日別アーカイブ: 2019年11月11日

関西電力と高浜町元助役森山の問題、港区でも

関西電力最高幹部が原発がある高浜町元助役から3億円以上の金品を受け取っていたと報道がありました。驚きました。仮にお金が流れたとして電力会社から原発が立地する自治体に、原発立地のお礼と地元経済を支えるという意味で、正当にお金が流れるなら話が分かります。報道を知り、なぜ元助役が高額な金品を関電の最高幹部に渡していたのか理解できませんでしたが、原発関係の工事の受注に対するお礼ということで、なるほどと思いました。

ガバナンスの観点から、元町長のインタビューがありました。助役のほうが、町長より権力があったとの内容でした。港区でも同じような思いを抱かざるを得ない場面がいくつかありました。元区長の影の影響力、知的能力はともかく、長年議員をやってきたということでの影の区長という影響力。これまで、柔道連盟、ボクシング連盟、最近の日大のガバナンスなど見ていると、情けない気持ちになります。再三書きますが、アメリカでは大統領に、しばしば新人、若手が就任します。ベテランの議員や、軍人のトップが、俺が影の大統領だということはありません。40代の黒人の大統領に対しても、ベテランの議員、軍のトップは忠誠を誓います。それがガバナンスです。日本の統治機構はおかしいと思うことがいくつもあります。

次に、パワハラです。関電の最高幹部のインタビューで、森山氏からの金品提供の際、断ろうとするとパワハラで「俺の気持ちが受け取れないのか!」とすごまれ、返金(品)を躊躇した、とのことです。港区でも共産党区議で大声出し、脅しのような言動をする議員がいました。また、保守独立系の議員で議会で助役や幹部に対し「バカ」とわめく議員がいました。頭の構造を見たい気持ちでしたが。一方、こうした人物に投票する有権者も問題です。

次に、金の保管、使い方について、週刊文春の報道10月24日号によると関電の副社長豊松秀己氏は大阪の歓楽街・北新地の高級ラウンジで常連客で、判明分だけでも1億1千万円の現金を受け取り20着分のスーツ仕立券、小判なども受け取っていたと書かれています。新聞のインタビューで「必死に金を返してきた」とのことですが、ホステスのインタビューでは「本当か?」とのこと。月に軽く4~500万円落としていたとのこと。港区でも元区長氏は、毎晩のように銀座のクラブで深夜まで飲んでいたと聞きました。支払いはどうしたのか?気になるとことです。

こうしたナイトクラブを通じての社交は無しにしないといけません。先進国でホステス侍らせの社交は日本だけです。欧米は社交は自宅へ招き、家族同士の社交です。不正があったら、司法機関、マスコミに伝えることです。司法機関もマスコミもアテにならないことがありますが。ナイトクラブの社交をすれば、女性の幹部社員や公務員は参加できないということです。関電の(ほかの企業もでしょうが)女性の社会参画と建前上発言しながら、最高幹部たちは、女性参画を妨げる行為をしていたということでもあります。愚かな輩です。ナイトクラブで豪遊する最高幹部を抱え、関電の女性社員は気の毒でもあります。

早稲田大学1972年卒同期会

11月8日(金)夕方、早稲田大学キャンパス内で1972年卒業同期会が開催され、出席しました。私は入学が1967年で本来の卒業年は1971年。在学中、留学したので1年卒業が延びました。71年と72年の同期会に登録されています。さらに、大学院修士課程修了が74年ですので、74年の同期会にも登録されています。1972年の卒業生数7400人、同期会に登録されている数は500人、同期会に出席した者40名、卒業生数の0.5%でした。遠くは神戸市、平泉市から参加しました。幹事の皆様に感謝です。1人、高校の同期もいましたので、双方で驚きました。小中の同期も1人いました。

幹事の一人が当時流行した歌の歌詞を配布、ギターで出席者で合唱。当時を振り返り、懐かしい思いを共有しました。いくつかの歌の中で一つ気になった歌。「心の旅」1971年、財津和夫作詞・作曲、チューリップの唄です。その一節に「・・・もしも許されるなら、眠りについた君をポケットにつめこんで、そのまま連れ去りたい、あーだから今夜だけは・・・」があります。恋愛中の思いでしょう。ある参加者は早稲田同士で結婚したとのこと、ほとんど、学生結婚に近い様子、冗談でしょうが、「今や、双方が失敗した、早まったとぼやいている」と語っていました。上の詩を引用すると「君をポケットに詰め込んで、ゴミ箱見つけ、そこに捨て去りたい」という思いでしょうか?冗談です。     

私は、上記のように、早稲田で1971年、1972年、1974年の同期会に登録されています。さらに、早稲田大学国際部の交換留学生でしたので、国際部同窓会の会員でもあります。国際部同窓会はかつて会長も務めさせていただきました。それに、本職の建築学科の同窓会会員です。したがって早稲田大学で5つの同窓会に登録されています。複数のネットワークがあることは仲間が多いということで、ありがたいことです。

話変わり、区長時代、港区議で昭和初期生まれの議員が、氏に対して、私はかなりほらふきのような人物と印象を抱きましたが、氏は早稲田の政治経済学部を卒業したと豪語していました。(さらに千葉大工芸学部を卒業したとも言っていました)氏から早稲田時代の思い出の話は一切りませんでした。どのような授業を習ったか、どのような指導教授に習ったか、どのような学生生活だったか一切話がありませんでした。

50年ほど前の同期会で、昔の思い出話で盛り上がり、楽しいひと時でした。幹事さんに感謝。