月別アーカイブ: 2020年5月

アメリカCDC疾病規制予防監督庁がオフィスデザイン・ガイドライン

今回のコロナウィルス騒動でCDC(アメリカ疾病規制・予防・監督庁:日本では疾病センターと訳されていますが、何か日赤医療センターのような響きで、正しくは強い権限を持つ連邦政府の「疾病の規制・予防のための監督庁」です)が大きな役割を果たしています。私事ですが3月19日から28日までオハイオ州とニューヨーク州に出張予定でしたが、3月5日頃CDCが海外留学しているアメリカ人学生に帰国命令勧告を出し、また、今後海外留学を予定しているアメリカ人学生に海外渡航禁止勧告をしたことで、これは「ただ事ではない」と自ら判断しアメリカ出張を取りやめました。結果として正しい判断でした。

5月28日のニューヨークタイムズによると、CDCはウィルス対策でオフィスデザインのガイドラインを作成したとのことです。1971年スウェーデンでオフィスランドスケープの勉強をし、多くの小論を書いた体験から関心を持ちその記事を読みました。今後の対ウイルスのためのデザインの参考となります。日本なら厚生労働省の労働基準監督局が担当する仕事です。私は1998年当時の労働省の労働基準監督局で「快適職場」研究会の委員を務めました。そうした経験からも関心を持ちました。

「窓開け換気」、「自動販売機など設置されている勤労者が集まる休憩スペースの廃止」「エレベーターの適切な活用」「オフィス内の密度の再検討」「手で触れるコーフィーポットなどを撤去」など提案されています。日本でも今後具体的な方針、内容が検討されると期待しております。

伊藤栄樹検事総長・かつてスピード違反で巡査から交通違反キップ。黒川東京高検検事長は?

1980年代半ば。日経新聞のコラムに当時の伊藤栄樹検事総長が定期的に寄稿していました。内容は忘れましたが、歯切れの良い文体で、私は作文の手本にしようと思いました。

コラムの一つに、「かつて北海道でレンタカーを運転中スピード違反で警察官から交通違反切符を切られ、罰金を納めた。」と書いてありました。率直な内容に感激したのを覚えています。悪く考えればその時「検事」の名刺を見せれば巡査は見逃してくれたかもしれません。双方潔く「法と証拠に基づき処理した」ということでしょう。

今回の黒川検事長の場合、常習賭博を本人も認めています。一般の国民が麻雀賭博で警察に逮捕されたと、昔の新聞報道を記憶しています。「法と証拠に基づき」ですから、警視庁の所轄の警察署の巡査ですら、黒川を事情聴取すべきでしょう。すると、国民、都民から、警察は真面目に仕事をしていると高い評価をされると思います。「相手が検事長だから格が違う」など遠慮したとすれば、警察は相手により区別する「法と証拠」に基づかないいい加減な組織だと信頼を失います。巡査で結構ですが黒川検事長を事情聴取してはいかがでしょう。賭けマージャンの場所は中央区内です。管轄の警察署はどこかわかりませんが、本庁にご意見をうかがわないで、独自に淡々と黒川を事情聴取をすべきでしょう。

スウェーデン留学中カール・クリスティアンソンから出張命令。暖かい配慮。

1971年スウェーデンのカール・クリスティアンソン建築事務所に技術研修留学しました。当時、(今でも)日本では関心が向けられていなかった快適オフィスのデザインです。エルゴノミックス、環境心理学、作業研究などの研究成果を基にデザインをする仕事です。ある時、カールからクライアントのところに一人で出張するよう命じられました。ストックホルムから電車で2時間くらいのオートゥダベリという小さな町だったと思います。車窓から美しいスウェーデンの風景を眺めながらの旅です。駅に到着、日本人学生ですから相手はすぐ私を見つけ近寄ってきました。なんと黒塗りベンツで出迎えでした。会社に到着、何人かのスタッフを面談、ランチをごちそうになり、ストックホルムに戻りました。今思い返しますと、一研修留学生の私ができることはほとんどなかったのではと思いますが、カール・クリスティアンソンがケイミに様々体験させてやろうという配慮だったと思います。カールに感謝です。

スウェーデン社会研究所のセミナーに時々参加します。明治大学と東洋大学の学生が夏休みを利用し、短期間スウェーデンを訪問、社会見学し報告会をします。学生の生き生きしたプレゼンを聴くと嬉しくなります。異文化の体験をし感激した様子が伝わってきます。異文化を体験した学生達は社会で得意能力を発揮し日本社会をリードしてくれると期待します。学生のプレゼンを聴くと50年前の自分の姿を見ているようです。こうした学生の姿を見ていると、先に触れましたが、私の区長時代、元港区長S、政策経営部長N(後年副区長)の国際理解に対する無知、アレルギー、現在の武井区長の言葉だけの「異文化理解を進めましょう」の発言が空しくなります。

フルブライト留学目標で学生時代頑張ったこと。

フルブライト奨学金をいただきアメリカで最高の勉強をしようと学生時代(青春時代)の目標にしました。甲子園球児等と同じ気持ちです。大学院時代のことです。穂積教授の研究室に15人くらいの大学院生がいました。学生時代、燃えたこと。

(1)毎年建築学会に論文を寄稿し、大会で発表しました。5本書きました。穂積研究室の学生の中で学会に論文を寄稿したのは原田一人だけでした。

(2)建築学会の設計コンペに参加、二度受賞しました。デザイン専攻の学生は建築学会の設計コンペに参加することが義務付けられていました。設計課題に対し資料を調べ、データを集め、デザインの構想案を練り、それからA1サイズの図面を5枚作成し、さらに模型を作成し、写真撮影しプリントしたもをの図面に貼り付けます。設計競技ですから、通常の建築設計図と異なりプレゼンの要素としてきれいにレイアウトし、デザイン画として見せる工夫をしなければなりません。提出前の1週間は半徹夜が続きました。大学院生時代の2年間、早稲田大学から受賞したのは原田一人だけでした。指導教官以外に建築学会長であった吉阪教授、そして関東支部長だった安東教授等からお褒めと励ましのお言葉をいただきました。そうしたお言葉は学生にとり最高の栄誉でした。

(3)海外文献調査を毎月やりました。アメリカ、イギリス、ドイツの雑誌を中心に当時の海外の最新の動向を調べました。アメリカの雑誌はArchitecture Records, Progressive Architecture, Architectural Forum、イギリスの雑誌はArchitectural Review、ドイツの雑誌はBaunen + Wohnen。世界の建築デザインの動き、海外で活躍している建築家の名前を覚えました。

(4)英会話の実践。週2回朝英会話学校に通いました。また、授業の合間を縫ってLL教室(Language Laboratory)で英会話テープを聴いておりました。

小遣い稼ぎに西麻布に住んでいた中学生の家庭教師をしたり、雑誌社の図面の版下用のインキング図面作成などアルバイトをしました。このような日常ですから友人たちと麻雀やパチンコに明け暮れるような生活ではありません。東京高検検事長の黒川というバカ検事よりよっぽど生活態度がまともだったと言えます。あの程度の倫理観なら私でも東京高検検事長を勤められたかもしれません。

やっとフルブライト奨学金の試験合格にたどり着きました。前のブログで触れましたが、港区長時代、元港区長S氏や政策経営部長のNから留学の話をするな、フルブライト留学の話をするなとお説教の言葉が浴びせられましたが、青春時代、目標にしたこと、頑張ったことにイチャモンをつけられ、残念でした。

コロナウィルス対応。うまくいった都市・まずかった都市。アメリカの事例

アメリカの雑誌Forbesに、格付け会社のMoodyが作成したコロナウィルス対応の評価報告書が紹介されていました。一部紹介します。アメリカは何でも格付け、ランキングすることが大好きな社会です。対応がうまかった都市。ノースカロライナ州ダーラム、ウィスコンシン州マディソン、コロラド州デンバー、ユタ州ソルトレイク、首都ワシントン特別市、アイダホ州ボイス、アリゾナ州タスコンなどで、小さな大学町、経済発展が展開している都市です。

一方、対応がまずかった都市。地域的には北東部の都市が多いです。ニューヨーク、フィラデルフィア、ニューヘイブン(イェール大学の街として有名)、理由は、巨大都市、密集ということです。ホノルル(観光で逆効果)、テキサス州マッカレン(貧困が主な原因)、カリフォルニア州ストックトン、デトロイト、ロサンジェルス、マイアミ、タンパ(フロリダ州)などです。それぞれの都市の対応策がどうだったか調べると興味あるデータが得られると思います。

大阪府警でまた不祥事。落し物の現金をネコババ。バカ警官。

4月の報道で、大阪府警巡査野沢拓海が子供が取得し届けた現金を着服しました。大阪府警は、東京地区の報道で、多くの不祥事が伝えられています。地元の報道ではもっとあるのでしょう。大阪府知事や元知事、威勢の良い発信力のある橋下さんは地元ですから大阪府警を批判をしてもよいのではと思いますが、なぜか、大阪府警の不祥事には沈黙。大阪府警はチンピラやくざの集団かと思えてなりません。この2,3年でも警察官が金をもらい捜査情報を漏らしたり・・・など報道がありました。

また、20年以上前、同じ事件がありました。落し物の現金をネコババした警察官が逮捕されました。昔の新聞記事を調べてみたいと思います。そのバカ警官、チンピラ警官は今どうしているのでしょう。妊婦が落し物の現金を見つけ、交番に届けました。その時対応した警官が現金をネコババ。後日、妊婦が交番に「あの時の現金はどうなりましたか?落とし主が見つかりましたか?」と問い合わせました。すると、バカな大阪府警はその妊婦を虚偽の申告をしたと逮捕しようとしました。幸い妊娠中ということで逮捕だけは免れました。後日、交番勤務のバカ警官が自白し、一件落着。立派な人権侵害です。

府民の生活を守るべき大阪府警はバカ警官の集団。監査室長も「再発防止の努めます。」とコメント出して終わり。本当に再発防止の対策をしているのか、おそらく口だけでしょう。部下を指導できな「でもしか」公務員の典型例でしょう。でなければ、このように繰り返しの不祥事は無いでしょう。大阪府警の本部長も謝罪の態度が伝わりません。アメリカならトップが即謝罪します。これがアメリカの社会。

しかし、善意の大阪府民を逮捕しようとしたバカ警官とその上司は今頃どうしているのでしょうか。「俺は元警官だった」と威張り散らしているのか?反省して余生を暮しているのか?

大阪は妻の出身地、大阪に時々行きますが、大阪府内で落し物を見つけても、事件を目撃しても、残念ですが、警察に届けないことにします。間違って、バカ警官に逮捕され、人権侵害の被害に遭うと困ります。

甲子園中止・音楽コンクール中止・高校総体中止。青春時代に燃焼する目標。理解できない元港区長S氏や幹部。

コロナウィルス蔓延で甲子園大会が中止となりました。ニュースで野球球児達が高校で監督や指導教員から中止決定の報告を聞き多くが悔し涙を流している映像を見ました。その他、高校総体、音楽コンクールなど軒並み中止です。高校生にとり青春時代のひと時を大きな目標に向かい全力をかけていたことですから、本当に悔しいことと拝察し、気の毒に思います。世の中、人生、こうしたこともあると大きな勉強ととらえ、前向きに次の目標に向かい努力を続けてほしいと祈っております。私事ですが、1967年、早稲田大学入学後、「将来学問の拠点であるアメリカに留学し世界のトップの指導者の下で勉強しよう。」と目標を立てました。

大学1年生から英会話の勉強を始めました。当時は日米の経済格差からすれば(日本の大卒の初任給2万円台、アメリカは18万円、飛行機代はロサンジェルス往復で25万円くらい、授業料は早稲田大学11万円に比べアメリカの大学は100万円くらい)奨学金をもらわなければ留学できません。アメリカ政府が主宰する「フルブライト奨学金」という制度があることを知りました。また技術研修留学で「IAESTE」という制度があることを知りました。1年生、2年生の時の一般教養で語学はほぼ満点でした。脇目も振らず語学と建築の専門の勉強に専念しました。黒川東京高検検事長は麻雀狂いだったようですが、私は麻雀など一切しませんでした。

建築学科の指導教官穂積教授からフルブライト留学の前に「お試し留学」ということで早稲田大学の交換留学に挑戦したらとご助言をいただき、3年生の時、早稲田の姉妹校の一つ、オハイオ州のウースター大学に1年間交換留学をしました。4年生の時、技術研修留学IAESTEでスウェーデンのデザイン事務所に技術研修留学しカール・クリスティアンソン氏から新しい、日本にないデザインの概念を学びました。氏は後年スウェーデンのインテリア建築家協会長に就任した大物です。必死に勉強しました。与えられた学校の課題は大変厳しかったですが、教授や友人たちの協力もありなんとか成果を出すことができました。

2度の留学を実績(その他、建築学会にいくつか論文を寄稿、建築学会から2度設計競技でデザイン賞を受賞)に本丸のフルブライト留学試験に挑戦、幸い合格し、1974年念願かないヒューストンにあるライス大学大学院に留学しました。指導教官は後年ハーヴァード大学の大学院長に就任するピーター・ロウ、修士号審査教授は後年MITの大学院長に就任するアデール・サントス女史。穂積教授の的確なご助言、両親からの支援で私の青春時代の大きな目標を達成することができました。

2000年選挙の1か月前突然当時のS区長から懇願され、2001年大学教授に内定していましたが教授ポストを辞退し、区長選に出馬、当選、区長に就任しました。私のセールスポイントは3度の海外留学で、挑戦心をもっていること、最先端の学問知識を持っていることと訴えました。「建築事務所の社長をやっていました」では区民も区役所職員も区長として大丈夫かしらと不安に思うでしょう。しばらくし、S元区長から「海外留学の話をするな!」とお説教がありました。後年、港区役所のN政策経営部長から「フルブライト留学の話をするな!」とお説教がありました。人生目標は様々です。某幹部達からS区長は学歴コンプレックスがあると聞きました。S区長は中卒で港区役所に入庁(夜間高校、夜間大学卒)で立身出世の方、港区のことを知り尽くしている方です。立派なご経歴と思います。私は私。私の青春時代の目標について否定したり、お説教するのは筋違いです。S元区長もN部長も「デモシカ」公務員で青春時代大きな夢、目標を持たず、公務員を続けてきた方とお見受けしました。港区は武井区長が、また、公式にも「異文化理解」を標榜しています。実態は区長は異文化を理解できず、口で甘くささやいているだけでしょう。様々ある人生を、また、青春時代の目標を否定するなどの行為は許されないこと、人権侵害です。

黒川東京高検検事長、検察、警察は取調べしないのか?

黒川東京高検検事長は辞表を出して終わり。社会全体のバランスからどうか?考えてしまいます。一般人が麻雀でも賭けたことが露見したら強制捜査があります。かつてそうした事件報道の新聞記事を覚えております。大した金額でないからとか、あるいは、検事長だから政治的に見逃すのでなく、検事長だからこそ、徹底し、捜査をすべきでしょう。国民に示しがつきません。

30年以上前のことですが、私の地元にある麻布中高校の文化祭の前の晩、麻布高校生が近所の電信柱に文化祭のポスターを貼っていたところ警察官から職務質問の上、麻布署へ逮捕、連行されました。2,3年前、高井戸署で中学生が窃盗の容疑かなにかで自宅から連行され高井戸署のバカ警官から「素直に白状しないと高校に行けなくしてやるぞ」と脅迫し、自白を迫りました。(中学生が録音していました。録音が放送されました。)当時の麻布署の警察官や幹部はどのような判断だったのでしょうか?また、高井戸署の警官や幹部はどのような判断だったのでしょうか。相手が中学生だから、高校生だから、威張り散らし、怒鳴りまくり、人権無視し、強制的な態度に出たと思います。一言注意すればよいことでしょう。六本木は客引きが多くいますが、麻布署の警察官は客引きの前を素通りです。本来注意の声掛けくらいはすべきでしょう。私は客引きから声かけられると、注意しています。麻布署の警官より、港区役所職員よりよっぽど社会貢献しています。

今回黒川前検事長の場合、賭博行為は明らかですから担当地域の警察官が法と証拠に照らし黒川を呼びつけ「お前を検事総長にできなくしてやるぞ、白状しろ」と強制的な捜査をしないのはなぜか、素朴に考えてしまいます。

資料整理、新たな発見も

4月後半から外出自粛要請で直接の面会の仕事が少なくなり、この際ということで資料整理しています。私は3度の留学で得た授業の教科書、資料、留学中のインターンで体験した際の報告書や図面など大切に保管しています。40年間の業務の資料も保管しています。その他、専門書、一般教養書など多く保管しています。海外の雑誌、新聞記事なども保管しています。出張の際収集したパンフレットなども保管しています。個人としては膨大な量です。なかなか整理する機会がありません。今回少し時間の余裕ができ整理をしました。懐かしい資料などを見つけ、逆に整理活動がストップ。本来の資料整理に加え、そろそろ終活目的で大胆に資料整理をしなければなりません。

押印か?署名か?

新型コロナウィルス蔓延でテレワーク、在宅勤務が拡大し、日本の押印の習慣から「電子印」が期待されています。日本では何でも「ハンコ」。欧米は「署名」です。

友人から聞いた話。某役所の幹部だった方。出勤表に毎日押印しなければならないが、面倒だから部下にハンコを渡し押してもらっていたそうです。別の友人の話。建設省から地方の県の建築課長に出向した際、部下から「課長、席にいなくても結構ですが、ハンコだけは机に置いておいてください。」と言われたそうです。本人の書類確認でなく、形式的に押印がしてあればよいということです。欧米はすべて署名です。つまり本人が書類を確認し、本人が署名します。署名は本人以外できませんから正確です。

私の港区長時代の体験。2度海外出張しました。中国とフランスです。その際、職務代理を立て、押印します。と言っても住民票、戸籍謄本、印鑑証明など実際の押印でなく区長印は印刷されています。区長自ら押印していません。当時、既に、ファックス、メールなど情報技術が発達し、区長が海外にいても、決裁の書類が送付されれば、内容を確認し、了解し、押印してよい、と伝えればよいだけで、区長職務代理を立てる必要はないと感じていました。住民票などは区長印が印刷されていますから、建前上、私が押印した書類をメールがファックスで送付すればよいだけです。一方、地方出張の場合は特に職務代理を立てずに業務をしていました。海外だから職務代理を立てるという考えはおかしいと思いました。日本全体の制度上の事柄ですので、黙って従いました。

また、決裁書類も、担当幹部が区長室で区長に説明し、了解得られたら秘書が押印する仕組みでした。今思い返すと、自らきちんと押印すればよかったと思います。何でも押印でなく、「電子証明書」「署名」での書類作成が必要な時代になりました。