日別アーカイブ: 2019年12月18日

テンプル大学、区から世田谷区へ移転、残念

テンプル大学はペンシルベニア州立大学、歴史、伝統ある大学です。フィラデルフィアにキャンパスがあります。アメリカで勉強した体験からテンプル大学の名前をよく聞いておりました。1980年代、テンプル大学は日本に進出、港区に日本キャンパスを構えました。一時多摩ニュータウンに移転しましたが、港区に戻りました。都心キャンパスという利便性がその理由と思います。テンプル大学は毎週のように無料の公開市民講座を開催しています。テンプル大学の教授がタイムリーな話題の講演をします。時事問題の勉強になり、かつ、英語の勉強にもなります。20代前後の若い学生、特に外国人の学生が港区南麻布にいることは地域の賑わい、活性化につながります。(地方都市が若者人口を増やしたいと大学誘致を進めている自治体もあります)

しかし、残念なお知らせが来ました。テンプル大学が世田谷区に新校舎を構え、11月に移転するとの内容です。港区長の武井さんはテンプル大学の存在意義についてそれほど意識がないのかもしれません。アメリカの事情をご存じないでしょうから、テンプル大学の日本キャンパスの存在意義について知識は十分でないのでしょう。本来は港区内でテンプル大学のキャンパスを継続的に維持していただくよう区長自らテンプル大学に働きかけるべきでした。港区は国際理解、異文化理解と唱えていますが、実態は、最高幹部等は十分理解していないのでしょう。残念です。

1930年代ソ連でアメリカ建築の影響

アメリカの建築家協会(AIA)のニュースによると、カナダの建築家団体が「アメリカの建築がソ連の建築に与えた影響について」の展覧会がモントリオールで開催されました。その内容は、1930年頃、スターリングラードのトラクター工場、ディーゼルエンジン工場のアセンブリーラインの建設に当たり、アメリカの自動車産業の聖地だったデトロイト(産業構造の変化で数年前デトロイト市は破産しました)の建築事務所Albert Kahnが設計を担当しました。要はソ連の工業振興の支援をしました。気に入られ、スターリン政府のアドバイザーになりました。アメリカとソ連は世界の2大大国になりましたが、当時のソ連(スターリン政権)はアメリカの建築事務所の支援で工業化が成功しました。建築を通してのアメリカとソ連の関係です。興味深い展覧会です。