日別アーカイブ: 2016年8月26日

港区長秘話ーその38 余計な仕事したくない?U助役の本音

港区長時代、アメリカ大統領ブッシュ氏が夫婦で来日しました。新聞報道によるとブッシュ夫人は小学校を視察したいとのことです。私はご婦人が港区内の小学校に視察に来ていただけると、児童にとり一生の思い出になるから、心の中で是非港区内の小学校に視察に来ていただけるとよいと思いました。私事ですが、私が学生時代に留学したのはテキサス州ヒューストン市にあるライス大学。ブッシュ氏はテキサス州を地盤とする政治家。先代のパパ・ブッシュは1990年サミットのホストとしてライス大学を会場にサミット会議を開催しました。そうしたことからもブッシュ大統領に親近感を感じておりました。

結果として大統領夫人は中央区内の小学校に視察しました。私個人としては残念という思いでした。ところが当時のU助役は「大統領夫人が港区に来なくてよかったですね(来ると様々事前の準備など大変、余計な仕事が発生する)」と私にささやきました。「ばか者」と即座に叱りつけたかったですがグッとこらえました。要は「面倒な仕事、余計な仕事はしたくない」というバカ役人の本音が出ました。港区の子供にとり、アメリカ大統領夫人と会い、話を聞き、場合により夫人と会話をする、握手をするということで子供たちにとり一生の楽しい思い出になります。そうした子供たちの夢よりも、自分の仕事の都合を優先し、面倒だから、…という本音は情けないことです。U氏の本音を見たり。こういう人物の下で仕事をする部下は、かわいそう、あるいは積極的な仕事への取り組み姿勢が削り取られてしまいます。後日関連のエピソードを書きます。

港区との赤い糸、不思議なご縁

昭和54年(1979年)父が所有する港区のマンションに結婚を機に引っ越しました。港区民になりました。(マンションの賃貸料という形で父親に一定額支払い続け、相続の時は全く問題ありませんでした。こうした長期間の相続準備も大切なことです)

事務所を開設するにあたり、当初、知人の後楽園の事務所を間借りする形で仕事をしましたが、しばらくして早稲田の先輩で六本木で不動産業をしている方に「とにかく安い事務所(たとえば町工場、駐車場のような空間で結構ですと言って)を探してください」とお願いし、現在の六本木の事務所をご紹介いただきました。港区内事業者になりました。

昭和58年(1983年)港区役所企画課の副主幹(課長級)のTさんという方から自宅に電話がありました。お会いすることになりました。「港区長の私的な諮問機関として港区まちづくり懇談会、座長は世界的建築家の丹下健三氏、という組織がありますが、メンバーは相当高齢で、区長から若い区民を入れろと指示があり、若い人材を探した結果、原田さんにお願いすることにしました。」という内容でした。名簿を見て驚きました。丹下先生はじめ港区に住まう著名人ばかりです。恐縮しながらお受けさせていただきました。2か月に1度の開催です。委員報酬は、著名人を対象にしていますの当時破格の3万円。若造の私にとり大金です。当時の区長の死去に伴い懇談会は解散。その後、港区役所で様々な公職を依頼されました。40代(1990年代)になり、港区役所で頼まれる委員の数が増えました。野党議員と直接対決する機会も増えました。港区役所から事前の説明を受けませんので、当日ぶっつけ本番の議論でした。何でも反対する野党議員の委員に積極果敢に反論、区側の政策提言に対し前向きに発言するスタンスは当時の港区役所の幹部たちからは結構頼りにされたと思います。

その時の区長が突然引退表明、後でわかったことですが、評判のよくないいわゆる利権屋議員が出馬準備をする中で、適当な候補者が見つからず、港区のいくつかの委員会で元気に発言していた私が候補に指名されました。目に見えない赤い糸、不思議なご縁を感じます。目に見えない糸、ご縁を大切にしましょう。

 

 

アメリカの大学の親切さ、日本の大学は?

1969年早稲田大学の交換留学生としてアメリカに1年間留学しました。いずれアメリカの大学院で建築の専門的な勉強をしたいと思い、多くの大学院に案内書を請求しました。B-5サイズ程度、厚さ2㎝位のカタログが送られてきました。無料です。カタログには大学の理念、シラバス(授業内容)、入学志願の手続き、教授陣リスト、教授陣の経歴などが記載されています。手紙が添付され、「我が大学にご関心を持っていただきありがとうございます。何かご質問がありましたらご遠慮なくご連絡ください」と書かれていました。日本に帰国後も多くの大学にカタログ(案内書)を請求しましたが、航空便で送られてきました。日本の大学でこのようなサービスをする大学があるのだろうか?と思いました。こうした親切な対応があるから、世界中の若者がアメリカの大学で学ぼうという気持ちが湧いてくると思いました。

カリキュラムを見ると面白いことがわかります。①一斉入学試験ではありません。書類選考です。海外から気楽に応募できます。3通の推薦状、応募理由書、成績証明書、自己PR(クラブ活動、地域活動、専門分野の能力の自己PRなど)、外国人の場合に英語能力を証明する試験成績書(TOEFL、TOEIC)などの書類を提出します。②日本にないダブル・ディグリー・プログラム(1度に2つの修士号を取得する)、おそらく未だに日本の大学ではこうしたカリキュラム体制はないと思います。③教員の経歴を見ると、学士、修士、博士の学位を取得した大学がほとんどの場合、異なる大学であること(日本では、学士、修士、博士、ほとんど同じ大学です)、④大学教授はほとんど他校出身者であること。(しがらみ、利害関係を排除し公正な大学運営をおこなうため)こうした点も日本の大学は参考にすべきです。

私は、最初の留学の時に友人や先生方から建築の大学院ならヒューストンのライス大学がいいと話を聞いていたので、(小規模大学、ヒューストンという都市は面白い(当時人口100万人から現在200万人で全米第4の都市に発展、建築や都市を勉強するのに適格)ライス大学に絞っていました。早稲田の大学院生の時、ライス大学に入学したいと経歴書や研究実績やデザイン受賞の実績を送りましたら、驚きました、学科長から「あなたを受け入れます」と返事がありました。入学合格の手続きが非常に弾力的です。こうした選考方法も面白いと思いました。ライス大学の学科長は、私の2度の留学、日本の建築学会などでの論文寄稿実績、日本建築学会での設計競技の入賞歴などで問題ない志願者と判断したのでしょう。

大学から定期的に送付される同窓生向けパンフレット。最初の留学先のThe College of Wooster, 2度目のRice Universityと2つの大学から春夏秋冬、週刊誌程度のニュースレターが送付されます。また、大学学長から「Keimi Harada」と宛名が記載された手紙(大学の近況など)も送付されます。無料です。日本の大学でこのレベルのサービスをしている大学があるでしょうか?こうしたサービス内容も日本の大学は参考にすべきです。

私は独立自営の立場ですが、現在でも時々国際会議や海外の大学に招聘され講義、講演をします。その時面白いことを発見、体験すると、せっかくだからと思い母校の総長あてに手紙を書き、資料を添えて送ります。私自身港区長を体験し、投書などの取り扱いに慎重に丁重にしておりました。「お手紙ありがとうございました。大学運営の参考にさせていただきます」などの返信は全くありません。ご多忙な総長から直接返信をもらう期待はしませんが、組織として総務課長、秘書が代わって、そうした投書に対応するのが社会マナーです。そういう点、母校のシステムは大きな問題アリです。世界大学ランキングが報道されますが、そうしたサービス精神も上記の内容と含め、低く評価される要因の一つと思います。総長、役員、事務局スタッフはもっと世界の大学の諸状況について勉強すべきです。感覚が明治時代の象牙の塔を未だに抱いているように感じます。テレビなどで大学教授は評論家として政治、社会批判をしていますが、最も批判されるべきは欧米の大学と比べ、旧態依然たる、サービス精神に欠如した大学かもしれません。