大学入試以降、多くの試験を受けました。3度の留学試験、国家公務員試験、一級建築士、技術士試験、博士号公開試験、その他資格試験です。結論、受かる時は受かる、受からない時は受からない、です。もちろん準備はベストを尽くさなければいけません。運型合格と確信型合格についてです。
1 早稲田大学2年生の時、指導教官から交換留学の試験を受けるよう勧められました。急な話で、明日試験があるとのことです。覚悟決め受験しました。「やったー」とはこのことでした。英作文の試験でタイトルは「これからの高等教育について」でした。1年生の時の英語の教科書はコロンビア大学学長グレイスン・カーク氏のコロンビア大学200年祭の記念講演集でこれからの高等教育の役割についてでした。その内容を思い出し書きました。1年生の時、留学前提で英語の授業を真面目に受講。英語の成績はほぼ満点でした。留学試験の英作文の出来はどうか不明ですが、書いたことはすなわちコロンビア大学学長の講演の内容を基にしていますので、採点者はこの受験者(原田のこと)はかなり高度な知識を持っていると思っていただいたと思います。無事合格。
40歳頃技術士を受験しました。朝9時から夕方5時まで、昼食を除き、論文の執筆試験です。冷房が効かない大学の教室が受験会場で、5時に終了した際、汗を拭いたタオルは汗でびっしょり、鉛筆を握った右手は感覚がありませんでした。二度と受験したくないと思いました。午前中は自らの仕事の経験に基づく論文試験2本。午後はいくつかの専門分野の論文試験。「やったー」と思った論文タイトルがありました。「道路と建築の一体開発について」というような内容だったと思います。32歳の時、首都公団の委託で首都高速建設のため再開発事業をし、建築の中に高速道路を通すという研究でした。留学中の体験でアメリカ、ヨーロッパで建築と道路が一体になった開発事例を承知していました。回答に、多くの事例を書き、その特徴や問題点を書き、今後の日本での課題について書きました。恐らく事例の記述は、私のほうが採点者よりも多く知っていたかもしれません。無事合格。
比較的易しいと言われる資格試験を受験しました。油断があったのでしょう。失敗でした。また、昭和51年3度目の留学からの帰国後一級建築士の受験しました。ある程度の常識で受かるものと思っていましたが、ダメでした。考えればほとんど受験準備ていませんでした。別の受験では得意科目で大失敗。結果ダメでした。この時は試験の運命のようなものを感じました。
確信型の受験の体験です。フルブライト留学試験です。アメリカ政府からの全額給費ということで高い競争率、人気があります。(1)すでに2度留学実績があること。留学中の高いストレスに耐えられるという証明。(2)受賞歴2度。建築学会という公的専門組織で2度建築設計競技で受賞したというデザイン能力の証明。(3)建築学会で3本小論を寄稿した専門分野での活動歴の証明。(4)専門誌で10本程度の記事執筆で専門性の証明。(5)留学予定先のライス大学から原田を受け入れるという大学院長からの証明書の存在。以上の5つの視点から5人の審査員にアッピールしました。これでもかこれでもかと意欲をアッピールしたことで確信を持ちながらの合格。
確信型の受験のもう一つは博士号審査です。これは審査教授(私の場合横浜国立大学の小林重敬氏)との調整で公開審査で受かるように論文を作成しました。論文本体は学会ですでに審査に合格した2本の論文がありますので、学術的な必要条件は合格。後は大学としての博士論文としての体裁を整えることです。指導を受けた内容は以下の通りです。(1)学説の中で自分の学説の位置づけを明確にすること、(2)学説が実社会でどのように活かせるかを明確にすること、の2点でした。時間を要しましたが、準備を少しづつ進め、公開審査会でプレゼン、質疑を通し、5人の審査員から合格の判断をいただきました。
自らの体験ですが、若い方への激励のメッセージです。