師会の会合があり、会場のホテルの宴会場に入ろうとした際、偶然、ベテラン区議S氏と遭遇しました。にこやかに言われた言葉「原田さんは真面目だから、議会が汚く、区長の仕事、もう嫌になってしまい、辞めたがっているのでは」と冗談ともつかない内容でした。氏は真面目な議員でした。当たらずも遠からずでしょう。