日別アーカイブ: 2015年8月2日

異文化理解、日米の差、敗戦日に感じること。

1969年早稲田大学3年生、20歳の時、交換留学でアメリカ、オハイオ州のウースター大学(早稲田の姉妹校の一つ)で勉強しました。また、1974年アメリカ政府のフルブライト奨学金でテキサス州ヒューストンにあるライス大学建築大学院で2年間勉強しました。多くのアメリカ人の友人ができました。父親どおしは太平洋で戦った関係です。戦争中、英語は、アメリカ文化は敵性のものとして教えない、学ばせないというのが「バカな」当時の日本の指導者でした。一方アメリカは日本と戦う以上日本語、日本の歴史、日本の文化を学ぼうと必死でした。アメリカ政府の態度、方針が正解、適切です。

1980年代、日米自動車摩擦でミシガン州が日本を恐れていました。ミシガン州のある指導者と東京で面会した際言われたことに驚きました。「日本の自動車が押し寄せ、ミシガン、デトロイトの自動車産業は壊滅的打撃を受けている。日本けしからんと言っても仕方ないので、日本を理解しようと、まず、日本語を始めた」とのこと。驚き、また、敬意を表しました。昨年、自動車産業の拠点市デトロイト市は1兆6千億の負債を抱え倒産しました。

鳥瞰的、大局観は欧米の指導者のほうが優れています。政治、経済、大学教育すべての分野においてです。港区は、80大使館があり、外国人(欧米が主)が1割以上住んでいますが、幹部や議会指導者は、口では異文化理解などスピーチしますが、英語を学ぼう、アメリカはじめ異文化について学ぼうとする方は、少なくも私の区長時代はゼロでした。アメリカの指導者よりはるかに遅れています。負けています。

港区長秘話20、当選から就任日の準備期間、区長の出勤時間

平成12年6月11日当選してから就任日の28日まで約2週間ありました。その間、政策経営部長、企画課長等と出勤時間、公用車の送迎などについて区の施設を使って説明を受け、また、意見交換しました。

出勤時間について私は、アメリカ流の考え方、すなわち、トップが職員より一番に職場に乗り込むという考え方を持っていたので、職員の出勤時間の8時半より前の8時、あるいは、7時半には出勤したい、それに合わせて迎えに来てほしいと要望を出しました。部長も課長も驚き、従来通り9時半にしてほしいと要請されました。最初から私の主張を通すのもいかがかと思い、部課長の説明を受け入れました。いまだに、トップは職員より早く出勤すべきと思います。弊事務所では、長年、私が誰よりも先に出勤し、仕事の準備をしております。

後で悟ったことです。これまでの区長は、深夜遅くまで、銀座などで、議員や関係者などと飲んで、意見交換する習慣があり、二日酔いを覚ますために出勤時間が9時半になったと思いました。トップは誰よりも先に出勤すべきです。(でした)私は銀座などで飲まないので、9時半出勤は無用でした。ただし、夜遅くまで書類のチェックなどはしておりました。問題アリと思う個所に赤いチェックを入れ、翌日、担当課長などに修正の指示をしました。(現在、港区の報告書に多くのミス、欠陥を見つけます。部長、副区長、区長は読んでません。)これまた問題です。いずれ、具体的にどの報告書のどこが問題か事例を説明します。)