月別アーカイブ: 2017年11月

上尾市長、議長逮捕で感じたこと

10月末上尾市長と議長が逮捕されたことについて港区長時代の体験を基にコメントを書きました。その後の報道で、議長Tが先輩で、市長Sが元職員で議長に頭が上がらない関係だったとありました。ということで、さらにコメントです。

そういう力関係のほうが、不正を仕掛ける議員にとって都合がよいのです。そういえば港区でも1990年代、元区長Sは港区の部長で、ベテランの区議Yのほうが力が上で、Yは港区の官製談合の元締めと噂された人物、Sのような立場の人物が区長に就任することが都合が良かったのでしょう。上尾市の政治情勢と港区の政治情勢の類似性を感じました。1985年以降から1990年代の初頭までは高齢の区議会議長経験者が区長に就任しました。聞くと会議中居眠りするするので幹部職員は区長に挨拶させると居眠りしないようにすぐ退席させたそうです。また、トップにふさわしい経歴ではないようです。脇が甘い方だったようです。

私自身のことですから言いにくいですが、数人の幹部から、東京生まれで、かつ、初めて普通の経歴の方が区長になった、また、他区の幹部から、港区長は(少なくも外形的には)目を引く経歴の方ですね、と言われたと報告があったりしました。

ある利権勢力にとり、だれが区長になると都合が良いかと決まるのが今回の上尾市の事件を通じ、市長の選定プロセスで感じたことです。その前は暴走族上がりの方が市長だったそうです。(市民の方から聞きました)まともな職員からすればトホホの世界です。私は明確に意見を持ち、だれに対しても毅然と発言をしました。また、不正を叩き潰し回りました。不正を告発しました。ある種の勢力には不都合でした。武井区長のような総務しか経験がない、おとなしい、見ないふりができる人物が良かったのでしょう。

シンゴジラをテレビで娘と見て。

先日、たまたま自宅で映画シンゴジラを見ました。娘は一度映画館で見たことがあるそうで、いろいろ解説をしてくれました。自衛隊の組織、装備、内閣の指令本部など本物そっくりだそうです。首相を囲んで大臣たちが進言している場面がありました。若い女性が首相に対し助言をしていました。私はすかさず娘に、首相に発言できるのは大臣クラスだからこのような若い女性が(少なくも映画では若手女優でした)首相に意見を言うのはおかしいと噛みついたら、娘曰く「防衛大臣だから」との解説。「あーそーか、稲田防衛大臣と思えばいいのかなー」など会話。しばし、映画を観ながら娘と会話をつづけました。映画のおかげで娘と会話が成立しました。父と子供の会話が成立しないという話も聞きますが、映画のおかげでたっぷり娘と会話ができました。映画、シンゴジラに感謝。

浜松出張、隣にインド人研修生

11月中旬、出張で浜松に行きました。新幹線の車両に多くのインド人の団体客や白人の観光客グループがいました。たまたま隣にインド人が座りました。彼は英語で話しかけてきました。私は英語で応じました。彼は驚きました。日本人のほとんどが英語を話せない、放そうとしないのに隣にいる日本人は流暢に英語を話している。私は素性を言いませんでしたが、様々会話をしました。彼はインドのスズキの社員で浜松にはスズキの本社に研修に行くところだそうです。インドではスズキの車が人気があり大量に売れている。工場では日本的なやり方で生産をしている。などなど会話をしました。富士山に興味を持っているとのことで、富士山が見えるあたりから席を替わり、この方角で富士山が見えると解説、富士山が見え始めると盛んに写真をとっていました。紅葉の楽しみ方、宗教の話(神道、神社が正しく理解されていないようです)、日本の建築や食事の話などして差し上げました。

私も海外に出かけると道中で知り合った方と会話をし、地元についての知識を得る努力をします。しかし、海外では相手をよく選ばないと、スリだったり、詐欺師だったりする恐れがありますので声をかける際、あるいは、声をかけられた際、気を付けないといけません。

 

日本ではまだまだ英語教育が開発途上なんだなと感じました。

テキサス教会乱射事件、日本と文化、法律制度の違い、

先日、テキサス、サンアントニオ近くの教会で乱射事件がありました。アメリカは報道の自由があり、アメリカから多くのニュースが流れ、アメリカに対して日本のマスコミは何を言っても報復されないので、言いたい放題の報道、コメントがあります。中国、ロシア、北朝鮮での事件、事故ならそのような遠慮がちの報道姿勢になると思います。これが日本のマスコミの狡さと思います。それはさておき、日本の文化と法制度の違いを改めて感じました。

日本では事件があると警察が登場、警察だけが捜査に従事します。一般人は遠ざかり、関係をしてはいけません。今回の報道で、容疑者を追跡したのは一般市民です。容疑者に発砲し、事件は収束。容疑者を追跡した人物は報道によるとヒーロー扱いでした。事件の広報ですが、アメリカは自治体警察、市民の知る権利を優先しますから、市長と警察部長が必ず記者会見をし、ノー原稿で事件の説明をします。学生時代からディベートで鍛えられているので、ノー原稿で市長も警察部長、あるいは、現場の警察官もその場で現状をマスコミのマイクで語り説明します。日本と異なります。日本の警察は勝手にしゃべってはいけないと教育されています。

アメリカでは(多くの国でそうですが)武器を比較的自由に購入できますし、ボランティアで警察の協力者になります。今回も市民ボランティアが武装し容疑者を追跡しました。アメリカでは市民の義務です。1974年から1976年、テキサス州ヒューストン(人口200万人全米第四の都市)に留学中、面白い事件報道を見ました。ショッピングセンターで泥棒を取り押さえようとした私服の警察官が一人で格闘している時、通りすがりの高校生に容疑者逮捕の協力要請をしました。その高校生は協力要請を無視しました。すると、泥棒を捕まえた後、警察官は犯人逮捕に協力しなかった罪でその高校生を逮捕しました。日本ではあり得ない法体系です。文化の違い、法体系の違い、そこから異文化の理解、さらに、国防の考え方などが理解できます。国会での空虚な防衛議論でなく、こうした文化の違いも理解する必要があります。

早稲田大学同期会に参加

11月、1972年卒業の同期会の案内をいただき、都合が付いたので出席しました。幹事の皆様に感謝です。私の入学年次は1967年ですが、1年間交換留学したので卒業が1年延び、1972年の卒業です。(1971年にも籍があります)7000人の入学者に対し出席は約50名。

遠くは北九州市から参加されました。同じテーブルでしたので会話しました。1988年北九州市の末吉市長が主催する小倉駅北口駅前開発の委員を務め、市長と何度も議論しました。委員会と言っても企画局長、港湾局長、都市局長(3人とも国からの出向者で40歳と若い局長でした)と地元の企業代表1人と私の恩師菊竹先生(北九州ドームの設計者)と言った少人数でした。ということで北九州には何度も通った話、北九州から小一時間の町で音楽ホールを設計した話などで盛り上がりました。また、偶然、小中学校時代の同級生の女性もたまたま参加。やーやーしばらくということでまた盛り上がりました。大学時代は一度もあったことがありませんでしが、大隈奨学金をもらった優秀な学生です。小学校時代映画を一緒に見たりし、交流があった方ですが。しばし、青春時代を楽しみました。また、偶然港区民2人とお目にかかりました。港区政の裏話をしてあげました。

テレビでパワハラ議員の報道、港区でも

11月19日(日)朝、フジテレビの新報道2001を見ていたら、熊本市の市議会議員、北口さんという方ですが、大声、怒鳴り声で、議員、職員などを威嚇、脅迫している報道でした。いまどきパワハラです。数か月前には埼玉の衆議院議員の豊田さんの同様パワハラ発言がニュースに何度も報道されました。

私が港区長時代、同様、共産党幹事長Kが大声出す、脅迫する、マイク独り占めで私の記憶では40分くらい独演会をしたことがありました。部課長はチジミ上がり(それが彼の狙いででしょう)議事進行を自分のペースで進めようという作戦でしょう。部課長はさわらぬ神にたたりなしとばかり、できるだけ逃げ回っていました。議会の運営は議会がすることですから私は口出せませんが、私は、毅然たる態度で臨みました。区長が逃げたら示しがつきません。後で感じたこと、自民党の団長Mと裏でつながり、マッチポンプをやっていました。民間企業にも影響力を行使していたのでしょう。おそらく、一部部長、助役(現在は副区長と称します)や元区長などと裏で話をつけ、シナリオ通りの演技をしていたのでしょう。共産党幹事長Kは立派な歌舞伎役者です。裏が分っているので大根役者と言ったほうがよいかもしれません。今後こうしたことあればパワハラで訴えるぞ、と部課長は元気出してください。独立系の議員も職員に口汚く怒鳴り散らすのがいました。役人をたたくことに至極の喜びを感じているのでしょう。恐らく優秀な職員に嫉妬しているのでしょう。港区議会の議論、というより怒鳴り合い、この程度です。もちろん多くの区議は真面目ですが。アメリカとスウェーデンで民主的な(共産党が好きな言葉ですが)議論を多く体験した立場からするとマッカーサーが日本の民主主義は幼稚園以下と評価しましが同感です。

スウェーデンで学んだこと、税、ニクソンショック、日本からのニュース、毅然たる態度…

スウェーデン大使館のパーティで様々な世代の方とお話をしました。昔話を思い出しながら会話しました。

1 ニクソンショック、ドルの価値の低減、留学中の1971年8月15日、ストックホルムの銀行の外国為替が閉鎖となり、ドルの交換をしてくれませんでした。歴史的な日に自らドル交換不能という体験をしました。国際経済、為替など建築学科の学生として門外漢ですが、体験し学びました。貴重な体験でした。

2 消費税、所得税。私が区長に就任した際、周囲は「原田は建築屋だから税のことなんかわかんないだろう」と思ったと思います。1971年スウェーデンの消費税は9%、所得税は保険、年金込で50%。今は消費税25%。所得税と保険で1000万円の年収の場合で73%。税について意識啓発され、かつ、そうした税の体系の社会を体験しました。酒、たばこ、車などの税は高額です。さらには、1969年と1974年2度のアメリカ留学で、アメリカでは市役所ごとに消費税が異なります。アメリカでは市議会が消費税率を決めます。毎年変わります。(市議会議員は税の理解力がないと務まりません)消費税は基本的にすべて市税です。日本ではほとんど国に持って行かれますが。私は税に対して意識は高いです。港区の区長、副区長、税務課長はこのようなことを知らないでしょう。

3 日本からのニュース。1971年9月17日付、スウェーデンの新聞の一面に大き「成田闘争で3人の警察官が殺される」と報道。また、ラジオで日本の第四党(当時)と思いますが、公明党の竹入委員長が刺されたと報道。日本からの報道が多くありました。新聞記事あります。

4 文化、芸術の報酬の高さ、異文化理解。スウェーデン政府の賃金統計資料を入手しました。俳優、音楽家、バレリーナなど文化芸術分野の職業の給料が高いので驚きました。私が都知事かNHK会長なら、東京都交響楽団、N饗の団員の給料は今の3倍か4倍にします。私もデザイン事務所で勤務し、高給をいただきました。異文化理解で、毎月数本公民館で日本の映画、中国(共産中国です)の映画など上映していました。東京でこのような異文化の英語上映はほとんどないです。賃金統計表持っています。映画上映のポスター持っています。

5 毅然たる態度。1971年留学中に北朝鮮の一等書記官が麻薬持ち込みで空港で逮捕、強制送還されました。当時はバカな外交官がいるもんだと思いましたが、当時から北朝鮮は麻薬ビジネスをし、ヨーロッパで売りさばいていたのでしょう。スウェーデン政府は毅然たる態度でした。20年くらい前ロシアの潜水艦がスウェーデンの領海に侵入、漁網にひっかり操縦不能となりました。スウェーデン海軍は「直ちに浮上せよ、出ないと爆弾を落とす」と強硬な態度。浮上した潜水艦艦長に謝罪させました。ウクライナ、チェルノブイルの原発事故の際、旧ソ連は例ののごとくかたくなに秘密を守り事故後1週間公表しませんでした。スウェーデンが大気中の放射脳を観測し、ソ連に原発事故があったのだろう、正直に言えと迫り、ソ連は公表しました。日本政府関係者なら穏便に、まーまーというスタイルかもしれません。こうしたスウェーデン人の毅然たる態度は港区長時代の私のスタイルでした。スウェーデンから良いことを学びました。

6 役人は公僕、情報公開、検閲なし。スウェーデンの役人は公僕、市民、国民に仕える立場という認識です。親切です。日本は官の立場は伝統的にえばる立場です。能力もないのにただえばり散らす役人を少なからず知っています。役人が公僕だから、福祉も医療も教育も無料でサービス精神豊かに国が担当できます。日本なら公共サービスが無料になったら「注射うってやるよ!」と言った態度になるでしょう。30年前の国鉄の慇懃無礼な職員を思い出してください。検閲はありません。判断するのは国民です。新聞でも雑誌でも映画でも、死体の写真やオールヌードの写真が掲載されます。官は一切口出しません。国民の熟度が高いということでしょう。

 

スウェーデン大使館で留学経験者の集い

スウェーデン大使館から留学経験者の集い(第1回)を開催しますと案内が来ました。都合が付いたので参加しました。11月24日(金)6時半から9時半まででカジュアルな雰囲気のパーティでした。集まったのは50名程度です。何人かの方とお話をしました。驚いたのは早稲田、明治大学等の現役の学生がいました。交換留学で数か月から1年スウェーデンの大学などに留学したそうです。20歳程度の若い方が異文化を体験、専門を学んだことはすばらしいことです。人生観や価値観が広がったことと思います。私は老人組ですが、同じような世代の方、若い方と会話をし、楽しいひと時でした。スウェーデン大使、大使館に感謝です。

港区長秘話86、退任時有終の美を飾ろうと企画、オット邪魔が。

港区長の任期は平成16年6月27日(日)。実質6月25日(金)が最後の日です。湿っぽいセレモニー、挨拶を私は望まないでの楽しくやろうと考え、自ら企画しました。閉庁後の5時15分から5分、区役所のロビーで職員と一緒にピアノの演奏で「港区歌」を歌い、楽しく終わるという内容です。契約管財課長にロビー使用許可を願い出ました。また、障害者福祉センターにあるグランドピアノのオーナーから借用許可をいただき、自費で当日ピアノを区役所ロビーに運び込み、また戻し、その際の調律の費用を負担しました。(この費用については共産党幹事長K氏が費用は誰が払ったか?と幹部に聞いてきたそうです。自分の高級外車の費用の出所は語らずです)日本的な堅苦しい、湿ったセレモニーは好きでありません。アメリカ的な楽しいセレモニーが良いと思いました。

セレモニーの2,3日前、政策経営部長Nが区長室に入ってきて「前例のないセレモニーはしないでください。民主党の幹事長(老人)Yと共産党の幹事長Kも前例のないことをしないようにと言っています。」と言いました。驚きました。区長のサポート役がセレモニーの妨害です。区長の退任式ですから、議会の幹事長は無関係です。また、幹部役人が「前例のないことしないでください」というのは絶対言ってはならない言葉です。Nはその程度の人物だったということです。(そんな上司で職員も気の毒だ)

私は職員組合の委員長を区長室に呼び、事情を説明しセレモニーに職員を動員してほしいと依頼しました。Nには退任式だから区長に有終の美を飾らせてやろうといった気持はなかったです。政策経営部長(本来区長のサポート役)に妨害され、職員組合委員長(労働条件で激しくやり合う相手側です)にセレモニーに職員を動員してくれと依頼しました。情けないことです。多くの職員がロビーに集まってくれ港区歌を歌い楽しくセレモニーし、私の妻から職員代表にお礼の花束を差し上げました。

後日談です。前例のないことするなと言っておきながら、武井区長とN副区長(部長から昇格)は支所改革と称し、人口20万人の港区で支所制を敷きました。人口80万人の世田谷区が20年前支所制を導入しましたが数年前廃止しました。私は港区の支所制度は課題が多いと思います。私に前例のないことするなとN部長の発言は私に対するいやがらせでしょう。自ら舌の根も乾かぬうちに前例のないことをし、その後港区でいくつかのトラブルが生じました。

N副区長は、副区長退任後、港区の文化財団の理事長を務めています。およそ、文化も芸術もスポーツの理解しない人物です。適正に欠く人物を元副区長だからということで配置したのは問題ある役所的人事です。武井区長の先輩だからなかなか辞めさせることはできないでしょう。企画力、発想力に欠ける人物がその団体のリーダーですから港区の文化芸術は停滞です。

六本木新国立美術館で安藤忠雄展、テーマはEndeavor(挑戦)、私の事務所のキーワード!

先日、六本木の新国立美術館で開催されています建築家、安藤忠雄展に行きました。大勢の訪問者で賑わっていました。安藤さんの創作活動の総決算の展覧会と思います。その中で気になったタイトルがありました。”Endeavor”(挑戦)です。エンデヴァーというキーワードを見て、我が意を得たりと思いました。私は1980年事務所を設立した際Space Endeavor(空間への挑戦)と名付けました。今でこそ、スペースシャトル、エンデヴァー号が打ち上げられましたとNHKニュースなどで報道されますが、当時はエンデヴァーと言っても英語を理解する方はほとんどいませんでした。そこでSpace EndeavorにCollaborates(仲間たち)をつけ、先頭の文字を並べSEC計画事務所としました。1980年私が無い知恵絞り私の活動、「挑戦」をカギとなる言葉としました。安藤さんも同じことを考えていたのはうれしい限りです。まだ挑戦し続けます。