月別アーカイブ: 2016年7月

港区長秘話34 港区役所施設課の積算書の問題、区長自ら積算書チェック

区長就任後、前区長が発注した港区スポーツセンタープール棟の設計が終了し、工事発注の直前でした。建築家区長として関心を持ち、施設課長に積算書を見せてもらった。いくつか気になる個所があり、思わず赤ペンを入れ始めました。積算の専門家の友人にも私のポケットマネー20万円を払い、専門的な観点から見てもらいました。区長名で施設課長に積算書の見直しの指示を出しました。10ページくらいのメモです。契約課長に2000万円ほど減額し、発注するよう指示しました。設計は日本の2番手の大手の設計事務所。原田敬美のほうが積算書に正確であるというのは現在の私の営業トークでもあります。驚きは、施設課職員、もともと難関の公務員試験を合格しているのですから優秀な人材のはずですが、大手の設計事務所作成の積算書だからということで、安心していたのか、適切なチェックをしていません。あるいは課長、あるいはその上からチェックするなと指示があったのか?ある時契約課長が「区長がこのようなことをしていいのですか?」と言ってきました。驚きました。本来契約課長は「区長にお手を煩わせすいません。しかし、区長のおかげで2000万円減額ができ、貴重な税金を節約できました。ありがとうございました。」が正解です。

同様、元区長の時発注した福祉施設の設計業務がありました。(私の区長時代は財政再建の一環で大型工事の発注は無しで、PFI(民活)で公共施設づくりをしました)私が就任した年度末に設計業務が終了しました。建設業界に詳しい人物から「公的資金で再生したゼネコンX社が是非受注したいと思い、知り合いの設計事務所B社にいくらでもよいから設計を受注させ、予定価格の差は補てんするとの約束でB設計事務所は予定価格の7%で落札しました。

設計作業の間にA社が倒産したら危ないとのことで、経営状態の良いC社に、B社は話を持って行きました。おそらく、設計はC社に相当丸投げしたのでしょう。

そもそも設計事務所B社が入札の指名を受けることは偶然より意図があったのでしょう。数百ある登録した設計事務所からB社が選ばれること自体、偶然と言い難いです。

工事入札に16社が参加。予想通りC社が落札、入札額は予定価格の96.6%でした。私は、16社全員に積算書を提出するように命じました。各社びっくりしたでしょう。積算書を自ら見ました。C社の積算書を基に各項目ごと数%高い数値です。でたらめな積算書です。B社が作成したはずの積算書を自らチェックしました。この時も積算の専門家に100万円以上自腹でお礼をしました。本来港区施設課職員の仕事です。施設課職員はチェック作業をしていません。一例です。ある材料の単価がカタログに掲載してる単価より高い積算額を見つけました。デタラメな積算書です。施設課職員、設計事務所B社社員も真面目な仕事をしていません。プロとしてもプライドも感じません。本来はカタログ記載額の8割とか品物により7割など、定価より低減させます。施設課職員、B社社員から事情聴取をしたい気持ちです。

施設課長に積算書見直しを命じました。恐らくB社でなく建設会社のC社が積算書を作成したのでしょう。積算ションのチェックを施設課長に命じただけなら、2,3週間後に「積算書をチェックしましたが問題ありませんでした」と施設課長から回答があると思いましたので、私が問題個所をすべて赤ペンでチェックしました。積算書は約30億円。私は3億は減額できるとにらみ、最初に施設課長に「5億減額できるはず」と強くいいました。

2週間後、施設課長でなく係長が区長室にきて「区長のご指示の5億円は無理でしたが3億円減額できました」と説明がありました。私のにらんだ通りでした。施設課長が直接説明に来ないで係長に説明をさせたのは異常です。課長は責任放棄したのでしょう。後ろめたさを感じたのでしょう。

もし私が指摘しなければ、過剰な利益3億円はどこに消えたのか?公共事業の裏側を自ら体験した次第です。いわゆるオンブズマンと称する区議がいましたが、こういう大切な問題に関心を持たないので残念でした。残念なこともう一点、私が施設課長に指示した内容がことごとく官製談合の元締めと言われたベテラン区議Y氏に伝わっていたことです。区長の指示を真面目に受け止めず、不正に関与するベテラン区議に報告していたのは規約違反、スパイ行為、許されない行為です。港区施設課職員は大いに反省してください。

私は適切な積算チェック作業をしたのに、行政も区議会も私を応援する方がいない(目立たない)のが残念でした。孤軍奮闘でした。助役も部長も課長も腰が引けていました。当時私が負担した100万円以上の積算書チェック代、本来は施設課職員が真面目に仕事していれば私が負担する必要のないお金です。今から施設課に請求書を送りましょうか?現在港区は幹部の間に建築がわかる専門家がいません。上記のことを考えると恐ろしいことです。誰が積算書をチェックしているのでしょうか?誰が発注者の責任を果たしているのでしょうか?

建築写真家阿佐見昭彦氏の展覧会

平成28年7月31日埼玉県立近代美術館で開催中の阿佐見昭彦氏の写真展に行ってきました。氏は大学の先輩で大手建築設計事務所にご勤務され、写真家としても活動されている方です。今回はイタリアの中世をテーマとした写真展です。さすが、画像を見ると詳細なところまで見事に写しています。私は素人写真ですが、建築の外観を撮影すると、回廊など暗い部分は写真で見ると真っ暗に映っています。阿佐見さんの写真を拝見すると、外観も回廊の天井まで見事に写しだされています。今後ますますの活動をお祈りします。

上野の森の目障りな旗竿看板

上野の森を訪問しました。深い緑に囲まれ、著名建築群があり、東京のすばらしい地区です。JR公園口を出て「祝・世界遺産登録」の旗竿が約30m置きにおかれています。風にあおられひらひらと動いております。美しい環境に不似合と思います。文化の香り、品格の視点から問題と思います。場所にふさわしいデザインであってほしいと思います。3年くらい前は「世界遺産登録を!」という運動の旗竿看板でした。私はこのようなスーパーの売り出しのような旗竿看板を審査員が見たら、かえってマイナス評価になるのではと思いました。場所にふさわしいデザインを検討いただきたいと思います。

出雲大社庁の舎の見学

私の実務の恩師、菊竹清訓氏の設計の出雲大社の庁の舎を訪ねました。設計を依頼されたのは氏が30歳代前半。日本の代表的な神社の一部の建物の設計で大変なプレッシャーがあったと思います。見事にプレッシャーをはねのけ、期待に応え、すばらしいデザインを成し遂げました。また、時代背景は戦後間もない建設技術が十分でない時期。その中で、今日でもなお通用する技術水準です。氏は建築学会賞はじめ主要な賞を受賞しました。しばらくぶりの訪問でしたが、氏の設計思想に改めて接することができました。

サミット報道に見る諸外国インテリア比較

5月サミットが伊勢志摩で開催されました。ご当地の観光ホテルの会議室が首脳会議の会場です。仕事柄報道映像や新聞の写真でインテリアの様子、高さ、広さ、デザインに目がゆきます。私は日本の伝統建築が大好きで、茶室、寺社を見学し、資料ファイルし、スケッチしたりしています。しかし、欧米の建築を知っている立場から天井高さについて考えてしまいます。オバマ大統領の執務室、オランド大統領の執務室、あるいは欧米諸国の会議室の映像がでると、その天井高さに驚きます。4メートルはあると思います。インテリアデザインも豪華です。伊勢志摩サミットの会議室で首脳が会議している写真を見ましたら天井高さは3メートル程度と思います。外国首脳は「なんて天井の低い部屋だ」と感じたでしょう。その役割にふさわしい天井高さや部屋のしつらえが必要です。

港区の公共事業で工期延長、お咎めなし!

1年半前の12月、田町駅近くに港区スポーツセンターが竣工しました。総工費300億円程度の一自治体としては巨大な規模の施設です。工期が半年伸びました。町田市の公共施設で3か月工期延長があり、担当のゼネコンは1年間指名停止処分を受けました。町田市のホームページに掲載されています。港区スポーツセンターで半年の工期遅れですから、最低でも2年間の指名停止処分が考えられます。ところが完成後1年半経過しても何ら処分がされません。担当した施設課職員I 氏に聞きましたが、しどろもどろ、要領を得ません。契約課にも聞きましたが、明確な説明がありません。議会にも聞きましたが、どなたも関心をお持ちでないようです。私自身の区長時代の経験からすると、外部から大きな働きかけがあったのでは、と疑わざるを得ません。担当職員、議会にしっかり対応いただきたいです。そもそも最大でも30億程度の区の施設を建設する一自治体が、東京都でもめったにない300億円の公共施設の工事の必要性があったのか、という疑問に立ち戻ります。たとえ話ですが、高尾山の登山をしていた山男が突然エベレスト登山に挑戦するようなものです。恐らく施設課の職員は経験のない巨大な施設の発注、監督に右往左往したでしょう。将来の維持管理問題もあります。都庁舎の工事費は1500億円、完成から17年後の大規模修繕で700億円を使いました。ということは港区スポーツセンターは17年後150億円の大規模修繕費用が掛かります。その時150億円の大金は用意できるのか不安です。建築は完成したら終わりでありません。存続の間、維持修繕に工事費の2倍以上かかります。失礼ながら建築の素人はその点を理解していません。

港区長秘話ーその33 庁議の進行方法、率直な意見交換が大切

月に1回程度庁議が開催されます。港区の政策の最高意志決定の会議です。元区長の時は区長の議題に対し発言がなかったと聞きました。ある議題に対し部門の異なる部長から率直な意見が有意義です。総務課の若い職員が議事録を作成していました。会議活性化のため私が取った手段です。私が議長役ですが、同時に議事録を自ら作成しました。部長たちの発言は即、区長による勤務評定になります。部長たちは一議題に対し最低2回は発言するようになり、庁議が活性化しました。異なる意見、異なる視点の提案が重要です。その時の議事録は今でもファイルしてあります。部長たち、真面目に発言をしてくれました。当時の港区の庁議は活発な意見交換の場でした。今は知る由もありませんが、区長と2人の副区長は同期ですので、若干ぬるま湯的になっているのではと想像します。激しい議論もする緊張感が必要です。どの組織も。

港区長秘話ーその32、区長用コンピューターの文字変換

前のブログで書きましたが、港区長に就任し、コンピューターを設置するのの大騒ぎとなりました。S秘書の頑張りで倉庫に眠っていた旧式のコンピューターが設置されました。ところが驚き。入力の際「ミナトクチョウ」とキーをたたくと「皆特徴」「皆とく」あるいは「美奈とく」と文字変換され、「港区長」と出ません。仕方ないので「港」「区」「長」と分けて入力しました。港区が購入したコンピューターなのに「港区長」と文字変換されないとは!?

古いコンピューターで、時々不具合があり、その都度、メインテナンスの担当職員に来てもらい修理をお願いしました。ある時、私が不在の時に修理を頼んだのですが、区長室に戻ると、まだ修理中でした。問題はY秘書がその修理の場に立ち会っていないことです。つまり、修理担当職員は私のメールを全て盗み見したでしょう。幸い、銀座のマダムとの個人的なメール交換はありませんし(そういうことは一切ありません)、利権に関係するようなメールもありませんが、もし、人事や職員の評価などの内容がファイルされていたら一大事件です。Y秘書の秘密保持の意識に課題あり、今後そのような場合、修理に立ち会うようにと注意しました。重要な情報は入れないようにしました。盗聴については後日書きます。

環境激変順応型人生、多くの人生を体験

私の人生は「環境激変順応型人生と言えます。一般的には、学校卒業し、会社(役所)に就職し、定年まで勤務するという人生が多いです。

私は若い時、3度の海外留学とその後、港区長を体験しました。1969年、20歳、早稲田大学3年生の時アメリカ、オハイオ州にある姉妹校のThe College of Wooster交換留学しました。人口二万人の町にあり1500人の全寮制の大学です。プレスビテリアン(長老派教会)の設立です。到着し、日本人は私一人、ほとんど白人の学生、一部に黒人、留学生。勉強方法、教授や学生との付き合い方、日本と全く異なります。寮生活も全く異なります。そうした中、多くの教授、友人と親しくなることができました。今でも何人かとクリスマスカードを交換しております。次は1971年、スウェーデン、ストックホルムのカール・クリスティアンソン建築事務所に技術研修留学しました。周囲はスウェーデン人を中心にフィンランド人、ドイツ人です。スウェーデン人はアメリカ人気質とは全く異なりますが、スタッフとすぐ仲良くなり、楽しい研修生活でした。次は1974年フルブライト奨学金をいただきアメリカ、ヒューストン(人口規模全米第4位、当時は第6位)にあるライス大学建築大学院に留学しました。学生規模4000人の少人数の総合大学です。建築大学院の学生規模は75名。大学院長(クレイン氏)、科長ミッチェル氏、指導教授ピーター・ロウ氏等の教授陣に面倒みていただき、多くの友人ができました。知らぬところで知らぬ方と仲良くするコツを自然と身に着けたと思います。別の言い方からすれば、3度も異なる留学試験に挑戦したということです。その都度、書類作成など大変な準備と面接試験の緊張がありました。

平成12年6月、突然港区長に就任しました。全く知らない政治の世界です。議場での演説、答弁、様々な団体での挨拶、3000人組織の管理、上記のように、3つの全く異なる世界に順応してきましたので、自分なりの方法で多くの方と親しくなりました。きつい表現かもしれませんが、同種の世界で、ぬるま湯的な環境で、井の中の蛙のような世界で、長年生きる人生より、何倍もの多くの友人を作れ、全く異なる人生を楽しむことができたと思います。後輩たちにこうした人生を勧めたいと思います。区長就任後、3度の留学体験のお話をしました。「挑戦心がある」「異なる環境でも順応できる能力がある」「異文化理解ができる」などアッピールしたいと思いました。小さな設計事務所の社長をしていましたでは「なぜ区長になったのか、どういう能力があるのか」区民は疑問に思います。残念ながら前任の区長や一部議員、幹部の方から「自慢話をしている」など誤解されました。一方でそうした挑戦心がない、留学準備の膨大な資料作成をしたことがない、新しいことを学ぼうとしない(たとえば英会話)方が、ヤッカミ、嫉妬の気持ちで嫌がらせを言ってきました。世の中によくあることです。港区は「異文化理解」を標榜していますが幹部たちで本当に異文化理解をしている人物は少数です。長年港区役所に勤務し同じ職場の同僚と付き合ってきて、社会に異なる価値観の人間がいること理解が困難でしょう。英語を話そう、学ぼうとする幹部もゼロです。もっと異文化に挑戦しましょう。

ベルリン、イスタンブールなどの工事現場の美しいデザイン。

ベルリン、パリ、ローマ、イスタンブールなどの諸都市を歩いて感銘を受けることは、工事現場の美しさです。1999年ベルリン崩壊10周年の建築国際会議に出席しました。再開発の現場に強烈な赤の「現場展示場」が設置され、多くの観光客が工事現場を視察していました。また、仮設の上下水道管が道路上空を跨って設置されていましたが、ピンク、緑などきれいに塗装され、殺伐になりがちな工事現場の雰囲気をよくしていました。また、クレーンの色も工事現場の景観をよりよくする配慮がされていました。

2016年5月建築の国際会議でイスタンブールを訪問しました。石造の古い寺院の改修工事をしている現場で驚きです。仮設のシートは実際の石組みをプリントしており、遠くからはリアルな石造としか見えない配慮がされています。工事現場の仮囲いのデザインの美しさはパリ、ローマでも見ました。

日本の工事現場は清潔で安全配慮がされていますが、仮囲いのデザイン、景観配慮については大きな課題があります。広告物条例とも関連します。港区長時代、ある開発業者が青山通りの工事現場で美しくデザインした仮囲いを建て、青山通りに賑いを創出しようと考えました。その方が港区役所に広告物条例に基づき仮囲いのデザインの許可申請を出したら却下されました。都議会議員O氏がその方をお連れになり、区長室を訪問、事の経緯を説明しました。私は街を美しくし、賑いを出してくれるならありがたい話と理解し、東京都が施行している広告物条例の弾力的運用を部下に指示しました。広告物条例の本来の目的は都市を美しくすることです。実際は新宿歌舞伎町の繁華街のように写真を撮ると看板しか写らない都市が残念ながらできているのが現実です。広告物条例の運用について石原知事と議論してもよい、という覚悟で指示しました。そうこういっているうちに石原さん自ら広告物条例を改正、都バスのラッピング広告、都電のラッピング広告、電車のラッピング広告などあふれるようになりました。役人は厳格に法律や条例を執行するのが仕事です。上記の港区の職員は条例に基づき正しい判断をしました。そこから先は「政治判断」です。私は街を美しくするため、また、街ににぎわいを創出するため、当時の広告物条例の問題を指摘し、弾力的運用に踏み切りました。良かったと思います。