日別アーカイブ: 2016年8月1日

学生時代の人生目標、フルブライト留学

1967年18歳、早稲田大学建築学科に入学しました。海外留学し、外国の建築を見たい、学びたい、海外で仕事したいという気持ちがありました。たまたま建築計画(デザイン)の教授穂積信夫氏と知遇を得ました。氏はフルブライト留学でハーヴァード大学大学院で学び、世界的な建築家サーリネン建築事務所で研さんを積み、帰国後早稲田大学教授に就任した経歴の方です。当時は今のように自由に海外に行ける時代でありません。大卒初任給が2万円台、ロサンジェルスまで飛行機代往復25万円以上でした。奨学金をいただかないと留学はできません。穂積先生を目標に、自分もフルブライト奨学金をいただきアメリカに留学しようと決意しました。

高校時代の友人が死蔵していたリンガフォンのレコードを借り、複製しました。毎日聞きました。FEN(米軍の放送)を頻繁に聞きました。Asahi Eveningを毎夕買い、朝日新聞の天声人語、社説と読み比べしました。専門の建築の勉強は当然ですが、英語を毎日必死で勉強しました。穂積教授からも英語を使った建築デザインの理論について個人レッスンを時々していただきました。運命のいたずらか、2年生の最終日、穂積先生から早稲田の交換留学試験を受けなさいと勧められ、受験(大変な緊張でした)、合格、1年間、姉妹校のオハイオ州The College of Woosterに3年生の夏から留学しました。(緊張の1年でした)4年生の時は技術研修留学でスウェーデンのカール・クリスティアンソン建築事務所で研修留学しました。オフィスデザイン、快適オフィスの実践、研究です。大学院に進学し穂積教授の下で研究を進めました。修士課程在学中、日本建築学会の設計競技に2度挑戦、幸い2度入選しました。(連日徹夜し図面を作成しました)また、修士課程の2年間に建築学会に3本の論文を提出、さらに、専門雑誌などに論文を寄稿しました。そうした成果を踏まえ、フルブライト奨学金試験に挑戦しました。大変な緊張感だったように記憶しております。緊張感はその後の社会経験に役に立ちました。幸い審査員一致で首席で推薦をいただきました。ハーヴァード大学、コロンビア大学、コーネル大学などの推薦をいただきましたが、かねてから考えていましたライス大学建築大学院に留学先を選びました。

フルブライト留学は私の青春そのものです。自分の汗と努力の結晶です。強い挑戦心持ち主の証です。ところが港区長時代、元区長や庶務担部長のN氏からフルブライト留学についてイチャモンをつけられました。人生様々あること、異文化を理解しようとしない姿勢には困りました。他人の人生否定です。ちょっとは英語を勉強してみたらと言いたくなりました。ヤッカミの類でしょうが。

東京都知事選、アメリカ大統領選と比べ、

平成28年7月31日新たに東京都知事に小池百合子氏が当選しました。今後の活躍を期待したいと思います。アメリカ大統領選挙が進んでいます。日米比較です。都知事選挙は立候補表明と選挙期間でわずか1か月。候補者選びはブラックボックス。アメリカ大統領選挙は1年かけ、出たい方が手を挙げ、候補者同士で論戦を繰り返し、投票で候補者が最後1人に絞られる仕組みです。すべてガラスボックスです。1年近い選挙戦で、候補者の理念、過去の実績、家庭環境まで明らかになり、全てが総合的に評価されます。今後、知事選、市長選など、十分な時間をかけ、候補者同士で何度も論戦を重ねる方式も検討されたらよいと思います。

アメリカの大学で学長、学部長、大学院長の人事も、日本の年功序列と異なり、選考委員会が設置され、数か月もかけ、全国から様々な候補者がリストアップされ、教育理念、経営理念、実績など、評価され、決定されます。私が留学したライス大学建築大学院の院長人事の場合、60人くらいの候補者がリストされ、そこから1人が最終的に選ばれるというプロセスでした。また、私の指導教官は45歳でハーヴァード大学建築大学院長に就任しました。日本ではありえない人事です。オバマ大統領が就任した際、住宅都市開発省長官に就任したのは42歳の元ニューヨーク市役所住宅局長、教育長官に就任したのは44歳の元シカゴ市役所教育局長。

国際化という流れの中で、欧米流の選考方法、人事を検討する時期でないかと思います。