月別アーカイブ: 2019年1月

平泉展(へいせんてん)開催中、六本木新国立美術館にて

画家保坂先生が主宰する平泉展が1月23日から2月3日まで六本木の新国立美術館で開催中です。私は建築のスケッチと建築のコンセプト模型を出展しました。建築スケッチは公園内の小建築というテーマで、1つはニューヨーク市の中心街のブライアントパーク内にある公衆トイレです。もう一つは上野公園内の京成線の駅舎です。(現在は使用されていません)

ニューヨークのブライアントパークは1980年代から90年代にかけ、麻薬売人、ホームレスのたまり場でした。一般の市民が気楽に立ち寄ることができない危険な公園でした。今や公衆トイレは五つ星ホテルのような優雅な雰囲気を醸し出しています。正面入ると大きな花が飾ってあります。右に折れ男性トイレ。また、小ぶりですが花が飾って理ます。今や観光客が気楽に使っております。無料です。安全確保のため管理人が一人外でサービスと安全のため、立っております。東京にも観光客や歩行者のため、こうしたトイレがあるとよいと思いました。

上野公園の動物園駅舎は京成線開通に合わせて竣工した駅舎です。90年代まで使われていましたが、車両編成が長くなり、ホームの長さが機能しなくなりました。現在は保存活動が続いております。私の友人が頑張っています。駅舎の屋根はピラミッド型造形です。国会議事堂が駅舎のだいぶあとですから、もしかして動物園駅を参考にしたかもわかりません。事実を知りませんが。

トランプ大統領側近、FBI逮捕の実況中継、日本と異なるFBI流

日産前会長ゴーン氏が長期拘留でフランスのマスコミなどが不当な長期拘留の取り調べであると批判しています。日本の検察は日本の法律に則り適法であると説明しています。もっとも(へたな)日本流の広報で海外にうまく説明が伝わったか不明です。

1月25日(金)夜CNNニュースを見て驚きました。トランプ大統領の側近と言われるロビースト、ロジャー・ストーン氏(フロリダ州)の自宅を未明FBIの大勢の捜査官(戦闘服、機関銃を持っています)が急襲、逮捕しました。相手がギャングならともかく一般のビジネスマンです。自宅に合法的な護身用のピストルくらいはあるかもしれませんが、機関銃など兵器はないはずです。しかし、相手に威圧を与えるため、大勢で、戦闘服で、機関銃を持って逮捕状を執行し、家宅捜索をするスタイルに驚きました。私は留学時代を通じ、アメリカの警察(FBI(連邦犯罪の捜査), 州警察(ハイウェイパトロール)、市警察(市の治安維持)、郡の保安官(市が結成されていない地域の治安維持)、大学警察(大学構内の治安維持)など様々な組織の警察が独自にあります)をある程度知っていましたが、今回のストーン氏逮捕の映像には驚きました。また、CNNが現場を報道した事にも驚きました。FBIがCNNを連れて行ったのでしょう。

日本ならあり得ない方法ですが、仮に一般人にこのような方法で逮捕状の執行をしたら、警察、検察は世論から大批判を浴びると思います。10数年前、しばらくぶりにスウェーデンを訪問中、事件が発生した際、スウェーデンの警察は機関銃を持ってバス車内の検問、道路でトラックなどを止め検問していました。

国ごとに司法機関の執行のやり方が異なります。

港区副区長の挨拶、六本木での客引き対策について、実態と乖離

平成31年1月17日(木)六本木商店街の新年会が開催されました。地元ですから参加しました。副区長のO氏が港区長の代理で挨拶しました。「客引き対策について条例に基づき実施しております。」との内容でした。実態とあまりにも乖離があります。副区長は実態をご存じないのか(きちんと調査すべきでしょう、あるいはご自身が現場を見るべきです)、あるいは、あえて嘘を言っているかどちらかです。がっかりです。

私が目撃した状況の一実態です。平成30年5月12日(土)朝8時6分、六本木交差点(交差点にいるのですから驚きです)芋洗い坂角で4人のアジア系女性が立っていました。内2人は白人を捕まえ腕を組みどちらかに連れて行きました。8時10分、六本木5丁目のロアビル前にアジア系女性が1人立って獲物を狙う目つきで歩行者を見ていました。六本木5丁目交差点のユアビルのファミリーマートコンビニの前に4人が立っていました。

数年来のいつもの光景で、立っている女性の顔をほとんど覚えています。副区長の挨拶に違和感を感じました。港区長のアリバイ作りです。

もう一つがっかりした事。六本木5丁目2にほうらいやビルがあります。その近くで2人の女性が立っていました。なんと麻布警察署の地域係警察官2人がすれ違いましたが、職務質問のせず、素通りでした。麻布警察の実態です。以前ブログに書きましたが、知人の熟年の政党職員が背広姿で自転車に乗り六本木交差点を通行したら警察官から職務質問をされました。氏曰く「バカじゃないの、おそらく新米警察官が度胸試しでどうでもよさそうな私に職務質問したのではないか。」と語っていました。立派な紳士を職務質問し、アジア系女性の立ちんぼの前は素通り。警察官の職務としてあまりにも乖離があります。麻布警察署はしっかり対応すべきです。二ューヨーク市の治安政策について10万字の論文を書きました。4月に発刊予定です。90年代のニューヨーク市警察局の地域パトールの実態を見ると、麻布署のパトロールの実態は不合格と言わざるを得ません。益々六本木の治安が悪くなります。麻布署に対する一区民の実態報告として警視総監、警務部長、地域部長にお伝えしましょう。

 

港区最高幹部の人権侵害

広報みなと平成30年(2018年)11月21日号は人権週刊特集でした。啓発活動重点目標に「みんなで築こう人権の世紀、~考えよう相手の気持ち、未来へつなげよう違いを認め合う心~」と記述されていました。これは港区の元最高幹部や現在の最高幹部にお返ししたい内容です。

私の区長時代、元区長S氏から「海外留学したという経歴を語るな」と言われました。私の趣旨は、「建築事務所の社長でしたが頼まれ区長になりましたと言っても区民はあまり信頼を寄せないと思います。3回海外留学した挑戦心旺盛な人間です、ご安心ください。区政の分野で何でも挑戦します。」ということです。

元区長S氏は中卒で港区に就職(夜間高校、夜間大学卒)で立身出世の人物です。私と全く異なる人生の方です。人生様々です。異なって当然です。S氏はこうした異なる人生があることを理解しようとしなかったようです。私は学生時代、海外留学をめざし勉強し、特に全額奨学金が頂けるフルブライト奨学金留学でアメリカの留学することが学生時代の最大の目標でした。フルブライト留学は私の人生そのものです。国内外で多くの友人と出会いました。

私の区長時代、区長を支えるべき最も重要な政策経営部長というポストがありました。当時のN部長氏は「フルブライト留学を口にしないでください」と私に言ってきました。フルブライト同窓生に対する侮辱です。

今日、出自、属している宗派、性的指向などで差別してはならないという考えが重要視されています。そうした時代にあって自ら最も誇りにしている経験を口にするなというのは、出自、属している宗派、性的指向を言ったらダメと言っているのと同じです。私の人生を否定する、自らが最も誇りに思っていることを否定する発言は人権侵害です。N氏はその後副区長、現在は港区の文化団体の理事長を務めています。こうした意識の人物が港区の最高幹部にいたというのは驚きです。

口でいくらきれいごとを言っても、実際の行動が大切です。港区の最高幹部はこの程度の意識の人物だったということです。残念です。

仮にですが、どなかたが「あなた港区役所に勤めないで他のやることなかったの?」と言われたら不快に思うでしょう。これは人権問題です。

 

ニューヨーク、地下鉄・バス24時間運行。東京は深夜は運行せず。

2018年9月ニューヨーク市への取材の帰りのことです。ニューヨークの出発が予定より2時間以上遅れ、当初の予定では夜9時半羽田空港に到着予定が11時半過ぎとなりまた。入管、税関の手続きを経て外に出たのが深夜0時過ぎ。公共交通機関がありません。タクシー乗り場は長蛇の列。これが世界都市と称される東京の現実です。

東京都の役人も国交省の役人も国会議員も知らない、あるいは、知っていても発言は聞こえません。ニューヨーク市は地下鉄、バスが24時間営業。50年前ニューヨークに行き、地下鉄、バスが24時間営業していることに驚きました。また、1971年ストックホルムに留学した時も人口80万人の市で地下鉄は24時間営業でした。世界の空港は24時間営業。したがって公共交通機関も24時間運行。東京で24時間運行がどうしてできないのか不明です。

私は自宅が都心ですから、我慢してタクシーを待てば1万円程度で帰宅できます。それでも大金ですが。(遅延のお詫びでタクシー代は全日空が支払ってくれました)外国人で高級ビジネスマンは問題ないでしょうが、若いバックパッカーやギリギリの費用で旅行している外国人は困ったと思います。タクシー代が高すぎます。また、すでに予約したホテルに無事にチェックインできたかどうか。

こうした実態を東京都観光部の職員、観光庁の職員はおそらく知らないでしょう。高度な難しい公務員試験をパスして就職した方々ですが、旅行の現場を学んでいないでしょう。大いに学んでほしいと思います。そして不便がないような施策を実施してほしいと思います。「おもてなし」など心地よい言葉を発していますが、実態とのかい離はかくも、と言った状況です。デタラメ言うな、と怒りの気持ちです。

港区長秘話、秘書の資質、新年会のルート作成で判断ミス

新年会シーズンです。港区長時代、約300近くの団体から招待がありました。時間が重なる都合で実際出席できるのはその半数でした。毎晩、新年会出席のルートを秘書が作成してくれました。車の移動時間含め1か所あたり20分~30分程度です。1か所で挨拶、多少の名刺交換などで5分から10分滞在、それから次の会場に移動です。地理的条件や組織規模、行政との関係の程度などから新年会のルートを作成します。夕方、予定表を渡され、その順番で新年会場を訪問、回ります。

会場が道路のそばであればその日程表で問題ありません。問題は港区固有の状況で、大型ホテルや高層ホテルの会場の場合です。たとえば、ホテルオークラ。当時は本館と南館と2つありました。本館の玄関に到着し、それから南館に移動し、さらに上階に移動するとそれだけで5分から10分を要します。当時私はホテルの廊下をジョギング、マラソン状態で小走りで移動しました。息を切らしながら会場に到着しました。受付をし、会費を払い、会場に入り、挨拶をすると、秘書が作成した日程表通りでは移動できないことが判明しました。秘書は地図上の点から点への移動ルートを勘案し、施設内の移動は無視して日程表を作成していました。秘書に、大型施設での新年会の場合、施設の中での移動を考慮して新年会のルート、時間表作成してください、と指示しました。実態を勘案せず机上の作戦で日程表を作成したミスでした。

 

伝統工法による300年木造住宅

埼玉県でこだわりの仕事をするS大工さんが伝統工法による300年住宅を造り、ご招待をいただき見学会に参加しました。柱の太さは6寸、梁、桁材はヒノキ、カラマツ、壁は左官仕上げです。フォルムは方形(正方形の平面で屋根はピラミッド状)です。床材はクリ、建具は杉で赤味と白味をツートンで使用した材料。既製品の建材を可能な限り使用せず、本物の木材で造り上げるという思想で、こだわりで建てた住宅です。材料は秩父産、一般の木材市場には少し問題があるという程度の良質な木材を材木問屋から比較的廉価で入手し、製材屋に製材を依頼し、その後は自ら加工した住宅です。総費用については不明ですが、相当な額のはずです。しかし、30年程度で解体してしまう住宅が多いことを考えると、仮に初期費用が2倍としても、300年使い続けることができる住宅なら十分ペイできます。こういう大工さんと一度一緒に仕事をしたい気持ちです。

港区長秘話、区長秘書の資質、出張費について?

港区長時代、秘書の任命について、将来部長級になる素質を持つ職員を秘書にしてほしいと助役に指示しました。数年前の武井区長の秘書は現在部長級ですから、私のアイデアのパクリと言ってもいいかもしれません。秘書は係長級ですので人事課長の仕事。私の指示に反し、そうした資質の人物でない職員を配属してきました。残念ながら週1回ミスをしていました。

ある時区民クラブという会派の研修合宿が湯河原温泉であるとのことで区長にも参加要請がありました。東京・湯河原間の時間表を調べると、熱海まで新幹線で行き、湯河原に一駅戻るのが最も早いということが分りました。秘書に聞くと、そういうルートの交通費は出ないとのこと。また、湯河原駅から温泉旅館まではバス路線がありますが2時間に1本程度で長時間バス停で待てませんので、タクシーで旅館まで行きました。私の場合、夜の公務が港区内でありましたので、研修会場で挨拶した後、東京に戻る必要があり、旅館から湯河原駅までタクシー利用しました。秘書に聞くと「バス路線があるのでタクシー代は出せない。」とのこと。差額は自腹としました。融通が利かない人物と思いました。一方で、秘書が区長に渡す資料を忘れると、秘書は区長車の運転手を呼び出し、区長公用車を書類運びに不適切利用していました。本来自分のミスですから自腹でタクシーで私に持ってくるのが筋です。助役に何度か注意をしましたが、改善されませんでした。彼個人は公務員として真面目に仕事をするタイプと思いますが、秘書に不向きな人物と思いました。武井人事課長の配置でした。

元港区長S氏のご本、原田について事実と異なる記述、ウーン・・・

私を区長後継者に指名した元港区長S氏が2011年自分史のご本を出版しました。チラッと斜め読みをしました。私に関する箇所は何か違うなと思いましたが、忙しさにかまけそのままにしました。最近倉庫の引っ越しなどし、書物の整理をしたなかで元区長S氏のご本を再度斜め読みをしました。改めて私に関しての内容が事実と異なると困惑の気持ちでした。主な点は以下のとおりです。

1 区長候補の経緯について。本の393ページあたりに記述されています。(S氏の本の内容)後継者に、「都市計画審議会会長の澤田光英氏(元建設省住宅局長、住宅公団副総裁、日本建築センター理事長、日本建築士会連合会会長)に原田さんはどうかと相談した。」 事実:当時の助役N氏が原田を候補としてS区長に推進した、と聞きました。S元区長から私は区長室に呼ばれ「後継者として区長選に出馬してほしい」と要請を受けました。私は直ちに「政治に関心はありません。翌年大学教授に内定しています。継続している仕事もあります。」とお断りしました。その後、私は澤田光英氏(審議会会長でなく副会長でS区長の誤り)を訪ね、「S区長から区長選に出馬してほしいと依頼されましたが、関心がありませんので、恐縮ですが、お断りの使者になっていただきたい。」とお願いし、澤田光英氏が直ちにS区長を訪問し「原田は引き受けない。引き受けさせない。」とメッセージを伝えていただきました。S区長が澤田光英氏に相談したとの記述は事実でありません。

2 選挙資金について。本の395ページに記述されています。S区長は原田に「当面私の退職金を選挙資金に出しておく。」と伝えたと記述されています。事実:そのような内容の話はありませんでした。S区長との面談の席で、私は「選挙資金もありませんし。」S区長「組織が面倒見るから心配いらない。」でした。その後会計責任者や港区政を水面下でコントロールしている麻布十番のK氏から「S区長がお金を立替えた。」と言った種の発言はありませんでした。S氏の退職金を立替えたとの記述は事実でありません。私は20代の時奨学金をいただき海外留学含め10年間(医者の約2倍の期間)世界の指導的立場の先生方から世界の最先端の勉強をしました。いくつか専門資格も持っています。それだけで十分です。経歴も資格もない方ならいくらでもお金を出してでも名誉職を求めようとするかもしれませんが、私にはそうしたポストは不要です。まして、お金を出せと言われれば真っ先にお断りしました。

3 私の事務所の仕事について。本の395ページにS区長曰く「原田さん、お仕事はどうしますか?」原田「女房に代わりにやらせます。」と記述されています。事実は逆です。事実。S区長から後継者としての出馬を要請された際、原田「私は建築設計事務所を経営しており、継続の仕事も抱えていますから無理です。」と仕事を出馬お断りの理由の一つとして説明しました。S区長は「仕事しながら区長職もできますよ。」とノー天気と思えるような発言があり、私は内心「兼職はできるはずはないでしょう、嘘でしょう。」と思いました。私は出馬引き受けることをお断りすることで精いっぱいでした。私が区長職に興味を持っているような記述ですが、事実と異なります。

4 原田の人生観について。本の395ページにS元区長は「原田は名誉欲旺盛な」と記述されています。事実と異なります。私は30歳で独立自営。依頼された仕事や公職を真面目にこなしてきました。人生観は「お金も名誉もいらない、仕事を楽しんで、食べられればそれで満足。」です。妻も両親も子供も同じ人生観です。名誉や金が欲しいなら他の職業や人生があったと思います。これまで多くの公職を務めましたが全て頼まれたものです。私と私の家族の人生観は最もお金と名誉に縁遠い実践をしてきました。これは嫌がらせ的な記述と思いました。

5  区長としての振る舞いについて。本の402ページにS元区長は「原田は議会でテーブルを叩くなど・・・」と記述されています。事実と異なります。率直なところ、言葉づかい、マナーの観点では私の方がS元区長よりはるかに丁寧で、低姿勢だったと思います。自営で仕事をしてきましたから、営業マインドがなければ仕事を受注できません。また、学生時代の指導教官などから言葉づかい、マナーなど厳しくしつけられました。私は「私・・・」(学生時代から)、S区長は「俺・・・」と言った言葉づかい。椅子の座り方も原田は背筋をまっすくのばし座りましたが、S元区長は背中をそっくり返るような座り方でした。議会では共産党のK議員がパワハラ発言のような大きな声で幹部職員達を怒鳴り、威嚇したり、長時間マイクを握り演説したり、保守系野党の一匹狼的な議員などは助役(現在は副区長)など幹部に対し「バカ」と怒鳴ったりするマナー上問題のA議員など若干名いました。それを正そうとしない議会をおかしいと思いましたが、そのような環境で区長がおどおどしたり、なよなよしたり、顔をそむけるような態度をしてはいけないと思い、正々堂々と戦う姿勢で議会に臨みました。

他にも事実と異なる個所があります。率直な気持ちとしてS元区長がご存命なら名誉棄損でご本人にアッピールしたい気持ちです。

 

平成天皇陛下の思い出、温かいお気持ちとお心遣い。

平成天皇陛下のお誕生日の平成30年12月23日、お言葉に感激しました。陛下ご自身、感極まったご様子を感じました。多くの国民がお祝いに皇居に行きました。また、平成31年1月2日一般参賀では15万人の国民が訪れました。当初の陛下のお出ましは5回だったそうですが、陛下のご意志で2回も追加され7回のお出ましがあったと報道がありました。記者会見の内容、一般参賀へのお出ましでも陛下の温かいお気持ちとお心遣いが強く感じられます。

私事ですが、陛下についての思い出です。アメリカ政府が実施するフルブライト留学制度発足60周年を記念する式典、レセプションがありました。たまたま、めぐりあわせでその時は私が同窓会長でした。陛下をお迎えしレセプションを開催することになりました。ご多忙なご公務の中で、時間を割いていただき、レセプションに両陛下のご臨席を賜りました。その時期は心臓手術後、まだ、それほど時間が経過していないこと、海外へのご訪問後ということで、陛下のご臨席は難しいのではと思っておりましたが、陛下の温かいお気持ちでレセプションにご臨席を賜りました。同窓生等とお話をいただき、楽しいひと時を賜りました。翌日の新聞記事を見ますと、レセプションの後、皇居にお戻りになり、シンガポールの元首相と夕食会があったと知り、一層、恐縮しました。参加者の中には、ノーベル賞受賞者の根岸先生、元駐米大使の大河原さん、東日本震災の被害者もおり、両陛下は同窓生の語る留学時代の思い出話の内容に熱心に耳を傾けていただきました。両陛下の温かいお気持ちお心遣いを感じました。

その10年前、フルブライト留学制度50周年のレセプションの時のことです。両陛下のご臨席を賜りました。私は一同窓会員として遠くから様子を見るつもりでいましたら、同窓会事務局から「原田さん、アメリカからの留学生や研究者は天皇皇后両陛下のお立場を十分理解せず、万が一、陛下の前にアメリカ人留学生が押し寄せ、不躾な質問があったら、原田さんは陛下の隣に立ち、そうした質問を適当にさばいてほしい。」と指示を受けました。突然の指示で驚きましたが、指示通りにしました。確かに不躾と思われる質問もありましたが、私が冷や冷やしながらコミュニケーションの交通整理をしようとしていると陛下が上手に相手の質問に対応されました。事務局はじめ周囲の心配は全くありませんでした。

偶然、二度陛下のおそばに立つ機会がありましたが、温かいお気持ちとお心遣いを強く感じました。貴重な時間を賜りました。感謝です。今後はお元気でお過ごしいただきたいとお祈り申し上げる次第です。