月別アーカイブ: 2019年11月

50年前留学先の教授の親切な指導

50年前1969年早稲田大学の交換留学生としてオハイオ州のThe College of Woosterで1年間学びました。建築デザイン理論の授業を取りました。教授Arnold Lewis氏は授業の一環として、学生10人ほどを自らのマイクロバスに乗せ高速道路ひた走り、ペンシルベニア州フィラデルフィアに連れて行ってくれました。教授の弟がフィラデルフィアで建築事務所に勤務しているとのことで、弟の住宅に雑魚寝です                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       が宿泊させていただき(無料)、弟が勤務する設計事務所を案内いただき、その他、フィラデルフィアの著名建築を案内していただきました。オハイオ州のウースターからフィラデルフィアまで500キロ以上。教授の運転する車(無料)、弟の自宅に泊めさせていただき(無料)、フィラデルフィア美術館(ちょうど、ブランクーシ展を開催中:ルーマニア生まれ、抽象彫刻の指導者、イサム野口の師匠)を見学し、ペンシルバニア大学を見学、世界の指導的建築のイーロ・サーリネン設計の学生寮、ルイス・カーンの設計したリチャーズ・メディカル・センター、当時有名になりつつあった当時若手建築家ベンチューリーのデザインした住宅など見学できました。教授の配慮で無料ですばらしい建築視察旅行を楽しみました。ルイス教授の自己犠牲、奉仕の精神ですばらしい授業を体験できました。

ベルリンの壁崩壊30年、共産主義体制の反省、国民が選ぶ体制、社会?

1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊しました。私は1999年11月国際建築アカデミー(本部はブルガリア)が主催するベルリンの壁崩壊10周年記念シンポジウムに招聘され参加しました。共産党独裁体制だった旧ソ連が崩壊し、衛星国だった東欧諸国で民主化が広がりました。言論や移動の自由が認められ、自由主義経済体制となりました。

私はブルガリアにある国際建築アカデミーの客員教授を務め、多くのブルガリア人、東欧の建築家とお付き合いしています。また、1980年代初頭妻が世界の指導的立場のロシア人チェリスト、ロストロポービッチが来日した際通訳をしたのでご本人から共産党政権時代の実態を直接聞きました。こうした実態を日本のマスコミはほとんど伝えませんでした。アメリカの批判をしても(アメリカはマスコミを脅しませんから)共産主義国家の批判はタブー(特派員が逮捕されたり強制退去されることを恐れていました)でした。ロストロポービッチ氏は「ソ連共産党員が文化芸術を支配し、共産党のために演奏しろ、勝手な芸術解釈は認めない」と強制されたそうです。また、氏はノーベル文学賞作家ソルジェニツィンを隠れて支援したし、与えられていた高級住宅、高級乗用車などの特権は全てはく奪され、その上、国外追放され、(世界的有名人でしたから逮捕されませんでした)、ソ連共産党の歴史からロストロポービッチの名前は全て抹殺されました。

チェッコスロバキアの建築家は共産党政権時代、自由に出版物に接することができなかったので、日本大使館に行き日本からの建築雑誌を見て日本の建築デザインについて情報収集したと言っていました。

1960年代、日本人ピアニスト田崎悦子さんが留学先のニューヨークのジュリアード音楽院からハンガリー、ブダペストのリストの勉強をしたいと訪問した際、ハンガリーの秘密警察が田崎さんをずーっと監視していました。(無駄な、バカバカしい行為)知人のハンガリー人ピアニストと面会した際、ハンガリー人ピアニストは小さい声でささやくように田崎さんに話しかけたそうです。盗聴マイクがあちらこちらに仕掛けられているからです。

1990年頃早稲田の建築の後輩がモスクワ大学に留学しました。多くの仲間がアメリカや西欧に留学しているので珍しいところに留学しようとモスクワ行きを決めたそうです。彼の話では、モスクワでパン一個買うのに3時間行列に並んだそうです。

政権批判はタブー、政権批判をすると逮捕、監禁、下手すれば死刑。ハンガリー動乱(ハンガリー市民がソ連に抵抗し、弾圧された事件)やプラハの春事件が思い出されます。今や、多くの東欧の仲間が旧共産党時代を批判しています。

3度留学(アメリカとスウェーデン)した体験で、多くの分野で世界中からアメリカに学生、研究者が集まります。自由に議論できるからです。スポーツ選手も芸術家もアメリカを目指す方は多くいます。

ベルリンの壁を超えようとして東ドイツの警察、国境警備隊(?)に多くの東ドイツ人が射殺されました。東ドイツ政府は銃で脅さなければ国民は西ドイツに逃げるという自らの国家の欠陥を承知していました。自由に行き来きできることは最低限の権利です。壁を作り、銃で脅したわけです。ばかげた政治、統治が行われていました。

改めてこうした歴史を学ぶ必要があります。アメリカとスウェーデンで学んだこと、友人や教授たちから「思うことは何でも発言せよ」でした。相手がだれであっても。上司でも、指導教官でも。

関西電力と高浜町元助役森山の問題、港区でも

関西電力最高幹部が原発がある高浜町元助役から3億円以上の金品を受け取っていたと報道がありました。驚きました。仮にお金が流れたとして電力会社から原発が立地する自治体に、原発立地のお礼と地元経済を支えるという意味で、正当にお金が流れるなら話が分かります。報道を知り、なぜ元助役が高額な金品を関電の最高幹部に渡していたのか理解できませんでしたが、原発関係の工事の受注に対するお礼ということで、なるほどと思いました。

ガバナンスの観点から、元町長のインタビューがありました。助役のほうが、町長より権力があったとの内容でした。港区でも同じような思いを抱かざるを得ない場面がいくつかありました。元区長の影の影響力、知的能力はともかく、長年議員をやってきたということでの影の区長という影響力。これまで、柔道連盟、ボクシング連盟、最近の日大のガバナンスなど見ていると、情けない気持ちになります。再三書きますが、アメリカでは大統領に、しばしば新人、若手が就任します。ベテランの議員や、軍人のトップが、俺が影の大統領だということはありません。40代の黒人の大統領に対しても、ベテランの議員、軍のトップは忠誠を誓います。それがガバナンスです。日本の統治機構はおかしいと思うことがいくつもあります。

次に、パワハラです。関電の最高幹部のインタビューで、森山氏からの金品提供の際、断ろうとするとパワハラで「俺の気持ちが受け取れないのか!」とすごまれ、返金(品)を躊躇した、とのことです。港区でも共産党区議で大声出し、脅しのような言動をする議員がいました。また、保守独立系の議員で議会で助役や幹部に対し「バカ」とわめく議員がいました。頭の構造を見たい気持ちでしたが。一方、こうした人物に投票する有権者も問題です。

次に、金の保管、使い方について、週刊文春の報道10月24日号によると関電の副社長豊松秀己氏は大阪の歓楽街・北新地の高級ラウンジで常連客で、判明分だけでも1億1千万円の現金を受け取り20着分のスーツ仕立券、小判なども受け取っていたと書かれています。新聞のインタビューで「必死に金を返してきた」とのことですが、ホステスのインタビューでは「本当か?」とのこと。月に軽く4~500万円落としていたとのこと。港区でも元区長氏は、毎晩のように銀座のクラブで深夜まで飲んでいたと聞きました。支払いはどうしたのか?気になるとことです。

こうしたナイトクラブを通じての社交は無しにしないといけません。先進国でホステス侍らせの社交は日本だけです。欧米は社交は自宅へ招き、家族同士の社交です。不正があったら、司法機関、マスコミに伝えることです。司法機関もマスコミもアテにならないことがありますが。ナイトクラブの社交をすれば、女性の幹部社員や公務員は参加できないということです。関電の(ほかの企業もでしょうが)女性の社会参画と建前上発言しながら、最高幹部たちは、女性参画を妨げる行為をしていたということでもあります。愚かな輩です。ナイトクラブで豪遊する最高幹部を抱え、関電の女性社員は気の毒でもあります。

早稲田大学1972年卒同期会

11月8日(金)夕方、早稲田大学キャンパス内で1972年卒業同期会が開催され、出席しました。私は入学が1967年で本来の卒業年は1971年。在学中、留学したので1年卒業が延びました。71年と72年の同期会に登録されています。さらに、大学院修士課程修了が74年ですので、74年の同期会にも登録されています。1972年の卒業生数7400人、同期会に登録されている数は500人、同期会に出席した者40名、卒業生数の0.5%でした。遠くは神戸市、平泉市から参加しました。幹事の皆様に感謝です。1人、高校の同期もいましたので、双方で驚きました。小中の同期も1人いました。

幹事の一人が当時流行した歌の歌詞を配布、ギターで出席者で合唱。当時を振り返り、懐かしい思いを共有しました。いくつかの歌の中で一つ気になった歌。「心の旅」1971年、財津和夫作詞・作曲、チューリップの唄です。その一節に「・・・もしも許されるなら、眠りについた君をポケットにつめこんで、そのまま連れ去りたい、あーだから今夜だけは・・・」があります。恋愛中の思いでしょう。ある参加者は早稲田同士で結婚したとのこと、ほとんど、学生結婚に近い様子、冗談でしょうが、「今や、双方が失敗した、早まったとぼやいている」と語っていました。上の詩を引用すると「君をポケットに詰め込んで、ゴミ箱見つけ、そこに捨て去りたい」という思いでしょうか?冗談です。     

私は、上記のように、早稲田で1971年、1972年、1974年の同期会に登録されています。さらに、早稲田大学国際部の交換留学生でしたので、国際部同窓会の会員でもあります。国際部同窓会はかつて会長も務めさせていただきました。それに、本職の建築学科の同窓会会員です。したがって早稲田大学で5つの同窓会に登録されています。複数のネットワークがあることは仲間が多いということで、ありがたいことです。

話変わり、区長時代、港区議で昭和初期生まれの議員が、氏に対して、私はかなりほらふきのような人物と印象を抱きましたが、氏は早稲田の政治経済学部を卒業したと豪語していました。(さらに千葉大工芸学部を卒業したとも言っていました)氏から早稲田時代の思い出の話は一切りませんでした。どのような授業を習ったか、どのような指導教授に習ったか、どのような学生生活だったか一切話がありませんでした。

50年ほど前の同期会で、昔の思い出話で盛り上がり、楽しいひと時でした。幹事さんに感謝。

Black Tie、黒ネクタイ、葬式用?

区長時代、外国人が主催する集会に何度となく招待されました。海外留学経験者であり、妻は元同時通訳者ということもあり、主催者は親近感を持ったと思います。多くの場合、平服での参加ですが、時に英文の招待状にドレスコードで「Black Tie」と記された集会が2度ありました。ドレスコードに気づかず、平服で行ったという失敗談です。

スケジュール調整の方法です。招待状など秘書係が受け取り、開封し秘書が内容を確認し、区長に口頭で伝え、会合の趣旨、目的を確認、前後の他の予定との調整をし、参加するかどうか、決めます。区長は招待状の現物を見ません。それぞれの会合に行く直前に実際の招待状を渡されます、という手順です。会場に到着し、参加者がブラックタイ、つまり、黒服で黒の蝶ネクタイをし、女性はイブニングドレスが正装の和服を着ています。よくよく招待状を見たら招待状にドレスコードBlack Tieと書かれていました。秘書は英語の意味を理解せず、また、そうした集会に関して知識、経験がなかったと思います。翌日、秘書に説明し、英文の招待状が来て、ドレスコード、「Black Tie」と記載されていたら、その点をきちんと報告してください、と伝えました。ところが、後日、また同じミスがありました。招待状の場所に夫婦で行ったらBlack Tieの会場でした。私どもだけ平服でした。Black Tieの集会は欧米では特別なものでなく、時々あります。さすが2度目の失敗の時は内心秘書の不注意にがっかりしました。丁寧に招待状を読んでいなかったのでしょう。区長の立場で、一枚一枚招待状をチェックする時間はありません。チェック、予定作成のための秘書です。

コミュニティバス研究、学生時代参加しました

港区でコミュニティバスが走っています。区民の足として多くの区民に使っていただいていると思います。私が区長時代、コミュニティバスの実現に向け検討しました。専門家区長として基本的考えを伝え、また、私が留学時代関与した研究報告書を幹部に見せ、勉強するよう指示しました。幹部は驚いたと思います。原田が若い時アメリカ、ヒューストンでこうした研究をしていたとは。

手元に当時の調査報告書があります。発行はライス大学コミュニティデザイン研究所、1976年3月、発注者はヒューストン市役所。タイトルは「中心街区交通需要分析調査」。内容は中心市街地でのミニバス運行のための調査分析と具体のルートの検討、ミニバスのデザイン、停留所のデザインです。報告書にはスタッフの一人として原田敬美の名前が記載されています。

区長として幹部に指示したことは、アメリカでの経験を基に、①ワンコイン、②定時運行、③頻繁な運行頻度、④停留所のデザインへの配慮でした。また、1980年代の前半、霞が関地区で都バスのマイクロバスが走っていましたが、途中で運行を止めました。その理由も調べるよう指示しました。様々な検討の上、現在いくつかの路線でコミュニティバスが運行しています。区民の利便性のため、多くの区民に利用していただければ幸いです。

東京オリンピック、札幌マラソンに思う

東京オリンピックで急遽マラソン、競歩が札幌に開催地変更になりました。多くの方が様々な意見をお持ちです。そもそも論です。東京オリンピック立候補でのプレゼン内容で、東京で主要なオリンピック会場が半径8キロ以内に立地し、コンパクトな会場構成で便利です、という触れ込みだったと思います。ところが今や地方の会場も使うことになりました。挙句の果てに札幌で花のマラソン競技です。

感じたこと1:オリンピックはそもそも市が主催します。東京には市がありません。東京都は県です。私はかねてから「市」でない「県」である東京都がオリンピックを主催することに違和感を抱いていました。

感じたこと2:東京都が主催者であるけれど、札幌含めオールジャパンで全国各地で競技を開催することは日本全体の一体感、地方でも競技が開催されることで地域振興につながるというメリットがあります。

感じたこと3:決定機関の明確さ。開催場所は国際オリンピック委員会にあるという決定機関が明確で、開催地のホストである自治体が異を唱えることができなという単純・明確なルールがあります。

感じたこと4:欧米人は決定にフレキシブル、日本人は決めたことを変更に躊躇する文化。若い時欧米に留学し、その後、国際会議などで白人系の方々とお付き合いして感じたことです。日本人は一度決めると基本的に変更しません。変更したがりません。決めたことに忠実に動こうとします。欧米人は必要があれば躊躇せずサッと変更する傾向にあります。異文化理解が必要です。今回はまさにその事例です。

決定した以上、その前提で競技者は全力を尽くすことを祈ります。役員、札幌市職員、地元ボランティアなどが頑張ってくださるようお祈り申し上げます。

地方都市の公共交通事情、大変です。

10月仕事で新潟県上越市を訪問しました。夕方、新幹線上越妙高で下車、頚城交通のバスで上越市役所前まで行きました。新幹線上越妙高駅から乗ったのは私と若い男性と2人でした。しばらくし男性客が降り、乗客は私一人。高田駅近くなり、1人、2人と乗車、夕方で通学、通勤の方と思います。4,5人になりました。また、しばらくし乗客は降りました。バスは1時間に1本、上越妙高から上越市役所前まで料金は450円。鉄道ですと210円。夕方の時間帯で1時間当たりの乗客数は10人弱、一人平均料金300円として3000円。バスの経費、ガソリン代、運転手の給料など考えると大変だと感じました。

バスからの風景です。高田駅近くになりますと雁木の街並みが続きます。その長さ4キロくらいになるそうです。昔の住民の知恵です。高田駅近くなると所謂商店街。ほとんどシャッター通りとしていました。6時過ぎでしたが、歩行者の数もまばら。地方の商店街も厳しいと感じました。

羽田空港増便で生じる問題

羽田空港の国際便増便で新たな離着陸のコース新設により港区や周辺の地域の上空を航空機が通過することになります。関係自治体の議会や関係住民から懸念の声が出て、羽田空港が主催する説明会でも不安の声が出ています。

私自身、国際会議への出席などで海外を訪問しますので、空港の重要性を理解しています。また、都市間、国家間の競争が激しい時代ですから、羽田や成田の機能強化をしないと、中国や韓国の空港に負け、日本の空港は世界から見れば一ローカル空港に成り下がる恐れがあります。

住民の心配、不安は当然です。私は1973年アメリカ、ミシガン州、デトロイト市郊外のウェイン郡(県に相当)空港滑走路拡張計画の際、連邦運輸省航空局が作成した環境アセス報告書を持っております。当時、1976年頃当時の建設省幹部からアメリカの環境アセスを勉強したいのでと内容の翻訳を頼まれました。騒音レベルを調査し、住宅、学校、病院など土地利用を調査し、建物利用ごとに、騒音・振動の問題がないか詳細に調査し、その上で、環境アセス上問題なし、と判断した報告書です。

今回の羽田空港側の見解によると、風向きによって午前7時から11時の間と15時から19時の間離着陸1時間あたり90回の上空飛行があり、その騒音は麻布地域で68~74dBであり、60dBは普通の会話の騒音レベル、70dBは騒々しいオフィスの騒音レベルだから問題ない、との主張のようです。

問題指摘をします。騒音レベルは建物用途で受忍度が異なるという配慮に欠けています。一軒家、学校、病院などでは静謐な環境が要求されます。

次の問題は音の問題はバックグラウンドノイズ(暗騒音)との関係です。静かな環境の下でわずか数デシベルでも超える音不規則にが生じると大変苦痛となります。逆に暗騒音が60、あるいは70dBであっても同様で、常時の音環境の暗騒音を超える音が何回生じるかが騒音の苦痛に影響します。単に、〇dBだから問題ないという説明は間違っています。40年くらい前にそうした内容の小論を書きました。

次の問題は土地所有者の建築制限(高さ制限)です。港区は建築関係法に基づいて高層建築が建てられます。しかし、航空機が上空を通過するとなると、建築制限が生じ、従来高い建物が建てられたのに建てられなくなります。

次の問題、これは関係住民から聞いた話です。本問題について東京都庁が関係区の副区長を集め、意見聴取をした際、港区の副区長が港区は問題ありません、と発言したとのことです。事実とすればとんでもないことです。多くの区民が不安、心配しています。

上記の問題に対し、騒音対策をどうするか、建物の高さ制限に対しどのような補償があるのか、こうした対策を適切にする必要があります。

バカラのグラスで70円のサイダーを飲む

あるポイント制度の組織で買い物のポイントが溜り、記念にバカラのグラスを申し込みました。私はお酒を飲みません。本来ならバカラで高級なウィスキー、ブランデーでも飲むのが良いのでしょう。せっかくバカラを手に入れたので、月に2,3回、70円のサイダーをバカラのグラスで飲んでいます。