月別アーカイブ: 2018年12月

大阪府警警察官、加害者に与し、被害者イジメ。

大阪府警警察官の不祥事が続いています。多くの警察官は真面目に仕事をしていると思いますが、一部におかしな警察官がいます。自分で体験したことです。1985年頃の話です。

私の妻が中学校の同級生から詐欺に遭いました。加害者は工業高校卒ですが二浪して東京医科歯科大学に入学し、奨学金をもらっていたが、奨学金を切られた、苦しいので金を貸してほしいという内容です。手の込んだ小道具がありました。詐欺師が偽造した入学合格証明書、数年後には偽造した医学の学会論文(どこかで入手した他人の論文に自分の名前を貼りこんで見せた物)などで信用させました。

詐欺事件が発覚、出身地の大阪に逃げ帰りました。私は後を追いかけ。だまし取った金を返せ(正当な要求です)と強く主張しました。

ある時大阪府警曽根崎署総務課ナオヅカという警察官が私の母親に電話がありました。「息子さんがある人物に脅迫行為をしているので止めさせろ。」といった趣旨と記憶しております。当然、母親は驚き、私に電話し、「何があったのか」と心配の様子。ナオヅカにとり、それで十分な効果があったと思ったのでしょう。

私は即ナオヅカ氏に電話。事実を説明、私自身の略歴を説明しました。私を「まともな人間」と思ったのでしょう。また、別の電話をした際に、ナオヅカ氏が不在だったので、曽根崎署総務課長に抗議し、ナオヅカ氏を指導するように伝えました。総務課長は電話の声では朗らかな性格で、聞く耳を持つ方と感じました。

私はおそらく、ナオヅカ氏は詐欺師からだまされたか(それ自体警察官として不適切です)、あるいは、詐欺師から金をもらったか、詐欺師と小学、中学、高校で同級生だったか、ではないかと思いました。

私がナオヅカ氏に伝えたこと「事実を正確に知ってほしい。次に、詐欺師にだまし取った金を被害者にすぐ返すように伝えて欲しい。」です。当然の内容です。驚きました。ナオヅカ氏は「警察官としてそのような電話を加害者にできません。」でした。そうすると私の母親の電話番号まで調べて私の母親に電話した理由、事情は何か、疑問です。加害者の言いなりになり加害者に与した、バカ警官、悪徳警官です。ナオヅカ氏はその後高槻署に異動、一度電話をしました。何となく私に恐縮しているような言動でした。現在、年齢的に、すでに定年退職したか、途中で何かトラブルで止めたか分りませんが、今頃「俺は元大阪府警の警官だった」と威張り腐って退職金でのうのうと暮らしているでしょう。事実関係を真面目に調べない、あるいは、事実を捻じ曲げ、でっち挙げ、被害者に圧力をかけるという、この程度のバカ警官が大阪府警にいるということです。つける薬がない状態です。

港区長秘話、再選されたいならS元区長に土下座しろ

港区長を勤め3年半経過した平成15年の12月頃の話です。そろそろ次の選挙を考えなければならない時期です。既述ですが、私が全国、あるいは、東京初と言った新いたな政策を展開、財政再建をしました。一方、官製談合をつぶし契約改革をし、開発に関わる利権活動を監視したりと、ある種の勢力にとり目の上のタンコブの存在だったと思います。港区政を裏で仕切っている麻布十番のK氏から「次の区長選にライバルを出す」(S元港区長の意向があったと思います)などの発言が続きました。

一方で、再選をしたいなら「元港区長S氏(中卒で港区に就職し50年近く港区政に関わり区内の人脈が豊富)に土下座をしろ。」とK氏含め2人の方から言われました。驚きました。今時「港区長になりたければS氏に土下座しろ」。国際都市、東京の都心区での本当の出来事です。同時にもしS氏に再選をお願いするとS氏から「建築や都市開発に口出すな。(官製談合に口出すな、開発利権に目を光らすな。)経歴を語るな、・・・」など付帯条件が出されることは目に見えていました。さらにS元区長が常に語っていた「俺は区長選に出馬するに当たり退職金4000万円をすべて選挙の仕切り屋に渡した。」「だから、再選されたいなら俺が選挙を仕切ってやるから金もってこい。」と言われると感じました。

このようなことは私には受け入れられません。私は公正に地道に努力し仕事をすることを人生観としています。他人にペコペコし仕事をもらったり、地位や名誉を買うという発想がありません。これまで多くの仕事を依頼され、様々な公職や組織の長を依頼されました。私の実績、経験に基づき評価、判断された結果です。依頼されればありがたく引き受けベストを尽くすのが私の人生観です。資格もない、知識も経験も十分でない人物が名誉を欲しがるのでしょう。

私は再選に立候補せずとS区長、麻布十番K氏に内々伝えました。病気で引退したはずのS元区長はキングメーカーとして動き回りました。本来組織としては、助役(現在は副区長という名称)など組織のナンバーツーやナンバースリーが区長候補となるのが適当と思います。適任者がいませんでした。その程度の港区役所の組織だったということでしょう。少し前まで港区役所の人事課長だった武井さんが区長に就任。武井さんはおとなしい性格、建築や都市計画の知識はゼロ。ある勢力にとり都合が良かったのでしょう。組織上、区役所の課長は東京都庁の組織で言えば〇〇担当課長レベルです。都庁で言えば課長見習いというレベルです。東京都庁の局長たちは驚いたと思います。当時の港区役所はその程度に人材がいなかったということでしょう。地方政治の一コマです。

後年、元区長S氏が著作で私について事実と異なる記述がありました。そのことについては後日。

技術士会、男女共同参画委員会勉強会、その2

技術士会で、男女共同参画委員会の勉強会の内容紹介の続きです。自ら体験した、また、知識として知った海外の実情紹介を多く紹介しました。その一つに雇用の流動性があります。知人のアメリカ人女性。ほぼ同年代。30代はホワイトハウスで広報官。40代フォード自動車で広報部長。50代ボーイング社で広報担当の副社長。広報の専門家としてステップアップ。スカウトされてか自分の意志か不明ですが、専門知識を活かし異なる組織で就職し、活躍していました。

ニューヨークタイムズをインターネットで毎日読んでいます。2000年代の初頭、社長人事の記事がありました。高校教員からニューヨークタイムズに途中入社した女性が、社長に就任しました。その次の社長も女性でした。2代続いて女性社長です。

こうした女性の転職モデルは日本でほとんど聞きません。こうした転職自由の雇用の仕組みを作るべきです。一方で、メジャーなマスコミで社長以下トップが女性という会社を聞いたことがありません。新聞の社説や論説記事で女性の社会参加を建前を主張していますが、マスコミも男社会です。NHK、朝日新聞などメジャーな会社も女性の社会参画という点では批判されるべき対象です。

技術士会、男女共同参画委員会勉強会で海外体験を紹介

2018年11月末、日本技術士会、男女共同参画委員会の勉強会で講師を務めました。1969年アメリカ留学、1971年スウェーデン留学、1974年再度アメリカ留学で見た女性の社会参画。その後国際会議で見た女性の活躍ぶりなど紹介し、また、港区長時代、区長会を代表し東京都男女共同参画審議会委員を務めた体験などを基に日本での課題を語りました。

底流にある思想的背景について、①アメリカで女性の社会参加が1980年代以降と思いますが、1960年代の公民権運動、差別禁止の政治、社会運動が背景にあります。性差別、人種差別、年齢差別などしてはならないと法律で決まりました。アメリカも特に戦前は、一例ですが、結婚したら学校教師を辞めなければなりませんでした(アメリカの友人祖母から聞いた実話)。②日本では、現在の社長や官庁のトップたちの多くは地方の出身者。子供の頃、葬式などで男性陣は床の間のある主室でお浄めと称し酒盛り。女性群は土間の台所でせっせと料理づくり。そういう姿を見て育った現代のトップは、女性は男性に奉仕する人、農作業や家事の労働力と自ずとみなしたでしょう。

事例(順不同)。①私の学生時代、早稲田の建築学科180名定員で女子学生は2人。同時期スットクホルム工科大学の女子学生の比率は60%。②1990年代、アメリカの大学、ハーヴァード、MIT、コロンビア、ライス大学などの教授募集の求人広告が建築専門誌に掲載されていました。強調されたのは「女性」の積極的な応募を期待しますと特記されていることです。ハーヴァード大学大学院の建築科主任教授は建築事務所出身の女性です。MITの大学院長はライス大学で私の修士号審査教授だったアデール・サントス女史。日本の主要大学で公募はありません。日本では東大も早稲田も、男性教授が後継者を指名します。密室の談合人事です。したがって男性が後継者として教授に就任する仕組みです。明治時代の仕組みが大学では今なお生きています。それが正しいことと信じ、実行している日本の教授たちに人権、女性の社会参画を語る資格はありません。ハーヴァードの建築大学院は600人定員。女子学生は半数。

その他の事例。①トルコの大学(ほとんどは国立大学)、学会で見たもの。数年前トルコのコジャエリ大学から国際会議に招聘されました。学長は女性、建築学部長も女性(ちなみに法学部長も女性でした)、学生の半数は女性。別の大学で開催された国際会議で事務局長は女性教授でした。学会の発表者の半数は女性。日本の学会と風景が異なります。

②2018年10月ハンガリー、ブダペストで国際会議に招聘されました。主催者のアメリカ、ニュージャージー公立大学学長は女性。参加したニュージャージー州副知事は女性。アメリカ側、ハンガリー側とも出席者の半数は女性でした。名刺交換のレセプションで全員と名刺交換しました。男女の距離が近いです。指定席の夕食会で私の隣は主催者のニュージャージー公立大学学長(女性)、向いの席はブダぺストの法科大学院の女性教授。はす向かいは駐ハンガリー、アメリカ大使館の通商担当官、女性でした。女性の法科大学院教授曰く、司法試験で女性の方が合格者が多いとのこと。

一つ一つの事象で日本は女性の社会参加の分野では途上国です。私の提言。①社交の方法を変える。夜の密談、懇親の宴会は無しとする。ビジネスランチの社交にすると女性が参加できます。特に2人だけで料亭で密談を、となったら女性は参加できません。②子育てができるよう都市構造を変え、都心居住を進めるべきです。③残業なしにする。1971年スウェーデンの設計事務所で働きましたが、夕方5時で全員帰宅しました。1975年夏休みライス大学研究所でインターンをしましたが、5時で全員帰宅。日本の働き方が異常です。

政府は女性の幹部の占める割合の目標を示しています。ばかげた数値です。供給源である大学、高校で女性人材を育てることをしなければなりません。ハーヴァード大学の建築大学院で半数は女性学生。だから社会で半数が女性が占めるようになります。公務員供給源の東大法学部で女性が半数を占めるようにならなければ、官庁や企業幹部で女性が半数を占めることはあり得ません。

禁止事項について。3,4年前、週刊新潮で芸大名誉教授H氏がパワハラ、セクハラで二期会(声楽家の団体)会長を辞任、弟子を愛人にし、妻にバレ裁判中と記事がありました。芸大教授が弟子を愛人にする、コンサート出演を優遇する、コンクール審査で優遇するといったデタラメをやっています。こういうデタラメ教授を排除する社会システムを構築しなければなりません。これが芸大の一部の現実です。学長、文部科学省、文科大臣は指導すべきです。

様々改革しなければ女性の社会参画は進みません。女性の社会参画の観点から、最悪の場合、東大教授や芸大教授などの大学教授全員を交代させなければならないかもしれません。

新潟県内の伝統建築を視察。素晴しい建築遺産。

日本の伝統建築を勉強する日本建築研究会という会があります。私は35年の会員歴です。毎年地方の国宝を中心に視察会を開催します。今年の11月は新潟県内の著名な伝統建築を視察しました。そこで感じたのは本当の豊かさでした。東京は首都であり所謂現代建築が乱立しています。しかし、文化遺産という観点からすると新潟県がはるかに優れていると感じました。

視察先は弥彦神社、旧笹川家住宅、旧新潟税関庁舎、新発田城、北方文化博物館(旧伊藤家住宅)、鍋茶屋です。それぞれの建築の概要、価値についてはインターネットで調べられます。感じたことは、江戸後期、明治、大正時代に立派な建築を創る資産を持つ発注者がいたこと、すばらしい建築を創り出す大工、職人集団がいたこと、中に、すばらしいデザインをする能力、デザインのユーモアを持つ大工がいたことなどです。北方博物館(旧伊藤家)には三角形の茶室があります。恐らく日本で唯一と思います。前例のないことするなとバカなお説教をする愚かな部長が港区にいましたが、新しいことに挑戦することも大切です。

北方博物館(旧伊藤家)は豪邸ですから、戦後、駐留軍の接収対象になりました。その時伊藤邸を視察に来た米軍の将校が伊藤さんに接収の命令を伝えた際、伊藤さんが流暢な英語を話すので米軍将校は「どこで英語を習ったのか?」と尋ねたところ「ペンシルベニア大学ウォートンスクール(ビジネススクール大学院):トランプ大統領も卒業生)と答えました。米軍将校は驚き「自分もペンシルベニア大学のウォートンスクール卒です。ミスター・イトウは私の先輩です。失礼しました。接収はしません。立派な住宅ですから博物館にでもして保存されてはいかがでしょうか」と会話が弾みました。接収は免れ、米軍将校の助言で今日あるように博物館として伊藤家住宅は保存されています。ぜひ訪ねてみてください。素晴しい建材、すばらしいデザインです。留学の同窓で占領相手から親切にされた例です。

海外留学は大切です。人と人のつながりは大切です。海外留学の価値が分らない、理解しようとしない、自分に関係ないと思っていた、また、海外留学した人間に対し異文化人間として毛嫌いした元港区長S氏やその片割れのN部長に聞かせたいエピソードです。

 

港区長秘話、区長は誰がやっても同じ!?

平成16年港区長退任後、時々私を後継者に引っ張り出した元区長S氏宅を夏、冬ご挨拶に訪問しました。ある時「区長はなー、だれがやっても同じなんだ。ただ、港区のふれあい文化財団の理事長は俺でなければ勤まらないんだ。」と発言がありました。S氏の本音を見たり。本当は「俺が裏で仕切っているのだから」という意味です。

私に後継者をして出馬してほしいと依頼した際「私は院政を敷きません。原田さんのお好きなように仕事してください。」と説得の言葉がありました。私自身内心「嘘だろう」と思いましたが選挙の時期が迫っていたこともあり、お引き受けしました。実際はご本人は私を背後から操りたかったのでしょう。病気引退と表明しつつ、実際は酒もたばこも飲むお元気ぶりでした。最初の口説き文句と異なり、就任直後から、さまざまおせっかいの発言が届きました。

私は自分の信念とこれまで重ねてきた知識(世界のトップの先生(複数)の下で学んだ知識)、都庁や中央官庁、海外の専門家など多くのネットワークを駆使し仕事をしました。S氏は面白くなかったのでしょう。真面目に仕事する原田スタイルを嫌がり、最後は引きずり出し、おとなしい人事課長だったおとなしい武井さんを次の後継者に引っ張り出しました。区役所の課長が区長候補になったのですから、周囲や都庁の方などは不思議に感じたと思います。

退任後しばらくして港区の幹部が曰く、「S元区長から電話があり、こういうぽすとがあるからやってくれ。」と人事の話。本来は区長の専管事項です。組織でこのようなことをしては組織破壊です。ガバナンス崩壊です。S氏は武井区長を差し置いて人事を仕切っていたようです。私の時も私に分らないように裏で動いたいたのでしょう。以前のブログで買いたいように私が指示した人事方針を武井人事課長が無視したのでしょう、全く覆されたことがありました。

不祥事続く大阪府警、つける薬は?

2018年富田林警察署で拘留中の容疑者が逃亡する事件が発生しました。結果論として署長、署員の緊張感が欠けていたということです。公務員、特に警察官の不祥事があると残念な気持ちです。多くの公務員、警察官は社会的使命を持ち真面目に仕事していると思います。一部の不心得者がいると組織全体が問題ありと印象を与えてしまいます。

しかし、富田林警察署の容疑者逃亡事件に前後し、大阪府警で不祥事が続いています。報道によりますと9月20日府警南署警備課巡査小林崇隆巡査が警察署で保管した拾得物の現金を詐取し他として逮捕されたとのことです。いつものように、府警監察室山田吉之室長が「深くお詫びする」とコメント。

7月22日曽根崎署生活安全課巡査長篠原渉、巡査小野勇気が捜査中の風俗店について捜査情報を漏えいし逮捕されと報道がありました。オウム返しのように「深くお詫びします。再発防止に務めます。」そのような言い訳、聞きたくありません。監察室長ご自身、辞表を出さなければなりません。結果が全てです。

10年前、20年前の事件の記憶です。電車で複数の私服の警察官がつり革で鉄棒競技の真似事をし悪ふざけし乗客が咎め言い争いになったという事件。その時の警察官は今どうしているのでしょうか?

また、大阪の若い女性が落し物の財布を拾い近所の交番に届けたところその警察官がネコババ。しばらくしてその女性が「届けた落とし物の財布の持ち主が現れましたが?」と交番に立ち寄ったところ「そのような事実はない。警察に虚偽の話を持ち込んで怪しからん。」と警察は女性の逮捕の準備をしたそうです。たまたまその女性は妊娠中だったので逮捕は免れました。その後、女性がわざわざ交番にそうした話をしに来ること自体が不自然で、拾得物を届けたということが真実でなければ不自然と判断となり(その判断を出すまでの時間が要したことは担当した警察官が無能ということです。自分は無能です、警察官に向きませんと辞表を出すべきでした。)、やっとのことで、女性が届け出た際対応した交番の警察官を府警が聴取、ネコババしたことが判明、その警察官が逮捕されました。一瞬のミスで善意の女性が冤罪で逮捕されるところでした。大阪府警のバカ警官が、と文句を言いたくなります。その逮捕された警察官、女性を冤罪で逮捕しようとした警察官は今頃どうしているのでしょうか?当時の報道記事を調べてみましょう。

西成区で日雇い労働者を食い物にしている暴力団が違法ばくちをし、一部警察官がそのばくち集団を見て見ぬふりをし、西成区で日雇い労働者が集団でデモ、警察署を襲撃したという事件がありました。暴動の原因を作ったのは所轄の警察署のバカ警察官です。

ニューヨーク市警の治安政策について10万字の論本を書きました。来春発刊予定です。さわりをご紹介します。1994年から1996年犯罪減少に尽力したブラットン警察委員長(公安委員長)はニューヨーク市警の不祥事対策で、「警察官は警察官バッチをつける時に誓いの言葉を述べた。しかし、警察官がバッチを間違った目的で使った。警察官が警察官バッチをどのような目的で使うのか改めて考えて欲しい。諸君がならず者警官を野放しにしたのは間違いである。」と訓示しました。大阪府警本部長はこのような訓示をすべきでしょう。こうした報道記事を読んでいるという点で、私の方が本部長よりも少し勉強しているかもしれません。

不祥事続き大阪府警、存在感が欠けるトップ

2018年8月12日富田林警察署留置場から拘留中の人物が逃走しました。大失態です。その後、大阪府警本部長の広田耕一氏が20日記者会見をしました。トップの役割は何か考えさせられました。私自身3000人組織のトップを頼まれ勤めました。何かあれば真っ先にトップが説明責任を果たさなければなりません。

ニューヨーク市警の例です。私は20年以上インターネットでニューヨークタイムズを購読しています。事件が発生したら市長、警察委員長(東京都の公安委員長とほぼイコール)、警察本部長(ニューヨーク市では警察局長)がいの一番に資料を示し、説明をします。12月25日のニューヨークタイムズ紙によりますと、逃亡した容疑者に私服刑事が27発撃ったと報道があり、また、同時にテランス・モナハン本部長が資料を使い自ら事件の詳細な説明をしました。私は1969年アメリカの留学した際毎夕テレビニュースで事件報道を見ました。現場の警察官がマイクに向かい事件の説明をし、また、警察本部長も公安委員長も同席し記者会見で事件の詳細を発表します。

そうした警察の報道姿勢が見本、教科書とすれば大阪府警本部長は全く職責を果たしていないと言えます。そういう意識がないのか、緊急対応の広報戦術について学習していないのか。ニューヨーク市警はじめ欧米の警察発表の方法を学んでほしいと思いました。

幹部に昇進、就任する方は、緊急時、広報対応方法を学ばなければなりません。