月別アーカイブ: 2017年5月

区長秘話80、契約改革、プロポーザル方式による建築家選定

港区では官製談合がありました。私は区施設の設計の建築家を選定する際、従来の入札方式の金額の高い低いでなく、プロポーザル(A-3サイズ1枚に設計思想を描いてもらい優れた案を採用する)方式にせよと命じました。相当な抵抗がありましたががんばり実現させました。東麻布保育園の設計者選定と高輪台小学校の改築の設計者選定をプロポーザル方式で実施しました。参加は自由です。当時は財政難で公共事業はほとんどできませんでした。代わりにPFI(民間活力導入)で大型公共施設を整備しました。その際、設計事務所の中で生じた噂話が私の耳に入ってきました。「プロポーザル方式と言っても本当は本命の設計者がいるのでは?」(他市で偽プロポーザル方式の発注も多くあったと思います。)ある建築家曰く「発注者は港区長原田さんで真面目な人だから、港区が実施する建築家選定のプロポーザルは本物のプロポーザルだよ」といった会話がされたとのことでした。実際公正なプロポーザルでした。本来建築家団体がプロポーザル実施を拡大する運動をすべきです。

区長秘話79、君主豹変ならぬ政策経営部長手のひら返し。

平成16年3月議会の最終日、6月に予定される区長選に出馬せずと発表しました。未知の環境で全力疾走し、不正、不実と戦い、財政再建、契約改革、警察幹部の採用、都内初となるいくつかの政策の実施など燃えながら仕事しました。任期は6月27日。残り3か月間全力で仕事を全うしよう、職員や区民に感謝の言葉で終えようと決意しました。幹部職員には、気持ちは次の政権に移りつつあるでしょうが、精一杯私の任期いっぱい誠実に支えてくれることを期待しました。

3月末U助役から示された人事案。次の武井新区長を前提とした布陣でした。本来、武井さんが区長に就任してから新たに考えるのが現職区長に対する礼儀です。しかし、そこでつまらない議論をU助役としてもバカバカしいので私が大人の気持ちになってU助役の人事案を呑みました。

区長を最も支える役割のN政策経営部長は、それまで「区長」と猫なで声で私に語りかけてきたのが突然変異。「区長の経歴の一つ、フルブライト留学した、など発言しないでください」とお説教調。私は、青春時代のすべてをかけフルブライト留学をめざし、実現しました。私の人生そのものです。他人(当時は上司)の人生観を否定するのですから侮辱です。逆に私が「あなた、区役所職員になってバカだね、他に良い仕事があったろうに」など発言したら、侮辱で大問題になるでしょう。また、フルブライト留学に挑戦したとの発言は「挑戦心の高い人物だから信頼してください。」という区民や職員へのメッセージの意味でもあります。フルブライト留学同窓生は6000人います。4人のノーベル賞受賞者。2人の衆議院議員。600人の弁護士。医師。音楽家。中央官庁の幹部。新聞記者(元毎日新聞社長、産経新聞社長など)、大学教授も多くいます。そうした同窓生すべてに対する侮辱です。(私はその後フルブライト同窓会長を務めました。上記の事実を伝えました。同窓生皆驚きました。)N氏は横浜住まいでしたが、突然港区高輪に移転しました。港区政に影響力あるS元区長の覚えめでたく、原田に喧嘩を売って、自分が後継者指名を受けたいと思ったのかもしれません。状況、立場が変わり、態度が変わる人間は人間性に欠陥があり、信頼しないことです。

退任の日、6月25日(金)(本来は27日までが任期)の夕方、湿っぽい挨拶で花束をもらって退庁するよりにぎやかに楽しく退庁したいと思い、職員と港区歌を大合唱しようと企画しました。アメリカ大統領就任式は音楽、ダンスなど楽しいです。別施設においてあるグランドピアノを自分のポケットマネーで運び込み、ロビーの使用許可も得ました。自らピアノを弾き職員と合唱しようと企画しました。件のN政策経営部長は退任日の2,3日前に区長室に入ってきて「前例のないことをしないでください。」とまたお説教調。私は決行しました。大合唱、2,3分でしたが楽しみました。「前例のないことをしない」は本来タブーです。バカ役人の本性が現れた発言です。武井区長になり、支所改革を実行しました。世田谷区のような80万都市なら支所を充実させる意味がありますが20平方キロ、20万人の自治体でその効果はわかりません。前例のないことをするなと私にお説教し、その直後に自ら前例のないことをするという矛盾です。その後、残念ないくつかの事件、事故が発生しました。

区長秘話78、開発に関わる謀議の知らせ。

区長時代、ある人物から開発に関わる謀議について情報が寄せられました。熱海の温泉旅館で、区役所最高幹部1人、開発会社幹部1人、港区議会の与党のボス、野党のボス合計4名が集まって謀議をしたとのことでした。恐らく区議が主導したのでしょう。某開発後、寄せられた情報通りの結果になったようです。詳細は後日。

区長秘話77、S元区長「原田さんがなぜ辞めたか区民は不思議がっているよ」

区長退任後、時々ご挨拶にS元区長をお訪ねしました。ある時S元区長曰く「区民が原田さんがなぜ辞めたか不思議がっているよ」。本来であれば「俺が辞めさせた。理由は原田は真面目過ぎる。俺と文化が違い過ぎる。武井を出馬させた。」と正確に発言すべきでした。区民には「俺もよくわからねー」と言ったのでしょう。日本的政治家は平気で事実と異なることを言えないと仕事をすることが無理なのかもしれません。退任決意の発言では、武井さんの選挙の影響を考え私は一切発言を控えておりました。私が事実を語れば別の候補者が勝利したかもしれません。そろそろ事実を語ってよいでしょう。

大手マンション管理会社の業務の問題指摘とコンサルタント解任

数年前、100戸規模のマンションの大規模修繕の設計監理を管理組合の住人から依頼されました。修繕計画を立案するため過去数年のマンション管理会社(大手)の管理記録を閲覧しました。驚きました。毎回管理報告書に「某所のカギが壊れているので修理が必要」と同じことが書かれ、2年くらい鍵の修理を放置していました。また、受水槽のポンプについて「異音がする」と記載されているだけで具体的な調査をしていませんでした。私がポンプメーカーを呼び調べてもらったらポンプが焼き切れる寸前でした。(本来管理会社の業務です)もし、発見が遅れたら100戸の住民はしばらく水道を使えなかったでしょう。そうした指摘を大手管理会社社員が立ち会っている管理組合の会議の席で私は率直に報告しました。一部管理組合の方は、マンション管理会社の不誠実さに怒りを表しました。私は誠実に依頼業務を遂行、終了しました。

一部管理組合の住民から継続してマンション管理の建築面からのコンサルタントをやってほしいと依頼があり、喜んでと回答しました。問題指摘をされ恥をかいた(不誠実な仕事ぶりですから当然ですが)管理会社が自分の意を汲む役員をけしかけたのでしょう、原田をコンサルタントの職から解任するという動議が理事会、総会で出され、私は解任されました。誠実に管理のお手伝いができればという程度の思いでしたが、大手管理会社からすれば「原田は目の上のたんこぶ」と思ったのでしょう。今は大手管理会社の思う通りの管理業務がなされ、問題指摘をする方はいないのではと恐れています。大手マンション管理会社の実態の一部です。

「原田さんは真面目過ぎるから辞めてくれ」とS元区長に言われましたが、何か、区長時代のことと重なる部分を感じました。

 

港区長秘話76、映画スノーデンを観て。監視社会の中で精神の自由確保。

アメリカの諜報機関に勤め、亡命し内情を暴露したスノーデンの映画を観ました。諜報活動の現実に接し、映画として迫力がありました。区長時代のこと、個人的なことについてです。

欧米の組織は、同じ組織に勤め続けることは稀で、5年、あるいは10年で他の組織に移籍するのが一般的です。ですから、トップや幹部が交代すると新任の幹部は、部屋の扉や金庫の鍵を変えたり、盗聴装置がないかなどのチェックをします。(と聞きました)私は欧米流の危機管理意識を持っていますから、ある時、自ら盗聴電波発見器で区長室を調べたら不審な電波が発信されていると確信しました。もっとも、私の場合、区長室で聴かれてまずい謀議のような会話、自ら不正を指示するような内容は一切ありませんから、聞かれたも問題なしと気にしませんでした。数日後、麻布十番のK氏が「最近電話の調子がおかしいんです」と語りかけてきました。私は内心「やはり」と確信しました。元区長S氏やK氏は私の行動に関心を抱いていたのでしょう。

区長退任後、ある時、私の顧問弁護士が「原田さんは偉い」と唐突に言われました。理由は、原田さんは事務所で毎日奥さんがいて、電話の会話を聞かれ(ある意味て盗聴?)、奥さんがコンピューター管理者だからコンピューターの通信記録を検閲され(ある意味で傍受)、来客との会話を聞かれ(盗聴?)、日々の予定を全て奥さんに知られ(管理され)、給料は奥さんに会計責任者としてすべて把握され、自宅でも四六時中奥さんがいて、奥さんに監視されているのに平気で仕事をしているのは偉い、俺にはできないと褒められ(?)ました。監視社会に身を置いているとも言えますが、精神の自由は自ら作り出していると思います。

原田(家)の危機管理術

海外で暮らすと、犯罪が多いので、また、国際紛争にも接しますから危機管理に敏感になります。留学先の大学でも危機管理についてオリエンテーションがありました。大型ショッピングセンターの広大な駐車場に車を止めた際の車までの安全確保、強姦された場合の事後処理について、強盗誘拐などの犯罪に巻き込まれないための道路の歩き方など習いました。良くも悪くも日本は安全、平和ボケしています。

原田(家)の危機管理術の紹介です。子供が社会人になるまでは教育、子育ては親の責任と自覚し、夫婦で旅行する際、飛行機は別々の便に乗るという方針でした。今は子供は社会人なので夫婦で一緒に飛行機に乗ります。その際遺言書(メモ書き程度ですが)を書き、妹に渡し、無事に戻ると破棄するという手続きを繰り返しています。私が学生時代留学した時には親に対し、もし私が事故に遭遇したら対応はこのようにしてほしいと親にメモを渡しました。

子供が小さい時は、大震災が発生した際は震災被害復旧が落ち着くまでは子供を地方の親戚に預けると決めていました。子供はすでに社会人ですから、災害が発生したら大いにボランティアをすべきと思っています。

区長時代、こうした危機意識を持ち危機管理に務めました。職員や議員の意識はどうだったか、自信がありません。

港区長秘話75、後任区長武井さんの気持ちを忖度

後任区長武井さんは私の区長時代人事課長。1年間区民生活部長を務め区長に就任。厳格な階級が存在する組織内としては特異なコースです。区長就任当初、相当なストレスがあったと思います。頑張っていましたがストレスが原因か癌にかかりました。無事に回復し元気で活躍しています。ストレスの理由はいくつか考えられます。

区長職は、東京都の月給表で見れば、副知事と局長の間くらいに位置付けられます。選挙で就任したという点では行政の幹部と存在感は異なりますが。

1、東京都、区市という組織で見れば、課長だった人間が突然東京都の局長以上のポストに就任し(ありえない昇進ですから)ストレスがあったと思います。大組織で厳格な階級社会の中で異常な人事でした。私は一匹狼(本当はヒツジ)で活動してきましたから組織での階級は関係ありません。学習歴という点では世界的な立場の指導者(指導教官はピーター・ロウ氏:後年ハーヴァード大学大学院長、修士号審査教授はアデール・サントス女史:後年MIT大学院長、スウェーデン建築家協会長カール・クリスティアンソン氏など)の下で学んだ点では学習歴、経験で東京都の局長とは異なるという自負がありました。

2、次は、昨日まで上司だった人物が、今日から突然部下になるという異常な組織環境での高いストレスがあったと思います。昨日まで助役(今は副区長)や先輩部長達が、「武井君」と呼んでいたのが今日から元上司が「区長」と呼び、区長は先輩を部下として扱わなければなりませんから大変なストレスだったと思います。私は30歳から独立自営で、世界のリーダーや中央官庁や東京都の局長や大企業のトップ等と友人としておつきあいをしてきましたから階級を気にしません。22歳でフィンランドで最も著名な建築家ピエティレにインタビュー、25歳でアメリカで最も著名な建築家ジョンソンにインタビューもしました。拙稿あり。(証拠有)

3、東京都の局長は課長試験に合格した年齢は28歳から30歳。30歳前後で課長試験に合格しないと局長には到達しません。武井さんは42歳(公然情報)。合格年齢が10歳以上の差があり、突然局長級を超えるということで大組織の中ではありえない人事ですから大変なストレスがあったと思います。私は区長時代、東京都庁に10人程度友人の局長がおり、長年お付き合いがありましたので気楽に局長と直接連絡取り合いました。また、建設省、自治省、通産省、文部省、労働省など関連省庁にも多くに親友がいましたので中央官庁とも直接連絡を取り合いました。欧米含め専門学会やマスコミ(朝日新聞の社長は友人でした。港区内のイベントで社長がそのような挨拶し参列者が驚いていたようです)にも多くの知人がいました。3度の留学で幅広い分野の留学仲間も多くいましたので様々助言もいただけました。

4、 港区の某課長の話として「武井さんは人事含め総務分野の経験が長く、現場のことを知らない」と武井評を耳にしたことがあります。区長は多方面に気を配らなければなりません。突然ですからストレスが高かったと思います。私は、区長就任前、建築・都市開発の分野に加え、福祉や教育、行革、医療などの分野で専門書、報告書を執筆していましたので区政の多くの分野で対応できると自負がありました。小規模ながら企業経営をしていましたのでバランスシートの決算書の作り方、読み方についても区役所職員の中では私が最も知っていました。朝日新聞のコラムを2年間担当、一般紙に論説記事を書き、様々政策提言をしてきました。港区でコミュニティバスを走らせる検討をした際、私がアメリカで書いたコミュニティバスの原稿を担当課長に見せたら驚いていました。

5、 武井さんが区長選出馬した際、記者会見で「原田さんが突然辞めたので出馬することになった」と発言がありました。事実と異なります。(この点は武井さんに手紙を書き事実と異なると指摘しましたが)真面目過ぎるからと原田を辞めさせ、武井さんを担ぎ出した元区長S氏や麻布十番のK氏らが取り繕うため言わせたのでしょう。事実と反する発言をすればこれもストレスの原因となるでしょう。

武井さんにはご自愛され頑張っていただきたいと祈っております。

港区長秘話67、区長事務引継ぎ、増上寺台徳院殿霊廟模型の受け取り検討

平成16年6月29日(月)後任の武井区長と事務引継ぎの署名捺印をしました。法律に基づく手続きです。事務的なもので特に説明、伝言などありません。しかし、重要な検討課題が一つあり口頭で武井さんに検討の継続をお願いしました。増上寺台徳院殿霊廟模型の受け取りの件です。

結論として平成27年4月増上寺宝物殿で台徳院殿霊廟模型(1/10)の展示が始まりました。つまり増上寺がイギリス女王陛下から預かったということです。模型は1910年(明治43年)ロンドンで開催された日英博覧会に東京市の展示物として出品され、その後女王陛下のコレクションになりました。日本の寺院建築の豪華絢爛なデザインを1/10で再現しロンドンで展示しました。台徳院殿霊廟そのものは戦争中の空襲で焼失しました。私は修復中の作業見学に招待されました。元文化財研究所の伊藤延男先生からの招待でした。平成12年頃伊藤先生はイギリス政府から模型の鑑定を依頼されたようです。私の想像ですが、伊藤先生は港区長原田は建築家で歴史保存にも関心がある人物だから原田に相談したらとロンドンでイギリス政府側に助言したかもしれません。

平成16年の5月頃、区長任期満了前ですが駐日イギリス大使が区長室に来訪されました。「女王陛下の名代できました。(この言葉に驚き、敬意を抱き大使の説明を聞きました)台徳院殿霊廟模型を永久貸与という形で港区役所にお渡ししたい。ついてはそのための展示場所を確保してほしい。」との要請でした。建築家でもある私は「大変ありがたい申し入れで、かつ女王陛下直々のご指示」ということで感謝と尊敬の念を抱き「承りました。私は近近退任しますので後任の区長に間違いなく伝えます」とその場で回答しました。事務引継ぎの際そうした内容を武井さんに直接伝えました。その後武井さんから本件について連絡、進捗報告は一切ありませんでした。平成27年1月に伊藤先生から模型を修復中との連絡をいただき驚きました。しかももともと実物が存在した増上寺が預かるということでうれしくもありました。一方でイギリス大使から港区が受け取ってほしいという検討課題がどこへ消えたのか不明ですので残念でした。

オリンパス事件判決と港区長の体験、重なる部分。

4月28日朝刊でオリンパス元会長等590億円賠償命令、東京地裁の判決、と報道がありました。菊川剛元会長、山田元常勤監査役、森元副社長等が賠償を命じられました。90年代運用していた株の暴落で、900億円の損失を海外金融資産に移し替え、損失を隠ぺいしたという企業犯罪です。菊川氏の後任の社長に就任したイギリス人のマイケル・ウィルフォード氏が不透明な資金の流れを指摘し、旧経営陣は問題発覚を恐れウィルフォード氏を不当に解雇しました。外国人を社長に採用した理由は、菊川元会長等の旧経営陣はイギリス人を社長にし、決算書の問題点を見過ごしてしまうことを期待したのか、あるいは、もし発覚したらイギリス人という外国人社長に責任をかぶせようとしたのでしょうか。結局不正が暴かれ、法の裁きを受けることになりました。旧経営陣はダメ経営者、ダメリーダーの典型例でしょう。私はオリンパス社広報に投書しました。「ご意見ありがとうございます」という回答もなく、ひたすら不祥事を黙殺する姿勢の企業と察しました。会社の不祥事の改革に社員が立ち上がったという話は届きません。社員も自分可愛さで会社の改革に声を挙げないのでしょう。その程度の会社と思いました。かつて国鉄が破産、日本航空が破産。日産の場合、破綻寸前でゴーン氏が社長に就任し立ち直りました。いずれ同じ道をたどるのではと心配しています。私の友人の医者は胃カメラなど医療機器採用にあたりオリンパスを使わないと明言しました。私もかつてオリンパス製品を使っておりましたが、今後使いません。

私の体験です。平成12年4月中旬、当時の区長S氏から後継者として区長選に出馬してほしいと乞われた際私が出した条件「真面目に仕事します。不正を見つけたら排除します。その方針でよいですね?」と問いただしました。区政にある種の胡散臭さを感じておりましたのでそうした確認の発言をしました。S氏から「原田さんのお好きなように。私は院政を敷きません。」と言質をいただき後継者を引き受けました。区長就任後、官製談合、開発利権の不正など耳にし、目にし、徹底して公正化に務めました。S氏は「原田は俺の言うことを聞かねー」などといろんなところで発言していたことを聞きました。最後には「原田さんは真面目過ぎるから辞めてくれ」でした。私にとことん問題が暴かれるのを恐れたのでしょう。イギリス人社長ウィルフォード氏の気持ちを理解できるような気がします。