バリアフリー環境・遅れている日本の物的・意識面

読売新聞8月8日「1964年(東京オリンピック)の記憶」「バリアフリーに衝撃」という特集記事がありました。パラリンピックでイタリア語通訳をした方の思い出話が紹介されています。「日本選手団は療養所などから来た即席チーム、練習を重ねた海外勢に勝てない。イタリア選手は皆明るく、趣味を持ち、会社で働き、結婚していた。試合後一緒にタクシーに乗り浅草観光に繰り出し健常者と同じように過ごしておりあっけにとられた。」とのことです。

私の体験です。1969年アメリカ、オハイオ州The College of Woosterに留学した際、車いすの学生が普通に大学生活をしていることに驚きました。当時の日本の大学で車いすの学生を私は見ませんでした。1971年スウェーデン、ストックホルムに技術研修留学した際、階段の手すりは子供の高さと大人の高さの2本レールで驚きました。扉の取っ手も子供用と大人用と2か所ついているのに驚きました。1974年フルブライト奨学金でアメリカ、テキサス州ライス大学建築大学院に留学した際、大学院のクラスに聴覚障害者の学生が在籍、手話通訳の女性が一所懸命高度な授業内容をその学生のために手話通訳したのに驚きました。半世紀前アメリカ、スウェーデンでの体験です。残念ながら日本では物的環境面でも意識面でもまだまだ課題が多いと思います。障害がある方も普通に生活ができる社会づくりのための物的環境改善、意識改革を進める必要があります。

区長就任前「地域福祉」という本を刊行しました。港区長時代、港区盲人協会の皆様と積極的に交流を図りました。介護保険白書を日本で初めて作成しました。(職員が頑張りました)、財政難でしたがPFI(民間活力)で障がい者の生活施設を新橋に建設しました。地下鉄泉岳寺駅、御成門駅のエスカレーター、エレベーター設置に区長自ら東京都交通局長に直談判しました。

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