海外体験の衝撃-その2

建築の追加です。
ホール建築の椅子のレイアウトです。東京の映画館、音楽ホールなどは東京都の条例で横12席毎に縦の避難通路を設けなければなりません。
1970年ヒューストンにある有名なコンサートホール、ジョーンズ・ホールを見学した際、いわゆる「コンチネンタルシート」で横40席位位の椅子が連続でレイアウトされていました。避難用縦方向の通路はありません。
1971年ストックホルムの公共ホールで、日本映画を見ました。このホールでも椅子は横一列で、縦方向の貧用通路はありません。ちなみに見た日本映画は榎本健一主演の「虎の尾を踏む男達」1945年、三船一郎主演「隠し砦の三悪人」でした。スウェーデン人の他国文化への関心の高さに驚きです。

驚きその2は大学編です。
1969年に留学したオハイオ州のウースター大学は1500人規模、全寮制です。
まず、驚いたのは、学生による教授の評価です。
学期末、突然教授が紙を配布するので、予告なしの試験かと驚いて見ると、学生による教授の授業評価表です。教授の授業はわかりやすいか、声の大きさは適切か、授業を休まなかったか、授業の準備をしたか、
試験の内容は適切か、等です。驚きました。日本でも採用すべきと思いました。
パワハラ、セクハラ、さぼり癖のある悪質教授の排除に役に立ちます。教授も競争原理が必要です。
施設の充実。
ダイニングルームは一流ホテルのレストラン並みのインテリア、食べ放題、寮のリビングルームにグランドピアノが置いてありました。寝室も立派でした。

1971年スウェーデンに留学した時の目撃談です。
ストックホルム工科大学の建築科の女子学生は60%です。建築は6年制です。
卒業と同時に建築士の免許を授与されます。国立大学の卒業=能力証明で、自動的に資格が取れます。
日本は、基本は全員卒業です。それから、国家試験です。

1974年アメリカ、ヒューストンのライス大学建築大学院に留学した際の目撃談です。
聴覚障害の学生がいました。手話通訳を通して高度な勉強をしていました。50歳代の学生が2人いました。
教育と研究の分離です。高い授業料を納めますから学生は教授から多くのことを学び取るという姿勢です。
教授のお手伝いは一切ありません。もし、研究のお手伝いをすると、高額の報酬が、大学の研究所からいただけます。私は、インターンで1975年の夏休み大学の研究所で働きました。給料は800ドル約25万円でした。当時日本の初任給は5万円程度。
教授が学生にお手伝いをさせたら、授業料返還の訴訟となるでしょう。日本の大学は現在も学生は教授のお手伝いを通し学ぶという方法が一般的と思います。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です