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港区長秘話その31、毎年1000万円奥さんに差し上げます。!

港区政を水面下で調整(別の言葉でコントロールと言えます)する人物がいました。現在もでしょう。世間的には無名の方ですが、その筋では有名人のようです。仮にK氏とします。区長時代「奥さんに毎年1000万円渡します」と笑顔で言われました。私は笑顔で即断りました。バカバカしく思いました。また、政治の世界はそのようなものかとも思いました。その元はどこから生まれるのでしょう。区長時代の現実の一コマです。

区長秘話ーその30 区長室のレイアウト・デザイン

学生時代オフィス・デザインの研究をしました。今流で言うところの快適オフィス。区長室(あるいは社長室)を訪問する機会はまずありません。たまたま区長室の主になり、専門家として感じるところが多くありました。1985年頃の設計です。設計は最大手のN設計。驚き、まずコンピューターの配線がない(区長秘話ーその24に既述)、天井が2.4mと低い、などです。区長室のレイアウトに問題がありました。扉の脇に衝立を置いてデスクが南面して置かれていました。光天井の位置は机からずいぶんずれて照明が暗いです。わかったこと、当初設計では、机は部屋の奥で、机に対し区長は北向きに座るようになっていました。光天井の位置からわかりました。風水を信じるかどうか別として、日本では古来指導者は南に向かい(あるいは東)仕事をする伝統です。北向きは縁起が悪いです。その時代の区長は任期途中で病死しました。その後の区長は、縁起担ぎで机の位置を北側に変え、南面して仕事したのでしょう。私の前任の区長はヘビースモーカー。机の上の天井を見上げるとたばこの煙で黄ばんでいました。トップの部屋のインテリアを研究したいですが、現在はセキュリティの問題もあり、至難の技です。設計者でトップの部屋のデザインをする際はぜひ私の経験をお教えします。

トップの部屋のデザインについて関心を持ったのは昭和48年、大阪にある文具、家具の大手K本社を訪問した時です。アポなしで、新築間もないK本社を訪問し「早稲田の建築の学生ですが見学させてください」と受付に申し出たら建築職の田中さんという方が、私の不躾な依頼にもかかわらず丁寧に案内をしてくださいました。その際、幹部フロアーも案内くださいました。セキュリティのことを気にしなくてよい時代でした。田中さん曰く「歴史的に指導者は南か東に向かって仕事をします。したがって、社長室は北側か西側に配置します。K社では北東に社長を配置し、机は東向きにレイアウトしました。」なるほどと感心しました。ご縁は面白いもので、港区長就任後、品川駅前(港区です)にK社のショールームがあり何かのイベントで訪問したら30年前にご親切に大阪本社をご案内下さった田中さんと再会しました。互いに不思議な縁を感じました。

港区長秘話ーその29 助役就任の際の区長への虚礼挨拶、廃止

平成12年6月から平成16年6月までの区長任期中、2人の助役(現在は副区長)の人事がありました。それまでの慣例で、助役就任の際、奥さんを伴って区長宅を訪問、挨拶をする習慣があると聞きました。欧米では大統領就任式、選挙活動、閣僚承認議会聴聞の際に、奥さんや子供が同席する様子を見て微笑ましいと思っておりましたので、幹部の奥さんと会話するのは有益なことと思いました。しかし、区長の自宅に来るとなると手ぶらでは来ません。菓子折り程度は持参するでしょう。下手すれば商品券等が菓子折りに入っているかもしれません。私はそうした虚礼挨拶は無しとすると厳命しました。本来は幹部の連れ合いの方とも様々言葉を交わし、信頼関係を築くことは大切です。しかし形式ばった挨拶、ゴマすりは無しがよいです。部下の訪問を受けご満悦するリーダは、その意識だけでリーダー失格です。リーダー論です。

港区長秘話ーその28 情け人のためならず、母の教えと障がい者団体との交流

平成12年6月28日区長に就任後、様々な団体との挨拶と交流が始まりました。視覚障害者団体である「港区盲人協会」の会合に出席しました。S会長は「港区役所の障害福祉政策は問題あり。区長は我々の苦しみがわかるか!」と激しい口調でした。港区役所の障害者施策に課題もあったのでしょう。また、S会長ご自身の大変な人生を背景に区長に訴えたい思いがあったのでしょう。同席した障害福祉課長W氏は答弁に困惑の体でした。私は2つ申し上げました。①私は1996年「地域の福祉施設」という本を書き、建築計画を通じて福祉の勉強をしてきました。②母が武蔵野市の盲人協会のボランティア活動(外出介助)を40年近く務めてきました。母がボランティア活動する日は家で私が食事当番をし、そういう点で私は母のボランティア活動を支え、母から視覚障害者の話をよく聞いておりました。の2点です。S会長は後日武蔵野市盲人協会に私の話が事実か照会したのでしょう。(さらには区長に就任する前の平成10年頃、東京都の福祉施策の行政評価の仕事も担当させていただきました。また、1981年から東京都高齢者事業振興財団の専門委員を務めさせていただきました。)

次の港区盲人協会の会合でS会長は「区長さんのお母様、原田先生(私の母は華道(日本いけばな百傑展同人)、茶道の先生をしていましたので、人により「先生」と呼ばれていました)には私どもの仲間が大変お世話になっておりありがとうございます」と温和な態度になりました。そういう方の息子なら信頼できます、とのことで障害者団体の皆様は少なくとも原田敬美は福祉に理解のある区長と認識をいただいたようです。(実際福祉の専門書や論文を書いた区市長はそう多くはいないと思います)母の長年のボランティア活動のおかげで港区長として福祉関係者と信頼関係の中で施策を推進することができたと思います。「情け人のためならず」の言葉を再認識した次第です。「福祉頑張ります」と空念仏のような政治家、公務員が多いのも事実です。

残念トルコのクーデター事件

民主国家トルコでクーデター未遂事件が発生しました。多くの犠牲者が出たようです。大変残念です。トルコには国際会議や大学で招聘され時々訪問します。友人も多くいます。建築仲間の話です。現大統領は2003年から首相、大統領を務め相当な権力者になってしまった。イスラム教と日常生活は別だという建国の理念から次第に遠ざかり、イスラム回帰の傾向がある。EU諸国から反発がある。シリア難民を受け入れたのは良いが250万人に達し、大きな負担となっているなどです。批判、不満を論ずるのは良いとして、民主的なプロセスで選ばれた大統領をクーデターで転覆させるのは許せないことです。トルコの政治情勢が早急に収まることを祈っております。私の親しいトルコの大学教授の奥さんはトルコ陸軍の将校です。お姉さんはトルコ空軍のジェット戦闘機のパイロットです。この事件に巻き込まれていないとよいがと祈っております。

マスコミなどアメリカを批判すれどほめませんが、アメリカの政治制度は成熟した民主主義です。オバマ大統領のように政治経験のない人物が大統領になっても、ケネディ、クリントンのような若い、政治経験の十分でない方が大統領になっても、軍や治安機関は国民から選ばれた大統領に忠誠を尽くすという制度です。

私自身の経験で言えば、政治経験のない原田が…無理だろう、「俺は何期も議員を務めた本当の影の区長だ」と裏で豪語する区議が数名いました。アメリカの民主主義を体験した立場からすれば、愚かな人物が地方政治を牛耳ろうとしていたということです。日本の地方政治のレベルの一端です。

防衛予算は人殺し予算に対するコメント

6月26日NHK日曜討論で共産党の藤野保史政策委員長が「防衛予算は人を殺すための予算」と発言がありました。発言後撤回しました。世界中のどこの国でも防衛予算があります。氏は世界中の国の防衛予算を人殺し予算と表現するのでしょうか?私事ですが私は1971年スウェーデンに留学しました。そこで知った事実です。人口800万人の国で軍人は60万人です。(プラス予備役兵が10万人います)人口の7.5%です。国防予算は国家予算の15%です。福祉予算も同率です。スウェーデンは国連PKOで紛争国に多くの兵隊を派遣しています。共産党はスウェーデンの防衛予算を「人殺し予算」とコメントするのでしょうか?中立国スイスは国民皆兵です。相当な防衛予算と想像します。スイスの防衛予算を「人殺し予算」とコメントするのでしょうか?自衛隊員は20万人程度です。スウェーデン、スイスと比べれば最小限の人数と言えます。中国、ロシアの防衛予算はどうでしょうか?幼稚園のこどものようなレベルの発言と感じます。私はブルガリア、ルーマニア等東欧の建築家とお付き合いがあります。共産党政権時代について否定的な意見を聞きます。1990年代モスクワ大学に留学した後輩の話です。パンを買うのに3時間待った、それが当たり前の生活で慣れてしまった。日本の生活を思い出すとすばらしい、とのことです。アメリカの社会問題はすぐ報道され、マスコミも多く批判します。欧米は批判は自由です。旧、現、共産主義社会の問題報道はほとんどないのは残念です。批判した場合のその反動を恐れ、批判を遠慮しているように感じます。

イスタンブール空港テロに対するお見舞い

6月28日夜(現地時間)トルコのイスタンブールのアタチュルク空港でテロ事件がありました。42人の犠牲者です。犠牲者およびトルコの親愛なる友人に心から哀悼とお見舞いの気持ちをお伝えします。トルコの大学や学会に招聘され、講演をしました。ちょうど一か月前にもイスタンブールで開催された建築学会で講演したばかりでした。ニュースで報道される事件現場をよく覚えております。少し前、イスタンブール大学近くで警察車両が爆破される事件がありました。3か月前には観光拠点のタクシム広場でも自爆テロがありました。早い安定をお祈りします。立派と評価するのは29日の早朝には空港が再開されたとの報道です。可能な限り通常に戻すのは対テロでの鉄則です。

シリア内線が始まり、エルドアン大統領は積極的にシリア難民を受け入れました。難民の数は現在250万人です。その人数をトルコが支援しているのですから大変です。尊敬すべき行為です。トルコが大阪市民、名古屋市民全員を食べさせていると想像すればわかります。大統領は当初内戦が早期に収束し、難民がシリアに戻ると予想していたようです。残念ながら内戦は続き、難民は増える一方です。

国際理解、異文化理解が不得手な日本、国際対応が不得手な日本、今後、冷静な分析の基、大いなる国際貢献が必要です。日本でテロを起こさせない社会の仕組みが必要です。フェイスブックを通して多くのトルコの友人から「私は無事です」というメッセージが送られてきました。一日でも早い交渉が味なます。