月別アーカイブ: 2022年6月

イギリス、ポリオ警戒宣言

コロナ禍が続く中、6月22日ニューヨークタイムズによりますと、イギリス衛生当局が「国家レベルのポリオの警戒宣言をした」とのことです。ロンドンの某地区でポリオウィルスが広がった証拠を見つけたことによります。患者はまだいません。国民へのリスクは低いです。あくまでも問題意識としての警戒宣言です。公衆衛生当局は定期的に下水の質を調査しています。「これまで2,3年に一回程度ポリオウィルスを発見してきたが、去る2月から5月の間に複数回ポリオウィルスを発見しました。」ポリオウィルス拡大の兆候が現れたので危機意識を持ち、ワクチン接種が未だなら早くワクチンを接種してくださいと言う警告です。イギリスではポリオの最後の患者は1984年、2003年にポリオ絶滅宣言をしました。

原田のコメントです。2020年3月19日にアメリカのオハイオ州(第二の故郷)のフィンドレー市を訪問予定でした。3月2日ニューヨーク市で初のコロナ患者が見つかり、その後CDC (Center for Disease Control)が直ちに全米の大学などに警戒警報を発令しました。3月6日、フィンドレー大学の友人の教授からメールが送られてきました。「アメリカに来ないほうが良い。CDCから厳しい通達があった。」私はそのメッセージの意味を理解し、楽しみにしていたアメリカ訪問をキャンセルにしました。日本の外務省がアメリカ渡航禁止勧告を出したのが3月20日過ぎでした。日本政府の判断は後手後手(いつもの通り)でした。もし「日本政府がアメリカ渡航禁止勧告を出していないから」とアメリカに3月19日に行っていたらとんでもないことになっていたと思います。アメリカ政府の早い判断にあっぱれ、未だ、イギリス政府の警戒宣言にあっぱれ!日本版CDCが設立されるそうですが、本当に機能するのか?分かりません。

科学技術白書、日本の研究論文世界10に落ちた残念。大学教授は研究に専念せよ

先日公表された科学技術白書で、日本の研究論文数が世界で10位に落ちたとのこと。残念です。女性の研究者も増やし、研究の活性化をしなければなりません。論文数に関して個人的体験を3件。

1 大成建設社長の母校批判(早稲田大学建築学科の論文数が少ない)     1990年代の初め、恩師の菊竹清訓氏が主催する国際会議の支援要請のため、菊竹清訓先生に伴い大成建設社長(早稲田大学理工学部建築学科の先輩)に面会しました。約束の面会時間は60分。寄付の要請は1分で了解いただきました。その後、社長から早稲田大学建築学科の批判が50分続きました。「大成建設研究所は審査付論文を多く発表しているが、早稲田大学建築学科からの論文数は大成建設の足下にも及ばない、情けない。」とのお言葉。

2 原田の私的論文活動、審査付論文9本、数万字の論文10本         私は一匹狼(本当はヒツジ)で活動しております。これまで審査付き学会論文を9本書きました。また、数万字の論文を10本書きました。すべて「一人」で書きました。大学教授との違いです。まじめに研究論文を書いている教授もいますが。                      1つ目、大学教授の研究室の賃料は無料。原田は事務所の賃料を払っております。                                  2つ目、大学教授(日本の)学生を論文指導と言う名目でデータ集めを無料でさせています。原田はアシスタントに報酬を払っています。(欧米の大学では学生を無料でアシスタントに使うことは禁じられています。)学生に書かせた論文に最後に教授の名前を書き加えるだけ。                     3つ目、大学教授は肩書だけで社会的信頼がありデータ集めが容易です。原田がデータ集めをしようとすると相手から「胡散臭そう」な目で見られます。大学教授はそれだけで優位性があります。論文数は少ないのは義務を果たしていないと言えます。やる気がないのかアルバイトで忙しいのか。(教授の利権特権です)                               4つ目、大学教授は大学から一定の研究費が支払われます。原田は全て自腹です。経済的にも大学教授は優位性があります。               他の分野は知りませんが、建築分野で審査付論文9本、数万字の論文を10本「単独で」書いた教授はそうはいないと思います。

3 東京都老人研究所での行革、研究者の採用、活動の提言         1998年東京都庁から依頼され老人研究所(高齢者研究では世界的レベル)の行革コンサルタントを依頼されました。都庁の発注ですから公正にとプロポーザル方式でした。大手のシンクタンクからも応募提案があったようですが、彼らは上手に報告書をまとめるでしょうがきれいごとの羅列で本質的なことは書けないと都庁の担当者は判断し、海外留学3度の体験があることと率直に提言を書くであろうと期待されたと思います。                        提言内容は、研究者の採用、研究活動などについて欧米式を提案し、具体化させました。それまでは研究所の経営は親方日の丸。              1つ目、研究員の採用は公募、1年間は試用、その後の評価で正式に採用、数年ごとに業績評価をする。                          2つ目、東京都の研究所であるので定期的に都民に研究成果を公表、発表する。 3つ目、研究費は、税金を投入せず、様々な所から研究費を集める。      4つ目、研究員は専門誌に加え、テレビ、ラジオ、新聞などに積極的に出る。それも業績評価の一つ。                          5つ目、外部からの報酬については、研究所と折半。つまり、東京都の施設で、東京都の金による成果ですので。日本の大学教授はアルバイトなど外部からの報酬は全て自分の懐へ。利権そのものです。                 6つ目、名刺交換したら自分の引き出しにしまうのでなく研究所の管理部門がすべて管理する、など。                          実際、原田も研究の業績評価に参加させていただきました。都民に役立つ研究科同課などの観点から。                          こうした活動は当時の局長含めた幹部の意識の高さからでした。トップの意識が重要です。日大の田中元理事長を含め日本の大学のガバナンスは問題だらけです。また、政治の世界でも研究、科学技術について語れる、意識ある方が少数なのは残念です。

技術士稲門会総会記念講演、放射性廃棄物の資源化

2022年6月11日、技術士稲門会の総会が開催されました。不肖私が会長を仰せつかっております。総会後の記念講演に、元原子力学会長の藤田玲子様をお迎えしました。演題は「高レベル放射性廃棄物の大幅な低減・資源化 -地層処分の概要- についてです。藤田玲子様は早稲田大学理工学部卒、大学院は東京工業大学に転じ、博士号を取得しました。その後、東芝の原子力研究所、アメリカのアルゴンヌ研究所などにお勤めしました。2011年の東電福島第一原子力発電所事故に伴い福島県除染アドバイザーに就任、また、内閣府の「核変換による高レベル放射性廃棄物の大幅な低減・資源化」プロジェクトマネージャーなどをお勤めになりました。女性研究者のリーダーのお一人です。

先生の講演内容は専門外のことで、私なりにまとめると講演要旨は以下の通りです。「高レベル放射性廃棄物にレアメタルなどの有用元素の素が含まれています。それを物理的方法(中性子数を変える)、化学的方法(陽子数を変える)で元素の構造を変え、安定した素材にすると言う核のゴミの再利用の方法です。資源のない日本にとり再利用で資源を入手することは重要なことです。コスト的には、例えば、パラジウムを産出国から輸入することと比較し十分採算が取り得るそうです。

今後、使用済み燃料を再利用する研究が必要。課題として日本の研究の特性は、課題が生じて研究すると言うスタンス。ニーズを先取りして研究することは得意でない。先に戦略を立てるべき。原発は処理場のことも含め国民を巻き込んで議論すべき。ヨーロッパの特性は哲学から入る。アメリカは技術から入る。」  以上が先生の考え。(素人故、勘違いしている部分があるかもしれません)

原田のコメントです。藤田先生は早稲田の大学院に進学しようとしたら当時の指導教官から大学院研究室で女性を受け入れないと言われ、東工大に転じたそうです。当時の教授の価値観ですが、今思いますに、差別であり、優秀な女性研究者を早稲田の理工学部は失ったと言えます。                 また、原子力発電所で生まれる核のゴミを特殊な技術で無害化し、資源化する方法はこれからの日本に必要な技術です。ただし、一部に原子力アレルギーがあり、また、原子力政策は政治家にとり票につながらないので政治家があまり熱心でないそうです。今後の日本の科学技術政策の方向性を考えると、こうした技術開発に予算を充てることは重要です。

ヒューストン市訪問、まもなく全米第3位の都市に

 6月5日(日)と6日(月)と2日間だけですがヒューストンを訪問しました。主目的はロータリー国際大会に参加することです。5日(日)日本人向け朝食会でヒューストン総領事村林氏が「ヒューストン、テキサス州がアメリカ経済を支えている。まもなく全米第3位の都市に発展する。」と挨拶。我が意を得たりでした。ヒューストンは石油、電子工業、宇宙科学、医療(世界最大のテキサス・メディカルセンターがあります)の拠点です。3年前トランプ大統領が「在ヒューストン中国総領事館はスパイの巣窟である。」と閉鎖命令をだしたことから、ヒューストンの特別な位置づけが分かります。

 私は1974年から76年ヒューストンにありますライス大学建築大学院に留学しました。1970年、早稲田大学の交換留学でオハイオ州The College of Woosterの留学の帰途、ヒューストンの友人宅にホームステイさせてもらいました。当時ヒューストンの人口は100万人。全米で6位でした。多くの友人、教授達から、これからヒューストンの時代、次留学するならライス大学がよいと助言がありました。予想は当たりました。1978年中国の最高指導者鄧小平はヒューストンを訪問しました。日本の政治家と目の付け所が違うと感じました。日本の主な政治家、研究者でヒューストンを訪問した方はいないか、少数でしょう。

 COVID19の検疫はかなり緩和されたと思います。出発時、羽田空港のカウンターでPCR検査証明書を示し、それで終わり。アメリカに入国する際検疫はなし。税関検査も無し。(欧米の空港では税関検査はほとんどありません)ヒューストンに到着しすぐPCR検査を受け、15分で結果が出て証明書をもらいました。帰途、ヒューストンの空港のカウンターで証明書を示し、羽田空港に到着し、PCR検査証明書を示し、後、厚生労働省の指定したアプリをインストールして終了。いたって簡単になったと思います。

 昔の友人宅を訪問しました。ホストファミリーは50年前の私の写真をすべて持っていました。プリントしてくれ記念に持って帰れと渡されました。また、私が送ったクリスマスカードも全てファイルしてあるとのこと。驚きました。

 ロータリーの公式行事、開会式、会長主催の昼食会に参加し、その他はライス大学を訪問しました。夏休みであり少数の学生を見かけただけ。メニル美術館(レンゾ―・ピアノ設計、関西空港の設計者)、市立美術館(スティーブン・ホール設計)を視察しました。

 友人から聞いた話、ヒューストン市は全米で最大の多様性のある都市だそうです。100数十か国の出身の市民が住み、多くの言語、文化を基に生活しているとのことです。

 わずか2日間の滞在でしたが、充実した時間を過ごすことができました。