日別アーカイブ: 2017年8月11日

異なる経歴、考え方の重要性。富山の某社長の見解。

富山県の某社長が「わが社の従業員の大多数が富山県民で、富山県人の採用をを止め他県出身者を積極的に採用したい」と報道で、「富山県人を差別するのか」という批判がありました。欧米の組織(大学、官庁、民間企業など)を知っているので、私には違和感がありませんでした。一例、ノーベル賞の発表で多くの受賞者は学士はA大学、修士はB大学、博士はC大学、研究所はD、その後E大学教授と言った経歴が新聞で報道されます。

アメリカの大学では教授の自校出身者の比率は20%以下。しがらみを排除し、研究の自由を保障するためです。私の留学先のライス大学の私の指導教官ピーター・ロウ氏はオーストラリア人、45歳でハーヴァード大学大学院長、私の修士号審査教授は南アフリカ出身、女性、後年カリフォルニア大学サンディエゴ校の大学院長、その後マサチューセッツ工科大学大学院長。1990年代のライス大学の建築大学院長はスウェーデン人、スウェーデンの大学卒業後、ハーヴァード大学大学院で学び、その後カリフォルニア大学バークレイ校教授、その後ライス大学大学院長に就任。

知人のアメリカ人女性。30代でホワイトハウス広報官。40代でフォード自動車広報部長、50代でボーイング社副社長。マスコミも同様。大学卒後A新聞に入社。60歳までA新聞。井の中の蛙になる恐れがあります。10数年前。ニューヨークタイムズ社長は女性、しかも前歴高校の校長先生。日本ではありえない人事です。欧米では普通です。

サンフランシスコ市の都市計画局長(元)。生まれはオハイオ州。オハイオ州のマイアミ大学卒、その後ハーヴァード大学大学院都市計画専攻、さらにペンシルバニア大学大学院地域計画専攻、ロンドン大学留学、帰国後ピッツバーグ地域計画協会主任研究員、フォード財団、ペンシルバニア大学教授、その後サンフランシスコ市役所都市計画局長。キャリアが豊富です。様々な発想が生まれると思います。

日本の大学教授は、東大卒、東大教授、早稲田卒早稲田大学教授という経歴がほとんどです。東京都庁、あるいは区役所。入庁後60歳まで同じ職場。上記の方々と比べ井の中の蛙と言ってもよいです。同じ価値観、同じ発想。同族意識。時には排他意識。

私はたまたま頼まれ港区長を務めました。元区長や職員と比べ私は経歴も価値観も全く異なります。すると違う世界が見えます。少なくも民間人の発想、意識、マナーをアッピールできたと思います。また、専門的知識を提供できたと思います。新しい施策を区長から指示すると一部幹部が「前例がありません」とコメント。バカバカしい限りでした。

異なる経歴、価値観の人材を積極的に活用したほうが(しがらみを排除し、岩盤のような組織を改革し)組織として活性化、発展すると思います。

 

兵庫県太子町で「港区の経営」の講演。隣のたつの市も含め素晴しい町。

8月上旬、兵庫県の知人の紹介で兵庫県太子町の経者を中心とする150名程度の方々に「港区の経営」について講演しました。財政再建、行革、新規施策など積極果敢に取り組んだ体験談、経営の参考となる話題を提供しました。多くの出席者と交流しました。太子町は姫路市の西隣。工場が立地し、財政的に自立している自治体と聞きました。斑鳩寺という古刹があります。1400年前聖徳太子が創建されたそうです。ユニークな建築があります。聖徳殿という六角形の3重の塔です。何度か再建され、最近では大正三年、棟梁伊藤平左衛門です。伊藤事務所の現社長は私の勉強仲間。ここにも伊藤平左衛門先生の作品があった、しかも不思議なフォルムの。先先代?の伊藤平左衛門先生の秀作に脱帽。山陽本線網干駅から車で5分。歴史とユニークな建築に、お参りと見学をお勧めします。後日スケッチを描くつもりです。町役場が最近完成、すばらしい建築です。空間構成、ディテール、材料の使い方など、勉強になります。もっとも、お会いした某町議会議員曰く、「40億円の工事費でこれから何十年も借金を返さないといけないから大変だ」と辛口コメント。

太子町の西隣はたつの市です。宿泊したのは梅玉旅館。(天然記念物かたしぼ竹で有名です)元家老屋敷だった敷地で、庭園が立派です。「寅さん」のロケに使われた旅館です。城跡を訪ねました。城主は脇坂家。どこかで聞いた名前と思ったら、忠臣蔵事件で浅野家(赤穂はさらに西隣)赤穂城の受け渡しを担当した大名です。引き渡しを反対する藩士が攻撃する恐れもあったでしょうから大変な任務だったと思います。城跡の御殿(私の知人はここで結婚式をしたそうです)、城主の庭園跡である聚遠亭、城下町を歩き、その佇まいを楽しみました。主要産業は薄口醤油、素麺、皮革の生産です。市内を流れる揖保川の水質故、独特の薄口醤油の生産にふさわしい立地です。当時の醤油工場が歴史記念建築として維持されています。また、地元の若手が空き店舗の活性化、有効活用などの活動をしています。面白い店舗がありました。相当年季は経っていますが、吹き抜け回廊付き、天井にトップライト。斬新なデザインに感銘。姫路駅からJRで22分。街歩きお勧めです。姫路城もよいですが。

姫路城はその美しさと規模に感銘。敷地規模は江戸城(皇居)とほぼ同じと思います。中国人観光客、白人の観光客を多く見ました。運命(不運)を感じました。持参したカメラのバッテリーが故障しました。せっかくの姫路城を前にし自分のカメラで撮影できませんでした。安藤忠雄さん設計の文学館を姫路城の前に見学しました。これもすばらしい空間構成です。子供たちや大人も図書を楽しんでいました。一つ都市計画上の問題点を見つけました。文学館周辺は2階建ての住宅地。住居系の指定と想像します。文学館の道路挟んで反対側に雰囲気の異なるホテルが立地。都市計画上許されないはずですが。いずれ姫路市の都市計画図を調べてみたいと思います。暑い日で下が素晴らしい町を見学しました。

区長秘話78、候補者報道、読売キャッチ、電話取材。

平成12年(2000年)4月後半、正式に(と言っても内輪ですが)候補者として出馬を承知しました。公式の記者会見まで数日ありました。公式発表の前、私の事務所に夜電話がありました。「讀賣新聞ですが、原田さんいますか?」(新聞の販売営業でありません)私は事情を悟り居留守を使い、スタッフのふりして「原田はおりません。要件を伺い伝えます」と返答。私はいかにして讀賣の記者が私が候補であることを知ったのか、だれがリークしたか考えました。翌日(確か土曜日だったと思いますが)また電話がありました。週末で私一人出勤でした。仕方なく原田であると名乗りました。記者「候補になったと聞いたが?」原田「何のことでしょうか。お話することありません。」と回答。記者「原田さんが与党の統一候補になったとのことですが?」翌日の読売新聞に「(個人名は特定せず)与党の統一候補で一級建築士が出馬」と記事が出ました。マスコミも厳しい報道合戦があるのだと悟った次第です。讀賣新聞の記者に脱帽。情報源がだれか?今でも考えております。