8月14日西鉄(現西武)、国鉄(現ヤクルト)で活躍した豊田さんの死亡記事を見ました。中学3年生の昭和38年8月TBSのラジオ放送で「わんぱく選手集まれ」という番組に、知人(千代田区麹町3丁目の町会役員F氏)の紹介で私と友人3人が出ることになりました。ゲストは王さんと豊田さん。事前に、紹介者から、王選手のほうが人気が高いから、王選手ばかりに質問しないようにと注意されました。収録は金曜日の昼、放送は日曜日の巨人・国鉄戦前です。当日、王さんはスランプを理由に欠席、豊田さんお一人の出演となり、我々が豊田さんに質問するという形式で番組が組み立てられました。提供は「ママビス製菓」。(今でも覚えています)スタジオで会いましたら、豊田さんの大きな体に驚き、端正な顔つきに驚き、紳士的な話し方に驚き、と驚きの連続でした。細かい内容は忘れましたが、話し方がうまく、我々中学生の質問に合わせ、答えてくれました。事前に仲間と質問の打ち合わせをしました。その年豊田さんが西鉄から国鉄に移籍したのでその理由を質問しようと提案したら、友人が「それは失礼だよ」と却下。社会経験を積んだ今、様々な人間関係があったことは推測できます。練習時間について質問しました。「夏場は暑いのでバテますので練習はしません(できません)」との回答でした。豊田さんのお話、サイン(今は行方不明)、スポンサーからのお土産のクッキーを手にわくわくの気持ちでTBSを出ました。豊田さんは引退後は頭脳的な解説で人気がありました。
訃報記事に豊田選手はサインに「栄光は努力」と書いたそうです。また、「だめになった仲間は酒や女で快楽を覚え、一気に堕ちていく。それを見て必死にならざるを得なかった」と記載されています。すばらしい教訓です。中学生の時の思い出の一コマを作ってくださった豊田さんに感謝です。