月別アーカイブ: 2026年5月

アメリカ情報局女性局長辞任

ニューヨークタイムズ5月22日の記事で、アメリカの国家情報局長(Director of National Intelligence)局長が辞任とありました。女性でタルシ・ギャバード女史(Tulsi Gabbard)です。彼女の画像とトランプ大統領宛ての辞任届も記載されています。最後にWith love and alohaと書かれていますので、ハワイの出身の方なのでしょう。辞任理由は夫が重度の癌で世話をしたいとのことです。

驚きは、まず、女性が情報(諜報)活動の最高責任者を勤めていることです。日本では情報機関というと警察庁の警備局、公安調査庁、内閣調査室、防衛省の調査部門等ですが、おそらく女性幹部はいないと思います。次はトランプ大統領宛ての辞任届が全文公開されていることです。英文で上司宛の辞表を書く際の参考書となります。

ライス大学副学長来日、日本人高校生のリクルート

5月18日(月)ライス大学副学長イヴォンヌ・ロメロ女史が来日し、東京在住のライス大学同窓生の若干名が副学長と懇親しました。限られた時間で、ゆっくり懇談する時間がないとの理由で少人数での懇親となりました。

副学長の来日の目的は日本人高校生のリクルートです。某高校2校を訪問しライス大学の魅力について説明し、数人の生徒からぜひライス大学に入学したいと反応があったとのことです。副学長の日程は、強行日程で、土曜日に来日し、月曜日に2校訪問し、火曜日にヒューストンに戻る日程です。彼女の精力的な活動に対し敬意を表し、また、限られた時間の中で動き回る姿に尊敬の念を抱きます。(私も区長時代、フランス大使館建替えの建築家選定の審査員をフランス外務省から仰せつかり、パリ滞在2日間の強行日程をこなし、2018年アメリカ、ニュージャージー州公立大学主催のシンポジウムがハンガリーのブダペストで開催された際もブダペスト滞在2日間の強行日程をこなしました)

一方日本の大学で、学長が、副学長が、学部長等の最高幹部が世界中周って日本の〇〇大学に来ませんかと大学をPRし、高校生をリクルートしているか、というとおそらくほとんどいないと思います。例えば東大なら、おそらく「東大に来たいなら来いよ。」という高慢な意識と想像に難くありません。大学は今や世界で優秀な生徒や教員候補を奪い合う時代に入っています。大学は最先端の学問、研究をしているはずですし、また、大学教授はマスコミで「偉そうにお説教がましい」コメントを述べていますが、自らの大学自体が、世界の潮流から乗り遅れています。最近の日大の理事長逮捕騒動などはその典型例です。研究活動の実態も、女性教員の数でも、女子学生の数でも。大学は大きく変わらなければなりません。

いppp


JR九州元社長唐池恒二氏の改革、官と民の違いにも驚き、港区役所でも

5月16日土曜日NHKのプロジェクトXでJR九州の豪華寝台列車「ななつ星in九州」のエピソードの特集番組でした。このままでは九州はダメになる、JR九州もダメになる(JR九州の路線が全て赤字)という危機感のなかで、元JR九州社長の唐池恒二氏は豪華列車のアイデアを生み出し、具体化し、大成功に導きました。

読売新聞2023年6月1日JR考のインタビュー記事で私自身が驚いた記述がありました。「国鉄時代管理職と組合員が対立し職場が荒れていた。小売り大手の丸井に修行に出された。初出社し廊下を歩くと社員が皆挨拶してくる。『これが民間会社か』と感動した。挨拶だけはJRに戻ってから真似した。職場が少しづつ変わっていった。」国鉄、つまり「官」では挨拶しなくても乗客からの評価の対象にならず、ということで、国鉄時代の職員のマナーは「威張る」「サ-ビス精神の欠如」を私も感じていました。民間企業ならお客さんが離れて行きます。挨拶という基本中の基本が旧国鉄職員はできていませんでした。JRになってから、また、最近の役所は親切、マナーが向上してきていると思います。

地元港区で見る風景です。地元六本木商店街の新年会や総会での風景です。中央の来賓席に港区役所の副区長や部長、課長が陣取ります。マナーを観察していると、「ふんぞり返って座っている」と思われる様子です。本来、副区長、部長、課長は自ら周囲の商店会や町会の幹部に挨拶して回るべきです。主催者や来賓の挨拶が終わり、食事が始まると、課長が恭しく食事を副区長や部長に運んできます。副区長、部長は王様気分のような印象を受けます。私の区長時代は区の職員は「笑顔で区民サービスに徹しろ(当たり前のことですが)」と訓示し続けました。民間では常識です。武井区長(区職員で私の区長時代の人事課長、ニコニコ挨拶するだけが取り柄)の時代、そうした指導をしなかったのでしょう。港区の一部幹部は旧態依然たる役人文化を謳歌していると捉えられても仕方ない状況です


三大建築家ミースのデザイン バルセロナパヴィリオンの突然変異のデザイン

世界3大建築家の一人、ミースが1929年バルセロナ・パヴィリオンを設計した際、大きな衝撃を建築界に与えました。鉄とガラスの開放的なデザインです。ミースはドイツ生まれ、石工の父親の下で石造りの建築を学び、その後、当時、ドイツの指導的建築家のベーレンス事務所で仕事を得て建築設計の仕事をしました。兄弟子にはグロピウスがいました。グロピウスはその後バウハウス(建築・デザイン学校)を設立し、所謂近代建築のデザインやファッションなど様々なデザイン教育を指導しました。ナチ政権に追われ、アメリカに移住しハーヴァード大学で教鞭をとり、世界的に影響力を与えた方です。

ミースは若い時、伝統的な石造り、コンクリート造りの住宅など設計し、一定の評価をされました。ドイツ政府からバルセロナで開催されるドイツパヴィリオンの設計依頼がありました。これまで石造り、コンクリート造りの閉鎖的な空間から、突然変異で、全く開放的な鉄とガラスの建築です。

私の建築の先生である菊竹清訓氏は、「ミースは日本の数寄屋造りなど柱と梁でできた開放的な日本の住宅に衝撃を受け、バルセロナ・パヴィリオンを設計したのでは」と語っていました。そこで私はいくつかの資料を調べ、菊竹先生の説は妥当と判断するに至りました。

ミースの兄弟子にあたるグロピウスの下に1922年日本の若手建築家石本喜久治が訪問、1923年同じく若手建築家堀口捨巳が訪問、1926年後年早稲田大学教授となる今井兼次が早稲田大学の指示で欧米を訪問した際グロピウスと面会しました。そうした機会に日本の建築家はグロピウスに日本の代表的な数寄屋建築や茶室建築等の写真や図面を見せたと考えられます。グロピウスはミースを含めた仲間に日本の伝統建築の写真や図面を見せたと考えられます。ミースは日本の数寄屋建築(石造りとは全く異なる細い柱と梁で構成された開放的な空間)に衝撃を受け、突然変異のごとく、従前と異なる鉄とガラスの開放的な建築をデザインしたと考えることは合理的と思います。こうした内容を後日英文の論文に仕上、発表したいと思っております。

八代市談合事件、港区でも

5月7日から連日「八代市議6000万円収賄疑い、熊本地震後新庁舎巡り」「八代市収賄、逮捕市議謝礼要求か 新庁舎工事落札企業に」「競合企業応札妨害か、容疑の八代市議 入札条件、市に働きかけ」「八代市収賄 容疑の会社代表仲介か 市議と落札のゼネコン」など新聞報道がされています。

契約方式では、「入札」でなく「総合評価方式」を採用したとのことで①工事への参加希望と②建設会社からの提案などを評価し、建設会社を決める方法は入札談合を防ぐ目的でも好ましい方法です。ここで明らかになったことは、市側が特定の建設会社が当選するような評価項目や評価点を決める作為的な内容を作成し特定の会社を入選させたことです。

港区でも同じようなことがありました。武井区政の時代です。2010年頃350億円という身の丈を超える大型公共工事で港区田町に建設したスポーツセンターです。「総合評価方式」で建設会社を決める方法でした。当初、大型工事ですから多くの建設会社が提案し、より優れた提案内容を評価し建設会社を選定すると思ったら、結果、「港区内の業者に限定」という厳しい条件がありました。結果応募し審査対象となった建設会社は2社だったようです。不自然と言わざるを得ません。しかも、工期が半年延長されましたが、建設会社に対し指名停止などおとがめなし。町田市の公共図書館の工事で3か月工期延長があり、施工を担当した東急建設は1年間の指名停止処分を受けました。港区のスポーツセンターで半年の工期延長ですからその倍の2年間の指名停止処分になって当然です。指名停止処分を受けるとその間、公共工事を受注できなくなります。指名停止処分なし、ということは、ハイレベルで何らかの話し合いで決着したと想像できます。

今回逮捕された八代市議は「ベテラン」「パワハラ」市議と報道されています。港区でも官製談合の噂を相当耳にしましたが、ベテラン区議が何らかの関与をしているとの内容でした。パワハラと言えば、港区でも、議場などで大声を張り上げ職員を威嚇する共産党幹事長がいました。不思議に思ったのは氏は高級外車に乗り、高級スーツを身に着け、高級腕時計をしていました。理解不能でした。

おかしいと思ったら公益通報です。幹部職員も議員もおかしいと思ったら行動しなければなりません。港区では「おかしい」と声を挙げたのは区長である原田だけでした。

大使チーム対早稲田ラグビーOBチームの親善試合

5月10日(日)早稲田大学上井草ラグビー場で各国の大使チーム(プラス外交官)と早稲田大学ラグビー部OBチームの親善試合が開催されました。好天に恵まれ参加選手いい汗をかいて親善試合を楽しんで、外交官同士、また、早稲田大学ラグビー部OBの皆様と交流を楽しんでいただきました。大使はルーマニア大使、フィージー大使、ウクライナ大使、イスラエル大使、アルゼンチン大使等が選手として参加、ノルウェイ大使(女性)、セルビア大使(女性)等は観客として参加しました。ラグビー協会名誉総裁の三笠宮彬子様も観戦にお見えになりました。大使チームの選手の中にはフランス大使館政務担当参事官の女性もおり、元気に走り回っていました。ウクライナとイスラエルという戦争当事国の大使が参加されるとのことで、警視庁警護課の護衛官も大勢見えました。試合開始の1時間以上前からグランドで警戒に当たっていました。

ラグビー好きのルーマニア大使から「ラグビー好きの大使が大勢います。早稲田大学ラグビー部OBと親善試合をしたいのですが」と頼まれ、ラグビー部に連絡し、快く応じていただくことになりました。試合後のパーティで多くの方にご挨拶をし、会話をしました。皆さん、「好かった」「楽しかった」等感謝の言葉をいただきました。スポーツは親善の役割に最もふさわしい手段です。仲人役として大感激しました。

ルーマニア大使館で音楽イベント、ブカレスト・オペラ・フェスティバルのプレイベント

5月4日ルーマニア大使館で、ルーマニア文化学院とブカレスト国立歌劇場の共催で、ソプラノ歌手ユリア・イサエブ女史とピアニストのリアナ・マレシュ女史によるリサイタルが開催されました。西麻布にある大使館のホールで300人近い招待客が参加しました。生で迫力ある美しい歌声に皆さん感激しました。12曲の歌が披露されました。ブカレストの歌劇場に実際に行って見たい気持ちになりました。大使はじめ大使館の皆様は準備に大変だったと思います。ありがとうございました。

東大汚職、優位な立場からの命令に従わざるを得ない。

東大大学院の共同研をめぐる汚職事件で、収賄側の佐藤教授、部下の吉崎特任教授と贈賄側の日本化粧品協会引地代表理事の裁判で、被告が事実を認め結審したとの報道です。2026年4月23日記事。優位な立場を利用し、性風俗店や高級クラブでの接待を教授側が要求していました。幼稚園児以下の大学教授がいるものです。大学教授にも就任前、就任中「倫理教育」が必要です。また、欧米の大学のように、「学生による教授評価」をすべきです。日本の大学では教授はアンタッチャブルな存在です。一部の教授は長年教授を続けている内に常識を失うのでしょう。

次元、レベルは異なりますが、私にも似たような経験がありました。某役所の公務員についてです。当初は、私の海外留学で得た最先端の知識や情報に対し敬意を表し接してくれていましたが、次第に、慣れてくると、私は民間の零細な設計事務所の経営者、相手はお役所の公務員ということで「たかり」が始まりました。新聞社主催のあるコンクールで私が入賞し10万円賞金をいただきました。すると、氏から電話があり、その瞬間は「お祝いのメッセージ」かと思ったら、「賞金もらったんだからごちそうしてくれ」とのたかりの電話でした。しかも同僚を2人連れて来ました。日頃の付き合いだからこの程度は良いかと食事会を催しました。さらに、氏の上司がアメリカのとある情報を欲しがっているのでまとめて欲しいとアメリカの学術情報の提供を求められました。今思うと、その人物は上司にゴマすり褒められたかったのでしょう。ただ働きでした。さらに、氏曰く、「自ら研究活動するのに費用が必要だから、原田さんに支払う報酬にプラスアルファを乗っけるのでいくらかバックしてほしい」との依頼。若輩者としては断れません。ある時点で断りました。また、上司にも報告しました。ご本人は調べにしらを切ったようです。若い時の体験です。優位な立場にあるほど、自分の言動に気を付けなければなりません。威張りちらす、礼儀知らずの公務員はいまだにいます。

共産党不破前議長大往生、貴族のような山荘生活?

日本共産党前議長不破哲三氏が昨年末95歳で亡くなりました。週刊新潮に「貴族のような山荘生活」と書かれていました。一部引用すると、「86年に相模原市内に山荘を建ててからの生活ぶりは有名だ。自宅は永田町から車で片道1時間半かかる。敷地に運転手や警備員、料理人が寝泊まりする小さな家があった。党本部から派遣された料理人は一流ホテルのコック経験のある人。」などなど。

私の価値観からすれば、共産党のリーダーであれば、公共住宅に住んで、政党のトップであれば緊急事態に対応できるよう政党本部の近くで生活すれば良いのにと思います。前の宮本議長は、記憶では、多摩市に数千坪の敷地に住んでいたと報道がありました。庶民生活からかなりかけ離れた生活だと思いました。そういえば、港区の共産党のK幹事長は高級外車を乗り回し、高級なスーツ、時計などを身に着けていました。

不破さんとは偶然3度お目にかかり、言葉を交わしたことがあります。最初は1998年頃(港区長就任前)、原宿にあるトルコ大使館のレセプションです。当時の大使と交流があり、家族全員が招待され大使館に行くと多くの招待客の中にテレビで見慣れた方がいるなと思い、あ、そーだ共産党の不破さんだ、おそらく原宿の町内会同士ということで招待されたのだろうと思いました。不破さんは有名人で共産党のトップということで、一人でお立ちになっているご様子で、思わず近寄り、ご挨拶をしました。気楽に名刺交換させていただきました。2000年6月に港区長に就任し、しばらくし、新人の区議との懇親会に招かれ、同席した共産党の若い区議I氏に不破さんの名刺を見せたら「すごいですね、僕ですら直接お目にかかったことがないのに」と言われました。

区長就任後、2回ほど、レセプションで偶然不破さんをお見かけし、お一人でポツンとお立ちになっているのでご挨拶し会話しました。確かその席はアメリカ商工会議所の主催のレセプションだったと思います。「共産党のトップがアメリカの商工会議所主催のパーティに参加されすごいですね・・・」などと話しかけたと思います。不破さんは笑顔で気さくな雰囲気の方と感じました。実際は共産党のリーダーとして厳しい方だったと思いますが。

私は不破さんと政策議論するような立場でもありませんし、また、そうした能力もありません。しかし、私自身、ブルガリアに本部があった国際建築アカデミーの役員をしていた際、ブルガリアの友人たちや、ロシアの建築アカデミー会員、ハンガリー、ポーランド、チェッコ、セルビア等の建築家たちと会話を通じて彼らの共産主義時代の体験とそれに対する評価(抑圧された生活や監視された生活など)を聴き、また、ロシアに留学した建築の後輩(パン一個買うのに3時間並んだなど)の話を聴き、さらに、1980年頃、亡命ロシア人、世界最高のチェリスト、ロストロポーヴィッチ氏の話を直接聴くと、共産主義に対し様々な課題を感じ、それを直接不破さんにぶつけてみたかったです。