5月中旬、早稲田大学の指導教官だった穂積信夫先生のお誕生日会と研究室の同窓会が早稲田大学キャンパス内で開催されました。穂積先生はお元気に研究室卒業生と会話。私は穂積先生に、1年生の時英語の本を使った個人ゼミでご指導をいただき、2年生の住宅設計課題、3年生の設計課題、4年生の卒業論文、卒業設計、大学院で修士論文の指導を賜りました。3度の留学でもご指導、推薦を賜りました。大学院時代、論文を書け、日本建築学会のデザインコンペに参加せよ(2度デザイン賞をいただきました)と様々ご指導をいただきました。私的にはお仲人をしていただきました。
そもそも、早稲田大学建築学科に入学した際、学科から渡された教授や研究活動の紹介本に記載されている穂積教授の経歴に惹かれました。フルブライト奨学金でアメリカ、ハーヴァード大学留学、卒業後、世界的に著名な建築家エーロ・サアリネン建築事務所で勤務、と記載されていました。1年生、18歳の私は、将来目標として穂積先生の後を追いかけると決めました。そうしていたところたまたま穂積先生の知遇をいただき、ご指導をいただいた次第です。20歳の時交換留学でアメリカ、オハイオ州The College of Wooster、22歳の時、スウェーデンのインテリア・デザイン事務所カール・クリスティアンソン建築事務所に技術研修留学(IAESTE)、いよいよ、大学院の時、本命のフルブライト交換留学生試験に合格し、テキサス州、ヒューストンにあるライス大学に留学しました。穂積教授の後追いができました。穂積教授に感謝。
留学は自分の人生そのものです。港区長に就任後、元区長S氏から海外留学したという話はするなとお説教がありました。また、退任近くになり、政策経営部長のN氏から「フルブライト留学の話はしないください。」とお説教。私の人生そのものが否定されたような気持ちになりました。人生様々。異文化理解を標榜する港区なら最高幹部は様々な人生、価値観があることを理解すべきです。