日別アーカイブ: 2019年7月9日

日本人フルブライト留学生の歓送会

6月、日本からアメリカにフルブライト奨学金(アメリカ政府の奨学金:戦後世界平和のため若手の交流を促進するためフルブライト上院議員が提案した法律で始まった留学制度)で留学する学生、研究者の歓送会が開催されました。今年は42名です。全員と挨拶したわけでありませんが弁護士を目指す方が多くいました。また、英語教員でアメリカでさらに腕を磨こうとする教師も数人いました。アメリカで自身の研究分野を深めようとする大学教授もいました。私自身は45年前の1974年のフルブライト留学生ですが、こうした会合に参加する度に、昔の自分自身を思い出します。42名の留学生が目的を達成し、同時に、将来日米の懸け橋の役割を果たしてくださることを期待します。

私事ですが、私の場合大学に入学した時からいずれはフルブライト奨学金を頂きアメリカに留学しようと目標としていました。当時の日本の経済力、原田家の経済力からすれば、奨学金を頂かないとアメリカ留学はできません。当時のわたしにとり人生最大の目標、夢でした。もっとも港区長時代、一所懸命努力し実現したフルブライト留学にケチをつける港区の最高幹部がいたのには驚きました。人生目標、人生観様々です。フルブライト同窓生全体への侮辱です。

ズボンの話題三題

ズボンのこと、思い出話、気づきの3題です。50年前早稲田大学の交換留学生としてアメリカのオハイオ州のウースター大学に1年間留学しました。昔の写真など整理して思い出しました。ズボンは黒の学生ズボン。と言っても今時の学生にはピンと来ないかもしれませんが。今思い出すと恐ろしいこと。その1着のズボンを1年間はきとおしました。しかも洗濯せずに。貧乏学生の生活ぶりの一端です。友人たちからズボンが汚い、くさいとよく言われなかったと今思うと冷や汗が出ます。

2つ目。1971年スウェーデンに留学しました。驚きました。バス、地下鉄の運転手の半数は女性、大学の建築学科の6割が女子学生(早稲田大学の建築学科に1学年180名中女子学生は2人)、設計事務所を訪問すると半数は女性。電車やバスの風景です。女性の多くは(何割だったか正確な記憶はありませんが)ズボン(パンツスーツ)でした。スカート姿の女性は少なかったです。ズボンが働きやすいということでしょう。

3つ目、最近の地下鉄の姿。スウェーデンの地下鉄での風景を思い出しながら、東京の地下鉄で女性のズボン姿の割合を時々観察します。以前と比べズボン着用(パンツスーツ)の女性が半数以上います。ズボンのほうが物理的に働きやすいということでしょうか。

K君、友達思い。訃報の連絡

少し前になりますが、高校時代の友人、歯科医のK君が亡くなったと知らせを頂きました。頑丈な体で、最も長生きするのではと思っておりました。いつも冗談を言って仲間を笑わせていました。体つきに似合わず?友達思いのユニークな仲間でした。

一例です。会合を企画すると必ず参加してくれました。それぞれの仲間が同期会を企画します。私自身は90年代、クルージングの企画をし、三浦半島周辺でヨット、モーターボートでの遠足を企画しました。K君は三多摩方面に住んでいましたが、義理堅く遠方から必ず参加してくれました。おそらく5時起きだったと思います。

二例目です。私が港区長選挙に出馬する際、当時の区長の後継者ということで多くの区民、団体にご支援いただきましたが、その中に歯科医師会もありました。歯科医であるK君は港区在住の仲間の某歯科医に「原田をよろしく」と電話をしてくれたとのことで、当選後その歯科医から「K先生から原田さんをよろしくと電話をもらいました。」と言われました。K君は「原田応援のために電話したぞ」と一言も私に伝えませんでした。恩着せがましいこと一切なし。

三例目、友人と友人のネットワークづくりを一所懸命してくれました。異なる分野の人物同士、つながると面白いのではと判断すると、異分野の同級生同士を居酒屋に誘いつなげる役を一所懸命してくれました。これも陰でこっそりと言ったやり方です。今思い返すと友人思いの素晴らしい得難い仲間でした。K君の行動は私にはなかなかできません。今ではK君の行動力を少しでも学び、実践しようと心がけています。