1971年8月15日ニクソンショックがありました。ストックホルムに留学中でした。銀行の外為部門はドルとスウェーデンのお金の交換を2週間中止しました。建築の学生にとり理解できませんでした。後でいわゆるニクソンショックということがわかりました。ドルと金との交換を禁止するという当時のニクソン大統領の決定です。ストックホルムでの生活への影響はありませんでした。スウェーデンはじめ多くのヨーロッパの国はドルと現地通貨との交換を中止しました。日本では銀行の外為市場を開放つづけ、ドルとの交換を継続しました。世界で日本だけでした。したがって、いっそうドルが日本に入り込みました。理屈の上で、ヨーロッパのように外為市場を閉鎖すべきでした。新たな国際情勢の変化に大蔵省の役人はどのように対応してよいか判断に困ったようでした。
よく言われますが、日本のエリートは通常の事態に対しては強いが新しい場面になると、対応が下手、つまり、応用問題、創作問題の解決は増えてとよく言われることです。10月に日本に帰国しました。シベリア経由、ナホトカから船で横浜に到着。持っていたドルを日本円に交換したら、1ドル360円から330円と1割減っていました。円を基本とすると1割損しました。建築の学生ですが、通貨の意味、危機対応の即時性、緊急性を理解しました。建築の専門の勉強だけでなく、通貨の問題も勉強しました。