月別アーカイブ: 2015年8月

政治家のモラル比較、日本の政治家とフィンランド、ヘルシンキ市審議会委員

1998年フィンランドの首都ヘルシンキ市の都市計画委員(政治任命で就任)が港区と京都に視察したいとのことで、旧知のヘルシンキ市都市計画局長ペルッキオ氏が航空便で相談がありました。私は当時港区役所で、多くの審議会委員や研究会会長などを務めていただので快くお世話係をしました。

当時はまだ、航空便やファックスでのやり取りでした。港区内の視察の段取り、観光バスの手配をしました。昼食をお台場のホテル日航で天ぷら料理を提案しました。氏からの回答「普通の勤労者が食べるレストランで、かつ、普通の勤労者が食べるランチメニューにしてほしい」でした。

また、せっかくの来日だから京都の途中で箱根温泉に一泊してはと提案しました。氏からの回答「我々は仕事で訪日するのでリゾート地に寄りたくない。公費出張だからリゾート地に滞在するのは不適切」でした。

ヘルシンキ市役所の公職の方の立派な意識、考え方と感動しました。日本の議員(国会議員も地方議員も)の視察はどうか?以前ブログに名古屋市議会議員の遊びたくさんの出張ぶりを書きましたが、他の地域の議員の出張は?報告書を自ら書いているのか?事務局職員が代理で書いているのでは。あるいは、事務局職員に書かせているのでは?視察の成果を政策に活用しているのか?検証、評価が必要です。

B29エノラゲイをたたいた男

原爆の季節です。B29エノラゲイ号が原爆を落としたと報道で説明があります。私は1969年早稲田大学3年生の時、交換留学でアメリカ、オハイオ州のリベラルアーツ(一般教養大学)のThe College of Woosterで1年間学びました。冬休み、オハイオ州デイトンにある空軍博物館を訪問しました。そこでたまたまB29エノラゲイが展示されているのを見かけました。シールに「エノラゲイが落とした原爆により戦争を終結した」と書かれていました。私は機体を「この野郎」という気持ちでたたきました。広い敷地で警備員もおらず、また、寒い冬で来訪者もいませんでした。

幼稚園から小学生低学年の頃、母親から布団の中でB29の空襲で逃げ回った話を聞きました。巨大な飛行機を聞いていましたが、実物を見て、セスナを少し大きくした、あるいはYS11を小ぶりにした程度の大きさという印象でした。機内も入れ自由に見学できました。今思うと貴重な機会でした。恐らくエノラゲイをたたいた日本人は唯一私だけか?46年前のことです。

新国立審査員の問題、その2

新国立問題について、以前コメントを書きました。追伸です。審査委員長の安藤氏は記者会見で「自分は大きな物をやった経験がないから費用のことはわからない」と発言。驚きました。無責任と感じました。コストのことがわからなければ、審査会の下に「コストについて助言する小委員会」を設置し、助言を求めるべきでした。ただ格好いいだけで選んだのなら小学生でも審査員が務まります。

区長秘話23:プレゼントへの対応

前のブログでも書きましたが、私は区長時代プレゼントを全て返しました。しばらくしてプレゼントを受け取らない区長と周囲が理解したのか、プレゼントは来なくなりました。それでよいのです。プレゼントをもらってにニコニコするようなリーダになってはいけません。

区長に就任後、妻が、元区長夫人から「いただいたプレゼントをだれに回すか、考えるのが大変なの」と言われたと私に伝えた。私の場合、プレゼントを一切受け取らないのだからこのようなことで悩むことは一切なし。知人、あるいは職員から、某議員宅を訪ねたら玄関がプレゼントの山だったと語っていました。与党野党に関係なくです。仲人をしたなど特別の関係なら別ですが、政治家、社会のリーダになったら、業者からの儀礼的なプレゼントは拒否すべきです。

区長秘話22:区長就任に感謝の言葉、与謝野馨氏と保坂三蔵氏

2000年港区長に就任し、某ベテラン区議Y氏は「俺が応援したから原田は区長になれた」など大口、ほら吹きのような発言。何度も言われると、うんざり。

自民党の地元の与謝野氏は、2000年6月の衆議院選挙で落選。東京都選出の自民党参議院議員保坂三蔵氏が国政、都政の窓口となりました。俺が区長にしてやったの類の発言をする人物がいる中で保坂氏は「誰も引き受け手がない中、原田さんが区長を引き受けてくれた助かった、ありがとう」と感謝の言葉。この発言に心を打たれました。実際、私は名誉とかでなく社会貢献の気持ちで区長を引き受けました。保坂氏は「与謝野さんが落選中だが、時々港区政の報告をしたほうがよい」と私に助言。私も同感と思い与謝野氏に連絡し港区政について報告したいとお話したら「私のことに気を使う必要はない、一切心配しなくてよい」との回答。これまた心を打たれました。区長退任の2004年6月保坂氏を参議院に訪ねお世話になったお礼を述べたところ、ご多用の中、保坂氏自ら1時間程度参議院の中を案内してくださった。また、「誰もなり手がいない中よく原田さんが区長を引き受けてくれた」と感謝の言葉。リーダーにふさわしい人格者と感じました。

港区長秘話その21、報告書をチェック、積算書をチェック

就任間もない頃、某課長が完成した報告書(案)を持参しました。私は、早速読み、問題点を指摘し、修正させました。幹部職員も区議も、新米区長のお手並み拝見といったところでした。報告書案に区長自ら修正を入れたことはすぐあちこちに伝わったようです。多くの幹部は緊張したと思います。それからは課長が自らチェックし、区長室に届けるようになったと思います。

最近の港区の報告書をいくつか読みましたが、客観的なミスが多くあります。分析で考え方の違いは許容範囲ですが。幹部たちは、チェックするような視点でしっかり報告書を読んでいないのでしょう。

同様、就任間際に、工事発注の間際の案件がありました。前任区長が手掛けた公共事業です。田町スポーツセンターのプール棟です。気になり、積算書を区長室に持ってこさせ、区長自らチェックし、2000万円程度減額指示しました。大手の設計事務所の業務です。いろいろミスを見つけ指摘しました。これも、侮れない区長と職員にショック療法となったことと思います。契約課長T氏が「区長がこのようなことをしてよいのですか」と言ってきたのは驚きました。本来「区長がチェックしてくれたおかげで税金を節約でき、ありがとうございました。このようなお仕事を区長にさせてしまい申し訳ありません。今後は気を付けます」が正解の発言です。

いずれ書きますが、もっと問題のある積算書のチェックが半年後にありました。30億円の積算書を私がチェック、3億円減額させました。この詳細は後日述べます。当時の施設課職員の業者任せで自らチェックしないという意識は問題でした。また、もっと問題なことは、こうしたより正確、かつ、公正な積算書という私の作業について、公共事業の契約に関心を持つベテラン区議Y氏(官製談合の元締め)に話が伝わっていたことです。「原田は区長室で積算書のチェックをしている」と。施設課職員が某区議とツーツーであることに驚きました。こうしたこと外部の人間に話すべきではありません。一方こんなものかとも感じました。なお、積算書のチェックは自宅で深夜にやりました。

ロサンジェルス市役所視察、原田敬美と名古屋市議の違い

1988年7月。ロサンジェルス市のウォーターフロント開発について、事前に市役所の幹部にインタビューを航空便の手紙で申込みました。月曜日から金曜日、午前、午後と多くの関係部長と面会しました。熱心に取材していると担当者がロス市警が監視用にヘリコプターを飛ばすので同乗してくださいと案内されました。この市役所のサービスぶりは日本の市役所も勉強すべきです。

ロサンジェルス市役所職員の話し、「数日前に姉妹港である名古屋市の市議会議員数名が公務視察にロサンジェルス市に来たが、スライドでプレゼンテーションをしたら多くが居眠り、また、ボソボソと「早くでディズニーランドに行きたい、サンディエゴ動物園に行きたい」と同僚同士で会話を日系人のスタッフが耳にし、不快に感じたたそうです。それに比べると原田さんの視察マナーは真面目そのもの。ご褒美にヘリコプターにご招待と言われました。

だいぶ昔のことですが、税金を使っての議員の海外視察がこの程度で、また、受け入れ側から低い評価を受けるのは情けないことです。今は改善されたことを期待します。

新国立競技場、いくつかの課題

1 設計競技の手続きの問題:フランス政府の設計競技の審査員を務めました。その経験から、手順に問題があります。フランスの大使館建替えで建築家選定の設計競技です。異なる建築家が専門家として段階ごとに参加しました。まず、課題作成の段階(複数)。次に、設計競技に参加する建築家5名。次に、競技案を技術的に審査する建築家数名。それに本審査を担当する建築家。(本件の場合、外務次官を委員長とし、外務省の施設部長、在日フランス大使、フランス人建築家3、4名、それに原田敬美です。)新国立の場合、このような方式になっていません。また、所謂大学教授は関与しません。日本は大学教授の権威を過信しております。フランスでの審査会の様子です。審査員が真剣に意見交換をしました。今回の審査の議事録は公表されるべきです。フランスのように各段階を設定し、段階ごとに多くの建築家が関与すべきでした。日本の建築界も本競技に関し傍観者でした。審査員の人選に問題がありました。

2 案の選定、価格の視点。審査員が高い評価をしても、価格が設定条件をはるかに超えれば条件違反で失格です。本件でこうした明確な規定を設け、予定額(1300億円)の倍以上となる、予定額をはるかに超える案を失格にすべきでした。

3 将来の維持費の問題。都庁舎の建設費は1500億円でした。17年目の大規模修繕で700億円要しました。単純に同じ比率とすると、新国立竣工後17年目に1300億円の大規模修繕費が必要となります。その頃、国にそのような財源はあるのでしょうか?

4 政治的責任:自分の時代は何とか切り抜け、問題を先送りするパターンはよくあることです。将来に課題を先送りする手法は問題です。

5 外国人建築家に率直に意見を言えない役人。もし、1等賞が私なら、おそらく、役人から呼び出され「原田さんのデザインは良いが、コストが予算の倍だから辞退届を出せ」と強引に権威的に言ってくるでしょう。外人には何も言えない役人体質は問題です。東京国際フォーラムでも、横浜の大桟橋の建設で同様の問題がありました。

6 都知事のマナー。舛添えさんはパーフォーマンスの得意な政治家。文科大臣に辞任を迫りました。でも、本来都知事がオリンピックのホストです。東京都が自ら競技場を建設しなければなりません。コストなどの問題から国立競技場を使わせていただくのですから、都知事は文科大臣に「国立競技場を使わせていただきます。予定通り竣工しますようお願いします」と頭を下げるのがマナーです。でなければホストですから自らオリンピック用に都立の競技場を建設すべきです。

7 新宿区役所の都市計画の問題。この点、マスコミなどで問題になっていませんが、敷地周辺は本来都市計画で高さ制限があったはずの場所。国策だからと巨大で高い建物が建つように都市計画を変更したこと自体も問題とすべきでしょう。高さの問題ももっと議論するべきでした。

見直しでより適切な案が登場することを期待します。

 

ブルガリア、トルコ、日本経済比較

5月ブルガリア、6月トルコを訪問。経済比較、気になる社会の側面についてです。

1 ブルガリアの人口754万。トルコ、7,667万。

2 ブルガリアのGDP558億ドル。トルコ8,221億ドル。日本4.92兆ドル。一人当たりGDPは、ブルガリア7,752ドル、トルコ9,680ドル、日本38,633ドル。トルコのイスタンブールは体感として東京並みです。公共料金(地下鉄、市電など)東京とほぼ同額です。

3 建設投資額について、2013年ブルガリアは22億ドル、トルコ362億ドル、日本2,722億ドルです。

ブルガリアのソフィアで4つ星のホテルに泊まりました。ホテルの部屋はコンセントが2つしかありません。スタンド照明とテレビでふさがっていますからコンピュータを使う際、スタンドの照明器具を消してコンピュータの電源コードにつなぎかえます。電気設備設計に問題アリです。1階のショップに土産物をと立ち寄りました。レジ脇に若い女性の店員がいましたが挨拶もせずでした。共産党時代の悪い習慣がまだ続いています。ブルガリアの友人に聞くと、非効率、不正、腐敗が多くあるようです。また、建設分野では技能労働者が不足し手おり、職業訓練が必要と感じました。

トルコ、特にイスタンブールは観光都市として発展しています。多くのホテルがあり、外貨交換所もあちらこちらにあり、深夜まで営業、日本円を含む多くの外貨の交換をしています。東京都内にこうした外貨交換所はありません。大型の観光バスが多数駐車できるスペースが確保されています。銀座に大型観光バスが駐車できるところはありません。観光都市としては東京はイスタンブールに完全に遅れています。総理も都知事も観光戦略と声高に叫びますが、総理も官僚も、知事も都庁マンもおそらくこうした現実を知らないのでしょう。

異文化理解、日米の差、敗戦日に感じること。

1969年早稲田大学3年生、20歳の時、交換留学でアメリカ、オハイオ州のウースター大学(早稲田の姉妹校の一つ)で勉強しました。また、1974年アメリカ政府のフルブライト奨学金でテキサス州ヒューストンにあるライス大学建築大学院で2年間勉強しました。多くのアメリカ人の友人ができました。父親どおしは太平洋で戦った関係です。戦争中、英語は、アメリカ文化は敵性のものとして教えない、学ばせないというのが「バカな」当時の日本の指導者でした。一方アメリカは日本と戦う以上日本語、日本の歴史、日本の文化を学ぼうと必死でした。アメリカ政府の態度、方針が正解、適切です。

1980年代、日米自動車摩擦でミシガン州が日本を恐れていました。ミシガン州のある指導者と東京で面会した際言われたことに驚きました。「日本の自動車が押し寄せ、ミシガン、デトロイトの自動車産業は壊滅的打撃を受けている。日本けしからんと言っても仕方ないので、日本を理解しようと、まず、日本語を始めた」とのこと。驚き、また、敬意を表しました。昨年、自動車産業の拠点市デトロイト市は1兆6千億の負債を抱え倒産しました。

鳥瞰的、大局観は欧米の指導者のほうが優れています。政治、経済、大学教育すべての分野においてです。港区は、80大使館があり、外国人(欧米が主)が1割以上住んでいますが、幹部や議会指導者は、口では異文化理解などスピーチしますが、英語を学ぼう、アメリカはじめ異文化について学ぼうとする方は、少なくも私の区長時代はゼロでした。アメリカの指導者よりはるかに遅れています。負けています。