父親は国際志向でした。理解できない方の困ったチャン

私の父親は東京都庁に勤めていました。昭和30年代、総務局文書課法規係長として当時の東京都の条例のかなりの部分は父親が立案、あるいは関与したと思います。激しい議論をする係長として有名だったようです。事業局の担当者が条例の草案を父親に持って行き、見せるとガンガン指摘されたと後年聞いたことがあります。また、隣のセクションで勤務していた当時の若手(その後局長等歴任)から後日談を聴きましたが、隣の文書課で原田さんのお父さんが大きな声で議論しているのを覚えている、と言われたこともありました。怖い存在だったとのこと。怖い存在も必要です。緊張感が大切です。

昭和30年代、東京都の姉妹都市のニューヨーク市(はるかに先輩格ですが)と交換吏員制度があり、半年間ニューヨーク市で勤務(体験程度でしょうが)する制度があったそうです。父親から聞いた話です。ニューヨーク市役所で経験を積みたいと思い、交換吏員の試験に応募したが残念ながら合格できなかったとのことです。そうした残念な気持ちを息子に託し、機会があれば海外留学してみろという気持ちで私の海外留学を応援してくれました。経済的には1ドル360円の時代で、日本の大卒初任給が2万円代、アメリカの初任給が500ドル(18万円)の時代ですから、大変だったと思います。当時父親の月給は11万円(部長級)。自分の生活を相当切り詰めたと思います。

そうした父親の支援もあり海外留学をしましたが、意識のない方々からいわれなき批判の言葉をいただいたのは残念です。特に国際化と表面上発言する港区役所の幹部から言われたのはショックでした。こんなレベルの連中が港区政(特に国際化は表面で繕っているだけで中身はありません。)を仕切っているのかと思うと、残念です。港区の最高幹部は国際化について勉強していません。知りません。知ろうとしません。熱心に家族の国際化に取り組んだ父親に対する(港区の職員にとり先輩格です)侮辱です。

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