6月、日本からアメリカにフルブライト奨学金(アメリカ政府の奨学金:戦後世界平和のため若手の交流を促進するためフルブライト上院議員が提案した法律で始まった留学制度)で留学する学生、研究者の歓送会が開催されました。今年は42名です。全員と挨拶したわけでありませんが弁護士を目指す方が多くいました。また、英語教員でアメリカでさらに腕を磨こうとする教師も数人いました。アメリカで自身の研究分野を深めようとする大学教授もいました。私自身は45年前の1974年のフルブライト留学生ですが、こうした会合に参加する度に、昔の自分自身を思い出します。42名の留学生が目的を達成し、同時に、将来日米の懸け橋の役割を果たしてくださることを期待します。
私事ですが、私の場合大学に入学した時からいずれはフルブライト奨学金を頂きアメリカに留学しようと目標としていました。当時の日本の経済力、原田家の経済力からすれば、奨学金を頂かないとアメリカ留学はできません。当時のわたしにとり人生最大の目標、夢でした。もっとも港区長時代、一所懸命努力し実現したフルブライト留学にケチをつける港区の最高幹部がいたのには驚きました。人生目標、人生観様々です。フルブライト同窓生全体への侮辱です。