あるポイント制度の組織で買い物のポイントが溜り、記念にバカラのグラスを申し込みました。私はお酒を飲みません。本来ならバカラで高級なウィスキー、ブランデーでも飲むのが良いのでしょう。せっかくバカラを手に入れたので、月に2,3回、70円のサイダーをバカラのグラスで飲んでいます。
日別アーカイブ: 2019年11月3日
神戸市東須磨小教師間のいじめ問題、見て見ぬふりの管理者、同僚、
神戸市東須磨小学校で教師が教師をいじめる、それも刑事事件になる可能性が十分あるというレベルの事件です。マスコミが例によって匿名報道している中、週刊新潮が実名報道しました。主犯格の教師は蔀俊、リーダー格の女性教諭は長谷川雅代。柴田祐介教諭も一緒になりいじめをした。佐志田英和教授も同様、いじめに参加。管理者である校長、副校長、同僚の教諭たちもいじめの実態を知り、あるいはうすうす知っていたのでしょう。教育委員会事務局、あるいは教育長、市長に直訴することをしなかった、被害者の教諭を救えなかったことはイジメ加害者と同罪です。私は神戸市と多少お付き合いがありました。1981年コミュニテイィ教育について神戸市が発刊する「都市政策」という研究誌に政策論文寄稿を依頼され、また、1993年建築家の国際会議を神戸市の全面的支援で神戸市で開催し、おせわになり市役所職員の手際よさにすばらしいと敬意を表し、神戸市の積極的な都市経営、まちづくり方法教科書として見ていただけに残念です。
神戸市東須磨小学校で教師が教師をいじめる、それも刑事事件になる可能性が十分あるというレベルの事件です。マスコミが例によって匿名報道している中、週刊新潮が実名報道しました。主犯格の教師は蔀俊、リーダー格の女性教諭は長谷川雅代。柴田祐介教諭も一緒になりいじめをした。佐志田英和教授も同様、いじめに参加。管理者である校長、副校長、同僚の教諭たちもいじめの実態を知り、あるいはうすうす知っていたのでしょう。教育委員会事務局、あるいは教育長、市長に直訴することをしなかった、被害者の教諭を救えなかったことはイジメ加害者と同罪です。
私は神戸市と多少お付き合いがありました。1981年コミュニテイィ教育について神戸市が発刊する「都市政策」という研究誌に政策論文寄稿を依頼され、また、1993年建築家の国際会議を神戸市の全面的支援で神戸市で開催し、おせわになり市役所職員の手際よさにすばらしいと敬意を表し、神戸市の積極的な都市経営、まちづくり方法を教科書として見ていただけに残念です。
港区でもおかしなふるまいをする議員がいました。高級外車に乗る共産党議員、官製談合を仕切る議員、など私は積極的におかしい、と発言しました。区議会議員、区役所の幹部で問題指摘する方はいませんでした。
逆に、問題指摘する私に様々な嫌がらせがありました。イジメと言ってよいでしょう。また、私の経歴(海外留学の、所謂帰国子女)故、元区長や国際理解をできない議員などから嫌がらせを受けました。そういう程度の人物は公務員や議員にいるということです。
台風被害、監査的視点からの課題
9月、10月、大型台風、大雨が続き、全国各地で多くの方が被害に遭いました。心からお見舞いの気持ちをお届けしたいと思います。今後、復興事業、防災計画の見直しがされると思います。
監査的視点から課題提起します。国、県、各自治体は防災計画を作成しています。地震被害想定、火災被害想定、大雨・台風被害想定、各災害の被害想定に対し避難計画が作成されています。その分野の専門のコンサルタントに作業委託をしました。コンサルタントはベストを尽くし被害想定、防災計画、避難計画など作成したと思います。各自治体は何千万円を使ったと思います。しかし、結果として大きな被害が生じました。その防災計画に問題があった、見とおしが甘かった、ということと思います。何千万円も投資いたことが無駄だったということです。監査委員はお金の支出が適切か、購入(物品、公共工事、知的成果物など)したものが対価にあうか、適切な費用なのか、監査します。防災計画も監査の対象にすべきでした。恐らく、全国の自治体で防災計画書を監査対象にした事例はないと思います。トラブルがあると(企業の不祥事でも)経営トップが謝罪します。監査委員(監査役)はトラブルを見抜けなかったということで同罪です。防災計画も監査の対象とする必要があります。
一方、国は15年水防法を改正、想定する雨量は「50年に1度」から「100年に1度」にレベルを引き上げました。私の経験からすると「今頃?」という侘しい気持ちです。1974年テキサス州ヒューストンのライス大学に留学した際、「100年に1度の大雨被害に備える都市計画」を習いました。私に聞いてくだされば教えた差し上げたのに、という気持ちです。アメリカでは州ごとに憲法、法律が異なりますが、最近のハリケーン被害を受け「200年に一度」あるいは「500年に一度」の被害に備える計画とする、というレベルにシフトしています。
大学卒業記録顔写真、学生服着用と強要
早稲田大学を卒業した1972年(本当の学年は1971年、1年交換留学したので卒業年は1972年)、建築学科の女性事務員(Oさん、女帝然とした方)が「卒業記録写真は学生服着用」と強要しました。私はアメリカとスウェーデンで学び、学生たちが自由な服装を謳歌したことに影響を受けました。また、建築デザインを学ぶ立場からも、ファッションは個性(といっても常識の範囲で)が大切と思っておりました。今なら「学生服着用の根拠は何ですか?」と質問したでしょう。個性を圧殺する大学?あるいは大学職員の強要は今思うと、許し難いことです。社会問題が起きると、大学教授は偉そうにテレビ、新聞で偉そうにコメントします。服装の強要について早稲田の教授はどのような見解をお持ちか?
「令和」の名付け親とされる文学者中西進氏が読売新聞の時代の証言者で「戦争中中学校(現高校)、男性はゲートル巻の作業服を着ていたのに、美術の先生は背広に蝶ネクタイで、格好良かった」という趣旨のことが書かれていました。建築家では、戦争中、白いスーツを着て街を歩き、警察官から職務質問、スーツを着ていることに対しお説教を受けた際「自分は建築家である。個性が大切」と警察官をお説教したと聞いたことがあります。個性に配慮せず、一同一律にある方向に強要するのはまずいこと。軍国主義、全体主義教育を戦後25年経過しても早稲田大学あるいはその職員は、やっていました。個性豊かな人材が育つはずがありません。