1969年早稲田大学3年生、20歳の時、交換留学でアメリカ、オハイオ州のウースター大学(早稲田の姉妹校の一つ)で勉強しました。また、1974年アメリカ政府のフルブライト奨学金でテキサス州ヒューストンにあるライス大学建築大学院で2年間勉強しました。多くのアメリカ人の友人ができました。父親どおしは太平洋で戦った関係です。戦争中、英語は、アメリカ文化は敵性のものとして教えない、学ばせないというのが「バカな」当時の日本の指導者でした。一方アメリカは日本と戦う以上日本語、日本の歴史、日本の文化を学ぼうと必死でした。アメリカ政府の態度、方針が正解、適切です。
1980年代、日米自動車摩擦でミシガン州が日本を恐れていました。ミシガン州のある指導者と東京で面会した際言われたことに驚きました。「日本の自動車が押し寄せ、ミシガン、デトロイトの自動車産業は壊滅的打撃を受けている。日本けしからんと言っても仕方ないので、日本を理解しようと、まず、日本語を始めた」とのこと。驚き、また、敬意を表しました。昨年、自動車産業の拠点市デトロイト市は1兆6千億の負債を抱え倒産しました。
鳥瞰的、大局観は欧米の指導者のほうが優れています。政治、経済、大学教育すべての分野においてです。港区は、80大使館があり、外国人(欧米が主)が1割以上住んでいますが、幹部や議会指導者は、口では異文化理解などスピーチしますが、英語を学ぼう、アメリカはじめ異文化について学ぼうとする方は、少なくも私の区長時代はゼロでした。アメリカの指導者よりはるかに遅れています。負けています。