月別アーカイブ: 2018年6月

6月17日(日)朝10時六本木ロアビル前に中国人女性客引き

6月17日(日)朝10時頃出勤。六本木の交差点から東京タワー方向に向かい歩きました。オールナイトで飲んでいた人たちがぶらぶら歩き、歩道は賑わっていました。外苑東通りを東京タワーに向かい右側(西側)の歩道を歩きました。六本木の有名なロアビルに差し掛かりました。ロアビルの端にある花壇に3人の中国人女性客引きが座って獲物を狙うがごとく眼付けしていました。数年来いつも見ている様子なので女性たちの顔を覚えてしまいましたが。

こうした状態こそ、武井区長や麻布警察署長が対応しなければいけません。放置状態が続いています。「壊れ窓理論」(アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが提唱しました。)がありますが、武井区長も麻布警察署長もご存じないのでしょうか?あるいは知っていても無視しているのでしょうか?

壊れ窓理論は犯罪が激化した1970年代から90年代までのニューヨーク市にうまく当てはまります。治安が悪化する経過は、①建物の窓が壊れ、放置すると、犯罪者はここは誰も注意を払わない地域だ、だから犯罪をしても大丈夫だ、と認識します。②また、ごみのポイ捨てが始まります。(六本木はまさにこの状態です)、③来街者もそうした意識になります。④次第に凶悪事件が増加します。ということです。治安を回復させるには、①軽微な犯罪でも取りしまる。②パトロールを強化する、という内容です。ニューヨーク市では実際、地下鉄の無賃乗車で逮捕、信号無視の歩行者を逮捕、など軽微な行為でも見逃さないぞと強硬手段を取り、治安を回復させました。

治安は悪化してから回復させるのは大変です。ニューヨーク市はじめ世界の大都市が経験済みです。区役所、麻布警察署は対策を進めてください。

フルブライト奨学生の壮行会、49名日本人奨学生

6月15日(金)フルブライト交換留学奨学金を得てこの秋アメリカに留学する奨学生の壮行会が六本木の国際文化会館で開催されました。後輩への激励、交流のため出席しました。アメリカ側から国務省の担当局長の教育文化局担当次官補マリー・ロイス女史がワシントンから来日、ご挨拶されました。日本の文部科学省から国際統括官(フルブライト委員会委員長:日米教育委員会)川端和明氏がご挨拶しました。面白いユーモアに富んだご挨拶でした。さらに、日本人留学生を代表し女子学生が上手に英語で感謝のスピーチをしました。彼女はフルブライトの面接試験の時の体験に加え、さらに度胸を積んだことと思います。

49名の日本人留学生は、留学を直前に控え高揚感と緊張でいっぱいのことと思います。留学生は文字通りの学生に加え現職の大学教授、高校英語教員、新聞記者、弁護士(アメリカでも弁護士資格を取りたい、また、3歳の子供連れで留学する女性弁護士もいます)など社会の第一線で働く方も多くいます。

さらに嬉しかったのは、私の母校ライス大学大学院に留学する学生がいたことです。政治学専攻です。ライス大学は学生数4000人程度の小規模大学ですが、総合大学で音楽部、政治学部もあります。建築学部(日本と異なり実際は専門職大学院です)の学生数は75名程度、教授は15名です。教授一人当たり学生5人で、この比率はおそらく全米でトップと思います。また、立地するテキサス州ヒューストン市は、多くの日本人のイメージとして「砂漠のど真ん中」と抱いているようですが、人口200万人、全米第4位の大都市です。間もなくシカゴを抜き第3位になると予想されています。私は1974年にライス大学に留学しましたが当時は人口100万人、全米第6位の規模でした。アメリカの友人たちからヒューストンはさらに大都市に発展するだろうとの予想で、建築と都市を研究するのに適切な都市と見做し、ヒューストンのライス大学を選びました。ヒューストンのイメージが正確に日本に伝わっていないのはマスコミのステレオタイプの報道(ワシントン、ニューヨーク発が中心)が原因と思います。

レセプションのホストとして元国連の事務次長をお勤めになった、フルブライト留学生の先輩の明石さんも参加され、記念写真に納まっていました。今回の会場となった国際文化会館の理事長です。明石さんは「港区の国際化の対応の消極姿勢、港区幹部の国際化に向けての意識の低さを心配している」と私にささやいております。

私はフルブライト同窓会前会長です。こうしたレセプションを利用し、新規留学生に「帰国後は是非同窓会に入会し、活動に参加し、同窓会を支えてください。」と個別にお願いしております。「はい、わかりました。」とご返事をいただきます。しかし、帰国後、若い方はほとんど同窓会活動に参加してくれません。

もう一つ、不満のつぶやきです。私の学生時代の夢は「フルブライト奨学金をいただきアメリカ留学し、最高の先生の下で建築を勉強すること」でした。指導教官のおかげで実現しました。ところが港区長時代、元区長S氏から留学の経験を話すなと言われました。私は「建築事務所の所長だった人間が区長をやって大丈夫か?と不安に思う職員や区民がいるだろうから、挑戦心に富んだ人間です。安心してください。」というメッセージを込め、時折、留学体験を話しました。また、区長を補佐すべき政策経営部長N氏は「フルブライト留学なんて語るな」と言われました。学生時代の人生のかけての挑戦に対しイチャモンをつけるのですから。驚きました。嫉妬、ヤッカミの類でしょう。現在、この程度の意識の人物が港区の文化、交流部門の財団の理事長を務めているのですから驚きです。港区は異文化理解と区長などが唱えていますが、内容、実行の伴わない空念仏です。残念です。

前伊東市市長、土地取引巡り贈収賄、逮捕、港区での体験

6月17日(月)「前伊東市市長ら逮捕、土地取引巡り1000万円贈収賄容疑」と報道がありました。14年10月民間企業が4800万円で競売で取得した土地を翌15年7月伊東市が2億500万円で購入。前市長佃容疑者自ら土地取得の交渉を行い、その過程で民間企業から1000万円前市長に渡った、という筋書きです。副市長、幹部、議会で正論を吐く方はいなかったのでしょうか。であれば、副市長も幹部も議員も一蓮托生でしょう。トップを諌めることができず、公正な施策を遂行できない、積極的でないにしても結果として不正に協力した幹部や議員は、役立たずですから直ちに辞表を出すべきでしょう。

昨年、山梨市長、上尾市長が逮捕される事件がありました。そもそも市長をやる資格がない人物が名誉、利権欲しさで市長になったとしか思えません。その程度の人物を市長に選んだ市民の責任もあります。

港区長時代、港区役所が所有する浜松町駅前の土地と芝公園にある民間企業の土地交換の問題が20年来くすぶっている、と区長就任後レクチャーを受け、その問題を知りました。すぐ解決しなければという思いから私自ら先方の企業の社長に面会し、早期の問題解決を促しました。交渉事ですから紆余曲折ありましたが、1年でめでたく交渉成立しました。(させました)交渉事ですから交渉役が増えればまとまらなくなります。トップ同士の交渉が重要です。特にこうした交渉事に強い関心を持つと思われる議員には絶対関与させない、という強い気持ちが大切でした。それこそ交渉が乱れ、下手すると裏金などが生じる事態になったと思います。20年間、解決できない状態が続いた、というのはおそらくそうした恐れがあり、なかなか手を付けられなかったと思いました。強い意志で、自ら交渉し、一切のプレゼントを相手側から受け取らずという姿勢を貫きました。それが成功のカギだったと思います。また、それがトップの姿勢であるべきです。清らかな気持ちで交渉に臨まなければいけません。自ら利権に関与する輩は政治家あるいは幹部を辞めろ、と言いたいです。

面白かったのは議会で「契約が成立した日の公用車日誌を出せ、区長の予定表を出せ」と野党議員から言われました。恐らく氏は「その日に区長は相手側の企業から接待でも受けたのだろう」と邪推したのでしょう。全くそういうことはありません。恐らく氏は自らそうした接待を受けた経験があるからそうした質問をしたのではないかと推理しました。氏について様々噂が耳に入ってきました。

海外留学大幅増へ、閣議決定、嬉しいが意識の低い公務員も

6月15日閣議で海外留学する高校、大学生の大幅増など「第3期教育振興基本計画」が決定されたとの報道で、留学経験者として嬉しく思いました。海外留学を日本人高校生を現在の3万6千人から5万5千人に増やし、海外大学への留学生を5万5千人から12万人へ5年間で倍増させるという内容です。

自らの体験から、「異文化に触れ」、「高度な専門の勉強の機会に触れること」はすばらしいことです。その後の人生観、交友関係に大きな影響を与えると思います。

この十年、アメリカで日本の留学生数が大幅に減少しました。ピーク時10万人ほどいたのが現在は1万から2万人程度でしょうか。更なる貿易、外交、平和、観光などの観点から大いに海外に目を向けるべきです。

一方、私の港区長時代、元区長のS氏や元政策経営部長(現在ふれあい文化財団理事長)だった人物から、私の留学経験を否定する発言がありました。海外で学ぼうという意欲や海外で学んだ人の人生観を批判する人物が行政のトップにいたことは驚きでした。港区役所では幹部が、建前上「異文化理解」と言っていますが、トップの発言は空虚です。海外で学ぶという意識もなく、意欲も知識もありません。港区の中学、高校からは留学生が生まれにくいでしょう。国際都市と称される港区役所の実態です。

六本木3丁目、夜、歩道に5名女性の客引き、武井区長は自ら調べよ

6月12日(火)夜9時10分、仕事を終え、六本木5丁目交差点から、外苑東通りを六本木交差点方向に、3丁目側の歩道を歩きました。六本木3丁目13番あたり、歩道上に若い女性が5名客引き中。私にもちらしを手渡ししようとしたので振り払いました。大声で叱りつけてもよいのですが、本日は疲れたので黙って歩き続けました。武井区長に時々投書します。返事ありません。口で「客引き防止対策します」と挨拶で発言します。アリバイ作りでしょう。現実は上記の状態です。武井区長、一度ご自身の目で確認してはいかがでしょうか?いつも同じ挨拶を聴いているとむなしくなります。

港区役所発行の人口推計報告書のおかしな記述、幹部はしっかりチェックすべき

時々、議員などから区政の報告書をいただき、勉強のため読むことがあります。平成23年ですからだいぶ以前の報告書ですが、たまたま書棚にあったのを引っ張り出し、改めて読み驚きました。率直なところ中学生の報告書のような文言です。港区人口推計結果です。一例です。

(1)8ページに(1)将来人口推計結果の3行目で「今後全ての地区において増加することが見込まれている」と記述されています。図表11を見ると増加傾向にあるのは芝浦港南地区と芝地区の2地区で、高輪地区、麻布地区、赤坂地区は減少と横ばいです。事実と反する記述です。???課長も部長も読んでいないのでしょう。副区長も区長も真面目に読んでいないのでしょう。

(2)9ページで図表13年齢三区分別の構成比(各地区別)では「年少人口、老年人口の割合が増加し、生産年齢人口の割合が減少する見込み」と記述されています。図表からはその通りですが、特に芝浦港南地区では割合は減少しても分母が異なりますから生産人口は平成23年74.2%、平成30年69.6%ですが、絶対数は33,589人から36,322人に大幅に増加します。統計を読み切っていない、分析不足です。大学のレポートなら失格です。

このような報告書を読まされると、他の報告書の分析は大丈夫かと心配になります。区長、副区長、しっかりチェックしてください。

 

港区のエレベーター事故の反省から安全の日。安かろう悪かろう契約も続いています。

2006年6月3日港区の区立住宅でエレベーター事故で何ら落ち度のない住民の高校生が亡くなりました。なぜか和解に時間を要し(本来港区は直ちにご遺族に謝罪をし、補償をすべきでした)昨年11月和解成立しました。和解に伴い6月3日を安全の日と定め施設の安全に気を配ることは結構なことです。こうした事故が起きないようしっかりと区長以下職員は緊張感を持って対応していただきたいと思います。

エレベーター事故のそもそもの原因はメンテナンス業務の手抜きでした。予定価格400万円のメンテナンス費に対し、入札で当該のエレベーターメンテ会社が1/4の価格の100万円で落札し、手抜き作業をしました。本来、発注者はそのような額でまともな仕事ができないでしょうと疑問をぶつけ、場合により、再入札するとか、メンテ作業中の監督を厳しくするなどすべきでした。発注者、その部門の部長、副区長、区長達はこうした分野の全くの素人。その後、プロポーザルで(私が区長時代採用した契約方法ですが)特定のメーカーのエレベターを採用しました。最初からそうすればよかったのにということです。

契約システムの不備は現在もあります。英語の翻訳業務です。「安かろう悪かろう契約」です。納品成果を判断できる担当者、幹部がいません。これも重大問題です。私の妻は元通訳、翻訳者。今でも通訳、翻訳会社に登録し、時間がある時は翻訳のアルバイトをしています。ある時斡旋会社から連絡があり「港区からの仕事ですが日本語から英語への翻訳をしてほしい。」と依頼がありました。翻訳の報酬は1文字何円と経験年数などで相場が決まっております。斡旋業者から提示された報酬は妻が通常いただく1/4でした。これでは無理と断ったそうです。上記のエレベーター事故の時の契約と全く同じパターンです。その後安くてもやりますという経験が十分でない方が仕事をしと思います。その結果の英文の出来上がり状態、私は確認していませんが、おそらく不備だらけだった恐れがあります。(知人のアメリカ人、留学経験者の日本人から港区の英語はおかしいと聞くことがあります)その額ではまともなレベルの翻訳者は作業できません。担当者も幹部も副区長も区長も英語を理解しませんから、「変な英語」が港区の公文書としてまかり通ったと思います。

訪日外国人の増加、行政の観光政策は後手後手

東京都へ来訪した外国人観光客は2017年1377万人。率直なところ、東京都の観光政策が有効に働いたというより、国のビザ緩和策が最も大きな要因です。中国人、ロシア人などに対するビザの緩和が大きいです。また、途上国に対する緩和も訪日観光客増加に大きく寄与しています。観光客が増えるのはうれしいですが、観光政策は後手後手です。観光バスの駐車場は不足、ホテルは不足、案内板は不足、両替所も不足、ボランティアンの観光案内人も不足(私は諸外国を訪問した際の状況と比較してです)。急いで対応しなければいけませんが、東京都観光部職員というより東京都の職員は、海外旅行の経験、観光旅行の経験は限られているでしょうから、自ら何をしてよいのか意識の面で欠けているのではと思います。頑張ってください。必要であれば、私の体験談を無料でお伝えします。

S元港区長の回想録、事実と異なる部分、原田候補の経過、仕事ぶり

2011年3月元港区長S氏が回想録(青雲たなびく)を出版されました。ご自身の子供のころから港区職員時代、区長時代、その後のことについての回想録です。私を後継者にした部分で、事実と異なる記述が多くあります。明確にする必要があります。私は当時の記録をつけておりますので正確です。

(1) 393ページに後継者について「港区都市計画審議会の副会長だった澤田氏(元建設省住宅局長、住宅公団副総裁、日本建築センター理事長)に相談してみた」と記述されています。これは前後関係が逆で、事実でありません。

私が風の便りで聴いたのはN助役が後継候補に原田の名前を挙げたそうです。S元区長から電話があり、平成12年4月14日9時半区長室へ呼ばれ「後継者として出馬してほしい」と言われました。直ちにお断りしました。理由は4つ。「①翌年の平成13年大学教授に内定している。②そもそも政治に関心がない。③朝日新聞社長は友人、警視庁や警察庁の仕事をしてきてそうした分野に友人がおり、政治の胡散臭さ、特に港区で多くの委員を務めた結果、少なくも港区政に胡散臭さを感じており区長として区政に関与したくない、(不正を見たら朝日新聞と警察に報告しますとまでS区長に言いました)、④選挙に出る資金、組織もない。」と説明しました。S区長は「原田さんのお好きなように。私は院政を敷きません」でした。その後、私が相談者の一人として澤田氏に面会、「私が直接お断りするのは失礼と思いますから長老である澤田さんからS区長にお断りの使者になっていただきたい」とお願いし、澤田さんに後日区長室に行っていただき澤田さんが「原田さんは出馬しません。させません!」と明確にお伝えいただきました。その数日後、与謝野代議士の秘書から電話があり「ぜひ出て欲しい、再考してほしい。」と口説かれ、再度、S区長に面会しました。

(2)395ページ1行目選挙資金がないとの説明に「当面、私の退職金を出しておく」について、そうした発言はありませんでした。S区長は「選挙は組織がするから心配いらない。皆が応援する。」と発言でした。

(3)395ページ7行目「原田は名誉欲が旺盛でとてもうれしそうだった」は事実でありません。私は政治に関心もなく、一方、事情も分からず、これから何が起きるのか、ただただ「悲壮感でいっぱい」でした。しかし、表向きライバル達に弱さを見せてはいけませんので「空」元気を通しました。

(4)395ページ11行目S区長「今のお仕事などは整理できるんですか」、に対し原田「事務所は女房に代わってやります。他の仕事も整理できるめどはできています」と発言したとの記述は事実でありません。

逆に私は最初に口説かれた際「設計事務所を経営しており、継続の仕事がいくつかあり、今すぐ止めるわけにいきません。」とお断りの理由として発言しましたが、S区長は「区長やりながら設計事務所の仕事を継続できますよ。」と言われ、私が内心「S区長はノー天気な方、嘘でしょー。」と感じました。私は「妻」と発言します。「女房・・・」はS氏の創作そのものです。

(5)397ページ12行目任期末を控えた平成15年12月末頃と思いますがS元区長と面会した際「S元区長達の力は必要ないという風に受っとってよいですか?」は事実と異なります。「S元区長には大所高所でご指導賜りたい。」と発言をしました。しかし、その段階ですでに原田はずしが進行していました。理由は、港区の官製談合にメスを入れ契約改革をし、開発利権に監視の目を向け、かつ、酒を飲まず仕事をバリバリ進めるやりかた、私の高学歴の経歴など、S氏と異なる手法に嫌気がさしたということです。平成15年12月に港区を水面下で動かす民間人K氏が妻に「後継者が出ますよ。」と直接言われました。K氏から「選挙で負け、借金ができ、事務所も立ち行かなくなったらどうしますか?」と半ば恫喝と受け取りました。

(6)425ページ10行目「12月原田氏が手土産もって挨拶に来た」は事実ですが、お世話になったという意味と体調いかがですかという表敬で年2回継続的にご挨拶に伺っていました。特別な時期に伺ったわけでありません。

様々な状況から原田の印象を貶めるという意味があったのでしょう。一方で、当初、S氏は院政を敷きませんと当初発言されていましたが、文脈から、区政で最大限の影響力を行使していたことが分ります。中卒で港区役所に就職し、夜間高校、夜間大学で苦学された立身出世の方で、長年区役所でお勤めでしたから隅々まで人脈を構築し、影響力を発揮されていたようでした。

南カリフォルニア大学学生用医療センター、婦人科医のセクハラ報道

ニューヨークタイムズ5月21日、「5人の南カリフォルニア大学女子学生がキャンパス・ドクターのセクハラ行為に対し大学を訴えた」と記事。南カリフォルニア大学はカリフォルニア州内で名門大学の一つ。学生の健康のため大学の医療センターがありますが、婦人科医師ティンドールが女子学生に対し長年セクハラ行為があり、放置、問題を隠ぺいした大学の責任を問う訴訟です。記事の表現はリアル、率直です。アメリカ式?、日本の新聞でこのような表現は無理でしょう。

一例です。18歳の女子学生曰く「腕全体を膣内に入れて行くぞ」と言って診察した。別の女子学生曰く「胸をまさぐりながら性的な質問をした。」別の女子学生曰く「裸の体をまさぐりながらアナルセックス、オラルセックスを求められた」などなどです。とんでもない医者、それをチェックできな大学当局。婦人科医ティンドールに対しロス市警が刑事事件として動き出したとのことです。

過日、アメリカの女子体操チームのドクターがセクハラ行為で懲役100年以上(10年でありません)、罰金500億円でした。懲役刑の期間の考え方、罰金の考え方が日米で全く発想が異なります。