平成12年6月区長就任後、多くの課長のご進講があった。重要課題の説明は自分にとり勉強である。いくつかの喫緊の重要課題があった。麻布十番公共駐車場の経営再建、区民税滞納問題、土地交換問題などである。
麻布十番公共駐車場は平成11年開業、1年間で利用率は低迷、1億5千万円の赤字を抱えていた。直ちに再建のための検討チームの編成を指示、担当課長を中心に、外部から弁護士、駐車場専門家などに検討チームに参加いただいた。提案を直ちに実行した。1年後に7千万円の黒字にした。駐車場の利用率を上げること、そのためにPR活動をする、組織体制のスリム化、利用者のためのハード設備の改善などである。担当課長や職員ががんばった。やればできるでしょうの典型例。気になったのは改善策が最初の議会で否決されたこと。理由が不明。いわゆる議会対策の問題があったか。急いで決めなけらばならない対策も議会の都合で振り回された。新人区長に対するあてつけがあったのかもしれない。
税務課長Y氏からのご進講で「港区の区民税滞納率は23区で最悪です」と説明があった。税務課長の人柄か、ニコニコしながらの説明だった。私は少しムカッとなった。税務課長に対し、思わず「来年まで滞納率を23区中位にまで改善しなさい、それまで課長の区長室お出入りは禁止!」と厳しく指導した。課長は課に戻り係長を集め区長指示を説明したのだろう。税務課職員は頑張って滞納整理を進めた。翌年13位まで改善した。その顛末については週刊文春に滞納整理の対象となったタレントの中村うさぎが毎週のように港区役所の悪口を執筆した。悪口であるが港区税務課職員が一所懸命滞納整理をした証拠である。これも、やればできるでしょうの典型例。
土地交換問題は20年来の問題である。K社が所有する芝公園内の土地と港区役所所有の浜松町駅前の土地交換である。私は直ちにK社社長O氏を訪問、土地問題を我々の代で解決しましょうと提案した。了解を得た。問題解決の議論、協議のため、トップ同士で話し合いをする提案をした。実務的に交渉担当者を1人任命し、交渉は、実務者同士と、トップ同士とすると、競技方法を提案し、了解を得た。港区は部長を1人任命、K社は役員を1人任命した。他の人間、たとえば議員も含めだれにも交渉に立ち入らせないとした。この手の交渉は関係者を限定しないとまとまるものがまとまらなくなる。その交渉方法が功を奏し、結果、土地交換が成立した。しかし、一部議員(口を出したがらう議員が若干名いた)から嫌われた。結果を出したので私は、そして区民は満足。一部議員から「何か裏があっただろう」と疑いの質問が議会であった。ばかげた質問だった。その議員がやましい気持ちだから、そういう質問が出る。私はきれいさっぱり交渉に臨んだ。1円たりとももらっていない。お中元の類の贈り物が届けられたが、返送した。トップや交渉担当者はこうあるべきである。
こうした問題解決は、うれしい一方、嫉妬、ヤッカミに向かっていく。世の常。