日別アーカイブ: 2020年3月23日

関電外部調査。関電幹部は屑。港区役所でも類似例が。

3月15日の報道で、関電と高浜町元助役との不適切な関係についての第三者委員会調査報告書で、厳しい指摘がされました。元助役(引退後は原発関連企業の顧問などの肩書)から関電幹部75人に3.6億円のお金が渡り、その見返りに元助役が顧問など勤めた高浜町原発関連の工事会社に900億円の発注があったとのことです。国税の税務調査でこうした不適切な事実が明らかになりました。

更なる問題は、第三者委員会の調査がされるまで、関電の内部調査がいい加減だったという点です。さらに、元助役から1億円も受領したことが国税から指摘され税金を追加で納めた副社長に対し、納税額相当分の追加報酬が穴埋めのため支払われたという関電のでたらめさ。こうした不正に対し利用者や株主は大きな声を上げるべきです。欧米なら多くの国民がそうするでしょう。多くの関電の役員は元助役のパワハラ、威圧的な言動に負け、金を受け取ったとのことですが、役員たちが結束し元助役に対応すべきでした。報道では元町長は、助役が威張り散らしていたと語っていました。日本的組織のガバナンスの欠如の典型例です。

関電の会長、社長、副社長、役員であれば関西方面では敬意を払われる立場でしょうし、また、幹部の一部は「俺は関電の役員だ」と威張り散らしている輩もいたでしょう。週刊誌報道などでは関電役員が元助役らと大阪の高級クラブで遊ぶ様子が報道されていました。事が明らかになると、関電の役員だと威張っていた連中が幼稚園以下の常識の屑の人間だったということです。人間、肩書だけで判断、評価してはいけませんということの教えです。私は肩書もない一介の専門家です。肩書だけで教養も欠け威張り散らす輩は私は元とも軽蔑する対象です。

港区にも威張り散らす議員が若干いました。大声だし、職員に威嚇し、俺は偉いのだと相手に思わせ自己満足しているバカな議員がいました。共産党区議のK氏がその典型例。自民党団長と裏でつながり、様々いたずらをしました。本当の区長は俺だと威張る愚かな輩が数人いました。関電の例もそうですが日本で民主的な組織運営が難しいと感じました。私は孤軍奮闘しましたが。港区政はこのレベルでした。真面目に仕事に取り組もうとする幹部職員が気の毒でした。

明治維新で欧米を訪問。多くを学んだ岩倉使節団。港区幹部も海外事情を学べ。

週刊文春の出口冶明の「日本史講義」3月26日号は明治維新後の「岩倉使節団はとてつもない壮挙」と思うと記載されていました。1871年から2年近くかけ米欧12か国を訪問、造船工場、銃器工場、造幣局、衣服製造工場、ビール醸造所、チョコレート工場など132の工場を視察したとのことです。随行した大久保、木戸、伊藤は薩英戦争、下関戦争でヨーロッパの強さを身にしみて、その背景にあるものを学びとりたかったのでしょう。米欧での見聞がその後の明治時代の近代化に大いに貢献しました。

私は建築、都市問題という分野ですが、1960年代後半、雑誌を通じ、日本には見られないデザイン、技術の建築や都市開発の記事を通じ、実際、アメリカやヨーロッパを訪問したと思いました。学生の一日のアルバイト代報酬が千円程度。大卒の初任給は2万円台という時代でした。ロサンジェルスまでの航空運賃は20万円以上。奨学金が支給されないと欧米に行けません。たまたま早稲田の交換留学の機会をいただきアメリカで1年、翌年スウェーデンで北欧のインテリアデザインの勉強、さらに、3度目の留学はアメリカ政府から全額給付のフルブライト奨学金をいただき、アメリカでアーバンデザインの勉強ができ、大いに新しい知識を吸収できました。アメリカの地方自治、議会制度、ディベートなども学びました。その後、自分の仕事に大いに役立ちました。

港区長時代も欧米で学んだ知識が大いに役立ちました。港区長時代、私を後継者に引っ張り出した元区長や政策経営部長などから留学の話をするなとお説教がありました。驚き、残念に思いました。明治時代の指導者よりも後ろ向きです。特に港区には80の大使館、区民の1割が外国人です。海外事情も知識として学ばなければなりません。現区長の武井さんも2人の副区長も海外に関する知識や学ぼうとする意識はありません。残念です。

コロナヴィールス・ニューヨークでの拡大

ニューヨーク市でコロナヴィールスの患者が見つかったのが確か3月1日。イラン帰りの市民が発症し、マンハッタンで隔離されたとニューヨークタイムズの報道がありました。その直後、ニューヨーク州で患者が一人見つかりましたと報道がありました。本日3月23日でニューヨーク州で患者が1万5千人に増えました。あまりに急激な患者数の増加に驚きです。私は当初の予定で19日からオハイオ州フィンドレー市を訪問、市長やフィンドレー大学関係者と面会予定でした。その後24日にニュージャージー州ジャージー市(マンハッタンのハドソン川挟んで西側)を訪問、ジャージー公立大学学長など関係者に面会予定でした。その間、ニューヨーク市のマンハッタンにも訪問予定でした。訪米延期を決めましたが、今思いますに、良いタイミングで延期してよかったと思います。今訪問していればニューヨークあたりで隔離されていたかもしれません。

イタリアの友人からもメールをいただきましたが、外出が不自由になり大変とのことです。患者数の増加の図形を見るとまだまだ増加傾向にあります。アメリカの報道を見ると様々なシミュレーションを発表しています。アメリカで勉強した経験から、さすがアメリカの研究者、技術者と敬意の気持ちを抱きます。