月別アーカイブ: 2019年5月

ファッションデザイナー髙田賢三氏のインタビュー記事、パリで高い評価・日本でぼろくそ評価、低レベルな識者

讀賣新聞にファッションデザイナー髙田賢三氏の若い時の思い出についてインタビュー記事が連載されています。5月23日の記事で「あるファッション評論家は『姫路出身の田舎者がパリでフジヤマゲイシャをモチーフにして人気を博している』と書き兄さんが激怒したのをよく覚えている。海外で頑張るのも服をデザインするのもそんな風に見られていたかと思うと悔しかった。」と記載されていました。

海外で頑張った方に対するネタミ、嫉妬、ヤッカミの類でしょう。また、識者と言われる方の能力不足、視野狭窄でしょう。世界の音楽、芸術コンクール、ノーベル賞などで日本人が入賞する度に、それまで日本でも評価されていた方ならともかく無名だった方が入賞すると日本での評価が一変。それまでの識者の評価力はなかったということです。

かつて、指揮者のオザワセイジがパリのコンクールで優勝した際、日本人の貧乏学生に対しカラヤン、バーンシュタインが高く評価してくれたと語っていました。当時、氏は日本ではそれほど評価されていなかったのでしょう、というより、招かれたN饗で楽団員からネタミ、嫉妬、ヤッカミで追い出され、海外で活躍、最近やっとN饗と和解したとのことです。

台東区が主催する奏楽堂コンクール、審査員長だった芸大名誉教授H氏が自らの関係者を入賞させる不正があったようです。H氏は2013年、週刊新潮で弟子のソプラノ歌手を愛人にしている、パワハラがあると書かれました。その程度の人物が芸大教授としてマスコミも含め「先生」「先生」とぺこぺこ。日本では文化芸術学術の審査が適切にされているか、疑問だらけです。

私事ですが、私も港区時代、一部の方々から、海外での経験について否定される言動に悔しい思いをしました。海外について学ぼう、英語を学ぼう、という意欲がない輩がネタミ、嫉妬、ヤッカミの類での悪口です。国際都市と称される港区の港区役所で英語を話す幹部はゼロ、国際理解ができる幹部ゼロ。不勉強と言ったほうがよいかもしれません。

金の話が出たら詐欺と思え

70歳までの体験。この数年振込詐欺のニュースが届きます。有料サイトの未払いがあると、もっともらしい大手不動産会社の事務所内のテナントになりすまし請求書が届いたりします。積水ハウスが地面師に50億円だまし取られたとか大事件の報道も耳にします。そうした中で事件として報道されないような寸借詐欺も含め多くの事件があると思います。詐欺事件は警察が最も扱いにくい事件の一つのようです。会社経営(小規模な建築設計コンサルタントですが)と個人的体験、政治家としての体験などからの結論です。

「金の話が出たら詐欺と思え」です。

普段の商行為以外に、友人であれ知人であれ「金を貸してほしい、出資してほしい」などは原則すべて断るべきです。これまでも共同事業に参加しないかと声を掛けられたことも数回ありました。友情などにほだされてはいけません。

私は株式会社設立の際、親戚、友人、知人10名以上の方に出資をお願いしました。40年近く会社経営を何とか継続しております。私が友人、知人に出資を依頼したのはその時だけです。会社設立という正当な理由です。

私個人は出資や投資に回す財産もありませんし、金を貸してくれと依頼されても回すお金がありませんからいつもお断りします。政治家になりませんか、議員になりませんかの誘いも要注意です。自分の得意技、能力を活かし社会貢献しようという政治家は別ですが。バッジと言う名誉欲しさに出馬すると大変なことになる場合があります。

大相撲観戦、土俵前で

知人からチケットをいただき先日、大相撲観戦しました。土俵から2列目の席でした。土俵前ということで飲食禁止、写真撮影禁止は分っていましたが、観戦の作法も知らずにいましたら目の前に砂かぶり席の主のようなご高齢の紳士がおり作法の注意をいただきました。目の前、隣に取り組みを控えた関取が座っており、また、そばに審判員がいますから、「静かに観戦すること、拍手したり、取り組みに意見を言ったりしてはいけません。」とのこと。

関取が目の前にいます。その体の大きさに驚きました。勝負の際、勢いあまり関取が観客席に飛び込んでくることがあります。たまたま3,4人隣のご婦人に関取が土俵から転落、2回ぶつかりました。そのご婦人にとりラッキーだったのかどうか。その日は、横綱鶴竜が負け、関脇栃ノ心が負け、平幕の朝乃山が単独で10勝。栃ノ心の土俵に上がる前の気迫に感激しました。しかし、気迫に反比例し前頭4枚目の阿炎(あび)にあっさり負けました。気迫と力だけなら栃ノ心が断然有利だったはずです。鶴竜も横綱として技が優れているはずですが、あっさり負けました。布団が周囲から飛び交い、ぶつからないよう頭を押さえました。大相撲観戦を楽しみました。

私はブルガリアで客員教授をつとめていますから碧山、ジョージアとモンゴルにに友人がおりますので栃ノ心やモンゴル勢を心情的に応援したくなります。26日千秋楽はトランプ大統領が観戦予定。楽しんでいただきたい、日本文化を感じていただきたいと思います。

アメリカの住宅設計の変化

 ニューヨークタイムズによりますと、以前はアメリカの住宅というと郊外の広い一軒家で(車2台の駐車スペースが住宅内にあります)夫婦に2,3人の子供の家族で、浴室(トイレ、洗面付き)が主寝室と子供部屋にも隣接し配置されている平面が一般的でした。面積は200㎡以上です。

最近の住宅設計の傾向として、「親戚や老親が同居できる部屋」「短期滞在者のための部屋」「仕事部屋(ホームオフィイス)」が配置されるようになりました。家族のあり方、生活のあり方が大きく変化しています。日本の住宅、と言っても大都市の狭小な住宅と地方都市とで条件は異なりますが、大きく変化してゆくことでしょう。

日本ハンガリー国交150周年記念コンサート

 今年は日本ハンガリー国交樹立150周年です。記念行事が多く開催されています。その一つで、5月21日港区にあるサントリーホールでブダペスト交響楽団、指揮は小林研一郎氏の演奏会があり参加しました。演目は「ハンガリーへの想い」、コダーイ作曲「ガランタ舞曲」、リスト作曲「ピアノ協奏曲第1番変ホ長調」(ピアノ金子三勇士)、ドヴォルザーク作曲「交響曲第9番ホ短調」です。秋篠宮様ご一家のご臨席の中、満席での演奏会でした。

ハンガリーは中欧で優等生の国家です。これからのさらなる発展が楽しみです。文化、芸術、温泉文化などで相互に交流が高まることを期待します。ハンガリー大使パラノビチ氏は39歳の若い方、博士号を持ち、日本語が流暢な方です。元大使のセルダヘイ氏も日本語が流暢でした。博士号を持ち、あるいは、現地語が得意な人物が大使を務めることも大切です。ハンガリーの代表として人材大臣が出席しました。カーシュレルという方ですが、博士号をお持ちの方です。日本の大臣、政治家も知識、教養レベルを示す博士号を持つよう努力すべきでしょう。今後ハンガリーとの友好、交流がますます盛んになりますよう期待しております。個人的に貢献できることありましたらお手伝いしたいと念じております。(ちなみにこの夏ハンガリーから知人家族(4人)が休暇で日本を訪問するとのことで、東京をご案内することになっております)

指導教官(人生モデル)の誕生日会、94歳

5月中旬、早稲田大学の指導教官だった穂積信夫先生のお誕生日会と研究室の同窓会が早稲田大学キャンパス内で開催されました。穂積先生はお元気に研究室卒業生と会話。私は穂積先生に、1年生の時英語の本を使った個人ゼミでご指導をいただき、2年生の住宅設計課題、3年生の設計課題、4年生の卒業論文、卒業設計、大学院で修士論文の指導を賜りました。3度の留学でもご指導、推薦を賜りました。大学院時代、論文を書け、日本建築学会のデザインコンペに参加せよ(2度デザイン賞をいただきました)と様々ご指導をいただきました。私的にはお仲人をしていただきました。

そもそも、早稲田大学建築学科に入学した際、学科から渡された教授や研究活動の紹介本に記載されている穂積教授の経歴に惹かれました。フルブライト奨学金でアメリカ、ハーヴァード大学留学、卒業後、世界的に著名な建築家エーロ・サアリネン建築事務所で勤務、と記載されていました。1年生、18歳の私は、将来目標として穂積先生の後を追いかけると決めました。そうしていたところたまたま穂積先生の知遇をいただき、ご指導をいただいた次第です。20歳の時交換留学でアメリカ、オハイオ州The College of Wooster、22歳の時、スウェーデンのインテリア・デザイン事務所カール・クリスティアンソン建築事務所に技術研修留学(IAESTE)、いよいよ、大学院の時、本命のフルブライト交換留学生試験に合格し、テキサス州、ヒューストンにあるライス大学に留学しました。穂積教授の後追いができました。穂積教授に感謝。

留学は自分の人生そのものです。港区長に就任後、元区長S氏から海外留学したという話はするなとお説教がありました。また、退任近くになり、政策経営部長のN氏から「フルブライト留学の話はしないください。」とお説教。私の人生そのものが否定されたような気持ちになりました。人生様々。異文化理解を標榜する港区なら最高幹部は様々な人生、価値観があることを理解すべきです。

平泉会(へいせん)展覧会、上野の東京都美術館で出展

保坂先生が主宰する平泉会(へいせん)の5月展覧会が上野の東京都美術館で開催されました。ご縁あり私は建築スケッチ2点(A-2サイズ)と建築の構想模型2点を出展しました。今回はイタリアの風景のスケッチです。フィレンツェのベッキオ橋とナポリ郊外のプレチダという漁村の風景です。イタリアにも数人の親しい友人がおり、記憶にスケッチを描きたいと考えておりました。来年の構想を練り始めなければなりません。次は、日本の伝統建築を製作する予定です。来年1月は六本木の新国立美術館で開催予定です。頭の体操になります。そして素晴らしい友人との交流につながります。

古希のお祝い

この3月古希を迎えました。3度の留学で大学で約10年学び、仕事を始めたのは同期の友人と比べ10年遅れ。多くの友人は60歳で退職。私は10年遅れで退職しなければなりません。とは言いつつ、個人業ですから健康である間、また、クライアントから発注がある間は仕事をしばらく続けるつもりです。

家族が古希のお祝いをしてくれることになりました。たまたま東京アートショーの景品で六本木ヒルズクラブの利用券がありました。孫含め家族で夕食でお祝いをしました。お祝いのケーキを特別注文で作っていただきました。別の日に別のレストランで家族の一部と夕食を一緒しました。この時は、帽子をかぶらされ記念写真を撮影しました。さらに、大阪の親戚に呼ばれ有馬温泉で古希のお祝いをしました。ところで問題。経費は子供たちが割り勘で負担するのかと思ったら、結果、全て私のカードで支払いでした。・・・

興信所の偽調査、情報誌購読営業

1980年設計事務所を開業しました。小規模ながら、主に官庁からお仕事をいただき仕事を続けております。官庁の他、一部、友人から住宅設計などの依頼もありました。開業予定の後輩のための体験談の一つです。「興信所の偽調査に気を付けてください。」2度体験しました。ある時突然「興信所(もっともらしい名前)ですが、おたくの会社に信用調査の依頼があったので、面談で会社の状態について聞かせて欲しい。」と電話がありました。興信所による信用調査とのことですから無下に断りにくいです。調査員が来ました。私の経歴、業務内容を質問しました。質問が終わり「今後も調査が入ると思うので、興信所のデータベースに登録してください、そして、興信所発行のニュースレターを定期購読してください。(年会費20万から30万円)」と営業に展開。これは怪しいと思い、きっぱり断りました。「私の事務所は官庁からの依頼が多く、どこか知りませんが、企業などから調査依頼があるとは考えられません。また、友人から住宅設計の依頼がありますが、会社でなく個人の存在の友人であることを考えると、信用調査があると思えません。」と明確に伝えました。調査員は不快な気持ちになったことでしょう、私の事務所から出て行きました。新規事業を考えている方、気を付けてください。

港区長時代、演歌を歌えとお説教

港区長時代、新年会の出席は、招待状ベースで300か所。実際、時間の制約で出席できるのがその半数です。新年会では、場合によりカラオケで何か歌ってくださいと依頼されることも多くありました。私にとり懐メロは留学時代、レポート書きで徹夜しながら聞いたラジオから頻繁に流れてくるアメリカの人気音楽です。ご愛嬌で、アメリカの歌を歌いました。すると、元区長S氏が「演歌を歌え」と助言?お説教?。私は無理して、あるいは、恰好をつけるためにアメリカの歌を歌ったわけでなく、文字通り私にとり人生の歌、苦しい時に聞いた思い出の曲です。私の人生、文化を否定されたような思いを抱きました。異文化を受け入れる包容力が必要です。