月別アーカイブ: 2017年3月

子供時代、父親からのプレゼント、その影響?

小学校2年生の頃と思いますが、父親からクリスマスプレゼントに鉄道模型のOゲージのレールとEB58というタイプの電気機関車の模型、交通信号機の模型セットをもらいました。子供ながらすごい衝撃だったので今でもその時のシーンを覚えております。買った場所は新宿東口駅前の、間口一間か2間の狭い模型屋さんだったような記憶です。(当時の店は皆その程度の規模)深夜、目をさまし、眠い目をこすりしているとOゲージのレール(幅32mm)が敷かれ電気機関車が動いていました。機関車が通過するたびに信号が青から赤に変わりました。子供心に、模型の面白さ、電気システム、信号制御に関心を持ちました。戦後の住宅ですから狭い部屋でしたが、部屋いっぱい模型のレールが占めていました。今思うと、父親のボーナスを全部つぎ込んだのではと思います。3,4年生になった頃、昆虫図鑑、植物図鑑、地理図鑑といった図鑑のセットをもらいました。どちらかというと理系の知識を図鑑(きれいな絵だったことを覚えています)で学びました。また、その頃、顕微鏡をプレゼントでもらいました。100倍、300倍、600倍の3種類の倍率でした。あちらこちらからサンプルを持ってきて、眺めました。今思うと、父親からのプレゼントがその後の進路選択に結構影響を受けたかと感じております。

私の子供の場合、プレゼントはあまりあげなかったような記憶ですが、海外に関心を持ってほしいという私の願望で、国際会議の際、子供を順番に連れて行きました。アメリカ、アルゼンチン、トルコ、スウェーデン、パリなどです。訪問地の先々で「スリがいるから気をつけろ、ひったくりがいるから気をつけろ、暗がりにピストル強盗が潜んでいるから気をつけろ、夜は地下鉄は危ないから乗らない」と厳しく注意喚起をしたせいか、外国の都市は危ないと思ったのか、だれ一人海外に関心を持ってくれませんでした。反面教師というのでしょうか。

港区長秘話66、区長就任後、校長・園長会での挨拶。

港区長就任後様々な場所で挨拶をしました。その一つで小中学校長、幼稚園長会での挨拶がありました。一般的に担当部門の職員が挨拶原稿を作成します。その時は一切事務局が作成した原稿を見ず挨拶をしました。少し長めの挨拶だったと思います。

(1)校長先生の役割は、卒業生が10年、20年後、振り返り、自分が卒業した小学校、中学校の生活は楽しかった、よい先生に出会った、良い仲間に出会ったと、同窓会、同期会で会話をできるよう、現在の教育環境を整備すること。

(2)具体的に、学校内で暴力行為などあれば、校長先生は体を張って問題に対処してください。間違っても事件、事故が生じないようにしてください。もし、事件、事故が生じると、卒業生は同期会、同窓会に出席したくなくなるでしょう。もし、出席しても通夜みたいな会話をすることになるでしょう。

(3)校内暴力など生じた場合、学校だからという遠慮が働いてはいけません。事件と認識したら直ちに警察に通報し、警察に事件解決を委ねてください。子供の喧嘩に警察が出てきたなど、もし、マスコミなどの批判があれば私が責任もって全て対応します。

(4)個人的なことですが、高校時代、英語で赤点(不合格)を取った人間が、指導者の教育方針で、海外留学を3度したこと、高校時代、国語で赤点を取った人間が、朝日新聞の部長(後年社長)に文章が気に入られ39歳で朝日新聞のコラムニストを2年務めたこと、指導者の存在は大きいという自らの体験。

以上のような内容を熱い気持ちで語りました。また、後日、改めて、若い時視察したアメリカの小中学校の教育制度、学校税(日本にはありません)、教育事情、学校施設の事例など校長先生に講演しました。

 

 

 

アメリカ連邦政府住宅都市開発省長官人事

日本の国土交通大臣とほぼイコールのアメリカ連邦政府住宅都市開発長官の人事についてです。予算規模5兆円、職員数8000人の規模です。

オバマ前大統領の時は、ショーン・ドノバン氏でした。就任時43歳。前職はニューヨーク市役所住宅委員会委員長(アメリカの自治体では、教育委員会、公安委員会などのように、部局ごとに委員会が設置され委員長が行政のかじ取りをする仕組みです)を務めました。公共住宅の供給に辣腕をふるいました。東京都庁なら43歳ですと早い出世の方でも統括課長です。(それでも立派ですが)。学歴は、ハーヴァード大学ケネディスクール(公共政策大学院)と建築大学院と2つの修士号を持っている専門家です。住宅都市開発長官にう適材人材と思いました。

トランプ大統領はベン・カーソン氏を長官に任命しました。(黒人、65歳、脳神経外科医。イェール大学学部卒、ミシガン大学医学大学院博士課程卒、大学院時代、猛勉強をしたそうです)脳神経外科医としての実績で多くの名誉博士を授与され、また、2008年に民間人として最高栄誉の大統領叙勲を受けました。2015年に共和党のデトロイト地区から大統領選の候補に指名されました。住宅都市開発長官のポストはカーソン氏の専門領域からすると異なりますが、住宅政策、都市政策は広い意味で健康、福祉に強く関係します。カーソン氏の今後の活躍を期待したいと思います。

新聞記事「日本の科学研究失速」、科学研究体制の構造改革

新聞記事にイギリスのネイチャー誌の引用で「日本人研究者の論文件数が5年間で8%減少、イギリスは48%増、中国は17%増。今後10年で日本の地位は低下の恐れ。」とありました。研究組織の構造改革をしなければなりません。欧米の事情を多少知っている立場から、日本の研究体制はタコツボ、家元制度、徒弟奉公です。欧米は、リーダーが5年から10年で入れ替わり、横断的で、世界のあらゆる国から参加し、潤沢な予算で研究をし、自由な議論をし、成果を挙げています。欧米と競争するため、研究の仕組みを変えなければなりません。

Nature誌、平成28年5月に日本の海上保安庁の科学論文が掲載されました。すばらしいことです。南海トラフの想定地震域で、海底の地殻変動を実測データに基づき、広範囲にプレート境界の「ひずみ」の分布を推定した、世界でも初めての画期的な成果です。成果の一部を知人からいただきました。素晴しい研究と思います。

海上保安庁の研究組織について知りませんが、研究リーダの方か総務部門の方が、面白い成果だからNATURE誌に投稿し、世界の判断を仰ごうと組織として判断したことも組織としての英断と思います。感度、意識の低い管理者であれば国内で発表すれば十分と判断したでしょう。大いに世界レベルの専門誌に積極的に寄稿するという姿勢も重要です。

仲間づくり、新人へのメッセージ。

大いに異業種の方と仲良くなりましょう。私は30歳で独立自営しました。外の情報を仕入れることは大切です。多くの知人、友人から異業種交流、勉強会にお誘いをいただき、異業種の方々と面識をいただきました。できれば自身の地位が確立する前につきあうとよいでしょう。留学生の集まりに出席しました。後年中央官庁のトップになった方と親しくなりました。都市問題研究で著名な柴田徳衛先生の勉強会に誘われメンバーになりました。メンバーの多くは地方公務員。中に都庁の局長になった方、港区の管理職員なった方などいます。行政の資料を頂いたり、港区長に就任した際助けていただきました。ある異業種交流に誘われました。メンバーは法律経済分野の方が多くいました。後年朝日新聞の社長、日銀の理事などに就任しました。そんなご縁で40歳の頃朝日新聞のコラムを依頼されました。建築家としたら畑違いの日銀の業務のお話を聞かせてもらいました。

港区長秘話58筆耕で困りました。

お習字はほとんど習ったことがありません。美術展で習字をみると感激します。区長に就任し一部の署名に筆で書かないといけないことがありました。退職の辞令などです。新聞紙で筆の署名を何度も練習し、本番に臨み心を込めて書きました。しかし上手とは言えません。精一杯書いた気持ちとして汲んでいただければと思っております。個性的な字を書き続けました。

 

港区役所の研究所と神戸市都市問題研究所の比較

数年前、港区役所が研究所を設立しました。その経緯について知りませんが、私の区長時代、幹部に神戸市の都市問題研究所のようなタイプの研究所を設立し、政策研究を活性化し、幹部職員の資質向上に活用したいとして検討の指示をしました。(私のアイデアのパクリでしょう)

神戸市の都市問題研究所は、現在のことは知りませんが、かつて私がお付き合いしていた頃の状況についてです。研究所の所長は市長、常勤の職員はおらず、企画課の係長が研究所の事務局を兼務。3か月に1回「都市政策」という論文誌を発刊しています。市長も三役も部長も課長も政策提言論文を寄稿します。部外者の専門家にも依頼します。毎期論文誌のテーマを決め、関係職員が寄稿、専門家にも依頼します。論文の字数は1万字。私もかつて神戸市の教育長の依頼で教育政策について論文を寄稿しました。1981年のことです。私のほか、神戸市の教育長、企画局の部長級職員、専門家2,3名が寄稿しました。

港区の研究所の所長は外部の大学教授。企画部長や企画課長が研究員を兼務しているようですが、課題は実態です。どの程度研究所の活動に参画し、政策立案をしているのか、また、当該分野に関わる部局の職員がどの程度参画しているのか、わかりません。本来、幹部が政策の検討課題、方針を寄稿し区民読者がコメントする、あるいは区議会議員も寄稿する、あるいはコメントする、というような方式とし、あくまでも、研究ベースの議論をするようにしたらよいと思います。最悪のパターンは大学教授のアルバイトになってはダメです。また、政策研究をしていますというアリバイ作りになってはいけません。要は実のある研究成果を出すことです。報告書読みました。問題指摘したくなる箇所が多くありました。

港区客引き行為等の防止に関する条例についてその3現場の声

港区客引き行為等の防止に関する条例について、前のブログで2度課題を提起しました。港区内の繁華街で港区役所の委託でパトロールしている警備員に条例の課題について質問しました。

結論、私の心配し、課題提起した通りの回答でした。具体化の困難さです。パトロールの時間帯の問題。実際客引きを目撃したとして、その人物を特定する手法の問題、その人物を働かせている店の特定の手法の問題があり、との回答でした。客引きを尾行し、その店のあるビルへの立ち入りは難しい、と話していました。武井区長の腕の見せ所です。期待しております。アリバイ作りではだめです。

CNN放送でFBI(連邦捜査局)長官の連邦議会下院での参考人質疑を見ました。

3月21日午前1時頃から1時間ほどCNN放送で、連邦議会下院の「諜報活動委員会」でFBI(連邦捜査局)長官ジェイムス・コミー氏に対する長時間の質疑の一部を見ました。コミー長官は「大統領選挙に対しロシアの干渉について十分な捜査をしている。」「連邦捜査局も司法省も、オバマ前大統領がトランプタワーの事務所を盗聴したというトランプ大統領の訴えを証明する情報は一切ない」と発言しました。

日本の国会中継や先日の都議会百条委員会の様子と比較し、アメリカの連邦議会での質疑は、裁判のやり取り、学会の質疑のような様子でした。双方が課題をピンポイントで質疑をしました。議員は(アメリカでは議員の多くが弁護士資格を持っています)は冷静に分り易い、的を絞った質問をしました。

日本の国会での議論を見ていると、どなったり、揚げ足取ったりの場面が多いと感じます。討論の方法についてアメリカの連邦議会の討論方法をもっと学ぶべきと感じました。

港区議会でも野党議員K氏は大声で怒鳴ったり、凄んだり、独立系のA氏は幹部職員に「バカ」と怒鳴ったりしました。しかも頻繁に。日本から見ると、アメリカの場合、2大政党ですが、国防、外交、治安など根本的政策方針に大きな差はありません。日本は、左右の差があまりにも大きすぎます。政党の数が多すぎます。

港区客引き行為等の防止に関する条例の課題のその2外国人客引き対策?

昨日、「港区客引き等防止に関する条例の課題を指摘しました。その2を書きます。六本木に多いアフリカ系を中心とする外国人の客引き対策についてです。客引きが多い現場で監視、注意、店名や店の住所の調査を担当するのがだれか、何時から何時まで活動するのか不明で、課題があります。担当する職員はどのような経歴かも不明です。外国人客引きに対し、言葉や文化の問題があります。港区の職員で英語を十分話す方は私の在任中はいませんでした。監視活動をする職員は外国人客引きにどのように対応するのか課題です。外国人だから、面倒だから、声掛けしないとなっては困ります。その可能性大と思います。

数年前港区の小型パトカーが走っている目の前で交通事故が発生しました。驚きました。港区のパトカーは何事もなかったかのように、走り去りました。本来、港区のパトカーは停車し、交通事故を起こした方に大丈夫ですか?と尋ね、すぐ警察に連絡するのが港区のパトカー乗務員の役割です。面倒と思ったのでしょう。あるいは、余計なことに口出すなと上司から指導されていたのかもしれません。この内容は近所の区議会議員に報告しましたが。条例を作って何もしない、対外的に「条例を作って頑張っています」と区長のアリバイ作りの条例になってはいけません。成果を出していただく必要があります。