日別アーカイブ: 2017年2月20日

豊島区文化芸術賞を。文化芸術でホットな地域。

昨年、豊島区役所で研修講師を依頼されました。文化芸術都市づくりのための戦略について語りました。豊島区は池袋駅前に民間資本を活用し8つの劇場を建設します。私は「豊島区文化芸術賞」の提案をしました。その賞をきっかけに世界に羽ばたく人材を育てる提案です。その際の基本的考えです。審査方法についてと文化芸術の人材養成の資金的支援についてです。また、劇場都市を支援する都市計画制度です。

オザワセイジ氏は最近の読売新聞のインタビューで「貧乏日本人若手指揮者がパリのコンクールに出場、カラヤン、バーンシュタインが自分の才能を認めてくれた。日本の体制側は親分子分のような体制で問題多い」と日本の芸術文化の体制に批判の発言がありました。欧米の審査ではオザワセイジ、視覚障害のピアニスト辻井さんがテキサスのバンクライバーンコンクールで優勝、ヨーロッパのバレーコンクールで日本人の若手バレリーナが優勝、入賞、斬られ役の脇役俳優がカナダの映画祭で入賞、大きな話題となり、こういう人材がいるのだという再認識をさせられます。ノーベル賞も同様です。日本の審査員は何をしていたのか、何もしない、何もできなかったということです。海外で入賞し、その後日本で評価するのは順番が逆です。芸術文化学術の審査の哲学、基本姿勢の違いを感じます。日本では師匠のお手伝いをし、まねをすることが評価される基本視点です。欧米のコンクールは「いいものはいい」出自、国籍、出身大学、障害に無関係に良いものは良いと評価します。日本は審査員自身、変な自制心があるのか、オーソドックスな方を評価する傾向にあります。後で審査委員自身が「なぜあの人を選んだのか?」と批判されるのが嫌なのでしょう。また、特定の人(たとえば審査員の弟子)を別の理由で評価し、本来の能力を評価する能力がないのでしょう。豊島区文化芸術賞はたとえば東南アジアの若手芸術家を見出し、賞を与え世界に飛び出すきっかけづくりとなるような審査をすべきと提案しました。(日本の体制側の審査員では無理です)

もう一つは資金的支援です。ニューヨークメトロポリタンオペラの歌手の「平均」年収は3000万円、楽団員の「平均」年収は2800万円。スウェーデン留学時代の1971年、スウェーデン政府発行の賃金統計を見て驚きました。20代の俳優、音楽家の月給は一般の給与所得者よりも高額です。文化芸術に対する経済的価値の評価が異なる、また、ユニオン(労働組合)がしっかりしているのでしょう。東京都交響楽団、N饗の平均年収は、おそらく、600万円から700万円と想像します。日本の芸術家はこのような報酬で世界と戦えません。豊島区が芸術家のスポンサーとなる仕掛けを検討されたらどうか、と提案しました。

次に、劇場文化都市を支える都市計画制度の提案です。ニューヨークのブロードウェイはニューヨーク市独自の都市計画で沿道の建築は全て劇場と義務付け、その代わりボーナス容積を与えています。夜間賑いをかもし出し、犯罪減少の抑止効果、来街者の増加による経済活性化につながっています。地区計画制度や広告物条例の活用(現行の広告物条例で歌舞伎町の広告物の混乱が生まれています。一方の意見でこの混乱が素晴らしいと評価する方もいますが)、看板の単体規制でなく全体規制、誘導をご検討されてはとご提案させていただきました。

豊島区は今や芸術文化で東京、日本で、最もホットな場所です。期待しております。

港区長秘話60、金正男事件に思うこと二題。

金正男氏が殺害されました。大きな報道で、また、背景説明がされています。思うこと2題。2001年偽造パスポートで日本に密入国、逮捕され国外追放されました。今や公然情報ですが、区長時代親しい警察関係者から「金正男氏が(港区内の)赤坂の韓国クラブを頻繁に訪問し豪遊していたことは承知していた」と聞きました。この話はすでに多く報道されていますが。ここから一点。日本政府の外交べたです。金正男氏を切り札に大胆な毅然たる外交を展開すべきでした。日本的に事を荒立てず、まーまー方式での対応でした。

殺害の背景。様々な報道で異母兄弟の金ジョンウン氏が金正男氏の影響力を恐れ、また、マカオでの氏の経済活動(利権)を敵対視したという解説があります。私は政治家でなくたまたま頼まれ区長を務めました。政治的野心も全くなく、マイペースで好きな仕事をしてきただけの人生です。区長退任後、港区内のいくつかのサークル活動に誘われ、社交と思い参加しました。ひたすら仲良くし、政治的発言は一切なしです。数年前サークルの責任者から「原田さんは元区長とどういう関係か?」と聞かれました。やんわり適当に回答しました。質問が唐突で違和感を感じました。元区長氏からある種の圧力があったのでしょう。しばらくしてそのサークル活動に居ずらいような体験をしました。居ずらいし逆にそのサークルにご迷惑が掛かってはと思い、退会しました。元区長氏は地域活動を支える文化スポーツ財団理事長、体育協会理事長を務めていました。原田がサークル団体で楽しく活動していることをよしとしなかったのでしょう。バカバカしい限りです。幼稚園生レベルの仕掛けです。人生、こういうこともあるという例です。私は専門的な知見を有し、国内外に特殊なネットワークを持っていますから他のサークルからも時々お誘いをいただきます。そのたびに「区役所にご迷惑をかけるといけませんので」とお断りをしております。私はある種のイジメと認識しました。

港区教育委員会は数年前いじめ事件を踏まえイジメに関するシンポジウムを開催しました。私は教育委員会の幹部に港区の上層部がいじめをしていて何がいじめ撲滅シンポジウムだ、何なら私が会場で発言しましょうか、とソフトにかつ冗談風にお伝えしました。

港区長秘話59、石原元都知事の目撃談2題?

豊洲問題で石原基都知事の名前が報道で出るようになりました。港区長時代に石原さんと接触する機会が2度ありました。一度は数人の区長と都知事の懇談の席、二度目は都営地下鉄汐留駅の開通式です。報道で威勢のよい発言をする方という印象がありますから、面白い挨拶を期待しました。

一度目。区長会幹事との懇談会の席です。テーブル席で目の前にいる石原都知事が最初に挨拶をしますが職員が作成した挨拶原稿を全くの棒読み。我々のほうを一切見ずただひたすら原稿に目をやり読んでいました。報道で威勢のよい自らの言葉での発言は一切ありませんでした。懇談の席ですから、デリケートな問題の議論の場でありませんから、数人の区長を前にご自身の言葉で挨拶をするべきでした。面倒くさがり屋、区長たちを小ばかにしているなと印象を抱きました。

二度目。地下鉄大江戸線汐留駅の開通式で。控室で石原都知事、当時の都議会議長M氏、港区の私と3人が式典を前に待機していました。都議会議長M氏が都知事に「(汐留駅のそばの)浜離宮庭園を入場無料にしたらどうか」と語りました。石原都知事は「それは無理でしょう」。式典が始まりました。最初に石原都知事が挨拶。突然「浜離宮庭園の無料化を検討したい」と始めました。都議会議長氏のアイデアのパクリです。しかも数分前の発言と正反対です。行き当たりばったりの発言です。私も驚きました。そばにいた東京都の幹部は驚きました。所管の建設局長は驚きました。その時の気分で、思いつきでしゃべる方と感じました。信頼をするに難しい方と感じました。東京都と区長会との財源問題でも同様の発言がありました。それは別の機会で。