日別アーカイブ: 2018年1月4日

港区長秘話90、小学校廃校問題その3

平成15年12月24日、飯倉小学校校長から区長室に電話がありました。「一部PTAや議員が授業中であるにもかかわらず、小学校児童を連れ出し、区長に面会を求めに区役所に向かった」との連絡でした。しばらくして区長室の外でざわざわ声が区長室にまで届きました。私は、授業放棄は法律違反であること、事前の申し入れもなく、突然、大勢で区長に面会を求めるのは強要であり、マナー違反であり、そういう点で子供も教育にもよくないと判断し、面会拒否しました。ここまで事態が推移したことに「I 教育長は一体何をしてきたのか」、「私に手続きは進めています、問題ありませんと報告し続けたこと」に私は i  教育長の無能さ、いい加減さを感じました。別の残念なこともありました。こうした事態に某マスコミは「港区長、小学生に冷たいクリスマスプレゼント」と報道しました。不正確、不適切な内容です。

すべての責任は区長である私にありますが、自らの指示での事なら何でも責任を取る覚悟はありますが、I 教育長、K次長、T庶務課長の事務手続きに問題を感じました。彼らは今何を思っているのでしょうか?

港区長秘話89 小学校の廃校問題その2

港区の小学校の廃校問題についてその2です。平成15年の秋、飯倉小学校の廃校手続きの問題が近隣の区にも漏れるようになったのでしょう。隣の千代田区議(自民系)のO氏が区長室に入ってきました。氏は永田町小学校の元PTA会長、廃校反対で千代田区役所と戦った人物です。氏は「廃校問題は止めておけ」との助言でした。「平成16年6月の区長選を控え、タイミングも悪いし、廃校手続きは慎重にしろ」との助言でした。私も全く同感でした。

以前、I 教育長に「慎重に」と私の気持ちを伝えました。再度、改めて、I 教育長を区長室に呼び、「慎重に」と伝えました。I氏は無表情、ほとんど無反応状態。長年の役人生活から本心を表さないように身についたのでしょう。氏は教育長に就任前は収入役(3役の一人)その前は企画部長。区職員としてはそれなりに頑張ってきたのでしょう。一定の知識、教養は持っていたのでしょう。しかし、I 教育長は自分の意志で大きな課題に立ち向かうような性格ではないと私は見做していました。飯倉小学校の廃校手続きを強引に進めようとするのは、他からの力が働いたのでしょう。ある種の謀略だったのでしょう。

I 教育長はS元区長の時、三役の一つの収入役に抜擢されました。S区長に重用されたのでしょう。私が区長に就任した平成12年6月の3か月後に当時の教育長の任期切れで新教育長人事がありました。私は当時のN教育長を再任し、しばらくしてから別の幹部に教育行政を託そうと考えておりました。しかし当時のN教育長は「任期末で退任したい」と私に意向を伝えてきました。S元区長に意見を求めたところ「U助役は筆頭部長のWを教育長候補として原田区長に推薦するかもしれない。するとW助役就任の可能性が遠のき、U助役はしばらく助役を継続できると考えているかもしれない。I 収入役を教育長にしてはどうか」と助言がありました。ですから、小学校の廃校について、I 教育長の発想、リーダーシップでなくS元区長からの影響が強かったと考えるのが自然です。

I 教育長就任人事は議会承認人事です。事前に与党の各政党の幹部に人事案を説明しました。2,3人の幹部議員から「えー!」と否定、なぜ、ともとれる反応が返ってきました。

ついでに、W政策経営部長の婦人は同じく港区の職員で、W氏は教育長になる気満々だったようです。私と個人的にパイプがあった現場の職員からの話で、奥さんはその頃退職し(三役に就任すると奥さんが部下として同じ職場にいるのは不適切と考えられるのでしょう)ご本人は三役入りするつもりだったのでしょう。また、W氏は現場の職員からの信頼が厚かったようです。人事は様々な要素が絡み合います。