月別アーカイブ: 2019年7月

大学教授の間違ったコメント

日本では何かあるとマスコミは後生大事に大学教授にコメントさせる傾向があります。立派な大学教授を多く知っていますが、中にはでたらめな教授のコメントもあります。アメリカの大統領選挙が始まりましたので昔話を思い出しました。1976年カーター大統領が誕生しました。前職はジョージア州知事です。日本の政治評論の大学教授は「鹿児島県知事が首相になったようなもの」とコメントしたこと今でも覚えています。間違いです。

アメリカの州は一つの国家です。州政府は陸海空の三軍を持っています。州知事は三軍の司令官です。州警察(ハイウェイパトロール)の司令官です。州の刑務所の運営もします。州議会は上院下院と二院制度です。州政府は連邦政府が担う外交、防衛、通商を除くすべての行政、政治を行っています。州の税率も全て州議会が決めます。アメリカの州政府と比較すると、日本の県は国の下請け機関とも言えます。ですので、某大学教授のコメント「カーター大統領は生まれたのは鹿児島県知事が首相になったようなもの」は全く間違いです。この程度の大学教授がいるということです。

別の思い出話です。1980年代前半、NHK教育テレビの教材でアメリカの教育制度でコミュニティカレッジの紹介がありました。私もコミュニティカレッジについて研究論文をいくつか書きましたのでよく知っております。NHKの教材に「3年制の大学」と書かれていました。正しくは2年制の大学です。私が研究していた内容の一つでしたので、驚き、残念でした。このようなでたらめな大学教授もいるということです。

静岡市立美術館視察、オバリン大学エインズワースコレクション(浮世絵)展

7月下旬静岡市立美術館を視察しました。駅前の約10階建てのビルの3階に立地しています。駅前で夜の7時まで開館。便利です。ホールの天井高さ6mあります。サインデザインもすばらしいです。展示は、アメリカ、オハイオ州オバリン大学美術館のエインズワース・コレクション(浮世絵)の展示です。オバリン大学を卒業したエインズワース女史は日露戦争後の時期に来日、浮世絵を収集、持ち帰りました。当時、女性一人で(実際に一人かはわかりませんが)来日した勇気に敬意を払いたいです。(内向きと言われる日本人はエインズワース女史の行動力を学ぶべきです)母校のオバリン大学に寄贈、オバリン大学の美術館に収蔵・展示されています。オバリン大学はアメリカのプレスビテリアン(長老派教会)系の大学です。早稲田大学の姉妹校で、私が早稲田の交換留学で学んだウースター市と30キロ程度の距離です。(アメリカでは隣町と言えます)人口約1万人、学生数2000人です。有名人ではライシャワー(元駐日アメリカ大使)が卒業生です。

話は飛びますが、日本で地方都市から若者、特に女性が東京に移住し、自治体も、地方の大学も困ったと騒ぎ、東京を非難し、挙句の果てに地方救済と称し、政府は東京での大学立地を10年間禁止しました。ばかげた施策です。人の意志を無視した共産主義的政策です。アメリカではオバリン市は人口1万人の農村部にある自治体です。オバリン大学はアメリカ中から、また、世界から留学生が学んでいます。そして世界的レベルといってよい浮世絵コレクションを持っています。地方都市の首長さん、地方の大学の学長さん、アメリカやヨーロッパの地方の小都市の自治体やこうした小都市に立地している大学の経営方法を学ぶべきです。

アメリカの大学入学制度

1969年アメリカ、オハイオ州The College of Woosterに早稲田大学交換留学生として留学しました。大学の推薦ですから先方の入学試験なしで入学しました。アメリカの入試は日本のように決められた日時に一斉の入学試験が実施するという方式でありません。共通一次のような「英語」「数学」の基礎学力を測定する試験と高校の推薦状、自己申告書で評価されます。もっとも最近の事情は知りませんが。2度目の留学は1974年フルブライト奨学金(アメリカ政府の奨学金制度)を頂きテキサス州ヒューストン市にあるライス大学の建築大学院に留学しました。日本の大学院入学と全く異なります。19年6月24日読売新聞の大隅良典氏のインタビュー記事によると「ニューヨーク市のロックフェラー大学に紹介状書いてもらい留学したいと手紙を書いたらすぐ来てよいと教授から返事が来た」と記載されています。私もほぼ同じ体験をしました。ライス大学建築大学院に、自己紹介の手紙を郵送しましたら直ちに建築学科主任教授から「あなたを大学院に受け入れます」という返事が来ました。驚きました。まず即回答が来たこと。次に、合格の手続きがいたってシンプルであること。日本の大学院でこのような手続きをしているところはないでしょう。こうした弾力的な制度も大切と思います。

アメリカ・アリゾナ州フェニックス市警察官の無礼な行為に市長謝罪

19年6月16日ニューヨークタイムズによりますと、アメリカ・アリゾナ州の中核都市人口130万人のフェニックス市で、警察官が取り締まりの過程で小さな子供の居る前で拳銃を突きつけ逮捕した行為に対し、ケイト・ギャレーゴ市長(女性)が謝罪した、とのことです。アメリカは自治体警察ですので、市長が警察の指揮官を兼ねています。気づき。①市長は真面目で公正な人物であること。市長は警察組織の指揮官ですから、事件を起こす人物、事件をもみ消そうとする人物は市長になれません。日本では、最近の記憶では伊東市、上尾市、山梨市の市長が収賄、官製談合などで逮捕されました。アメリカではそもそもこの程度の人物は市長、政治家になれません。②アメリカでは事件があると直ちに警察の指揮官である市長、または、警察部長が記者会見を行い、事件報道をします。日本では重大事件が生じても本部長など警察幹部が直ちに記者会見をすることはほとんどありません。報道記事も「警察関係者への取材によると・・・」です。アメリカのように事件が生じたら直ちに責任ある立場の方が記者会見すべきでしょう。

日本人フルブライト留学生の歓送会

6月、日本からアメリカにフルブライト奨学金(アメリカ政府の奨学金:戦後世界平和のため若手の交流を促進するためフルブライト上院議員が提案した法律で始まった留学制度)で留学する学生、研究者の歓送会が開催されました。今年は42名です。全員と挨拶したわけでありませんが弁護士を目指す方が多くいました。また、英語教員でアメリカでさらに腕を磨こうとする教師も数人いました。アメリカで自身の研究分野を深めようとする大学教授もいました。私自身は45年前の1974年のフルブライト留学生ですが、こうした会合に参加する度に、昔の自分自身を思い出します。42名の留学生が目的を達成し、同時に、将来日米の懸け橋の役割を果たしてくださることを期待します。

私事ですが、私の場合大学に入学した時からいずれはフルブライト奨学金を頂きアメリカに留学しようと目標としていました。当時の日本の経済力、原田家の経済力からすれば、奨学金を頂かないとアメリカ留学はできません。当時のわたしにとり人生最大の目標、夢でした。もっとも港区長時代、一所懸命努力し実現したフルブライト留学にケチをつける港区の最高幹部がいたのには驚きました。人生目標、人生観様々です。フルブライト同窓生全体への侮辱です。

ズボンの話題三題

ズボンのこと、思い出話、気づきの3題です。50年前早稲田大学の交換留学生としてアメリカのオハイオ州のウースター大学に1年間留学しました。昔の写真など整理して思い出しました。ズボンは黒の学生ズボン。と言っても今時の学生にはピンと来ないかもしれませんが。今思い出すと恐ろしいこと。その1着のズボンを1年間はきとおしました。しかも洗濯せずに。貧乏学生の生活ぶりの一端です。友人たちからズボンが汚い、くさいとよく言われなかったと今思うと冷や汗が出ます。

2つ目。1971年スウェーデンに留学しました。驚きました。バス、地下鉄の運転手の半数は女性、大学の建築学科の6割が女子学生(早稲田大学の建築学科に1学年180名中女子学生は2人)、設計事務所を訪問すると半数は女性。電車やバスの風景です。女性の多くは(何割だったか正確な記憶はありませんが)ズボン(パンツスーツ)でした。スカート姿の女性は少なかったです。ズボンが働きやすいということでしょう。

3つ目、最近の地下鉄の姿。スウェーデンの地下鉄での風景を思い出しながら、東京の地下鉄で女性のズボン姿の割合を時々観察します。以前と比べズボン着用(パンツスーツ)の女性が半数以上います。ズボンのほうが物理的に働きやすいということでしょうか。

K君、友達思い。訃報の連絡

少し前になりますが、高校時代の友人、歯科医のK君が亡くなったと知らせを頂きました。頑丈な体で、最も長生きするのではと思っておりました。いつも冗談を言って仲間を笑わせていました。体つきに似合わず?友達思いのユニークな仲間でした。

一例です。会合を企画すると必ず参加してくれました。それぞれの仲間が同期会を企画します。私自身は90年代、クルージングの企画をし、三浦半島周辺でヨット、モーターボートでの遠足を企画しました。K君は三多摩方面に住んでいましたが、義理堅く遠方から必ず参加してくれました。おそらく5時起きだったと思います。

二例目です。私が港区長選挙に出馬する際、当時の区長の後継者ということで多くの区民、団体にご支援いただきましたが、その中に歯科医師会もありました。歯科医であるK君は港区在住の仲間の某歯科医に「原田をよろしく」と電話をしてくれたとのことで、当選後その歯科医から「K先生から原田さんをよろしくと電話をもらいました。」と言われました。K君は「原田応援のために電話したぞ」と一言も私に伝えませんでした。恩着せがましいこと一切なし。

三例目、友人と友人のネットワークづくりを一所懸命してくれました。異なる分野の人物同士、つながると面白いのではと判断すると、異分野の同級生同士を居酒屋に誘いつなげる役を一所懸命してくれました。これも陰でこっそりと言ったやり方です。今思い返すと友人思いの素晴らしい得難い仲間でした。K君の行動は私にはなかなかできません。今ではK君の行動力を少しでも学び、実践しようと心がけています。