月別アーカイブ: 2018年5月

文春文庫「収容所から来た遺言」、心に突き刺さる人生教訓

区長時代愛読書3冊挙げて欲しいとの要請で、①か・かた・かたち(建築家、菊竹清訓著)、②竜馬が行く(司馬遼太郎著)、③収容所から来た遺言(辺見じゅん)の3冊を挙げました。子供に収容所から来た遺言を貸し、たまたまテーブルの上に置いてあったので、改めてページをめくりました。太平洋戦争後シベリアの収容所に12年抑留され、現地で死亡。仲間が手分けし、主人公の遺言を記憶し、生き延びた仲間が日本に帰国後、順次未亡人に遺言を口伝で届けたという実話です。ソ連は文書を持ち出すことを禁止していました。(そうした体制はご免です。ソ連共産主義の実態をマスコミはあまり報道しません。)ですから仲間数人が手分けし、記憶し、日本に帰国後ばらばらと未亡人に言葉で伝えました。

共感すること、自分の人生観に合致する内容が書かれています。

1 日本民族として生まれたことを感謝。日本民族こそ将来東洋と西洋の文化を融合する唯一の媒介者。

2 最後に勝つのは同義。誠。まごころ。

3 人の世話にはつとめてならず、人の世話は進んでせよ。(むいみな虚栄はよせ)

4 自分の才能にうぬぼれてならない。学と心理の道において徹頭徹尾敬虔であれ。立身出世などどうでもよい。自から磨けば博士や大臣が向こうからやってくることは必定だ。要は自己完成。

政治家、経営者などに聞かせたい言葉です。

ローマの市電風景、突然の検札

ローマ滞在中、大使夫人のご案内で市電に乗車。19番。のんびり走る市電から見る風景が楽しいです。ある停留所で突然5,6人の集団の検札係が乗車。一斉に乗車券を持っているか検札です。ローマのバス、市電は乗車券を運転手が売るのでなく、街中のキオスクで乗車券を購入します。イタリア語を解しませんから十分理解したわけでありませんが、検札係(女性が1人)が身に着けているジャンパーにPOLISIと書かれていましたので、警察的権限を持った検札係と思いました。私はきちんと乗車券(大使夫人が購入したものですが)を持っていますので問題ありませんが、一部に持っていない乗客は免許書等提示を求められています。恐らく後日罰金(10倍程度と聞きました)の請求が届くのでしょう。国、地域により秩序維持の方法が異なります。市電は市営です。

ちなみに地下鉄の営業時間を大使夫人に聞きましたら、深夜12時くらいまで、早朝は5時くらいからです。ただし、土曜日は外食などの客のため、深夜1時過ぎまで運行しているとのことです。東京などで参考にすべきです。

トルコ政府、海外に対し熱心に投資のPR、機内誌で

ブルガリアのソフィアでの国際会議出席のため、東京、イスタンブール、ソフィアというルートでトルコ航空を利用しました。イスタンブールでの乗り継ぎも便利、また、イスタンブールは24時間空港、空港内はショッピングセンター(24時間の営業、成田空港が夜8時で免税ショップが閉店しシャッター街になるのとは正反対)で賑いがあり、買い物も楽しめます。(女性の観点から24時間女性が仕事をしています。また、雇用の観点から、24時間ということは3倍の雇用数があると言えます)

トルコ航空に乗り、座席の前にある機内誌など見てたら驚き。トルコ政府のPRの小冊子がありました。「グローバルビジネスのためあなたもトルコ政府に投資してください」という内容です。日本政府も世界で大使館などが日本への投資セミナーを開催したりしていると思います。しかし、飛行機の中でPRしているのはトルコ政府の熱心さを感じます。日本政府も見習うべきです。

その内容はG20の中で、GDP成長率の比較図が掲載され、なんと、トルコが7.4%でトップです。ちなみに日本は1.7%、アメリカ2.3%、ドイツ2.2%EU全体が2.4%、韓国3.1%、インドネシア5.1%、インド6.4%、中国6.9%です。データはさまざまな視点から分析する必要がありますが、重要な指標でみる限りなるほどと感じさせられます。2年前クーデター騒ぎがありました。また、空港での乱射事件がありました。トルコに対するイメージが低下している中、機内誌として多くの方に良い方のトルコの現実を知ってもらおうというPR作戦の一環と思いました。小冊子(A-4サイズ二つ折り)のデザインもすばらしいです。トルコのイメージカラーの「赤」。目立ちます。統計の図がきれいに見やすくレイアウトされています。コンパクトに編集されています。トルコの熱意を感じました。

ローマで日本人観光客と遭遇せず、圧倒的な中国人旅行客

18日金曜日、19日土曜日とローマ市内の有名な遺跡、教会、公共施設を視察しました。どこでも多くの観光客がいます。使っている言語、顔つきなどから判断すると、日本人観光客と遭遇しませんでした。一方、多いのが中国人、また、韓国人もそこそこ遭遇しました。実体験ですが、日本人が世界的に有名な観光地に少ないことに驚きです。中国勢のパワーを感じ、逆に、日本人のプレゼンスの無さを感じました。

ローマで地下鉄、市電に乗車、スリに警戒、たまたま5人の警察官が乗車

ローマでの移動はお世話になっている元大使のご案内でいつもタクシー。ある時、市電に乗りました。20日(土)の夜7時半過ぎ元大使宅から夕食の予約した場所まで地下鉄A線ヴァチカン駅から乗車しました。大使から「スリに気をつけろ」と注意されました。たまたま乗った車両に職務で移動中と思われる警察官5人がいました。これなら大丈夫と感じました。偶然です。そうでないとスリが熱心に活動します。

ソフィアの環境政策

10年ほど前ブルガリアはEUに加盟しました。EUから様々政策の指導、助言を受けます。街中にきれいなゴミ箱(漫画のキャラクターが描かれています)が分別で3台異なるデザインで並んで設置されています。友人の説明です。「EUからの指令で分別収集をしろとのことで3台設置しているが、ほとんど実行されていない。面白いのは、資源ゴミなどはジプシーがゴミ箱をあさり、使える物は皆持って行ってくれるので特殊なリサイクル方法が政策でなく生活の必要性から、され、それなりに機能しています」とのことです。(ジプシーという言葉は、日本では差別用語とみなされている場合がありますが、ハンガリーにジプシー楽団という音楽グループがあり、東京のハンガリー大使館が主催でジプシー音楽の紹介、宣伝をしています)港区(他の区も同じでしょうが)の清掃収集はうまく機能していると思います。

また、建築の断熱もEUの指導で実施されているとのことですが、制度がうまく機能せず、断熱保全工事が適切に進んでいないとのことです。たまたま通りがかった建物で断熱工事をしている現場がありました。数秒ですが見ました。友人の説明ではEUの基準通りにされていない恐れがあるとのことです。

 

ブルガリアの観光、訪問時の視点、「歴史」

ブルガリア、ソフィアを訪問した際、友人から聞いた話です。ブルガリアというと5月は特にバラ祭りが地方都市で開催され、観光的ににぎわいます。また、ブルガリアというとヨーグルトが有名です。氏の説明によると、「確かに一部であるがブルガリアの本質でなく、ブルガリアを理解するためには「歴史」(ローマ時代から現在まで)を理解することが大切で、観光的にも「歴史」を売りにしたらよいのではないか」とのこと。確かにソフィアの街中に2000年前近くの遺跡が多く存在しています。時代を反映した宗教建築が多く存在しています。一部にイタリア人建築家の支援で地下遺跡を保全し、入り口をガラスでデザインされた歴史博物館(小規模ですが)必見です。そのデザインは国際建築アカデミーの新たな会長に就任したアメデオ・スキアッテレーラ氏の助言、デザインです。その前に市役所があります。中心市街地の地下鉄セルディカ駅に隣接し遺跡の発掘が行われ、一部展示がされています。

ローマ美術館など視察

ブルガリア、ソフィアの後、旧知の元駐日本イタリア大使のお招きでローマを訪問しました。数日の滞在ですが、びっしりと訪問日程表を作っていただき、日程表に基づきいくつかの有名美術館など視察しています。市内Altemps美術館を見学しました。入り口でセキュリティチェック、警備員はびちっと決まった制服を着て、ピストルを持ち、日本の警備員と異なります。建築の平面は「ロ」の字型の平面で、中央に中庭があります。中庭に向かい一部にテラスがあります。部屋にはフレスコ画が当時の状態でかなりの部分が保存、そのまま展示されてています。2000年前の彫刻が所狭しと展示されています。、驚きは、2000年前の彫刻が展示してある中で、一部に現代アートが置かれています。イタリア人的ユーモアなのか、一部には、日本だったら卑猥だ、けしからんと批判が出そうな絵や物も2000年前の彫刻の前に展示されています。アートを観賞する際、アートを広く理解しないといけないと感じました。

お連れ頂いた元大使の奥様曰く、ローマでは週末、美術館は夜の10時、あるいは深夜まで開館、入場料も無料で運営し、にぎわっているとのこと。日本の美術館は5時で閉館(最近一部に多少遅くまで開館している事例がありますが)、さらに、コンサートホールも9時で閉館、訪問者はコンサート終了すると職員やガードマンから「早く出てください」無粋な声掛けをされ高揚した気分が直ちに凍り付いてしまします。夜が安全な日本で夜遅くまで開館すべきです。

父親は国際志向でした。理解できない方の困ったチャン

私の父親は東京都庁に勤めていました。昭和30年代、総務局文書課法規係長として当時の東京都の条例のかなりの部分は父親が立案、あるいは関与したと思います。激しい議論をする係長として有名だったようです。事業局の担当者が条例の草案を父親に持って行き、見せるとガンガン指摘されたと後年聞いたことがあります。また、隣のセクションで勤務していた当時の若手(その後局長等歴任)から後日談を聴きましたが、隣の文書課で原田さんのお父さんが大きな声で議論しているのを覚えている、と言われたこともありました。怖い存在だったとのこと。怖い存在も必要です。緊張感が大切です。

昭和30年代、東京都の姉妹都市のニューヨーク市(はるかに先輩格ですが)と交換吏員制度があり、半年間ニューヨーク市で勤務(体験程度でしょうが)する制度があったそうです。父親から聞いた話です。ニューヨーク市役所で経験を積みたいと思い、交換吏員の試験に応募したが残念ながら合格できなかったとのことです。そうした残念な気持ちを息子に託し、機会があれば海外留学してみろという気持ちで私の海外留学を応援してくれました。経済的には1ドル360円の時代で、日本の大卒初任給が2万円代、アメリカの初任給が500ドル(18万円)の時代ですから、大変だったと思います。当時父親の月給は11万円(部長級)。自分の生活を相当切り詰めたと思います。

そうした父親の支援もあり海外留学をしましたが、意識のない方々からいわれなき批判の言葉をいただいたのは残念です。特に国際化と表面上発言する港区役所の幹部から言われたのはショックでした。こんなレベルの連中が港区政(特に国際化は表面で繕っているだけで中身はありません。)を仕切っているのかと思うと、残念です。港区の最高幹部は国際化について勉強していません。知りません。知ろうとしません。熱心に家族の国際化に取り組んだ父親に対する(港区の職員にとり先輩格です)侮辱です。

ブルガリア国際建築アカデミー参加者の国籍、個人レベルでは皆お友達

ブルガリア国際建築アカデミーに1994年以来参加し、参加者の国籍は様々です。場所柄ヨーロッパ勢が多いですが、アジア、南米、オーストラリアなどからの参加者がいます。1990年代内戦のあった旧ユーゴスラビア、現在はセルビア、モンテネグロ、スロベニア、マケドニア、コソボ、クロアチアなどに分離していますが、それぞれの国の参加者はそうした国家レベルの争いを棚に上げ、仲良く建築デザインの交流をします。今回もセルビアから2人の参加者がいます。一人の方はセルビア国内では少数派に属し、生活に一定の苦労があるようですが、議論に熱心に参加しています。トルコとギリシャもキプロス問題で政府間はいがみ合っていますが、建築家同士は仲良しです。文化、芸術、学術、スポーツなど通した草の根の交流が必要です。

私は内戦終結後の1997年、セルビアのベルグラードの建築家の大会に招かれ、パネル展示をし、建築家協会長のご案内で、若い建築家と意見交換しました。建築はいわゆる平和の時代に建造されますから、建築家は平和主義です。セルビアの建築家も内戦を大変悔やんでおりました。