月別アーカイブ: 2017年7月

真逆、真逆に動く人生、だから面白い!?

建築のデザインをしたくて大学で建築デザインを勉強しました。さらに、海外で最先端の勉強をしようと、アメリカ、スウェーデン、アメリカと3度留学し、すばらしい指導者の下で勉強しました。医者は医学部で6年間勉強します。私は10年間勉強しました。勉強の期間だけなら医者以上です。(しかし、日本の社会での評価、報酬は真逆です)。

30歳で独立自営。友人や親戚から住宅の設計依頼があるだろうと期待していたらナシ。一方なぜか役所から研修講師、原稿執筆依頼、コンサルタント依頼がありました。

学習歴から、さらには、最先端の建築の研究をし、世界の指導者層の建築家との付き合いなどから、大学の建築学科から講師依頼があるのではと思っていたら、現在までゼロ。(海外の大学からはありましたが)

学生時代から、建築学会、建築士会、都市計画学会、建築家協会に入会しました。40代になり、各団体の専門誌の蔵書が大量になり整理、処分しました。その際、建築学会は学者が中心の組織、建築士会は役人が主導している組織、都市計画学会は学者が中心の組織、建築家協会は実務家の建築デザイナーの組織、したがって、建築学会誌、建築士会誌、都市計画学会誌を処分、廃棄し、建築家協会の会誌を保存することとしました。すると、なぜか、都市計画学会から学術論文の審査をする学術委員を委嘱されました。建築士会から委員、理事を委嘱されました。逆に自分の活動が最も近いと思っていた建築家協会からは何も依頼がありませんでした。

仕事も真逆でした。某製薬会社から「原田さんは薬局の設計をしたことありますか?」原田「ありません」製薬会社「それでは原田さんに薬局の設計をお願いします。経験のない方に白紙でデザインをしてほしい」と依頼されました。30件薬局をデザインしました。某小型船舶メーカーから「原田さんヨットハーバーの設計をしたことありますか?」原田「ありません」メーカー「それでは原田さんに設計をお願いします。経験のない方に白紙でデザインをしてほしい」と依頼されました。北海道の小樽マリーナなどは私のデザイン(基本デザインのみですが)です。

30代の時、面識のない某役人から「原田さんは防災、木造密集地域改善の仕事したことありますか?」原田「ありません」某役人「それでは原田さんに防災や木造密集地域の改善のための調査、研究、まちづくり計画をお願いします。経験がない方に白紙で検討してもらいたい。」その後、この分野の調査、研究を10年以上続け、結果、博士論文につながりました。

政治の世界は、学究活動を長年続けた私にとり、全く無関係の分野です。実際関心ありませんでした。政治家との付き合いもありませんでした。突然、「政治の素人がよい」「民間人がよい」とのことで当時の港区長S氏から後継者として出馬要請がありました。政治に関心がないがゆえに政治を客観的、かつ、第3者的に冷静に観察、判断ができたと思います。

真逆、真逆の人生でした。予想しなかった世界を見ることができました。しかし、人生の最終段階に入り、もともと関心のあった建築デザインを全うできるよう祈っております。まだまだ頑張っております。

持続可能な建築、都市のシンポジウム、イタリア文化センターと慶応、理科大の共催

7月8日(土)慶応大学でイタリア文化センター、慶応大学、東京理科大学の共催で「持続可能な建築、都市」のシンポジウムが開催され出席しました。建築家の大御所、槇文彦氏の基調講演、ポーランド、ローマ、チェッコ、オーストリア、慶応大学教授、理科大学教授等の講演がありました。建築を「経済」、「環境」、「社会」の3分野の視点でとらえ、3分野がバランスよく混ざると持続可能な都市が形成されるという立場からの討論会でした。

私も建築の国際会議やフルブライト同窓会でのシンポジウムを開催した経験がありますので今回の国際シンポジウムの開催で多くの努力と困難があったろうと、主催者に敬意を表したいと思います。

また、都市を創るという点で、欧米と日本で体験から、欧米は政治主導の都市づくりと言えますが(ニューヨーク市やパリ市など)、日本では残念ながら政治主導の都市づくりができていません。政治家の多くは建築デザイン、都市デザインの素人で、かつ、関心がないようです。日本では建築家の発言力、情報発信力も弱いです。もっと頑張りましょう。

アメリカ、サンベルト、テキサス州では人口増が続いています。

アメリカでは都市の衰退と発展が、北東部と南部で明白な違いがあります。1969年アメリカのオハイオ州の大学に留学し、滞在中、ニューヨーク、シカゴ、ヒューストン等を訪問し、教授陣、友人などに話を聞くと、これからは南部の時代との説明がありました。実際、訪問し体感しました。1974年、2度目の留学ではサンベルトの代表都市、ヒューストン市にあるライス大学に留学しました。当時のヒューストン市の人口は100万、間もなく、クリーブランド(オハイオ州)、デトロイト(ミシガン州)を抜くと言われ、実際、ヒューストンの人口は急速に増加、現在は200万で全米4位、間もなく、3位のシカゴを抜くと言われています。建築デザイン、都市政策を学ぶのにふさわしい都市です。

最近の専門誌の報道によりますと、テキサス州の大都市の郊外はアメリカの人口増を牽引しているとのことです。2000年代世代、夫婦世帯、高齢者世帯が戸建て住宅を購入しています。ヒューストン市の北60キロにあるコンロー市は全米で最も人口増加率の高い都市です。その他、テキサス州内の都市で、サンアントニオ、ダラス、フォートワース、ヒューストン、オースチン等の人口が増加しています。

北地域(ラストベルト、さび付いた地域、自動車工業など製造業の地域)と南地域(サンベルト、石油、電子、宇宙、農業など)の都市の産業、都市計画、都市政策、建築等調査すると面白いと思います。今後の日本の都市政策にも参考となります。

東京オリンピック村、晴海の建築計画の課題、ウォーターフロントの特徴を活かせず。

2年前になりますが、東京都が中央区晴海の44ヘクタールの土地に6000戸の住宅を建設する計画案を発表しました。東京港のウォーターフロントの立地です。配置計画案を見て驚きました。風通し、眺望などの観点から問題アリの住棟の配置計画です。板状型の住宅を水辺と並行に配置し、擁壁を建てて地域を塞ぐ形です。

欧米のウォーターフロントの教科書、事例を見ると、建築の配置は水辺に対し直角です。水辺に対する眺望を確保、また、動線、風の通り道を十分確保するのが原則です。理論に反した配置計画の理由を理解できません。従来の伝統的な住宅団地の配置案です。東京都の担当局に優秀な職員が多くいると思いますが。

私はかつてアメリカのウォーターフロント学会の日本代表、優秀案の審査委員を務めたことがありますが、この案はオリンピックを記念する施設として評価するに難しいと思います。以前書きましたが、フランス、ミッテラン大統領の時代、パリの大事業で、歴史に残るすばらしい建築を創り、今や世界の観光名所になっています。そうした発想に欠けるのが残念です。

妻へのメッセージ

私は20歳の時1年間アメリカの大学へ留学、22歳でスウェーデンの設計事務所へ技術研修留学、25歳で再度アメリカの大学院へ2年間留学しました。(何度も書きますが)。早稲田の理工学部建築学科は一学年180人中女子学生は2人、と異なり、学生の半数は女子学生。美しい才媛の女性に囲まれ過ごしました。授業に追い付くのがやっとで、また、宿題で追われまくり、女子学生を意識する間もなかったというのが実態でした。振り返れば、もう少し余裕があってもよかったと反省。そうした多くの美しい女性を見てきた経験の下、あなたを選んだのだからと妻に褒め言葉。他人の評価は別です。

港区長秘話84、設計事務所、規模が大きければよいものではない、問われる担当者の資質。

設計事務所、規模が大きければよいというものではありません。担当者がしっかり仕事できるかがカギです。私は30歳で独立自営。悲しいかな、日本は会社の規模が評価の主要項目です。欧米では数人の設計事務所がコンペでワールドカップ競技場の設計をしたりします。

港区長時代の大手の設計事務所X社の仕事ぶり(問題ぶり)です。まず、港区スポーツセンタープール棟の積算書のいい加減さの問題です。就任してまもなく工事発注する段階で私自らX社が作成した積算書をチェックしました。積算書のミスを指摘し2000万円減額させました。もし、私が何もしなければ2000万円高い額で発注された恐れがあります。税金を節約し、区民に貢献した点は大いに誇りたいと思います。もっとも評価する人は誰もいませんでしたが。余計なことしやがってと外からのヤジを耳にしました。X社の積算書が個人事務所出身者により訂正させられたということです。しかも、港区役所の施設課の職員もやる気がないのか、能力がなかったのか、ノーチェックでした。大手だからと安心してはいけません。(私が施設課に指摘した問題のメモは今でも保管しています、いずれ公開します)X社も港区施設課職員も大いに恥じるべきです。

その2。千代田区九段に区政会館があります。大手設計事務所Y社の設計で同上のX社が区長会のコンサルタントとして支援業務をしました。再度私が積算書をチェックしました。誤りを正しました。X社は何をしていたのでしょう。私は発注者側の区長ですから一切コンサル料をもらいませんが、腸が煮えくり返る気持ちでした。大手設計事務所だからと安心してはいけません。

その3。区長時代、Y国の大使が区長室に来訪。大使館建設をするが、区道を挟み敷地が2つに分かれており、交通安全上、治安対策上、区道上空にブリッジを渡したいと思う。ついては設計と技術面の検討を(上記の)X社に依頼したので、X社が区役所に相談に来たら対応方よろしくとの相談でした。大使の要望は合理的な理由があり、私は直ちに技術担当のN助役を呼び、X社が相談に来たらよく話を聞くようにと伝えました。半年後、再度、Y国大使から連絡がありました。区道上空にブリッジを建設する件どうなりましたか?という照会。ところがX社が相談に来たとの報告はありません。X社は大使に異なる報告(港区は前向きに検討してくれないと)をしていいたようでした。しかし、私から動き出す案件でないので、静観していました。結局、2つの敷地に2つの大使館施設が完成しました。X社はコンサル業務を適切にしていなかったようです。

その4。区長退任後のことです。私の住まいに隣接するZ国大使館が建て替わることになりました。(上記の)X社がコンサルタントで、2つの設計事務所(1つは別の大手設計事務所、1つは聞いたことがない近隣対策を専門にやる形式だけの設計事務所)が担当、大手ゼネコンが設計も担当しながら施工担当。X社は発注者側のコンサルタントですが、説明会も後で生じた近隣紛争にもX社は一切登場しませんでした。契約上コンサルタントの役割が何か知る由もありませんが、説明会や近隣紛争にも一切登場も発言もせず。何のためのコンサルタントかと思った次第です。

上記4例は全て大手設計事務所X社の事例です。大手だから、安心というのは幻想と思ったほうが良い事例です。私は独立自営で、役所的な評価からは規模が小さいから信頼性が低いと評価されますが、X社よりよほど私のほうが頼りになるということは明言します。

 

建築家隈研吾氏、東大での教育、研究は大丈夫か?

建築家、隈研吾氏のデザインの活躍ぶりは敬意に値します。一方「東京大学教授」という肩書、本来、東大教授が本職であるべきですが、大学での教育、研究が適切になされているか、他人事ながら心配です。

アメリカの大学では教授は月曜から金曜まで、9時から5時まで、大学に居て、講義に加え学生の質問や相談に乗るのが仕事です。教授の授業に対し、学生が毎学期厳しい評価をします。アメリカの大学は授業料が高額です。教授が自己都合で講義に手を抜いたり、また、大学にいないと、学生が教授に厳しい評価をします。また、授業料返還や大学教授の仕事ぶりの不適切さに対し裁判を起こすと思います。

ましてや国立大学教授という公務員がいわばアルバイト(これが本業のようですが)に明け暮れしていること自体が問題です。本来、公務員法に違反します。デザインビジネスに専念したければ大学教授を辞任すべきです。日本の大学特有のいい加減さです。アメリカの大学ではありえません。留学生の視点に立てば、隈教授の下で研究したいと東大に留学した学生がいるとすれば、失望することでしょう。

国会議員の品格の課題。港区議にも。外車に乗る共産党区議。

衆議院議員の2期生の品格が週刊誌で指摘されています。パワハラ、セクハラなど驚くばかりです。港区議会議員にも何人か品格の問題を感じる方がいました。その一例。共産党区議が高級外車に乗っているのを区役所地下駐車場で何度か見ました。驚きました。一般論で言えば区議会議員が高級乗用車、ましては、高級外車に乗るのは区民からの反発が大きいです。低所得者などの味方と言える共産党区議であればなおさらのことです。公共交通、自転車に乗り政治活動をすべきです。

輪をかけ気になったのがU助役の言動でした。ある時私は「共産党区議が高級外車に乗っているのは問題だ」と港区のローカル誌の記者に雑談で語りました。その記者が件の共産党議員に原田区長が上記の内容を発言していましたとご注進。その区議はU助役に文句を伝えました。U助役は区長室に入ってきて「件の共産党区議が区長に直接文句を言いたと言っていますから会ってやってください」と発言。U助役の取るべき態度は件の共産党区議に対し「区議の品格にふさわしい行動をしたほうがいいですよ。高級外車に乗るべきでないですよ。区長には話を伝えません」でした。しばらくし、件の議員が区長室に入ってきました。よほど高級外車のことを指摘されたのが不快だったのか、痛かったのか。私には「妻が買った車に乗っている」と説明。別の方には息子が買った車に乗っていると説明したようでした。高級外車について触れるのはタブーのような感触を受けました。また、U助役の共産党議員への気遣いには驚きました。しかし、しがらみがないことで、感じたことを自由に発言しただけです。こうした自由に発言することが社会には必要です。こうした仕事ぶりも議員同士で批判、牽制すべきです。

 

20歳、留学中いただいた友人のお母さんからの親切

20歳の時、早稲田大学の交換留学生としてアメリカ、オハイオ州のThe Collge of Woosterに留学しました。英語でLiberal Arts大学、所謂、一般教養大学です。1000人強の全寮制、宗教面でアメリカで主流派の長老派教会(Presibyterian)の大学。一般教養大学ですから建築学科はありません。建築や医学、法律、ビジネスなどは、アメリカでは大学院で学びます。夏休みに友人宅にホームステイさせていただきました。友人宅で特にお母さんから親切を受けました。今流の「おもてなし」です。24年前までは父親同士が戦争していたのです。その戦争の敵方の国の子供に対してこのような親切。国民レベルでは理解してもリーダのメンツ、怒りで戦争が勃発。リーダーの資質が大切と感じました。私が日本からの建築学科の学生ということで、滞在先で友人のお母さんが地域の有名な建築物にご案内してくれました。

オクラホマ州のタルサ市でお世話になったデイヴィッド・ドルマン君のお母さんが「近所にフランク・ロイド・ライトが設計した住宅がある、そこに住んでいる方が建築家だから、電話して、見学できるように話をしてみる」と言ってくださり、見学をさせていただきました。また、タルサ市から車で1時間くらいのところにバートレスヴィル市にフランク・ロイド・ライトが設計したプライスタワーがあり、わざわざお母さんが車で連れて行ってくださいました。お母さん曰く「戦争中は男性が戦場に駆り出されていたので市電の運転手をしていた」と言いていました。

テキサス州ヒューストンでお世話になったべス・グランクィストさん。お母さんが少しでもヒューストンの建築をケイミに見せてあげようと連日あちらこちらに案内してくださいました。アストロドーム、世界初のドーム球場も見学しました。空間の巨大さ、アメリカの建築の凄さに驚きました。また、お母さんはいくつかの設計事務所に電話をし「日本から建築学科の学生が来ているので設計事務所を見学させてやってほしい」と掛け合ってくれました。私が頼んだわけでありませんが。ヒューストンでも大手の設計事務所に見学できることになり、その事務所を訪問しました。台湾出身の建築家が事務所内を案内してくれました。74年再度ヒューストンに留学した際、その事務所を訪問したら件の台湾人の建築家は役員に出世していました。一日14時間も働き(本人から聞きました)、権利義務のうるさいアメリカ社会ですが、仕事に対する猛烈ぶりに周囲が高く評価したのでしょう。

以上は多くのいただいたおもてなしの中のわずかな事例です。敵国側の子供に対し親切にしていただいた経験は忘れることができません。恩返しをしなければという気持ちでおります。一方、港区長時代、こうした貴重な体験談を話すと、必ず、一部から「原田はアメリカかぶれの奴」と表に裏に陰口。そうしたおもてなしや異文化交流を理解できない議員や幹部がいたのは残念でした。異文化理解と公式には港区は表明していますが、それは表の話です。

留学中の刺激、ゼロックス社の博士論文の情報提供

1974年フルブライト奨学金をいただきアメリカ、テキサス州ヒューストンのライス大学建築大学院に留学した時の体験です。コピー機で有名なゼロックス社が、どういういきさつかわかりませんが、全米の大学で発表された博士論文の一覧を大学に配布、有料で博士論文のコピーを配布するというサービスでした。将来、私も博士論文を書きたい、書くぞ、と決意。奨学金をいただいているとはいえ貧乏学生。その財布の中から、関心ある分野の博士論文のコピー(しっかり製本されていました)をいくつか購入しました。1974年時点で博士論文を自由に閲覧(執筆者名、表題と大学名)できる情報サービス、論文そのものを購入できるサービス体制に驚きました。こうしたサービス体制の整備状況も、世界中から学生、研究者がアメリカに集まる要因の一つです。

余談です。フルブライト奨学金の試験後、後で分ったこと。試験後、数か月後、ライバルたちと面会する機会がありました。ある大学院生(フランス美術専攻)が試験官から「フランスの美術を研究するののなぜアメリカ、ニューヨーク大学に行きたいのか」と質問され「フランスよりニューヨーク大学の図書館のほうがフランス美術の文献数が多いので」と回答したとのことでした。そうしたサービス環境が研究に必要です。文科省、各大学はそういうことを認識する必要があります。