1980年4月31歳で起業しました。特に仕事の当てがあったわけでもなく、また、経営戦略があったわけでもありません。ただ、自分の意志で仕事をしたいと思いました。早稲田大学時代の指導教授穂積信夫氏と実務の恩師の菊竹清訓氏の教えで、何でも書き残せ、言い続けろ、書き続けろを実践してきました。(港区では一部の区議からなぜ原田は原稿を書くのかと私にとり意味不明な質問、批判がありました。ヤッカミ嫉妬の議員と物を書く能力に欠けた議員からの発言でした。)菊竹先生のご紹介で1980年日経サイエンスに「アメリカのリバーフロント開発」(テキサス州サンアントニオ市の事例)について寄稿しました。また、アメリカの都市開発やコミュニティ論について専門書や新聞の論説に寄稿しました。すると、東京都建設局から職員研修講師の依頼がありました。最初の仕事です。翌年は東京都の職員研修所で「アメリカのコミュニティカレッジ」について半年間の長期研修講師を依頼されました。
「専門書に寄稿すること」は大切です。影響力があります。自らの考えや知見を整理、公表することは大切です。
翌年、友人から某区にある都営団地の建て替え計画について周辺のまちづくりの観点から検討してほしいと依頼がありました。数年後、実施設計の仕事につながりました。
1985年頃東京都庁の職員で私の小論をたまたま読んでくれた方から電話がありました。原田さんに仕事のことで相談に乗ってほしいとのことでした。また、同じ頃、茨城県知事からお声がかかり、知事の前である政策についてご進講させていただく機会がありました。私の原稿を読んでくれた茨城県職員の紹介でした。
原稿をどのように発表するかですが、建築学会なら「梗概論文」は学会員なら誰でも寄稿できます。大いに活用したらよいと思います。5年くらい書き続ければ結構な成果となります。外部に堂々とアッピールできます。依頼があれば何でも積極的に書いたらよいと思います。
創作活動するなら、大手の組織にブル下がるのではなく、自ら起業し、自らの発想で仕事をしたらよいと思います。振り返ると事務所設立し、事務所を運営し約40年経過しました。仕事を出してくださった発注者の皆様、仕事を直接させてくれた仲間に感謝の気持ちでいっぱいです。