月別アーカイブ: 2017年4月

港区長秘話66。区長さんはどこですか?

区長就任しましたが、51歳、若く、貫録もありません。ある時お隣の増上寺で関連のお寺の高僧の通夜があり、出席要請がありました。多くの来客(ほとんどは僧侶)がありました。受付で若い僧侶に「港区長です」とご挨拶したところ、その僧侶は私の背後を見て「区長さんはどこですか、お席にご案内します」と発言。私のことを区長秘書と勘違いしたようです。私は「私が区長です」と発言。受付の僧侶「失礼しました。お席にご案内します。」と指定された席に案内されました。部屋中ほとんどが僧侶でしたが、100人以上の僧侶の読経の合唱はすごい迫力でした。

次の体験、大手ホテルで会合があり出席しました。公用車を駐車場に待たせました。会合でご挨拶をし、車の手配係の所に戻りました。「車を呼んでください」と手配係(かっこよい制服を着ています)に丁重にお話しすると(私は誰に対しても丁重に話します、元区長S氏と正反対です)、手配係氏は私の体を見渡し「タクシー乗り場はこの先です」と言われました。「私の車を呼んでください」と再度、丁重に話し、氏はやっと飲み込み公用車の車両番号をアナウンスしてくれました。貫録がないのでしょう。これでよいのです。偉そうに「おい、君ー!。俺の車を呼べ!」とでも言えばよいのでしょうか。私の周囲にこのような人物も結構いますが、私のタイプではありません。もっと言えば嫌いです。区議にもえばり散らす愚かなタイプが結構いました。役人にも民間企業にもいます。いずれエピソードをご紹介します。

1994年の北朝鮮を取り巻く情勢

私は建築家、都市問題研究者という立場で、国際政治の専門家でありませんが1994年の北朝鮮を取り巻く情勢についての体験です。私は学生時代から現在まで米軍関係者向けのFEN放送を毎日聞いています。仕事のBGM代わりになります。アメリカのヒットソングを多く流します。アメリカの最新音楽に触れることができます。毎時5分のニュース放送があります。英語の勉強になります。(英語教師はやってほしいことです。国際都市と言われる港区役所の職員もやってほしいことです。特に区長には。)

1994年のある時期、FENで異常な動きを感じました。アナウンサーが「休暇中の兵士、職員は持ち場に戻れ」という放送を何度も繰り返しました。素人ながら重大危機が発生したと理解しました。

その年、たまたま個人的にお付き合いのあったハーヴァード大学の日本研究部長も歴任された歴史学の教授を、友人の日本政府の関係者に紹介しました。教授はその数年前に北朝鮮を訪問した経験があります。偶然のタイミングとはいえ、日本政府は北朝鮮情勢について様々な視点から勉強したいと思ったのでしょう。

受験の運型と確信型

大学入試以降、多くの試験を受けました。3度の留学試験、国家公務員試験、一級建築士、技術士試験、博士号公開試験、その他資格試験です。結論、受かる時は受かる、受からない時は受からない、です。もちろん準備はベストを尽くさなければいけません。運型合格と確信型合格についてです。

1 早稲田大学2年生の時、指導教官から交換留学の試験を受けるよう勧められました。急な話で、明日試験があるとのことです。覚悟決め受験しました。「やったー」とはこのことでした。英作文の試験でタイトルは「これからの高等教育について」でした。1年生の時の英語の教科書はコロンビア大学学長グレイスン・カーク氏のコロンビア大学200年祭の記念講演集でこれからの高等教育の役割についてでした。その内容を思い出し書きました。1年生の時、留学前提で英語の授業を真面目に受講。英語の成績はほぼ満点でした。留学試験の英作文の出来はどうか不明ですが、書いたことはすなわちコロンビア大学学長の講演の内容を基にしていますので、採点者はこの受験者(原田のこと)はかなり高度な知識を持っていると思っていただいたと思います。無事合格。

40歳頃技術士を受験しました。朝9時から夕方5時まで、昼食を除き、論文の執筆試験です。冷房が効かない大学の教室が受験会場で、5時に終了した際、汗を拭いたタオルは汗でびっしょり、鉛筆を握った右手は感覚がありませんでした。二度と受験したくないと思いました。午前中は自らの仕事の経験に基づく論文試験2本。午後はいくつかの専門分野の論文試験。「やったー」と思った論文タイトルがありました。「道路と建築の一体開発について」というような内容だったと思います。32歳の時、首都公団の委託で首都高速建設のため再開発事業をし、建築の中に高速道路を通すという研究でした。留学中の体験でアメリカ、ヨーロッパで建築と道路が一体になった開発事例を承知していました。回答に、多くの事例を書き、その特徴や問題点を書き、今後の日本での課題について書きました。恐らく事例の記述は、私のほうが採点者よりも多く知っていたかもしれません。無事合格。

比較的易しいと言われる資格試験を受験しました。油断があったのでしょう。失敗でした。また、昭和51年3度目の留学からの帰国後一級建築士の受験しました。ある程度の常識で受かるものと思っていましたが、ダメでした。考えればほとんど受験準備ていませんでした。別の受験では得意科目で大失敗。結果ダメでした。この時は試験の運命のようなものを感じました。

確信型の受験の体験です。フルブライト留学試験です。アメリカ政府からの全額給費ということで高い競争率、人気があります。(1)すでに2度留学実績があること。留学中の高いストレスに耐えられるという証明。(2)受賞歴2度。建築学会という公的専門組織で2度建築設計競技で受賞したというデザイン能力の証明。(3)建築学会で3本小論を寄稿した専門分野での活動歴の証明。(4)専門誌で10本程度の記事執筆で専門性の証明。(5)留学予定先のライス大学から原田を受け入れるという大学院長からの証明書の存在。以上の5つの視点から5人の審査員にアッピールしました。これでもかこれでもかと意欲をアッピールしたことで確信を持ちながらの合格。

確信型の受験のもう一つは博士号審査です。これは審査教授(私の場合横浜国立大学の小林重敬氏)との調整で公開審査で受かるように論文を作成しました。論文本体は学会ですでに審査に合格した2本の論文がありますので、学術的な必要条件は合格。後は大学としての博士論文としての体裁を整えることです。指導を受けた内容は以下の通りです。(1)学説の中で自分の学説の位置づけを明確にすること、(2)学説が実社会でどのように活かせるかを明確にすること、の2点でした。時間を要しましたが、準備を少しづつ進め、公開審査会でプレゼン、質疑を通し、5人の審査員から合格の判断をいただきました。

自らの体験ですが、若い方への激励のメッセージです。

スーダン警察長官の来日でお世話

1990年代の半ばの話です。友人のスーダン大使から連絡がありました。「スーダンの警察長官が来日し、警視庁の管制システムなど視察したいと外務省に連絡しているが、テロ問題の関連で制裁があり、外務省が警視庁に話をつないでくれない。警視庁の仕事や委員を務めている原田さんから警視庁に話をつないでくれないか」との要請でした。警視庁に連絡しスーダンの警察長官は無事に管制システムの視察ができました。喜んでいました。

1993年ニューヨークの世界貿易センター(9.11テロで破壊されました)の地下駐車場で爆破事件があり、スーダン人のテロリストが関わっているとのことでアメリカ政府がスーダンを制裁リストに加え、日本政府も制裁に従いました。

当時、スーダンの首都ハルツーム市に交通信号は2つだけだったそうです。将来に備え警視庁の優れた管制システムを視察したかったのでしょう。視察の後、私はスーダン大使館に招かれ、警察長官と面会、感謝されました。ぜひスーダンに来てほしいと言われました。「冗談で」パトカー先導でご案内します、と言われました。スーダンに友人で活躍している建築家がいます。氏とも時々メールで情報交換しています。氏の活躍を祈っています。

外国人留学生を受け入れられない都立大学。都知事、学長はご存知か?

1990年代後半の頃でした。フルブライト留学生をお世話する中で、「建築専攻のアメリカ人大学院学生が東京の住宅問題を研究したいのでどの大学が良いか?」フルブライト委員会(日米教育員会)担当者から相談がありました。私は即座に「東京の住宅問題の研究なら都立大学でしょう。知人の教授がいるから聞いてあげます」と回答、早速その教授に電話しました。すると「自分は英語ができないから指導できない。また、研究室に空いている机がないから留学生を受け入れられない」と断られました。そのまま日米教育委員会に回答しました。残念。遺憾。

しばらくし、その留学生は横浜国立大学に入学したそうです。東京の住宅問題を研究するために横浜の大学???と考え込んでしまいました。日本を代表する公立大学がそのレベルです。文科省は留学生受け入れ30万人と目標にしています。大学の受け入れ態勢、留学生の住宅の受け入れ態勢など様々な課題があります。都知事、学長はこうした実態をご存じでしょうか?東京に関わる研究は都立大学(現首都大学)が進んで受け入れるべきでしょう。

友人のお父上の除籍謄本。

大学時代の同級生H氏が突然区長室に渡しを訪問しました。「父親が亡くなり除籍謄本を取りに来たら区長名に原田敬美とあり、驚き、区長室を訪問した」とのことでした。H氏は私が港区長になったことを全く知りませんでした。原田が政治家になるはずがないと思っていたことでしょう。また、一般ニュースを見ていなかったのでしょう。H氏のお父上には学生時代大変お世話になりました。そういう意味でお父上の除籍謄本の証明者を私が務めたのは、お父上に対する感謝の気持ちと感じました。

学生時代オフィス環境の研究をしました。スウェーデン留学で研究した快適オフィスについて日本で研究しようと考えました。オフィスを研究するということは、会社の理解を得て内部に入らせてもらう必要があります。会社を選ぶこと、中に入り調査させていただくこと、大変困難でした。H氏に相談し、お父上の会社(有名な上場企業)で調査させてもらえないかお尋ねしたところ快く了解いただき調査させていただきました。またお父上から雑談を通して様々な有益なお話を聞かせていただきました。その後、H氏の結婚式でお目にかかっただけで交流が途絶えてしまいました。不思議なご縁で、お父上の除籍謄本を私の名前で発行したことは気持ちとして嬉しい思いでした。H氏は建築学科の同期で大変優秀な成績を残しました。デザイン、研究活動二刀流で頑張っていました。

港区長秘話72、赤坂特養官製談合、続編

赤坂特養の官製談合について以前その経緯、状況を書きました。続編です。水面下で建設会社が決まっていました。そこにX区の区長から電話がありました。知人のP社が赤坂特養の入札に関心を持っているとのこと。渡りに船とはこのこと。すぐ契約課長に(平成13年で私にとり2代目の契約課長)P社が関心を持っているので指名リストに加えるよう伝えました。P社が談合に参加せず、独自の判断で入札に参加してもらえるとよいと期待しました。

入札が実施されました。16社の指名です。驚きました。27億の工事費と考えると多すぎます。水面下で談合のシナリオを作成している輩は、多くの会社を指名し、公正さを装うとしたのでしょう。驚きました。私が指示したP社は指名リストに入っていませんでした。後で聞くと、P社から辞退があったそうです。私はP社の社長に電話し、なぜ辞退したのか問い詰めました。口もごもごで要領得た説明はありませんでした。何かを感じました。また、Y区議から「区長が直接指名リストに口出すものでない」と偉そうにお説教調の言葉。契約部門のだれかがY区議に区長指示内容を伝えたのでしょう。秘密情報の漏えいです。罪作りな契約担当幹部です。

後日、港区政を水面下で動かしている麻布十番のKから聞いた話。官製談合の主のベテラン区議YがP社を訪問、社長に面会し入札辞退するよう伝えたとのことです。自治体は指名委員会があり指名業者をリストし、指名し入札業務をします。当時の助役、政策経営部長、契約課長が適切に事務執行しなかったということです。不正が当たり前のようにまかり通っていました。今も怪しいことがあります。

 

新規開業のノウハウ、自らの経験。論文寄稿の力。

私は30歳で独立、設計事務所を開業しました。特に仕事の当てがあったわけでありません。大学の指導教官穂積教授、実務上の恩師建築家の菊竹清訓氏の教えで様々原稿を寄稿していました。30歳の時東京都建設局から建設局の職員研修講師を頼まれました。アメリカのリバーフロント開発の街づくり、テキサス州サンアント二オ市の事例を紹介しました。(おそらく日本初の紹介)これは菊竹先生のお奨めで「日経サイエンス」に寄稿させていただいたことがご縁です。また、翌年は東京都職員研修所で「アメリカのコミュニティカレッジ」について半年間講義を担当しました。これも毎日新聞の論説記事や当時の自治省が編集していた「地方自治」、神戸市役所が編集していた「都市政策」に寄稿させていただいたことがきっかけでした。さらには、同種の分野で茨城県知事にご進講する依頼を受けました。さらに、東京都の庁内誌に依頼され、拙稿を読んだ都市計画局の職員達から仕事の声がかかりました。「幹線道路の不燃化」、「木密地域の調査、改善の提案、まちづくり実践」の仕事でした。結果的にこの分野で後年私は博士論文を執筆しました。口でいくらでもほら話はできます。新規開業したい方は、しっかりとした論文を書きためることをお勧めします。、どなたかが読んで、関心を抱いてくださり、仕事の依頼が来ます。さらに大切なこと、仕事する上で相手から信頼されるマナーが必須条件です。服装も大切です。言葉づかいや服装も社会的に大切な自分をアッピールする要素です。

港区の客引き防止条例施行後11日、六本木の様子。武井区長は実態を知っているのか、ヤル気あるのか。

港区の客引き防止条例が4月1日から施行されました。その問題点についてすでにブログで指摘しました。今日4月11日も私は夜9時過ぎ六本木3丁目の外苑東通りを歩いているとガールズバーの客引きの女性4名が集団で、又その近くで別の客引きが結構いて歩道上で声掛けしていました。私は、武井区長に代わり、港区職員に代わり「客引きは条例で禁止」と彼女らに声掛けしました。港区から報酬をもらってもよいのではと思います。!(^^)! 4月1日から条例を施行したのですから、その前にそうした分野の店の経営者に条例を周知し、かつ、キャンペーンとして4月1日から数日間は最低限港区役所職員が街頭活動をすべきでした。何もやっていないようです。私は武井区長は「条例を作りました。客引きを取り締まります」と発言し、アリバイ作りだけで、実はほとんど何もせず、実質の成果が生まれないのではと危惧しています。区役所に投書しましたが回答はありません。

難しい中学受験問題。

電車に乗ると予備校の広告で中学の受験問題が紹介されています。到着駅まで時間があると自ら試験問題に挑戦します。国語、数学、理科、社会とも難しいです。答えがさっと閃かないことが多くあります。問題解決を試みるにつけ、今時の小学生はすごい勉強をしていると感心をさせられます。到着駅まで問題が解けないとかえってイライラし、ストレスにつながり、最近では車内に掲示してある中学受験の問題を避けるようになりました。