広報東京1月号に「大学生向けの海外留学支援制度」で短期コース最大90万円、中長期コース最大315万円と記載されています。港区役所も「MINATOまるごと留学」「放課後英会話教室の拡大」、中学生のシンガポール修学旅行など展開されています。異文化に触れ、新しいことを学び、最先端の知識を学び、と・・・留学に様々な目的がありますが、結構なことです。個人的には、やっとここまで来たかという思いです。
私は1969年、早稲田大学の交換留学生としてアメリカ、オハイオ州にあるThe College of Woosterに1年間留学、1971年IAESTE(国際科学技術研修協会)の技術研修生としてスウェーデンのカール・クリスティアンソン建築デザイン事務所に研修留学、オフィスランドスケープ(今日の快適オフィス)を学びました。最先端デザイン技術です。3度目は、最難関のアメリカ政府の奨学金フルブライト留学生としてアメリカ、ヒューストンにあるライス大学建築大学院に留学しました。指導教官はその後ハーヴァード大学大学院長に就任するピーター・ロウ氏、修士号審査教授はその後MIT大学大学院長に就任するアデール・サントス女史の下でまなびました。世界最高の教授であり、最先端の技術を学びました。
こうした経歴は私の誇りであり、また、重要な経歴、実績の一つです。ビジネスの上でも重要な評価される要素です。港区長時代、就任直後「前職は設計事務所社長でした」では区民がなかなか私を理解しにくいと思い「学生時代3度海外留学した挑戦心ある人物です(ですから安心してください) 」と挨拶しました。まもなく私を担ぎ出し、かつ、「院政は敷きません」と約束した元区長菅谷氏から「経歴を語るな」とお説教されました。菅谷氏は中卒で港区役所に就職、夜間高校、夜間大学卒の立身出世の人物、しかし、某課長曰く「菅谷氏は学歴コンプレックスがある」とのこと。私が自分の長所として高学歴、最先端の知識持っていることをアッピールすることに、ある種のやっかみ、嫉妬だったのでしょう。また、某ベテラン区議から(民主党幹事長、セクハラ癖、大ぼら吹き、経歴詐称の人物)「原田は外国かぶれ」などの悪口を言われました。また、区長時代後半には政策経営部長(区長の側近の部長)のN氏から「フルブライト留学したと言わないでください」とお説教。部長の立場からすれば区長にそのような発言をできるはずが無いので、誰かから指示されたのでしょう。80も大使館がある港区政の実態です。残念です。
留学することは、まず、英語の勉強をしなければなりません。また、留学試験の受験に多くの応募書類を作成しなければなりません。そして試験当日、英作文、日本語の面接、英語の面接があります。大変なストレスです。留学受検をしたということはこうしたストレスに耐えたという証明でもあります。合格後、留学先で日本人一人の中で生き延びなければなりません。厳しい勉強をしなければなりません。毎学期の試験に一定程度の成績を残さなければなりません。でなければ奨学金はカットされます。新しく友達も作らなければなりません。社交性を発揮しなければなりません。1970年頃の通信環境からすれば日本の家族と連絡を取ることはほとんど不可能で、ホームシックにも打ち勝たなければなりません。最先端の技術、知識を学び、多くのストレスに耐え、多くの友人を作ったということは稀なことと言っても良いです。そういう努力を理解できないレベルの方が港区役所、港区議会に一部にいたことは残念でした。