平成12年6月28日区長に就任し、最初の大仕事は議会で施政方針演説をすることです。議場で演説することは初めてです。かつて国際会議などで500人くらいの聴衆の前で英語で講演したり、専門家の会合では何度も講演の経験はありますが、議場での演説は初めてです。約1時間の演説です。失敗は許されません。予習で、声を出し、20回以上朗読しました。そのおかげで、何とか演説を終えることができました。
港区長秘話18、初の施政方針演説の予習、20回
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平成12年6月28日区長に就任し、最初の大仕事は議会で施政方針演説をすることです。議場で演説することは初めてです。かつて国際会議などで500人くらいの聴衆の前で英語で講演したり、専門家の会合では何度も講演の経験はありますが、議場での演説は初めてです。約1時間の演説です。失敗は許されません。予習で、声を出し、20回以上朗読しました。そのおかげで、何とか演説を終えることができました。
港区長就任後、時々、挨拶を兼ね、元区長を訪問しました。突然でしたが、私を後継者に指名した方ですから敬意を払わねばなりません。親しみを込め「菅谷さん」とおよびしたら、「俺を理事長と呼べ」と命令調。「肩書きが必要な方、肩書にこだわる方」と察しました。(氏は港区のふれあい文化財団の理事長でした。現職の区長の仕事として、元区長の仕事の斡旋で、私が理事長に任命しました)欧米で3度の留学生活をし、そこでは、どんなえらい先生もファーストネームで呼ぶ習慣でしたから、私自身は肩書きを使うことはあまり好きでありません。
平成12年6月28日区長に就任し、しばらくし、10月でしたか薬剤師会の会合があり、会場のホテルの宴会場に入ろうとした際、偶然、ベテラン区議S氏と遭遇しました。にこやかに言われた言葉「原田さんは真面目だから、議会が汚く、区長の仕事、もう嫌になってしまい、辞めたがっているのでは」と冗談ともつかない内容でした。氏は真面目な議員でした。当たらずも遠からずでしょう。