日別アーカイブ: 2018年5月15日

父親は国際志向でした。理解できない方の困ったチャン

私の父親は東京都庁に勤めていました。昭和30年代、総務局文書課法規係長として当時の東京都の条例のかなりの部分は父親が立案、あるいは関与したと思います。激しい議論をする係長として有名だったようです。事業局の担当者が条例の草案を父親に持って行き、見せるとガンガン指摘されたと後年聞いたことがあります。また、隣のセクションで勤務していた当時の若手(その後局長等歴任)から後日談を聴きましたが、隣の文書課で原田さんのお父さんが大きな声で議論しているのを覚えている、と言われたこともありました。怖い存在だったとのこと。怖い存在も必要です。緊張感が大切です。

昭和30年代、東京都の姉妹都市のニューヨーク市(はるかに先輩格ですが)と交換吏員制度があり、半年間ニューヨーク市で勤務(体験程度でしょうが)する制度があったそうです。父親から聞いた話です。ニューヨーク市役所で経験を積みたいと思い、交換吏員の試験に応募したが残念ながら合格できなかったとのことです。そうした残念な気持ちを息子に託し、機会があれば海外留学してみろという気持ちで私の海外留学を応援してくれました。経済的には1ドル360円の時代で、日本の大卒初任給が2万円代、アメリカの初任給が500ドル(18万円)の時代ですから、大変だったと思います。当時父親の月給は11万円(部長級)。自分の生活を相当切り詰めたと思います。

そうした父親の支援もあり海外留学をしましたが、意識のない方々からいわれなき批判の言葉をいただいたのは残念です。特に国際化と表面上発言する港区役所の幹部から言われたのはショックでした。こんなレベルの連中が港区政(特に国際化は表面で繕っているだけで中身はありません。)を仕切っているのかと思うと、残念です。港区の最高幹部は国際化について勉強していません。知りません。知ろうとしません。熱心に家族の国際化に取り組んだ父親に対する(港区の職員にとり先輩格です)侮辱です。

ブルガリア国際建築アカデミー参加者の国籍、個人レベルでは皆お友達

ブルガリア国際建築アカデミーに1994年以来参加し、参加者の国籍は様々です。場所柄ヨーロッパ勢が多いですが、アジア、南米、オーストラリアなどからの参加者がいます。1990年代内戦のあった旧ユーゴスラビア、現在はセルビア、モンテネグロ、スロベニア、マケドニア、コソボ、クロアチアなどに分離していますが、それぞれの国の参加者はそうした国家レベルの争いを棚に上げ、仲良く建築デザインの交流をします。今回もセルビアから2人の参加者がいます。一人の方はセルビア国内では少数派に属し、生活に一定の苦労があるようですが、議論に熱心に参加しています。トルコとギリシャもキプロス問題で政府間はいがみ合っていますが、建築家同士は仲良しです。文化、芸術、学術、スポーツなど通した草の根の交流が必要です。

私は内戦終結後の1997年、セルビアのベルグラードの建築家の大会に招かれ、パネル展示をし、建築家協会長のご案内で、若い建築家と意見交換しました。建築はいわゆる平和の時代に建造されますから、建築家は平和主義です。セルビアの建築家も内戦を大変悔やんでおりました。

ブルガリア国際建築アカデミー大会スポンサーに感謝

行事をする際、スポンサーからの支援が必須です。私も菊竹先生のご依頼で国際会議を2度日本で開催しました。その際、スポンサー探しの経験をしました。また、フルブライト同窓会会長を務めた際も奨学基金のスポンサー探しをしました。

ブルガリア国際建築アカデミー大会のスポンサーはSaint-Gobainという断熱の石膏メーカーです。大会運営に、おそらく、数百万円が必要です。スポンサーあっての大会です。直接のつながりはありませんが、感謝申し上げます。

日本は寄付文化があまり積極的、肯定的でありません。こうした文化、芸術、学術の会合に是非、多くの企業が理解を示し、お支え下さるよう期待します。

空港比較、成田、イスタンブール、ソフィア

ブルガリア訪問は、イスタンブール、ソフィアという経路。トルコ航空を利用しました。成田夜10時半出発。8時過ぎに成田でチェックイン。ゲートに向かい歩くと、免税ショップはシャッターが下り、所謂シャッター通り。前回も指摘しました。空港施設の経済活性化、ひいては成田空港のアジアの中での世界的地位の向上など、検討課題です。イスタンブールに早朝4時前に到着。ソフィア行は7時45分出発。ゲートに1時間前の6時45分にチェックイン。その間3時間近くの待ち時間があります。空港は24時間空港、空港自体が巨大なショッピングセンター。退屈しません。お店も24時間営業です。成田と根本的に異なります。ハブ空港で大勢の乗客で賑わっています。門外漢ですが、航空政策を考えさせられます。

ソフィアは、トルコ、イスタンブールの隣ですから所要時間は1時間。車で5時間程度。ソフィア空港に到着。到着時間表を見て驚き。深夜0時15分マドリッド便到着、0時40分ボローニャ便到着、1時35分ワルシャワ便到着、1時55分ニュルンベルグ便到着、2時10分バルセロナ便到着、2時50分ロンドン便到着、・・・とあります。ソフィア空港も24時間空港で、ヨーロッパでは小国ですが、観光客などの誘致に頑張っている様子が理解できます。ブルガリアの人口は700万人、ソフィアは120万人。

ブルガリアの国際建築アカデミー、海外での建築家の仕事獲得方法、コンペが主流

ブルガリア、ソフィアで国際建築アカデミーの大会で各国の建築家の報告(デザイン論)を講演で聴いています。その内容が最も知りたい、学びたい内容ですが、もう一つ重要なことは建築家がどのように仕事を取ったかです。講演内容、資料によると、ほとんどがコンペです。コンペが当然という考えです。

日本では、ほとんど入札。入札書を届け、一斉開封で最も安い入札額を提示した設計事務所、コンサルタント事務所が仕事を得ます。手続きが簡単だからという理由です。仕事の質、担当者の質、経歴、人柄などは全く審査の対象外。本来はそれが最も重要なことです。しかも、

「原田敬美のブログ」でも書きましたが、大手設計事務所だから任せて安心ではありません。問題となった豊洲市場は大手の設計事務所が担当、しかし、まともな議事録が作成されていなかったことが明らかになりました。

港区では予定価格の1/4で落札したエレベーターメンテナンス会社(私の事務所と同じSECという会社だから癪に障りますが)が不適切なメンテナンスをし、住民が亡くなる事故がありました。港区はエレベーター新規採用とメンテナンスで入札を止めました。(契約手続きや技術力の判断力を分らない幹部の責任です)

コンペは発注条件を作成し、審査員を選び(日本では数少ないコンペで、著名な教授とか権威に頼る傾向があります。その他の審査でも)、審査をし、発表するという手順に時間がかかります。しかし、良い質の作品、成果が生まれます。特に国際コンペとなると英文の資料を作成したりなど面倒くさいとしてほとんど国際コンペもしません。自治体の営繕部門、契約部門から相談があればいつでも助言申し上げます。

社会的話題となった新国立競技場のコンペも上記のような失敗がありました。欧米はコンペは比較的オープンで誰でも参加できる傾向にあります。私もいくつか参加したことがあります。

中国人建築家(周氏)は北京の人民日報本社の設計者。コンペで入賞し、デザインをし、損の経験を講演しました。例えて言うと、朝日新聞、読売新聞、日経新聞など建築家選定で公開コンペをしませんでした。これまでのお付き合いのあったいわば系列の建設会社に発注しました。建築家が主導するという欧米の当たり前のデザイン行為が日本でされていないのは残念です。欧米、中国と比べ、日本の建築家の政治力のなさ、意識のなさ、組織力のなさが原因です。

「原田敬美のブログ」で友人の病院の工事で追加請求書が出され、1億円の追加が、私がチェックし、1850万円!!!に減額したことを紹介しました。マンションの大規模修繕でも同様のことがありました。

港区長時代も施工会社がつるんでいると思われる公共工事で1割も高い積算書が出され、区長である私が自らチェックし1割減額させた事例があります。真面目な建築家が厳しく積算書を作成、チェックする必要があります。設計施工は発注者にとり楽な方法かもしれませんが、施工内容、積算内容をチェックする体制を作らないととんでもない買い物になります。

世界の著名建築でコンペの事例を改めてご紹介します。

 

ブルガリア、ソフィアの報告、この間の変化

初めてソフィアを訪問したのは、1994年、私の実務上の恩師の菊竹清訓先生にお誘いを受けご一緒させていただきました。当時、共産党政権が崩壊し、民主化の道をたどり始めた時期です。夜、中心商店街を歩くと真っ暗。唯一の大型デパートに行くと、照明は暗く、高い天井、大規模な空間に客はほとんどおらず。店員もサービス精神がないという状態でした。空港は老朽化し、トイレはうす暗く、規模は日本の地方空港並み。今は新築され美しい施設です。

当時は入国にヴィザが必要でした。(ヴィザをもらうのに1か月要しました。また、入国時に証明書の発行を受け、イエローペーパ、泊まったホテルなどの証明スタンプを押してもらう義務があり、出国時にそれを提出、もし、紛失すると厳し尋問が待っています)今は無用。入管で若い審査官が入国目的を尋ね、私が「国際学会」と英語で答え、すると「英語がお上手ですね」と英語で回答、さらに笑顔で「ありがとう」と日本語で挨拶を受けました。サービス精神旺盛と感じました。日本の入管職員も参考にすべきです。

税関は3人(男性2人、女性1人)立って見ているだけ。乗客は皆フリーパス。

ホテルにチェックインし、(四つ星ホテルで日本のシティーホテルのような雰囲気)カウンターで地図をもらい、ホテルの位置を確認、その他、以前も街歩きした場所を確認しました。驚いたこと。1、地図に市役所の位置が描かれていません。前回は女性市長と面会したので場所を覚えていますが。日本や西側の地域であれば市役所は必ず表示されています。2、旧共産党本部の建物。90年代まで共産党本部だった建物は市内で最も大きく、国民を睥睨、監視する役割を担っていました。(建築デザインが発信するメッセージは大きな役割があります)今はおそらく民間企業の建築として使われているのでしょう。(同席したポーランドの若手建築家によるとワルシャワでは共産党本部の建築は証券取引所になっているとのことです)

道路はガタガタ、車で走ると振動を感じます。インフラのメンテが上手にされていない印象です。ストイロフ氏、学生に経済状態を尋ねると、結構厳しいという回答。ホテルのロビーでジュースを注文し、ユーロで支払おうとしたら、ブルガリア通貨のレヴァで支払ってくれと言われ、驚き。ユーロで決済と思っていましたら庶民の生活は現地通貨のようです。これもポーランドの建築家に聞いたら、ポーランドも10年前にユーロ圏に参加したが、庶民は相変わらず現地通貨を使っているとのことです。

国際建築アカデミー大会出席、ブルガリア、ソフィア

5月13日日曜日からブルガリア、ソフィアに本部がある国際建築アカデミーの大会に出席しました。会長はゲオルギ・ストイロフ氏。元UIA(国際建築家協会長)、元ソフィア市長。世界各地からその国を代表する建築家、若手建築家が参加しました。また、パネル展示で世界中から200点近いパネルが展示されています。今回イタリア人建築家のパネル展示が多いです。また、経済発展が盛んなベトナムからのパネル展示もありました。最終日、パネルに対し表彰式があります。

ホテルと幹部会会議場はCOOPホテル。(日本だと生協ホテルと訳をしてしまいそうですが)講演会とパネル展示はソフィア工科大学。日曜日10時から幹部会に出席。私は客員教授で幹部会メンバーでありませんので、陪席という形で議論を聞きました。これまでの活動報告、幹部会候補者の審議、教授就任の審議など真剣な議論がされました。民主的な議論でした。

私事ですが、議事次第を見て、私がAcademic Council(評議員とでも訳せると思います)のメンバー候補者に掲載されているのに驚きました。委員長は2人、イタリア人のスキアッタレーラ氏、ロシア人のボコフ氏、副委員長にマルタのイングランド氏(1977年セルビアの建築家協会のイベントに出席し一緒しました)、評議員にドイツのヘルツォーク氏、メキシコ人のセラーノ氏、アメリカのジョンソン氏、名誉委員長に国際建築アカデミーの会長のストイロフ氏。渉外担当の委員にイタリアのクッチ氏。今後の国際建築アカデミーの活動方針について審議、方針を決める役割です。心してお役にたてるよう尽力したいと思います。

国際建築アカデミーは今から40年前、ストイロフ氏の提唱で、各国を指導する建築家が発起人になり組織されました。日本からの発起人は私の実務の指導者の菊竹清訓氏、丹下健三氏などです。

ストイロフ氏は89歳、お元気です。秘書役を務めていたミルカ女史もお元気。現在は秘書役は若手建築家のマリーナ女史。博士号(スポーツ施設の研究)を持ち、いくつかの海外で修行した経歴の方です。面倒な事務局業務を精力的に笑顔でこなしています。

毎回ですが、空港には学生、若手建築家が出迎えに来てくれます。今回はソフィア工科大学の3年生、ツヴェタン君がボランティアで迎えに来てくれ、ホテルにタクシーで案内してくれました。彼の卒業後の夢を聴くと、大学院に進学し、または、海外留学したいと話してくれました。また、3日間で世界中の建築家の講演を聴けるのは貴重な機会なので楽しみにしていると語っていました。(日本の若手も参加するとよいのですが)

ブルガリアはGDPが日本の1%。人口は700万。こうした小国で国際機関が機能し、多くの建築家が集まり議論する役割を担っていることは日本の国際化、観光政策にも参考になります。正直、私の体験に意識を持って聞いてくださる方(日本の建築家、政治、行政分野も)は限られています。