新型コロナウィルス(英語ではヴィールス)の蔓延拡大に伴い、欧米各国のニュースを見ると多くの方がマスク着用するようになりました。学生時代アメリカやスウェーデンの体験ですが、冬に風邪をひき喉を傷めた時、日本から持ってきた(冬は喉風邪、鼻かぜによくかかっていました、今も)マスクを着用しキャンパスを歩いていたら友人たちから珍しがられ、「ドクター(医者)になったのか」など冗談でからかわれました。留学したアメリカの大学でマスク姿の友人はいませんでした。(みな丈夫で風邪をひかなかったのかもしれません)ニューヨーク市など大都市に冬訪問した際も、東京でマスク姿は当たり前のように見かけますが、ほとんど見かけませんでした。マスクをする習慣がないと感じました。日本の場合、風邪をひくとマスクをし、特に咳をし周囲に迷惑をかけてはいけないという考えがあるのでしょう。日本人の衛生思想と思います。今や世界中の人々がマスクをしています。
月別アーカイブ: 2020年3月
港区立赤坂特養の設計。区長からの修正指示数多く。港区施設課職員しっかり仕事されたい。
2000年6月港区長就任後、多くの懸案課題の説明を受けました。その中で、元区長S氏が発注済みの赤坂特別養護老人ホームの実施設計が進行中でした。基本設計は既に出来上がっていましたので、施設課長から基本設計図書を預かり内容を見ました。基本設計図書を見るといくつか気になる箇所がありました。改めて見ると、全体の工事費がかなり膨らんでいること。構造設計や設備設計で問題点があることに気が付きました。構造設計では30項目ほど、設備設計でも30項目ほど課題提起をし施設課長に検討指示をしました。(指示内容たまたまファイルから見つかったのでいずれ公開します)
基本設計段階での積算、増築新築部分の工事費単価、実勢価格からすると過剰積算の単価。既存改修部分の単価も過剰積算。既存部分の解体費(内装材などの撤去費)も過剰積算でした。
本来、このような検討作業は施設課長、施設課担当職員の仕事です。設計事務所から納品あった基本設計図書の内容を確認していなかったということです。職務怠慢です。本来、難易度の高い公務員試験に合格した優秀な人材です。時間が経過するうちに「やすまず」「さぼらず」「仕事せず」の習慣が身についたのか?あるいはチェック不要と指示がどこからかあったのか。
実施設計図書とそれに基づく積算書を私が再度チェック。この顛末については過去のブログで書きましたが。裏で設計事務所と建設会社がつるんでいるという噂を耳にしました。設計事務所から納品された積算書の工事費は30億円。私が積算書をチェックし、見直し3億円減額させました。本来、議会や区民から税金を節約したと褒められてしかるべきですが、余計なことしやがってと反発がありました。積算書のチェックも施設課長や施設課職員はしていませんでした。私が積算書をチェックしなければ建設会社は3億円の不適切利益。余剰金はどのように使われたのでしょうか?第三者チェック、いわゆる技術監査が必要です。
港区長秘書の資質。退任後区長の印鑑を9か月返還せず。
港区長時代、区長秘書は毎週1回の割でミスをしていました。U助役に2,3度相談、というより交代の指示をしました。U助役曰く「代わりがいない」。私は「将来部長になる人材を秘書に欲しい」と伝えましたが。そうこういっている間、任期満了となり6月27日退任の日を迎えました。机、キャビネットに置いてあった、仕事に必要と思われる私的資料など含め持ち出し、空にして退出しました。
公文書(最近話題になっていますが)などに決裁印を押印するため秘書が原田の実印と等しい印鑑を預かっていました。私自身うっかりしていましたが、印鑑預けっぱなしと思い出したのが翌年の3月。思いだしあわてて秘書に電話し、返却させました。念のため、退任後、押印した書類はあるかと聞いたところ「ない」との返事。
印鑑の返却を受けてしばらくしたら都市計画担当の部長と課長が弊事務所に来訪、私の区長時代の決裁書類に変更が生じたので、遡って、改めて押印しなおしてほしいとのことでした。もしかして9か月の間に不適切に押印されたかもしれません。日本では印鑑は大切な個人認証の「物」。それを9か月返還しなかったのは単純なミスか、何か意図があったのかと感じました。私自身が印鑑のこと思い出せばよかったのですが。時々新聞報道で警察含め公的機関が書類のミスがあったなど目にしますが、区長の傍でミスが頻繁にありました。
うっかりマスクをしたまま水泳。
コロナウィルス騒動でジムでの運動が制約されていますが、時々プールで水中歩行、軽い水泳をします。ウィルスは低温、乾燥した環境を好みますので、プールの環境は真逆ですから問題ないと考えています。ただしロッカーなどの取っ手、トイレの扉の取っ手など、アルコール消毒しなければいけませんが。日常マスクをして行動しています。ロッカーで水着に着替えプールに行こうして途中でうっかりマスクをしたままと気が付きあわててロッカーに戻りマスクをしまいました。事務のプールもしばらく閉館となりました。早い収束を期待しています。
相変わらず続く詐欺事件。自分の体験。気を付けるしかありません。
高齢者をだます振込詐欺事件が毎日のように報道されています。家族の絆の隙を狙った組織的な犯罪です。一昔前と変わり、電話の拠点がタイ、フィリッピンなど国際的になってきました。電話も昔は国際電話とわかる音でしたが最近は通信技術が向上し、外国からの電話でも国内電話と同じ性能で相手の声が聞こえます。
また、別のタイプの詐欺事件も時々報道されています。最近頻繁に報道されたのが地面師詐欺事件。土地所有者になりすまし、権利証、印鑑証明、戸籍謄本など不正に取得したり偽造したりグループで役割を決め土地取引したい相手に対し猿芝居をし相手側から大金を詐取する犯罪です。最近では積水ハウスが55億円の被害に遭いました。同じ詐欺集団は港区新橋の土地に絡んだ詐欺事件を起こしていたと報道がありました。取引相手も多くの場合プロですからプロをだますということでは詐欺集団は相当練度の高い輩なのでしょう。
また別の詐欺事件の報道がありました。自称ITの社長、年収3000万円と称し婚活し交際の時に相手の女性のカードを盗みカードを不正利用したという考えれば組織犯罪というよりチンピラ犯罪。被害者には気の毒ですが。
大言壮語の作り話は政治家の世界でも時々耳にします。時々耳にする学歴詐称。活動内容に関する虚言。政治活動費の不適切利用。前の都知事がそうでした。港区議にも経歴が本人が言っている内容が正しいか疑わしい方がいました。
学生時代、女性の友人から聞いた話「交際している男性がNHKを受験する。(かっこいいでしょうと言いたかったのでしょう)」当時は今以上に大企業志向の時代。実際は嘘で、その人物はNHKでなく零細企業に就職したようでした。カッコつけの詐話でした。
ある輩の場合。1970年代東京医科歯科大学に入学したと合格証明書を見せました。公文書偽造です。当時も今も、本物の合格証明書を見たことありませんから、真贋は不明で相手の言うことを信じるしかありません。その後、医学学会の学術論文のコピーを見せられました。共同執筆論文ですが、その人物の名前が記載されていました。私文書偽造です。ワープロ(当時はタイプライター)で自分の名前を作成、貼り付けコピーし、騙したい相手に見せる。信用させしばらくし奨学金が切られた、経済的に厳しい、少し金を貸してくれ、でした。その人物、逃走、雲隠れ、その後某建設会社の施工部長をしていることが判明。その会社の工事記録など偽造、でたらめ書類かもしれません。そういう人物、会社もあるということを知っておかなければなりません。
詐欺の範疇には入りませんが、港区長選挙出馬を元区長S氏から懇願された際、原田「真面目に仕事します。不正を見つけたら徹底し、浄化します。」元区長S氏「原田さんのお好きなように。私は院政を敷きません。」でした。全くのウソでした。港区では官製談合、開発利権の不正が多くありました。区長自ら浄化活動をしました。元区長から妨害がありました。また、人事について当時の人事課長武井、現港区長、に指示した内容がすべてひっくり返されました。裏で元区長S氏が糸を引いていたのでしょう。武井人事課長は原田区長の指示を無視、でたらめな人事課長でした。
アメリカ建築家協会(AIA)連邦議会に経済対策要望。素早い対応。日本の専門家組織は?
3月19日AIA会長ジェイン・フレデリック女史は連邦議会下院議長ナンシー・ペロシ女史と上院の多数派のリーダー、ミッチ・マッコネル氏に要望書を郵送しました。AIAは世界最大(9万5千人)の建築家団体です。「コロナウィルスで経済が衰退する中、経済が復興するまでの間、建築事務所と建築家に対する経済的支援をお願いする」という内容です。切実です。
アメリカでは法律、制度は議会が作ります。ですから組織は議会に要望、陳情を提出します。日本は議会で法律を作ることはまれで、常に行政が法案を作成し、議会は審議(イチャモンも多いです)するだけです。現在のところ、建築士、技術士などの専門家団体が経済対策を行政に要望したと聞きません。私が港区長時代、医師会、弁護士会、宅建協会など何かあると区長室に陳情、要望にお見えになりました。一方、建築家団体、技術者団体などは全く存在感がありません。政治的な要望は即、実行すべきです。
関電外部調査。関電幹部は屑。港区役所でも類似例が。
3月15日の報道で、関電と高浜町元助役との不適切な関係についての第三者委員会調査報告書で、厳しい指摘がされました。元助役(引退後は原発関連企業の顧問などの肩書)から関電幹部75人に3.6億円のお金が渡り、その見返りに元助役が顧問など勤めた高浜町原発関連の工事会社に900億円の発注があったとのことです。国税の税務調査でこうした不適切な事実が明らかになりました。
更なる問題は、第三者委員会の調査がされるまで、関電の内部調査がいい加減だったという点です。さらに、元助役から1億円も受領したことが国税から指摘され税金を追加で納めた副社長に対し、納税額相当分の追加報酬が穴埋めのため支払われたという関電のでたらめさ。こうした不正に対し利用者や株主は大きな声を上げるべきです。欧米なら多くの国民がそうするでしょう。多くの関電の役員は元助役のパワハラ、威圧的な言動に負け、金を受け取ったとのことですが、役員たちが結束し元助役に対応すべきでした。報道では元町長は、助役が威張り散らしていたと語っていました。日本的組織のガバナンスの欠如の典型例です。
関電の会長、社長、副社長、役員であれば関西方面では敬意を払われる立場でしょうし、また、幹部の一部は「俺は関電の役員だ」と威張り散らしている輩もいたでしょう。週刊誌報道などでは関電役員が元助役らと大阪の高級クラブで遊ぶ様子が報道されていました。事が明らかになると、関電の役員だと威張っていた連中が幼稚園以下の常識の屑の人間だったということです。人間、肩書だけで判断、評価してはいけませんということの教えです。私は肩書もない一介の専門家です。肩書だけで教養も欠け威張り散らす輩は私は元とも軽蔑する対象です。
港区にも威張り散らす議員が若干いました。大声だし、職員に威嚇し、俺は偉いのだと相手に思わせ自己満足しているバカな議員がいました。共産党区議のK氏がその典型例。自民党団長と裏でつながり、様々いたずらをしました。本当の区長は俺だと威張る愚かな輩が数人いました。関電の例もそうですが日本で民主的な組織運営が難しいと感じました。私は孤軍奮闘しましたが。港区政はこのレベルでした。真面目に仕事に取り組もうとする幹部職員が気の毒でした。
明治維新で欧米を訪問。多くを学んだ岩倉使節団。港区幹部も海外事情を学べ。
週刊文春の出口冶明の「日本史講義」3月26日号は明治維新後の「岩倉使節団はとてつもない壮挙」と思うと記載されていました。1871年から2年近くかけ米欧12か国を訪問、造船工場、銃器工場、造幣局、衣服製造工場、ビール醸造所、チョコレート工場など132の工場を視察したとのことです。随行した大久保、木戸、伊藤は薩英戦争、下関戦争でヨーロッパの強さを身にしみて、その背景にあるものを学びとりたかったのでしょう。米欧での見聞がその後の明治時代の近代化に大いに貢献しました。
私は建築、都市問題という分野ですが、1960年代後半、雑誌を通じ、日本には見られないデザイン、技術の建築や都市開発の記事を通じ、実際、アメリカやヨーロッパを訪問したと思いました。学生の一日のアルバイト代報酬が千円程度。大卒の初任給は2万円台という時代でした。ロサンジェルスまでの航空運賃は20万円以上。奨学金が支給されないと欧米に行けません。たまたま早稲田の交換留学の機会をいただきアメリカで1年、翌年スウェーデンで北欧のインテリアデザインの勉強、さらに、3度目の留学はアメリカ政府から全額給付のフルブライト奨学金をいただき、アメリカでアーバンデザインの勉強ができ、大いに新しい知識を吸収できました。アメリカの地方自治、議会制度、ディベートなども学びました。その後、自分の仕事に大いに役立ちました。
港区長時代も欧米で学んだ知識が大いに役立ちました。港区長時代、私を後継者に引っ張り出した元区長や政策経営部長などから留学の話をするなとお説教がありました。驚き、残念に思いました。明治時代の指導者よりも後ろ向きです。特に港区には80の大使館、区民の1割が外国人です。海外事情も知識として学ばなければなりません。現区長の武井さんも2人の副区長も海外に関する知識や学ぼうとする意識はありません。残念です。
コロナヴィールス・ニューヨークでの拡大
ニューヨーク市でコロナヴィールスの患者が見つかったのが確か3月1日。イラン帰りの市民が発症し、マンハッタンで隔離されたとニューヨークタイムズの報道がありました。その直後、ニューヨーク州で患者が一人見つかりましたと報道がありました。本日3月23日でニューヨーク州で患者が1万5千人に増えました。あまりに急激な患者数の増加に驚きです。私は当初の予定で19日からオハイオ州フィンドレー市を訪問、市長やフィンドレー大学関係者と面会予定でした。その後24日にニュージャージー州ジャージー市(マンハッタンのハドソン川挟んで西側)を訪問、ジャージー公立大学学長など関係者に面会予定でした。その間、ニューヨーク市のマンハッタンにも訪問予定でした。訪米延期を決めましたが、今思いますに、良いタイミングで延期してよかったと思います。今訪問していればニューヨークあたりで隔離されていたかもしれません。
イタリアの友人からもメールをいただきましたが、外出が不自由になり大変とのことです。患者数の増加の図形を見るとまだまだ増加傾向にあります。アメリカの報道を見ると様々なシミュレーションを発表しています。アメリカで勉強した経験から、さすがアメリカの研究者、技術者と敬意の気持ちを抱きます。
アメリカの役所の親切さ・情報公開の意識
仕事柄、日本の各地の役所に資料収集で照会したり、また、公務員の方々と意見交換したりします。資料(情報)提供の親切さに疑問を抱くことがあります。個人情報は守らなければいけません。一般的な情報(資料)はすべて公開しなければなりません。
アメリカでの体験です。1974年テキサス州ヒューストン市にあるライス大学建築大学院に留学中、授業で、当時テキサス州政府が検討中だった地下水の規制について資料収集し発表しろと教授から指示がありました。教授のアドバイスでテキサス州政府検事局(司法局)が規制案を作成している部門の一つだから(おそらく当時州政府には環境局といった部門がなかったのかもしれません)そこに照会したらよいと言われました。さっそく、当時ですから州政府検事局に手紙を書きました。するとしばらくして返事が来ました。開けてびっくり。手紙は検事総長の署名でした。
1988年ロサンジェルス市のウォーターフロント開発事業の環境アセスの報告書を読みたいと思いロサンジェルス市役所環境部に航空便で資料要求の手紙を送りました。間もなく厚さ3センチほどの分厚い報告書が航空便で送られてきました。郵便代もかなりの額でした。開けてびっくり、環境部長の署名入りの手紙でした。
1990年頃、シカゴ川沿いの景観規制の報告書を読みたいと思いシカゴ市役所都市計画局に資料要求の手紙を航空便で送りました。するとしばらくして厚さ5ミリくらいの景観計画書報告書が航空便で送付されました。開けてびっくり、シカゴ市役所都市計画局長の署名入りの手紙でした。
アメリカの役所の親切さ、情報を提供して差し上げましょうという意識を感じます。日本の役所で資料要求は結構面倒です。資料を出したがらない、面倒くさがる、あるいは、送られてきても送り状だけ。役所の資料は市民の物。市民に代わり役所が事務局として収集しているだけです。役人はPublic Servantつまり公のシモベです。市民に奉仕するのが役人です。仮に資料が送付されても責任者の挨拶状はありません。多くの公務員や議員が海外視察します。サービス精神も学んでいただき、そして実践していただきたいものです。