リオ、オリンピック、シンクロで乾・三井組が銅メダルを獲得。おめでたいことです。インタビューでひどい時は一日12時間も特訓した、とのことです。その特訓の成果が実り何よりです。
私は昭和42年(1967年)早稲田大学入学し、割り当てられた一般教養の英語の授業のM講師の話。「戦争中、米軍は日系人を講師に一日8時間一か月の特訓である程度日本語を理解でき話せるように訓練し(訓練中は日本語のみ話すように強制)、捕虜の尋問、日本軍の通信の傍受、分析をした」。要は1日8時間特訓すれば1か月後にある程度英会話ができるようになる、というお説教でした。M講師の話を聞き、「よーし、やってみよう。将来はアメリカ留学だ」と思い、夏休み実践しました。高校時代の友人I君が持っていたリンガフォンのレコード(買うと高額です)をテープレコーダーでテープに録音。教材は父にお願いし、父の職場で導入したばかりの唯一のゼロックスでコピーしてもらいました。I君に何を御礼したか覚えていません。30代でI君はニューヨークに移住、数年前I君は亡くなったと聞きました。私は高校時代、英語は赤点の劣等生、英会話も全く技術を持っていないゼロ状態です。夏休み特に予定もないので8月は決意しM講師の教え通り8時間英会話の特訓しました。FEN(米軍放送)を毎時5分間のニュースを聞き、テープで録音し、ディクテイション(文字に書き取る作業)をしました。文字を書き取る際、何度も録音したニュースを聞き返しました。自分では成果がわかりませんが、夏休み後の9月の英語の授業でM講師から発音が良くなったと褒められました。何事も1か月特訓するとある程度成長するものと悟りました。
現在も、CNN放送を深夜1時間、昼休みNHKラジオ英会話を聴いて耳を慣らすようにしています。毎日インターネットでニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、アメリカ建築学会の「Architect」を読んでいます。英会話力ゼロから特訓である程度身に着けました。
港区長時代、こうした経緯を理解できず、英語を話す区長に嫌味を伝える元区長や一部議員、庶務担部長がいました。努力には敬意を払うべきです。また、国際都市港区と言われる区役所として恥ずかしいことです。